「おはよう、託生」
そしてキス。 ギイがぼくを起こす時は、朝の挨拶とセットでキスがついてくる。 最初はびっくりしたものの、そのうちそれが当たり前になって、今じゃそれがないと物足りない・・感じがする。 「おはよう、ギイ」 うーんと大きく伸びをすると、ギイが懲りずにぼくのこめかみに頬にキスをしてくる。 「ちょっと、ギイってば、朝の挨拶はもうしただろ」 「今日は特別」 何が特別なんだか。 とにかくその日は、寮の部屋を出るまでの間に、ギイはいつもの2倍はぼくにキスをしてきた。 ぼくたちが付き合い始めてまだ1ヶ月と少し。 だから?なのかは分からないけど、ギイはしょっちゅうぼくに「愛してる」と言って、隙あらばキスをしてきた。 愛してるのバーゲンセール。 ほんとそんな感じだった。 けれど、それもここ最近はおさまっていた。 たぶん、ぼくがギイからのキスを嫌がらなくなったからだろう。 そんなにしょっちゅう「愛してる」と言葉にしなくても、人目があるのにあえてキスしなくても、ぼくがギイの愛情を疑うことはないと確信できたからに違いない。 だから油断していた。
その日、どういうわけかギイはちょっとした瞬間をついてぼくにキスしてきた。
例えば廊下を歩いていて、人気がなくなった時。 校庭へと出ようと階段を下りるほんの一瞬。 とにかくもう、油断も隙もあったものじゃない。 寮の部屋で、二人きりなら別に文句なんて言ったりしない。 誰かに見られるわけでもないし、ぼくだってギイとキスするのは嫌いじゃない。 だけどさ、いくらギイが目ざとく人気のない瞬間を狙っているといっても、どこで誰が見ているかなんて分からないじゃないか。 ギイだって、誰かに見られたら困るだろうに、いったい何を考えてるんだろう。 「葉山」 背後から低く名前を呼ばれ、ぼくは嫌な予感で身をすくめつつ振り返った。 するとそこには、むすっとした表情の章三が立っていた。 「あ、赤池くん・・」 「お前、アレは何だ。僕への嫌がらせか?」 「え、っと、何のことでしょう?」 「アレだ!ギイだ!いったい何だって、あいつはお前に纏わりついてるんだ!」 「し、知らないよ、ぼくの方が知りたいよ」 「・・・ギイの躾はお前の役目だと言ってあるよな?」 章三は腕を組んでじろりとぼくを睨む。 ああ、怖い。 その台詞はもう耳にタコができるくらい聞いている。けど、あのギイをどうやって躾けろって言うんだよ。 ぼくには無理だ。 「僕の知らないところでいちゃつくのは勝手だし、そこまでうるさく言うつもりはないがな、僕の視界の中では普通にしてろ」 人前でキスするなんて言語道断。 章三の常識ではきっとそうなんだろう。いや、ぼくだってそうだ。 「最近は落ち着いてたっていうのに、何だって今日は、ギイのやつ、葉山にキスしまくりなんだ?」 うわ、やっぱりどこかで見られてたんだ。 ギイの馬鹿。 「だから、知らないよ」 「喧嘩でもしたか?」 「してないよ」 そんな不毛な会話の途中で、野暮用から帰ってきたギイが背後からぼくの頬にキスをした。 「ギイっ!!!」 「お待たせ、託生、帰ろうか」 満面の笑みでギイが言う。 その隣には般若のような表情の章三。 何だか今日はすごく疲れる。 夕食も終わり、ようやく寮の部屋で二人きりになると、やっぱりギイはぼくのそばから離れようとせず、飽きることなくぼくにキスの雨を降らせた。 「もうっ、ギイってば!!!何で今日はそんなにキスしてくるのさ、ちょっと、離れてよ」 「何だよ、託生。オレとキスするの嫌なのか?」 「そうじゃなくて」 なおも迫ってくるギイの胸に手を張って、ぼくはキスから逃げる。 するとギイが少し拗ねたように唇を尖らせた。 「だって託生、今日は5月23日だろ?」 「え、えっと、うん、そうだけど?」 唐突な話題転換にぼくは一瞬きょとんとした。 「だからさ。5月23日はキスの日だろ?」 「え!何だよ、それ」 「託生、知らないのか?だから、今日はキスする日ってな」 そしてギイがぼくの唇にちゅっと軽くキスをする。 「ギイ、それってアメリカでの話?」 「いや」 「じゃ勝手にギイが作った記念日とか?」 「何でオレがそんな記念日作るんだよ」 まぁ作ってもいいけど、とギイがつぶやく。 「・・・あのね、日本にはそんな記念日はないの。もうっ、今日はもう終わり!キスはなし」 ぼくが言うと、ギイは笑ってぼくを抱きしめた。 「ギイっ」 「いいなぁ5月23日。アメリカにもあればいいのになぁ、キスの日」 「だから、離してってば!」 「託生、えっちの日もあればいいと思わないか?」 「思わないっ!!!」 ぼくはギイの頬を張り倒した。 5月23日はキスの日。
というのが本当にあるらしい、ということを知ったのは、次の年の5月23日で、ギイはあの時ぼくに信じてもらえず、おまけに張り倒されたことを覚えていて、ごめん、と謝るぼくに「今日は一日、託生からキスすること」と無理難題を押し付けた。
仕方ないので、ほんのちょっとだけ、いつもより多めにキスをした。
人間、一年でけっこう成長するものなのである。
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