年下のオトコノコ



今回は、のざーさんとこのお話

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最近、駒澤がずっと不機嫌だ。



学年末の試験が始まると、さすがにいつもは閑散としている図書室も自習生たちでいっぱいになる。
部活も休みになり、放課後は寮の自室で勉強するか、図書室に残って勉強するか、とにかくこの時期はみな真面目にテスト勉強に勤しむのだ。
託生が人気が少なくなった校舎の廊下を歩き、寮へ戻ろうかとしていると、かすかにピアノの音がしたような気がして足を止めた。
「音楽室?」
たぶん他の人なら気づかないくらいの微かな音だったけれど、耳のいい託生にはちゃんとその音が聞こえた。
寮へ戻って試験勉強しないといけないのだが、どうしても気になって仕方がない。
「ちょっとだけならいいか」
ギイが聞いたら盛大に溜息をつきそうな台詞を口にして、託生は音楽室へと続く階段を上がった。
特別教室ばかりが並ぶフロアの一番奥が音楽室で、ここまでくるとピアノの音はもっとはっきりと聞こえてきた。
そっと扉を開けると、グランドピアノの前に座っているのは野沢政貴だった。
「野沢くんだったのか」
「あれ、葉山くん、どうしたの?」
ピアノを弾いていた手を止めて、政貴が驚いたような表情で託生へと顔を向けた。
「あ、ピアノの音が聞こえたから、誰が弾いてるのかなって」
「すごいな、葉山くん。ピアノの音が聞こえたんだ」
政貴は感心したように目を丸くした。そのまま楽譜を片付けると、ピアノの蓋を閉めた。
「あ、ごめん、邪魔しちゃった?」
自分がきたせいで練習する気が逸れてしまったのだろうか、と託生が慌てる。
「いや、そろそろ寮に戻らないとって思ってたからちょうどよかった。葉山くん、一緒に帰ろうか」
「うん。野沢くん、ピアノも弾くんだね」
「いやいや、弾けるなんて大層なものじゃないんだ。ちょっとストレス発散というか、気分転換というか・・・できないことをやって気を紛らわせようかと思って」
「試験勉強の息抜きってこと?」
2人で肩を並べて音楽室を出て、静まり返った校舎を歩く。
「ああ、試験勉強もしないといけなかったよね」
まるで他人事のような口ぶりに、さすがの託生も笑ってしまった。
物静かで、滅多なことで怒ったりしない政貴はブラスバンド部の部長をしていて、面倒見のいい人柄から後輩たちからも慕われている。勉強も出来るほうなので、今さら焦って試験勉強をしなくてもいいのかもしれないが、今の学校内の空気からしてのんびりと息抜きがてらピアノを弾いてられるというのは、
「さすがタダモノじゃない」
「え?」
「あ、ううん。何でもない」
託生は笑って誤魔化した。政貴の心臓の強さというか物事に動じない姿勢には、あのギイでさえ舌を巻いているので、政貴は託生では想像もできないような次元で行動しているのかもしれない。
「野沢くんはいつも寮の部屋で勉強する派だよね」
「そうだね。図書室は暖かすぎて眠くなる」
「はは、確かに」
「葉山くんも寮の部屋派だよね。ギイがいると分からないところを教えてもらえるから便利なんじゃない?」
「うーん、ギイの教え方ってスパルタだからなぁ」
ギイは優秀なので聞けば何でも教えてくれるのだが、その教え方は容赦がないので、よほどのことがない限りは教えを請うことはない。
「野沢くんは駒澤くんに勉強教えたりするの?」
政貴は2年生の中では唯一、寮の同室者が1年生なのだ。
同室者は剣道部の駒澤瑛二である。
繊細そうな政貴と、見るからに猛者っぽい駒澤という組み合わせは周りからは相容れない2人のように思われがちだったが、実のところお互いに片思いをしていて、去年の秋にめでたく気持ちが通じ合い、今では恋人同士となっている。
もっともそれを知っているのは限られた人間だけだ。
「駒澤くんはいいよね。野沢くんが2年だし、勉強を教えてもらうにはちょうどいいっていうか」
「だけどあんまり聞いてきたりはしないかな。駒澤ってああ見えてけっこう頭いいよ。学年順位も上位にいるみたいだし」
「そうなんだ。すごいな」
恋人を褒められたというのに、野沢の表情はどこか暗い。託生は、あれ?と思った。
「野沢くん、もしかして駒澤くんと喧嘩でもしてるの?」
校舎を出ると、託生はあまりの寒さに首に巻いたマフラーを顎先まで引っ張り上げた。
野沢はポケットから手袋を取り出して両手につけた。
山奥に建つ祠堂の寒さは半端じゃないのである。
「喧嘩はしてないんだけどね、俺、また何か駒澤の地雷を踏んじゃったのかなぁ。少し前からどうも不機嫌なんだよね」
「え、そうなの?」
強面の駒澤が不機嫌になるだなんて、想像しただけでも託生には恐ろしくてたまらない。
怖く見えるのは外見だけで、本当は優しくて乙女な部分を持つ駒澤だと知ってはいても、あの威圧感には慣れることがない。
2人が付き合うようになる時にちょっとばかり関わったことから、駒澤とは会えば挨拶をする程度には親しいのだけど、それでもいつもあの大きな身体には圧倒されてびくびくしてしまうのだ。
狭い寮の部屋で、不機嫌な駒澤と一緒だなんて、託生には耐えられそうにない。
「喧嘩じゃないんだよね」
「うん。だけど、不機嫌な理由も分からないんだよね」
野沢がやれやれというように溜息をつく。
「もしかして、それで音楽室で息抜きしてた、とか?」
「ああ、まぁそんなとこかな。駒澤も勉強は寮でする派だし、俺がいたら邪魔かなぁとかさ」
「そんなことないと思うけど。だって駒澤くん、野沢くんのこと大好きだし、邪魔だなんて思うはずないよ」
「だといいけど」
ありがとう、と野沢が微笑む。
寮の玄関で別れて、それぞれの部屋へと戻った。
託生が部屋の扉を開けると、珍しいことにギイがいて、皆が試験勉強に勤しんでいるというのに、ベッドに寝転がって雑誌など眺めていた。
今さら試験勉強なんてしなくてもギイなら楽勝なのだろうが、形だけでも勉強しろよ、と託生は八つ当たり気味に思ってしまう。
「ギイ、そんな姿見られたら、みんなから大ブーイングだよ」
「おかえり。遅かったな」
「ただいま。あのさ、ギイ、野沢くんと駒澤くんなんだけど・・・」
「たーくーみー」
ギイは雑誌で顔を隠すと、オレは聞かないぞというオーラを出してきた。
他人の恋路には不干渉というのがギイの基本的スタイルなので、よほどのことがない限りは自分から間に入ったりはしない。
託生はギイが寝転がるベッドの端に腰を下ろすと、ギイの顔を隠す雑誌をつまみ上げた。
「まだ何も言ってないだろ」
「言わなくても分かる」
「分かってるなら、何とかしてよ」
「しません。何回言えば分かるんだよ、オレは人の恋愛ごとに首を突っ込む趣味はないんだよ」
きっぱりと言って、ギイは託生に背を向けた。
それはギイのポリシーだとは思うのだけれど、だけど何だかんだで最後には手助けしたりするので、託生としてはギイの言葉を全部信じてはいなかった。
「ギイってば」
「そんな甘えた声出したってダーメ。託生もおかしなことに首突っ込むなよ」
ぴしりと厳命されて、それ以上何も言える雰囲気でもなくなったので、託生は納得できないまま、とりあえず試験勉強でもするかと机に向かった。
けれどやっぱり政貴のことが気になって仕方がない。
せっかく両思いになれたのだから、よく分からないことで仲違いするのはつまらない。
ちゃんと仲直りしてるといいんだけどなぁとぼんやりしてると、真面目に勉強しろ、とギイに頭を小突かれた。




託生と別れた政貴が自室の扉を開けると、中では駒澤が机に向かって難しい顔をして勉強に勤しんでいた。
「ただいま」
「おかえりなさい」
後ろ手に扉を閉めて、政貴は上着を脱いでクローゼットへと向かう。
その間も、駒澤は顔を上げることなく政貴のことを見ようともしない。

(いったい何なんだろう)

同室になったばかりの頃は、毎日がこんな感じだった。
寮唯一の学年違いの相部屋ということで、お互い気遣っていて、ぎこちない空気が本当に辛かった。
だけどその辛さは、単に一緒にいるのが気まずいということではなくて、好きな相手に疎まれているのが辛いというものだった。
誤解が解けて、晴れて恋人同士になれてからは、特に喧嘩をすることもなく過ごしていたというのに。
政貴は小さく溜息をつくと、駒澤に背を向けるようにして机に向かった。
さして気乗りはしなかったけれど、形ばかり教科書を開いてみる。

(何か気に障ること言ったかな。こんな風になったのっていつからだっけ)

一見繊細そうに見えるらしいが、その実、政貴はあっさりとした・・・というか、どちらかというと大雑把で物事にこだわらない性格をしている。
繊細なのは駒澤の方で、政貴の何気ない一言に敏感に反応してはあれこれ悩むのだ。
本格的な喧嘩をしたわけではないし、たぶん、何かちょっとした勘違いとか、そういうことに違いない。
「なぁ、駒澤」
「何っすか」
取り付く島がないというか、そっけないというか。
政貴はうーんと低く唸ると立ち上がり、駒澤のすぐ隣に立った。
「駒澤、ちょっと話をしようか」
「・・・俺、勉強中なんですけど」
「うん、でもさっきからずっと同じページ見てるよね?勉強に集中するためにも先に話をしよう」
「・・・・」
駒澤は一瞬言葉に詰まり、それから渋々といった感じでうなづいた。
じゃあちょっとこっちに来て、と政貴が駒澤を促して、ベッドに座らせる。
190cmを超える大男がちんまりとベッドに座る姿が可愛く見えて仕方がない。
自分でもどうかと思うが、本当にそう思ってしまうのだから、恋は盲目とはよく言ったものである。
「駒澤、ちょっと前からずっと機嫌悪いよね」
「そんなことないっす」
「そうかな。だってちゃんと俺の顔見て話しないだろ」
「・・・・」
「俺、何か怒らせるようなこと言ったりした?もしそうだとしたらごめん、深く考えないで言っちゃったことかもしれないし・・・謝るよ。何か気に障ることあった?」
どこまでも優しく駒澤に聞いてみる。
意図しない何気ない一言でも、駒澤のことを傷つけたのなら謝るつもりでいた。
ちゃんと話をしないことには何が原因かも分からない。
駒澤は少しの沈黙のあと、顔を上げた。
「野沢さん」
「うん?」
「この前、試験が早く終わればいいのにって話をしたの、覚えてますか?」
「え、ああ、うん。試験範囲が張り出されたときのことだよね?」
掲示板に試験範囲が張り出され、野沢はそれをメモしていた。ちょうど駒澤も姿を見せたので2人して一緒にチェックをしていたのだ。
試験なんて誰でも嫌なものだし、早く終わればいいのにね、とごくごく普通の世間話をしたのは覚えている。
「駒澤だって試験は早く終わって欲しいだろ?」
「そりゃそうですけど、だけど、試験が終わったら春休みですよ?」
「うん、そうだね」
山奥の男子校に半ば閉じ込められているような生活をしているのだが、春休みになれば実家へ戻れる。
それはそれで楽しみなのではないだろうか?
それとも駒澤は家に戻りたくないのだろうか?
親子仲は悪くなったはずだけどな、と首を傾げる政貴に、駒澤はむっとした表情を見せた。
「春休みが明けたら、進級ですよね」
「そうだね、留年しない限りはそうなるね」
「俺は、今のままでいいのに」
「・・・何が?」
ずっと1年のままでいいってことだろうか。
きょとんと言葉を返せずにいる政貴に、ついに焦れたように駒澤が立ち上がった。
「野沢さんっ」
「は、はい?」
「春休みが終わったら野沢さんは3年になりますよね」
「う、うん」
「俺は2年になって・・・」
「うん?」
「知ってますか、祠堂の寮の部屋は、一度同じになったら二度と一緒にはならないんですよ」
「・・・・」
「・・・・」

(えーっと、こういう場合、何を言えば正解なんだろう)

確かに祠堂では一度同じ部屋になった者とは、もう一度同室になることはない。
そんなことは最初から知っているし、今さらなことである。
いやーそれは知らなかったな、というのが正しいのか???

「・・・野沢さんは平気なんですか?」
「え、何が?」
言ったとたん、駒澤ががっくりと肩を落とし、その場にしゃがみこんでしまった。
「あの、駒澤・・・?」
「そういう人ですよね、野沢さんて」
「えーっと」
「この前だって、試験が終わったら早めに部屋替えの準備しないと、なんて笑いながら言うし」

(そうだっけ?)

政貴にはそんな記憶がまったくない。
たぶん、ごくごく普通の世間話の一つでそんなことを言ったのかもしれない。覚えてないけれど。
「俺は、野沢さんとずっと一緒の部屋にいたいって思ってるのに、野沢さんは違うんですね」
「そんなことないよ」
「あと少しで離れ離れになるっていうのに、少しも・・・気にしてる様子もないし・・・」
だんだんと小さくなる声に、政貴は何といっていいやら分からなくなった。
確かにあと少しで寮の部屋替えが行われる。
そうなれば、駒澤とは離れ離れになってしまう。
寂しくないのかと言われれば、それは間違いなく寂しいが、とは言うものの、所詮同じ屋根の下で暮らしているのだから、会えなくなるわけでもないし、その気になればいくらでも会う口実は作れるはずだ。
寮の部屋替えなんて、政貴にしてみれば本当に些細なことで、それほど気にとめるべき出来事ではなかったのだが、どうやら駒澤は違ったようである。
「俺だって駒澤と離れるのは寂しいよ」
「・・・今さら言われても嘘っぽいんですけど」
「いやいや、そんなことないよ。俺だって一緒にいたいと思ってるけど、でもまぁしょうがないだろ、寮則だし」
「そういうところがあっさりしすぎてるんですよ」
そうか、そういうものか。
うーんと考えて、政貴は恨めしそうに自分を見る駒澤に笑った。
「あのさ、駒澤、ほんとはまだ内緒の話なんだけどさ」
「・・・何っすか」
「3年になったら俺、たぶん階段長になると思うんだよね。内々に先生に打診されたんだ」
「え、そうなんですか」
まだ秘密だけどね、と政貴がいたずらっぽく笑う。
階段長は3年生の中から選ばれる、生徒たちの相談役のようなものだ。
先生よりは気安く、同級生よりは頼れる存在として、祠堂では伝統的に続いている制度でもあった。
ほとんど人気投票のように生徒たちから候補が選ばれるわけだが、実際のところはその中から先生が任せられると思える人間を選出している。
「俺なんかでいいのかなって思うけど、でも下級生たちの力になれるなら頑張ろうかなって。それに、階段長になれば一人部屋だし」
「ああ、そうでしたね」
「そうなれば、部屋が離れても、駒澤が泊まりにくることもできるかなぁとか思って。まぁそんな下心もちょっとあったりもしたんだよね」
「え」
駒澤は心底驚いたように目を丸くした。
その表情に政貴がくすくすと笑う。
「だから言っただろ、俺だって寂しいと思ってるんだって」
「でも、そんな階段長の立場を利用するようなこと・・・」
「うん。まぁそうそう毎日ってわけにはいかないけど、たまーにならいいんじゃないかな」
それくらいの役得がなければ、階段長なんて引き受ける生徒はいないだるう。
駒澤はどこまでもマイペースな政貴の言葉に、やれやれというように息をついた。
「やっぱり俺、いつまでたっても野沢さんには勝てない気がします」
「そうかい?まぁこれでも一応先輩だから、そう簡単に駒澤に負けるわけにはいかないかな」
そう言って、政貴は駒澤の肩に手を置くとその勢いのまま、どんっと床の上に駒澤を押し倒した。
「の、野沢さんっ!?」
あたふたする駒澤の頬にちゅっとキスをする。
「だって駒澤、寂しいだなんて可愛いこと言うからさ。何だかちょっとドキドキしたよ」

(いや、ゾクゾクというべきかな)

政貴の真下で目を丸くする駒澤に、にっこりと微笑んでみせる。
「大好きだよ、駒澤」
「え、ちょっと、まずいですって・・・っ」
本気を出したら政貴のことなんて簡単に振り払えるだろうが、そうしないのはそういう意味なんだろうと勝手に結論づけて、政貴は駒澤のシャツのボタンに手をかけた。




「と、まぁそういうことで、無事仲直りできたよ」
その日の食堂で、ギイと2人して夕食を取ろうとしていた託生は、政貴に声をかけられて一緒に席についた。
駒澤とのことで何やら悩んでいた政貴のことをずっと気にしていた託生だったが、音楽室での様子とは一転、にこにこと笑顔の政貴にほっとした。
駒澤が不機嫌だった理由が、春になれば恋人である政貴と部屋が分かれてしまうことを憂いてのことだったと知り、ギイは露骨に溜息をついた。
「だから言っただろ、人の痴話喧嘩に首突っ込むなって」
確かにそれはそうかもしれない、とさすがの託生も思った。
あの駒澤がまさかそんなことで不機嫌になっていようとは思わなかった。
託生も春になってギイと部屋が分かれてしまうのは寂しいとは思うものの、だからといってその程度のことで不機嫌になったりふさぎ込んだりはしない。
きっとそんなことを思い悩んでいるのは駒澤くらいなものではないだろうか。
「可愛いよね、駒澤って」
何気ない政貴の言葉に、ギイも託生も唖然として言葉に詰まる。
あの強面の大男を可愛いだなんて言ってのけるのは、祠堂広しと言えば政貴くらいなものだろう。
人の好みはさまざまではあるが、やっぱり政貴は一筋縄ではいかないと今さらながらに思う託生とギイであった。




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あとがき

野沢、いっそ攻でいいわ。190センチ超えのダンナを押し倒して欲しい。