祠堂でできた友達もなかなかに個性的でユニークだったけど、音大にはそれ以上に変わった人が多くて、どこまでもぼくは平凡な人間なんだなぁと思い知らされる。
そもそも音楽をやる人というのはやっぱり我が道を行く人が多いし、基本的に自分に自信を持っている人なので、他人には干渉しない。 別に冷たいということではなくて、いい意味で少し距離を取って接してくる。 それはたぶん、音楽のことで頭がいっぱいで、それ以外のことは割とすっぽりと抜けているからじゃないかと思うのだ。 何しろ音楽が大好きでやってきた人ばかりなので、そういう空気は居心地が良かったし、特に気にもならなかった。 「でも、葉山くんにもそういうところ、あると思うけど」 大学の学食で一緒にお茶をしていた城縞が言った。 実はこのあとギイが迎えにくるので、それまでの時間つぶしにと思って入った学食で、ちょうどレッスンが終わったという城縞とばったり会って、じゃあ一緒にということになったのだ。 城縞はピアノ科では一番と言われている人で、何故だかぼくのバイオリンの伴奏を引き受けてくれている。 見た目は貴公子然とした美男子で、女子からはたいそう人気が高い。 けれどちょっと変わっているというか、あまり他人に興味ないというか、誰かと進んで親しくなろうとするところがない。そういうところも天才肌というか、孤高の人ぽくて、さらに女の子たちからは注目が集まる。 今も少し離れた席で、ちらちらとこっちを見ている子たちがけっこういる。 だけど城縞にはまったく気にしている風もない。 こういう感じの人が身近にいるだけに、ちょっと親近感が湧いてしまう。 ぼくの中では、彼は不思議な人だけど興味深い人でもあった。 「葉山くんも我が道を行くってタイプだよね」 「そうかなぁ、確かに人からどう思われても平気なところもあるけど、だけどそれなりに人の目は気にしてるんだけどな」 一応世間体とかさ。 ちゃんと考えてる方だと思っているんだけど、そうは見えないのだろうか。 「うん、別に突拍子もないことをするってことはないんだろうけど、だけどいざとなれば誰が何と思おうと自分のやりたいようにするよね」 「そう?」 「バイオリンの音もそんな感じがするよ」 「えっ、ほんとに?」 自分じゃ分からないけど、音ってその人の気持ちだったり性格だったり、そういうのが確かに映し出される部分があるとは思うけど、それに気づくっていうのがさすが城縞というべきか。耳のいい人っていうのは音だけじゃなくて、それ以上のものも聴こえるんだろうな。 「ところで、葉山くんはこの連休はどうするんだい?」 「え、ああ、ちょっと人と約束をしてて、ずっと一緒なんだ」 「へぇ、もしかして今待ち合わせしてるのって、その人?」 「うん」 もう10分もすればギイがやってくる。 祠堂を卒業してからギイと再会して、それから遠距離恋愛が始まった。 ギイはアメリカ、ぼくは日本。 しょっちゅう会える距離ではないけど、ギイは時間を作ってはせっせと日本へとやってきてくれる。 忙しいから無理しなくていいと言うと、ずいぶんと拗ねられた。 だってギイばかりに負担をかけているようで申し訳ないなって思ったのだ。 別に会いたくないってことじゃなくて、むしろ会えるなら毎日だって会いたいけど、無理はして欲しくないから、今できることで満足しようって思うようにしているだけだ。 だけどギイはそうじゃないらしい。 そりゃ会いたいって思ってくれるのは嬉しいけどさ。 無理せずにゆっくりとでいいんじゃないかと思うだけだ。 「葉山くんの恋人を見ることができるなんてラッキーだな」 城縞の言葉にぎょっとした。 これから人と会うとは言ったけれど、それがギイだということも、まして恋人だなんて一言も言ってないのに! 「え??いやいや、恋人だなんて・・・そんなこと言ってないだろ?」 内心の焦りを必死で隠しつつ一応反論を試みる。 何しろずばりと言い当てられているだけに反論といっても何の説得力もないだろうけど。 「言ってはないけど、葉山くんの表情で分かったよ」 「どんな顔してた?」 「何だろう、いつも以上に優しかったかな。だからもしかしてって思っただけだけど、当たりだったみたいだね」 城縞の口調は揶揄うような感じではなくて、ごくごく普通なものだったので、少し肩の力を抜いた。 ギイのことは大学では誰にも話してはいない。 そもそも知っているのは章三を初めとする祠堂時代の友人の一部だけだ。 それだっていつの間にか知られていたという感じで、自ら告白したわけではない。 絶対に隠したいというわけではないけれど、進んで話そうとも思わない。 知られたら知られたで、まぁいいかという程度のものだ。 もしかしてこういうのが我が道を行くということなのだろうか。 「そういう城縞くんは恋人っているの?」 ぼくの問いかけに、城縞は大きく目を見開いた。まるでそんなことを言われるとは夢にも思わなかったという感じだ。 「・・・恋人・・・って欲しいと思ったことはなかったなぁ」 「あ、そうなんだ・・・それは、やっぱり音楽優先だった、とかそういうことなの?」 「さぁ・・・別に音楽を優先させたいとかそういうことは考えたことがなかったな。単に誰かをそこまで好きになったことがないというか・・」 それは、ちょっともったいないというか何というか。 その気になればすぐにでも恋人ができそうな城縞だけれど、普段の彼を見ていると、今はそういう方向に気持ちが向いていないんだなということが分かる。 誰かを好きになるのってタイミングも大切だから、恋愛したい!と思ってできるものでもないし、それはそれでありなのかなとも思う。 「だけど、最近そういうことも必要なのかなとも思うようになったよ」 城縞が少し考えたあと言った。 「そういうことって?」 「だから恋愛?」 「どうして疑問文!」 思わず笑ったぼくにつられたように、城縞も笑う。 「誰かを好きになる気持ちが分からないと、音楽に深みが出ないって言われた。その意見に反論するだけの経験も知識もないので黙るしかなかった。だけど音楽をする時にはいろんな感情が必要だろう?怒りや寂しさや、今まで自分が知っている感情しか実感を持って音に込めることができないのかと思うと、誰かを好きだという気持ちも知っておくべきなんだろうな、と思ったわけだよ」 「あー、なるほど」 すべては音楽のため、ですか。 「だけど、だからといって簡単に恋愛はできないしね、何しろ相手が必要だ」 「確かにね。でも、相手がいてもすぐに恋愛に結びつくってわけでもないよね。お互いがお互いのことを好きにならないとそういう関係には発展しないわけだし・・・」 「うん、だけど別に相思相愛にならなくてもいいだろ?」 「・・・・片思いのままってこと?」 確かに誰かを好きになる気持ちは知ることはできる・・・けど、それって辛いばかりで、幸せな感情を知ることはできないんじゃないだろうか。 いや、そもそも音楽のために恋愛をするという発想自体間違ってるよ! だいたい誰かを好きになるのって、自分の意思でどうにかなるものじゃないし。 「託生」 背後からくしゃりと髪を撫でられた。振り返ると、そこにギイが立っていた。 ほぼ一か月ぶりの再会でギイを見ると、何というかもうそのキラキラした佇まいに今さらのように目を奪われる。 (もう、ほんと今さらだよ) 心臓がドキドキしてるのが分かって、それを誤魔化すために立ち上がった。 「ギイ」 「託生、元気そうだな」 言うなりギイはくのことをぎゅっと抱きしめた。 もちろん周りからは、アメリカ式の挨拶だと思われる程度に軽いものだ。 男同志でも、ギイがするとどこまでも外国人の仕草に見えるのでスマートだ。 「待たせたか?」 「大丈夫だよ。時間通り」 ギイはうなづくと、向かい側に座る城縞へと視線を移した。 「ギイ、城縞くんだよ。伴奏をしてくれるピアノ科の友達の話、したよね?」 「ああ。初めまして。崎義一です」 にっこりと、たぶん女の子なら一瞬で恋に落ちてしまう笑顔を見せてギイが右手を差し出す。 城縞は立ち上がり、その手を握って握手した。 「託生からお話は聞いています」 「・・・」 にこやかなギイとは打って変わって城縞は何とも不思議そうにギイを見つめている。 城縞もやっぱりギイに見惚れてるのだろうか・・と思い、そうじゃないと思い直した。 そうだ、ついさっきまでこれから恋人がやってくるなんて話をしていたのだ。 城縞にしてみれば、当然女の子がやってくると思っていたところへギイが現れたのだから、たぶん大混乱しているに違いない。 城縞はぼくとギイを交互に見比べて、少し考えたあと、滅多に見せない笑顔を見せた。 「それじゃあぼくはこれで。葉山くん、来週のレッスンは10時からだから遅れないようにね」 「あ、うん。ありがとう。また来週」 城縞はギイに軽く会釈をしてトレイを手に席を去った。 何も言わなかったのは、まさか二人が恋人同士だとは思わなかったからなのか、それとも相手が同性だと知ってあまりに驚いて言葉にならなかったのか。 「あいつが例のピアニストか」 ギイはぼくの隣に座ると、城縞が出て行ったばかりの出口あたりを見ている。 今までにも何度か城縞のことはギイに話したことがるので覚えていたらしい。 「男前だな」 絶世の美男子が何を言うのやら、と思わず笑ってしまった。 「ギイ、わざわざ大学に来なくてもアパートで待っててくれて良かったのに」 そのために合鍵も渡してある。 長旅で疲れただろう?と言うと、ギイはやれやれというようにため息をついた。 「飛行機はもう慣れてるし、託生に会うためだと思ったらぜんぜん疲れないし、一分でも早く会いたかったから大学まで迎えにくるのも苦じゃないし」 「そっか・・えっと、ありがと」 「なのにお前ときたら、他の男といちゃいちゃと」 「はぁ!?何見てたんだよ、いちゃいちゃなんてした覚えないし!」 どこをどう見たらそんな風に見えるというのだ。 ぼくがギイを睨むと、ギイはあーあとテーブルに突っ伏した。 「オレ、マジで遠距離やめたくなってきた。やっぱりそばにいないといろいろ不安だ」 「・・・あのさ、ギイ」 ぼくはギイへと向きを変えると、ふわふわの髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜた。 ギイがそろりと顔を上げる。 「ギイに心配されるほどぼくはモテないし、そもそも城縞くんは男だし、どっちかというと恋愛には興味のない人だし・・・」 「分かってるよ。これは単なるオレの勝手なヤキモチだしー。託生が鈍感なのは昔からだしー、そのくせ簡単に人からの好意を引き寄せるしー」 「おかしな言い方するなよ」 子供っぽい物言いに笑ってしまう、 「だいたい好意なんて引き寄せてません。それよりギイ、ぼくたち普通の友達に見えたかなぁ」 「何だよ、それ」 「さっき城縞くんに、これから来る人が恋人なんだろうって言われて、別に否定しなかったから、ギイのことぼくの恋人だと思ったと思うんだよね。でも何も言わなかったから、冗談だと思われたのかなって。ハグって友達同志でもするもんね、あ、日本じゃしないけど」 「・・・」 ギイは何とも言えない表情でまじまじとぼくを見ている。 え、何かおかしなこと言ったかな。 もしかして恋人だって知られたことまずかったのかな。 「託生」 「なに?」 「あいつにオレのこと恋人だって言ったのか?」 「はっきりとは言ってないけど・・でも実際ギイは恋人なわけだし、違うだなんて言えないだろ?ああいうのすごく困るよね。何て答えればいいか・・・って、ギイ、なに笑ってるんだよ」 小さく肩を震わせるギイがはーっと大きく息を吐いた。 その表情はまんざらでもないというもので、何だよそれ、と思った。 「やっぱり託生っておもしろいな。いざとなった時の開き直り方がカッコいいというか」 「・・・面白いとカッコいいってぜんぜん反対じゃない?」 「そうか?」 だいたい面白いことなんて何も言ってないし、別にカッコよくもないし。 カッコいいというならそりゃギイの方がずっとカッコいいじゃないか。 少し会わないでいるとギイがカッコいい人だということをうっかり忘れてしまうので、こうして再会するとはっとする。 会えない時に思い出すのはその姿形よりも、その声だったり仕草だったり、そばにいるとほっとするような心地よさだったり。 そのくせ久しぶりに会うとその美しさに一番にドキドキしてしまうのだから困ったものだ。 「まぁ良かったよ、牽制できてさ」 「牽制?」 「いいよ託生はわからなくても。さ、行こうぜ。短い休日だからな、のんびりしてるのはもったいない」 促されて立ち上がると、ギイは躊躇うことなくぼくの肩を抱き寄せた。 「人が見てるよ」 「見せときゃいいよ」 「ギイの方がずっと開き直ってるじゃないか」 「オレは昔から隠してませんから」 そう言えばそうだった。周りの目を気にしていたのはいつもぼくの方だった。 でもあれは恥ずかしいというのもあったけど、祠堂でのギイの人気が半端なかったので、ちょっと躊躇してたのもあったのかもしれない。 ここではギイを知る人もいないから、まぁいいかとも思う。 なるほど、こういうのを我が道を行くというのだろうか。何だかちょっと自己中心的みたいで嬉しくないなぁと思っていたけれど、久しぶりに会えた恋人と天秤にかけたら、それはもうどちらが大事かなんて言うまでもない。 来週、城縞にレッスンで会った時、やっぱりちょっとからかわれたりするだろうか。 昔ならそういうのにどう答えればいいか分からなくて恥ずかしかったけれど・・・ 「託生、オレ久しぶりにたらこスパゲッティ食べたい」 「いいよ。ギイのために腕によりをかけて作るよ」 嬉しそうに笑うギイのことを恥ずかしいだなんて思わないから、だから今は誰に何を言われてもちゃんと胸を張って言えると思う。 恋人なの?って聞かれたら、そうです、と。 |