今日は朝から雨だった。
けれど祠堂の生徒たちは雨なんて関係なく、1週間ぶりの休日を満喫するために朝一番のバスに乗り、下山をしていく。 3年になって、周囲の目を欺くためにクールな雰囲気をまとっているギイだけれど、1対1で親しくしていると怪しまれるが、大勢であれば問題ないだろうという章三の一言で、今日は一緒にバスに乗ることになった。 付き合ってくれたのは章三を初めとした、矢倉、八津、政貴と、いつも親しくしているメンバーだ。 みんなは気を使ってか、バスの席は偶然を装ってギイとぼくを隣同志にしてくれたり、何だかもうバレバレで恥ずかしいという気がしないでもなかった。 でもそのおかげで久しぶりにギイと他愛のない話をすることができた。 街に着くと、映画見たい組として、章三と矢倉と八津がグループを離脱すると言い出した。 政貴もあとからやってくる駒澤とデートをするとかで、また帰りにと言った。 ランチタイムにもう一度集合しようということになり、結局残されたのはギイとぼくだけだった。 「あいつらおかしな気を使ってくれるよな」 ギイは苦笑して、だけどちょっと嬉しそうにも見えた。 「ぶらぶらするか」 ギイに促されてショッピングモールへと歩き出す。 それほどの雨ではないけれど、やっぱり傘をささないと濡れてしまう程度には降っている。 5月に入って晴れた日が続いていたので、今日は久しぶりの雨だった。 まだ出来て間もないショッピングモールは雨だというのにけっこうな賑わいだった。 家族連れやカップルが多いのはいつものことだけれど、今日はどういうわけか子供の姿が多いような気がした。 「ギイ、何か見たいものある?」 「あー、新しいTシャツ欲しいかな。まだ半袖着るとみんなに嫌な目で見られるから長袖一枚買おうかな」 「はは、ギイはどっちかって言うと暑がりだもんね。冬でも半袖でいけちゃうくらいだし」 「まぁあれだな、NYだと極寒だろ?だから家の中ってすごく暖房効いてるんだよ。半袖でも平気なくらいに。だから家の中で厚着っていうのに慣れてないんだよな」 「祠堂もけっこう寒いと思うけど。そっかNYってそこまで寒いのか。そんな寒いところで暮らすのは無理だな、ぼく」 「え?いやいや、託生くん、だから部屋の中は暑いくらいだし」 「でも外は極寒だろ?」 ちらりとギイを見ると、あからさまに不満そうな顔をしている。 その表情に思わず吹き出した。 いつか一緒にNYで暮らしたいなんて夢みたいなことを、時々ギイは冗談混じりに口にする。 言われたぼくはあまりにも遠い未来の夢みたいな話なので、そうなったらいいなぁくらいの返事しか返せない。 だってまだ高校生で、卒業後の進路のことさえ何も見えていないのに、いきなりNYで一緒に暮らすなんて想像ができない。 ギイはいったいどれくらい将来のことまで考えているんだろう。 でもそれを聞くのはちょっと怖い。 「託生、お揃いにしない?」 「えっ、ギイのファンに殺されそうだよ」 「一緒に殺されてやるから」 「やだよ」 くだらない会話を続けながら、ショッピングモールの中をぶらぶらと歩く。 ふと、やたらとそこら中に花があることに気づいた。 「ああ、そっか」 「うん?どうした?」 「そういえば今日は母の日だったんだなぁって」 いたるところに母の日のポスターが貼られていて、造花のカーネーションで飾られている。 すっかり忘れていたけれど、今日は母の日だ。 「アメリカにも母の日ってあるの?」 「あるよ」 「やっぱりカーネーションを贈ったりするの?」 「そうだなぁ。まぁカードを贈ったり、花を贈ることもあるかな。何でもいいんだよ。要は気持ちの問題だから」 なるほど。気持ちの問題か。 兄さんが生きていた頃は、一緒にカーネーションを贈っていた。 だけど亡くなってからは、何かを贈るような気持ちにはなれなくて、ずっと気づかないふりをしていた。 面と向かって花を渡せるような関係ではなくなっていたから。 「ねぇ、ギイはお母さんに何か贈ったの?」 「カード贈っておいたよ。また電話でもしておくつもりだけど」 「そっか」 電話か。 何の用もないのに電話っていうのもハードルが高い。 無理に何かをする必要はないとは思うんだけど、とちらりとギイを見る。 ギイと付き合うようになって、ほんの少し両親に対する気持ちも変わってきた。 何もなかったことにはできなくても、少しづつお互いの歩み寄りで関係は良くなっている。 特設コーナーでは色とりどりのカーネーションの鉢が並んでいる。 小さな子供たち向けに1輪のづつの切り花も売っている。 すぐそばに立てかけらえたパネルには、幼稚園児たちが書いたと思われるお母さんの似顔絵がずらりと展示されていた。 どれも決して上手とは言えないけれど、愛情が溢れていて見ていて楽しい。 母の日か。 胸の奥の方で何かがちくりと痛む。 母さんは、この日をどんな気持ちで過ごしているのだろうか。 「行こうか」 ギイに声をかけられて、ぼくは歩き出したギイのあとについてその場を離れた。 いつも買うセレクトショップでギイが欲しいと言っていたシャツを探した。 何でもいいなんて言うくせに、いざとなるとあれこれとこだわりを見せるギイなので、(以前も1000円の靴をさんざん悩んで買うのをやめた前科がある)、ぼくは店の中で買うつもりもない小物を眺めつつ、ギイが買うものを決めるのを待っていた。 「託生、これどうだ?色違い」 「え、本気で色違い?」 カッコいいシャツの色違いを両手に持って、ギイがほらほらとぼくに見せる。 どうしてもお揃いにしたいらしい。 ギイが手にしているのは同じ柄で黒とブルーの色違いだ。 「じゃあ黒にしようかな」 「お、その気になった?やった」 髪型もすっきりと短くして、いつもは眼鏡をかけて、去年までとは違うイメージになってしまったギイだけれど、今は眼鏡もしていないし、笑うとそれまでと同じギイだ。 ぼくがお揃いを受け入れたことが嬉しかったのか、シャツはギイがプレゼントだと言って買ってくれた。 しかしこれは人前では着られないと思うんだけどな。 でもペアのシャツが嬉しくないわけでもない。 うーん、このあたり何とも微妙な感じでもある。 そのあと本屋やCDショップを覗いて、そろそろランチタイムということで、少し早めにみんなと待ち合わせをしている場所へと向かうことにした。 「託生」 「うん?」 「花、買わなくていいのか?」 エスカレーター、ぼくより一つ下の段に立っていたギイがぼくを見上げて言った。 「・・・だって・・・」 「気が進まないんなら無理とは言わないけどさ、お前、すごく迷ってるようだったから」 ああ、ギイには何でもお見通しなんだな、と今さらながらに痛感した。 たぶんこれからも、ギイには嘘なんてつけないんだろう。 「ギイの言う通り、ちょっと迷ってる」 「うん」 「今まで、母の日って何もしたことなかったなぁって。えっと・・兄さんが亡くなるまでは一緒にお小遣い出し合って、カーネーションを渡したこともあったんだけど」 エスカレーターを降りたところで、ギイは足を止めた。 口ごもるぼくを急かすことなく、じっと待ってくれる。 「・・・何か・・今さらって感じもして、さ」 たぶん、花を贈れば、母さんは喜んでくれるだろう。 それは分かっているのに、気恥ずかしいような気もして躊躇してしまう。 あんなに両親のことも、兄さんのことも嫌っていたのに、今さら母の日だなんて、わざとらしく思われるんじゃないかとか、迷惑だと思われてしまうんじゃないかとか。 そんなことないって思っているのに。 「託生」 ギイがそっとぼくの手を取った。 ぎゅっと握られて顔を上げた。 「大丈夫だよ。贈りたいなって思うなら、そうすればいい。要は気持ちの問題だって言っただろ?もし何もしなかったら、たぶん託生はあとで後悔するんじゃないかな」 「・・・」 「おふくろさん、きっと喜んでくれると思うよ」 ギイが優しくぼくに告げる。 不安な気持ちは、ギイの言葉で不思議と小さく萎んでいく。 ぼくがあれこれと答えの出ないことを考えて立ち止まると、こんな風に手を取って引き上げてくれる。 ああ、やっぱりギイはぼくにとっては大切な人で、これから先生きていく中で必要な人なんだなと思う。 こんなことでと思われるかもしれないけれど、こんな小さなことの積み重ねで、きっとギイを好きな気持ちは深まっていくのだ。 「贈ろうかな。でも今日の母の日にはぜんぜん間に合ってないけど」 へへ、と笑うと、ギイは大丈夫とウィンクした。 「一日遅れくらいどうってことないよ。じゃ先に贈っちゃうか。ランチのあとはみんなで集団行動になるだろうから、そんな時間ないし」 「うん」 「よし、じゃあ戻ろう」 善は急げとばかりに、手を引かれて下りのエスカレーターに向った。 特設コーナーに戻って、たくさんある鉢植えの中から赤いカーネーションの鉢植えを選んで、実家へ贈る手続きをした。 今からだと明日には届きますよ、と店員さんに笑顔で言われ、何だか今から緊張してしまった。 「ありがとう、ギイ」 ぼくが言うと、ギイはちょっと笑って、腹減ったなといつもの調子で返してきた。 きっとギイは何もしてないと思っているんだろうけれど、ぼくにとってはギイの言葉はすごく大切な勇気の源だ。時々くれるちょっとした気持ちや言葉が、ぼくの中にある冷たい部分を溶かしてくれる。 一方的に頼ったり、甘えたりしちゃだめだと戒めながらも、これからもギイがそばにいてくれたら、ぼくはもっとなりたい自分になって、自分のことを好きになれるような気がする。 「オレ、美味いパスタが食いたい」 「いいね。10階に新しいお店が出来てるって赤池くんが言ってた。確かイタリアンだったような」 「よし、決定」 「って、他のみんなの希望も聞かなくちゃ」 「いや、もうオレの口はパスタの口だ」 冗談めかしてギイがぼくの肩を抱く。 すると、ばしっと背後からいきなり頭を叩かれた。 振り返ると映画組の皆がにやにやとしながら立っていた。 「こんな人目のあるところでイチャイチャするんじゃない」 「まったくだ。友達設定は早くも崩壊してるじゃないか」 「まぁ普段イチャイチャできないからしょうがないんじゃない?」 口々に言いたいことを言って冷やかされた。 さっきまでのちょっとしんみりした気分なんてすぐに吹き飛んでしまった。 明日、一日遅れて届いた花を見て、母さんはやっぱりびっくりするだろうか。 ほんの少しでも喜んでくれるといいのになと思いながら、みんなで肩を並べてランチライムで混み始めたレストラン街を歩いた。 |