「託生、ちょっと散歩に行かないか?」
突然のギイの言葉に、思わず机の上に置かれた時計を見る。 「ギイ、消灯時間まであと一時間しかないよ?」 ギイの言う散歩がいったいどこまで行くものなのかは分からないけれど、まだ風呂にも入ってないのだ。 のんびり散歩などしている時間はないと思うのだけれど。 そんなぼくの言葉に、ギイは 「まだ一時間あるだろ?ちょっとだけ。な?」 と言った。 まだ一時間。 ギイの言葉に、ぼくは思わず笑ってしまった。
同じ一時間でも「もう」と「まだ」ではどうしてこう感じ方が違うのだろう。 どんな時でもギイはポジティブだなぁと感心してしまう。 そして、そういうところが好きだなぁと改めて思ったりして、思わず頬が熱くなってしまう。 「行こうぜ」 「うん」 うなづいて立ち上がる。 そしてぼくたちはそろって部屋をあとにした。 4月も終わろうとしていた。 肌に感じる空気が一番気持ちいい時期だった。こっそりと人目を避けて寮を出る。 外の空気は澄んでいて、ぼくはその気持ちよさにほっと息をついた。 見上げた夜空には満天の星。さすが山奥祠堂というべきか、都会ではちょっとお目にかかれないほどの星に、思わず笑みがこぼれる。 そのまま視線を移すと、数歩前をギイがゆっくりと歩いている。 ああ、ギイも同じくらいに眩しい人だったなぁ。 その背中を見て、ぼくは不思議な感覚に襲われた。 1年の頃、ぼくにとってギイは手の届かない眩しい人だった。 2年に進級して、ギイと同室になって、彼に好きだと告白されて。 ギイが名づけた人間接触嫌悪症はまだ完全には治ってなかったけれど、でも、こうして一緒に歩くことが苦痛じゃなくなっている。 苦痛どころか、もっと一緒にいたいと思うまでになっている。 人生って不思議なものだな、と思う。 まさかあのギイと一緒に夜の散歩をすることになるなんて、1年前では考えられなかった。 夜空を彩るあの星のように、彼はぼくには手の届かない人だった。 眩しすぎて、怖いくらいに。 ぼくには遠い存在だったのだ。 「綺麗な星だなぁ」
ギイが夜空を見上げてつぶやいた。
うーんと両手を伸ばして大きく伸びをするギイの長い腕。 目の前を歩くギイは半袖のTシャツ一枚で、いくら今日が特別暑かったとはいえ、この季節、それはないんじゃないかと首を捻る。 そういえば外国人て冬でも半袖のシャツだけでも平気な顔してたりするよなぁ、やっぱりギイは生まれてずっと外国暮らしをしていたから、感覚がそうなのかな。 「ギイ」 「うん?」 「寒くないの?」 「え?ぜんぜん。何だ、託生は寒いのか?」 振り返り、首をかしげる。 「寒くはないけど、さすがに半袖でもいいやとは思えないよ」 「託生は寒がりだもんな」 ギイは笑う。 「ぼくが寒がりだって、どうして知ってるの?」 びっくりして聞き返す。1年の頃、ぼくはほとんどギイと話したことなどなかった。 確かに同じクラスではあったけど。こうして4月から同じ部屋で過ごすようにはなったけど、まだ寒い時期を一緒に過ごしてはいない。 「んー?そりゃあ、託生のことなら何でも知ってるよ」 何でもないことのようにギイが言う。 「好きなヤツのことなら何でも知りたいと思うだろ?」 「え・・・?」 「オレ、ずっと託生のこと見てたからさ」 「・・・・・・・・」 何て言えばいいか分からず、ぼくはただじっとギイを見つめた。 あの音楽堂で、ギイはぼくのことをずっと好きだったと告げた。 それを嘘だとは思っていない。 そりゃ最初は何の冗談だろうと思ったけれど、それ以来ずっとずっとギイはぼくに飽きることなく好きだと言ってくれる。 好き、という言葉は、それはそれで嬉しいには違いないのだけれど、何ていうか、今みたいに「ずっと見てた」なんて言われると・・・ 「こ、困るよ」 「はぁ?」 困るんだ、と小さくつぶやいて、早足でギイの横を通り過ぎる。そのままずんずんと先を急ぐ。 慌ててギイがぼくを追いかけてくる。 「託生、何が困るんだよ?」 「だ、だって、そんなこと言われても・・・困るよ」 ギイの気持ちを、嘘だと思ったことなどないけれど、だけど・・・ だけど、ぼくはまだ・・・。 ギイは素早くぼくの前に立ちはだかると、そのまま足を止めた。思わずぶつかりそうになって、息を呑む。 「なぁ、オレが託生のことを好きだっていうのは、困るのか?」 拗ねたような、傷ついたような、そんな表情でギイが問いかける。 「託生は、オレの気持ちが迷惑なのか?」 「・・・・・そ、んなこと・・・ないよ」 どうしよう、そんな風に思われてしまったのかな。 ぼくがギイのことを迷惑だと思っているって。 そうじゃないのに。 そんな風に思われてしまうのは、とても辛い。でも上手に説明ができない。 黙り込むぼくに、ギイはふわりと笑った。 「なぁ、別に同じように言葉を返してくれなくてもいいから」 「え?」 「オレが託生のことを好きだって言葉にするのはさ、お前にちゃんと知って欲しいからなんだ。託生のこと、ちゃんと好きだって、わかって欲しいからさ。ただそれだけなんだ。だから、託生がいちいちそれに答えてくれなくてもいいし、同じように言葉を返してくれなくてもいい。そんなこと望んじゃいないし、・・いや、そりゃまぁちょっとは望んでるけどさ。でもお前の気持ちは知ってるから」 「知ってる、て?」 「オレのこと、ちゃんと好きでいてくれるだろ?」 「・・・・」 「オレと一緒にいたい、って思ってくれてるだろ?」 疑問形のくせに、自信に満ちた口調はどこまでギイっぽくて。 ぼくは思わず笑ってしまう。 ちゃんと好きだよ、ギイ。
一緒にいたいって、思ってるよ。 上手く言葉にできなくてごめん。だけどちゃんとギイが好きだよ。 「ギイ」
「うん?」 「ありがと」 きみが好きだよ。 だからもうちょっとだけ待って欲しい。 遠い遠い存在だったきみに、まだとてもじゃないけれど簡単には近づけない。 でも、少しづつ距離を縮めていきたいから。 ギイはぼくの言いたいことは全部わかっているとでもいうように、静かに微笑んだ。 「行くか」 「うん」 歩き出したギイの隣に並んで歩き出す。 さっきよりも近づいた距離に、ギイは嬉しそうに笑った。 少しづつ、こうして近づいていくから。 ギイの隣で夜空を見上げる。 美しい星に、思わず手を伸ばした。 届くといいのに。
遠い星。眩しくて、どうしようもなく惹かれる美しい星。
広げた指先を、ふいに横から伸びてきたギイの指先が、ぎゅっとつかんだ。
「ギイ?」 「星は手を繋いじゃくれないだろ?代わりにオレと手を繋ごうぜ」 いたずらっ子のように言って、ギイはぼくの手を握りしめた。 暖かな指先に、ほっとした。 嫌悪感なく、ほっとできたことが嬉しかった。 |