あと少しで今年も終わる。
何だか毎年毎年あっという間に時間が過ぎていくような気がするのは年を取ったせいだろうか。 いやでも世間一般的にはまだ若い部類に入るはずだし。 これはたぶん、毎日が幸せなせいだからじゃないかとも思う。 ギイと再会して、一緒に暮らすようになって、小さな喧嘩もたくさんするけど、やっぱり楽しくて、穏やかで幸せな時間が増えたなぁとしみじみと思ったりもする。 幸せな時間って早く過ぎるっていうから、時間の早さを感じるのはきっとギイのせいなのだろう。 でもそれは嬉しいことでもある まぁそんなこと口に出したりはしないんだけど。 「正月は、葉山は実家に戻るのかい?」 城縞が思い出したように問いかけてきた。 「うん、そのつもりだけど。でもちょっと顔出すだけですぐ戻ってくるよ」 「彼氏は?」 さらっとギイのことを彼氏と言ってしまう城縞は特にそこに含みを持たせた感じでもなく、だからぼくも普通に答えることができる。 「ギイはどうするのかな。東京にも実家はあるんだけど、ご両親はアメリカだと思うから。いや、アメリカに帰るのかな」 ぼくの言葉に城縞はくすりと笑った。 「なに?」 「いや、そういう話、しないのかと思って」 「・・・してたかもしれない。ぼくが覚えてないだけで」 記憶力がないのは昔からなので、ギイがお正月の予定を説明してくれてたような気もするけど、どうだっただろうか。 「でもアメリカに戻るとは言ってなかったから、東京の実家に戻るか、どこにも行かないで家にいるかだと思う」 「そう」 今日で大学のレッスン室が終了ということで、特にバイトもしていないぼくたちは、暇を持て余していたこともあって、待ち合わせをして一緒に自主練習に励んだ。 「城縞くんは?実家に戻るのかい?」 「そうだね。まぁ普通はみんな実家に戻る」 「うん」 大学へ通うために一人暮らしをしている学生は多いけれど、さすがにお正月に一人で残る人は少ない。 昔、祠堂にいた頃はできるだけ実家には戻りたくなくて、長期の休みになるたびに寮に残れないものかと思ったものだけど、今はそこまでではない。 「葉山くん、時間があるならお茶でもどう?少しお腹も空いたし」 「うん。ぼくもちょっとお腹空いたかな」 じゃあ、と二人で駅前のショッピングモールに足を向けた。 上階はレストラン街になっていて、軽食が取れる喫茶店などもあったはずだ。 帰省のためのお土産でも買っているのか、年の瀬だというのに人が多かった。 エスカレーターでのんびりと上へと上がっていく。 途中の階で、城縞がふと足を止めた。 「どうしたの?」 「あれ」 指さした方へと視線を向けると、催事場の隣のちょっとした広場に、ピアノが一台置かれていた。 どうしてあんなところにピアノがあるんだろう。 城縞も同じことを思ったようで、ちょっと見て行こうかという感じでぼくたちは広場へと向かった。 ピアノはどこにでもある普通のアップライトピアノで、子供たちが指一本でぽろんぽろんと音を出している。 「ご自由にお弾きくださいだって」 ピアノのそばに説明書きがあって、音楽が好きな人はお好きにお弾きくださいと書いてある。さりげなく楽器売り場の場所が書いてあるあたり、子供たちを取り込もうという作戦なのかともしれない。 「そういえば、子供の頃、こういうピアノ弾いたことがあったな」 城縞は懐かしそうに微笑んだ。 「まだピアノは習ってなくて、あの時初めてピアノに触れた。特別いいピアノでもなかったと思うけど、音が綺麗で、ずっと弾いていたいって思った。まぁ弾くっていうか叩いてただけなんだけど」 「分かるよ。ぼくも初めてバイオリンに触った時に同じこと思ったよ。ピアノ以上にめちゃくちゃな音しか出せなかったけど」 母親に連れられて行ったバイオリン教室。 生徒たちの出す音は決して上手なものではなかったけれど、先生が一曲弾いてくれたその音に一瞬で魅了された。 自分にもあんな音が出せるのだろうか、とドキドキしたのを覚えている。 今、目の前で子供たちがあの日のぼくたちと同じように、楽しそうにピアノを弾いているのを見ると、何だかちょっと微笑ましくなる。 「お兄ちゃんたちの番だよ」 振り替えると、後ろにいた女の子がぼくたちを見上げている。 「次、お兄ちゃんたちの番だよ」 「え」 どうやらピアノを弾きたい人のため、ある程度で交代することになっているらしい。 そして知らないうちにその順番待ちの場所に立っていたようなのだ。 「いや、ぼくたちは・・・」 「よし、一曲弾こうか」 城縞が珍しくそんなことを言ってピアノへ向かう。それまでピアノの前に座っていた子供たちが場所を空けてくれた。 軽く音鳴らしのように音を出すと、それだけで子供たちが歓声を上げる。 ピアノに興味を持ってくれる子供たちが増えるといいなということなのだろうか。 我が道を進んでいる城縞だけど、案外とこういう優しい一面もある。 「何弾くの?」 「さっきまで練習してた曲・・・じゃあ色気がないかな」 大学の課題曲はここで弾いても誰も知らないに違いない。 特に子供には楽しいものじゃないはずだ。 「じゃあみんなが知ってそうな曲にする?」 「そうだな。葉山も一緒にやる?どうせだから」 「ええっ」 何だよ、そのどうせだからって。 ためらうぼくがバイオリンを持っていることに気づいた周りの子供たちが、 「お兄ちゃん、それなぁに」 「バイオリンだ!知ってる!見たことある!」 「弾けるの?」 どこか期待に満ちた目で見上げられては逃げることもできない。 城縞は呑気に何の曲がいいかなぁなんて指を動かしている。 仕方がない。こんな場所で弾くなんて思ってもみなかったけれど、ちょっと楽しそうにも思える。 何より子供たちが好奇心いっぱいの目をしているから、ピアノだけじゃなくてバイオリンにも興味を持って欲しいと思ってしまった。 ぼくはピアノの脇でバイオリンケースを開けた。 「よし、あれにしよう」 城縞が口にしたタイトルは、以前一度学祭の時に弾いたことのあるとある映画の主題歌だ。 大人から子供まで、みんながよく知ってる名曲。 城縞が軽やかにイントロを奏でると、さっそく子供たちが「知ってるー」と声を上げた。 ぼくはバイオリンを肩に当てるとタイミングを合わせて弾き始めた。 有名な曲ということもあって、通り過ぎようとしていた客たちも足を止めぼくたちの即興の演奏に耳を傾け始めた。 城縞はピアノ科一の腕前ということもあって、いつも難曲ばかりを弾いている。 だから、こういう軽めの曲を弾く城縞をピアノ科の生徒たちが知ったら驚くに違いない。 何にしろ孤高のピアニストだなんて影では言われているくらい、城縞はその卓越したテクニックで教授たちからも一目置かれている存在なのだ。 そんな城縞の伴奏でバイオリンが弾けるというのは何とも贅沢だなぁと思う。 あくまで伴奏だというのに、自然と城縞のピアノに耳がいく。 やっぱり上手い。 やっぱり伴奏じゃもったいないなぁと思ってしまう。 ぼくもピアノは弾くけれど、専門じゃないし、ここまで人を惹きつけるような音は出せない。 難しい曲でも、軽めの曲でも、どちらも同じように魅力的で、やっぱり彼のピアノが好きだなぁと思ってしまう。 一曲弾き終えると、周囲から盛大な拍手をいただいた。 「うわー、いつの間にか人が増えてる」 「そりゃあこれだけ上手いんだからな」 しれっと大それたことを言う城縞に笑ってしまう。 「お兄ちゃんたち上手だねぇ」 「もっと弾いて」 「何でそんなに上手なの?」 わらわらと子供たちに囲まれて、今さらながらに恥ずかしくなってくる。 これ以上目立ちたくはないので、そそくさとバイオリンを片付けた。 「行こうか」 城縞も必要以上に長居するつもりはないらしく、ぼくたちは名残惜しそうにしている子供たちに手を振って、当初の目的である喫茶店を目指して再びエスカレーターに乗った。 滅多にない出来事ではあったけれど、そのあといつものように城縞と他愛ない話をしているうちにその演奏のことはすっかり忘れてしまった。 その日から数日たった頃、ちょうど大晦日の夜になって、ラインに連絡が入った。 「政貴からだ、どうしたんだろう」 初詣に一緒に行こうとでも言うのだろうか。 何の気なしに開けてみて、ぼくは思わずおかしな声を上げてしまった。 「どうした?」 キッチンにいたギイが大丈夫か?と声をかけてきた。 「何かあったのか?」 戻ってきてぼくの手元をひょいと覗き込んだギイも驚いたようで、じっとスマホの画面を見つめたままだ。 「何だ、これ」 「えっと、実はこの前・・」 政貴がラインに送ってきたのは、先日城縞と一緒にショッピングモールで演奏した時の動画だった。 どうやらあの場にいた客の誰かが撮っていたもののようで、あまりピントは合ってないけれど、見る人がみれば、それがぼくと城縞だとすぐに分かるだろう。 「『葉山くんが演奏している動画がTwitterに上がってたからびっくりしたよ。素敵な演奏だね。動画を見た人の評価もすごくいいよ。かなりピンボケで顔はほとんど分からないから肖像権的には大丈夫なのかな。じゃあ良いお年を』だって」 Twitterってなに!? いったい何でこんなものが。 「託生、いったいいつこんなことやったんだ?」 ぼくが呆然としていると、ギイが憮然とした口調で言った。 「え?えーっと、あれは最後にレッスン室使った日だから・・・」 「何でこんな動画撮らせてるんだ!」 「撮られてるなんて知らなかったんだよ。びっくりした。まさかこんなことになるなんて」 ギイはやれやれというようにため息をついた。 「まぁこのご時世じゃ仕方ないよな。こういう動画が共有されることも多いけど、よほどのことがない限り悪用はされないだろうし」 「うん、そもそも有名人ってわけでもないし」 「いや、ちょっと待て」 ギイが政貴のラインメッセージから元々アップされていたTwitterを表示されると、けっこうな数のいいねがされていて、おまけにコメント欄には演奏に対する好意的なコメントと共に「二人ともカッコいい」「仲よさそう」「音大生?可愛い」などの女性からと思われるメッセージが多数出てきた。 「託生」 「な、なに?」 ギイはずいっとぼくの方へと向き直ると、見るからに不機嫌といった表情で腕を組んでみせた。 「何であいつが託生とお似合いみたいなこと言われるんだ」 「いや、そんなこと書いてないけど」 「託生とお似合いなのはオレだけのはずだ」 「・・・あー、うん」 ギイはうーんとしばらく考えていたと思うとおもむろに 「よし、来年はオレもピアノを習おう」 と言った。 「ええっ」 「で、託生と一緒に演奏をして、お似合いの二人だって言われるようにしよう」 真面目な顔をして何を言い出すのやら。 何でもできるギイは唯一音楽だけは不得意なのだ。 歌を歌えば音が外れっぱなしだし、楽器といえばトライアングルくらいはできるけど、という具合で、今までもオレは音楽には向いてないって言ってたくせに。 ぼくは思わず笑ってしまった。 「笑うなよ、託生。オレだって無謀だって分かってるって」 「ううん、違うよ、ギイ。無謀だなんて思ってない。ギイがピアノを習って、ぼくのバイオリンと演奏できるなんてすごく楽しそうだなと思ったんだよ。何年先になるか分からないけど、そういうのっていいなって」 「そっか」 「じゃあ来年から、ぼくがピアノを教えるよ」 「ああ」 「スパルタだからね」 望むところだ、とギイが笑う。 さっそくできた来年の抱負。自分だけの、じゃなくて二人で一緒にかなえようと思える未来の約束があるっていうのは何だかとても嬉しいことに思える。 こんな風に毎年一つ一つ、二人だけの抱負が増えていくのはすごく幸せなことだから、きっと来年からも一年は早く過ぎていくのだろう。 |