「えーっと、地図によると・・・うん、あっちだね」
八津がスマホの地図アプリを確認してうなづく。 初めて訪れた駅の周辺は人通りも多く、バスターミナルもあって賑やかだ。 生活に必要なものはほぼ全てこの辺りの店で手に入るだろう。東京からはちょっと郊外になるとは言え便利な場所だし、新しい生活を始めるにはいい街だ。 「矢倉、行こう」 「ああ」 たぶん歩いて10分ほどのはずだ。八津と肩を並べて散歩がてらのんびりと歩くことにした。 ギイと葉山が祠堂を卒業してからもずっと付き合いを続けて、とうとう一緒に暮らし始めることになった。 あのギイが、そうそう簡単に葉山のことを手放すことはないだろうとは思っていたので、一緒に暮らすと聞いた時はさほど驚きはしなかった。 ただただ本当にここまで貫き通すことができるのはすごいことだなぁと素直に感心したものだった。 何しろギイはFグループの御曹司でアメリカでがっつりと仕事をしていて、そうそう簡単に日本に住むことはできないだろうと誰もが思っていたし、実際、葉山と再会してからしばらくは遠距離恋愛だった。 下手すればこのまま別れるんじゃないかと思うような派手な喧嘩を何度もしていたのも知っている。 でも結局二人の絆は相当強かったようで、周りがはらはらしているのを他所に着々と足場を固めてとうとう同棲へと持ち込んだ。 ギイの一念岩をも通すというところだ。 引っ越しをしてしばらくすると、ギイからメールがやってきた。 八津と一緒に遊びに来いよと誘われて、麗らかな春の日にギイが言うところの「愛の巣」にやってきた。 だいたい愛の巣って何なんだと思わないでもないが、いくつになってもギイは葉山のことに関しては基本的に乙女なのだ。 雰囲気の柔らかい葉山の方がむしろ男前で、乙女ぽいことなんてまったくしたりしない。 八津にそう言うと、ギイが乙女ってことはないと笑うのだが、俺からすればギイほどロマンティストなヤツはいないと思う。 何しろ小さい頃の初恋を実らせたこと自体、けっこうな乙女じゃないか? まぁすごいヤツだ。いろんな意味で。 「ギイに会うのも久しぶりだし、あ、赤池くんも久しぶりだな。またこうしてみんなで集まることができるなんて嬉しいな」 八津は本当に嬉しそうに笑って言った。 祠堂を卒業して大学もそれぞれで、年に数回会えればいいほどで、だけど疎遠になることもなかった。 ギイはしばらく音信不通にしていたけれど、その分葉山とは結構な頻度で会っていたようにも思う。 ギイがいなくなったあとの葉山のことを、俺も八津も気になっていたからだ。 たぶん赤池も同じで、別に示し合わせたわけではないけれど、卒業してしばらくはけっこうな頻度で会っていたように思う。 だけど案外と葉山は飄々としていたので、もしかしたらギイのことなんてあっさりと諦めたのだろうかとも思ったくらいだ。だけど実際には諦めるどころか、ギイのことを疑うことなく信じ続けていただけだった。 そして、ただ待つだけじゃなくて追いかけて捕まえた。 実際すごいことだよなぁと思う。 何も残さず消えてしまった恋人を信じることができるだろうか。 もし自分その立場なら、果たして葉山と同じようなことができるだろうかと考えると、とてもじゃないが無理だろうなと思う。 ああ、でも八津が相手なら案外頑張れるかもしれない。 何だ、俺も案外乙女じゃないか、と思わず笑ってしまう。 今日はギイたちの新居で飲み会で、そのまま泊まっていっていいと言われているので、そのつもりで手土産は日本酒にした。赤池もやってくるというから相当賑やかになることだろう。 「あ、あれかな」 八津が指さした先、住宅街を少し入ったところに二人の新居はあった。 教えられた通り迷わずに辿り着き、玄関脇のチャイムを鳴らす。 すぐに扉が開いて葉山が顔を覗かせた。 「いらっしゃい」 「よぉ、こんちわ・・・おわっ」 葉山の足元から何やら黒い塊が飛び出して、そのまま俺の足に飛びついてきた。 それは小さな犬で、そりゃもう大興奮でしっぽを振っている。 「こら、あんこ。ダメだよ」 ひょいと片手で抱き上げられるほどの子犬は葉山の頬をこれでもかというくらいに舐めている。 「可愛いなぁ。あんこって名前なの?」 八津がぐりぐりと子犬の頭を撫でると、あんこは今度は八津へと愛想を振りまき始めた。 なかなか人懐こい犬のようだ。 「そう、名前はあんこ。ギイにはさんざん笑われたけど」 「葉山くんがつけたの?確かにちょっと変わってるね。でも可愛い」 ほらおいで、と八津が手を出すと、あんこは大喜びで八津の腕の中へと飛び込んだ。 「矢倉くん、ここまですぐわかった?」 「ああ。思ってたよりも駅から近かったよ」 「よかった。さぁ入って。何か冷たいもの用意するよ」 案内されて中へ入る。 玄関が広いのは昔の家の特有のものだ。リフォームしたのか大きなウォーキングクローゼットが設えてあるが、そこだけが浮くことなくちゃんと馴染んでいる。 「葉山くん、あんこは中に入れていいの?」 「大丈夫だよ。まだやんちゃで世話が大変だよ。犬飼うの初めてだし、ちゃんと躾けないとダメだって分かってるんだけど、ついつい甘やかしちゃうんだよね」 「可愛いもんね」 八津はすっかりあんこを気に入ったようで、あんこにねだられるまま腹を撫でている。 八津が犬を好きだなんて知らなかった。将来一緒に住むようになったら、同じように犬を飼おうかな。 いやでも猫も好きなはずだよな。うちの猫のこと気に入ってたし。 「座って。ギイもすぐに戻ると思うから」 「ああ」 通されたリビングは恐らく隣の部屋と続きになるようにリフォームしたのだろう。元は和風だったようだが、その雰囲気も残しつつ、洋風になっている。物が少なくてすっきりとしているからさらに広く見える。 何となく祠堂にいた頃の二人の部屋の感じに似ていて懐かしい。 二人が選んだこの家は中古の一戸建てだ。小さいけれど庭があって、住宅街から奥まったところにあるのですごく静かだ。何ていうか、すごく趣があって落ち着く。 住んでる人間の人柄って住空間にも出るんだよな。 気持ちのいい空気が漂っていることのは肌で感じる。 リビングから庭へはすぐに出られるようになっていて、緑が綺麗に茂っていた。 ガーデニングほど本格的なものではないが、たぶん最初に業者を入れて整えさせたんだろう。 雰囲気良く仕上がっている。 そう言えば葉山は3年の時は大橋先生に見込まれて温室であれこれしていたなぁと思い出した。 もしかして今でも緑の世話をしているのだろうか。 「葉山、ここ高かっただろ?」 「うーん、どれくらいしたのかなぁ、ギイはっきりとは教えてくれないから」 八津の質問に葉山は軽く肩をすくめた。 一緒に住むための家を探し始めた当初は、費用は折半にしたいと言っていたらしいが、最終的には出せる方が出せばいいのではないかということになったらしい。 まぁギイの立場からしたらそれなりの家が必要にもなるだろう。 そう思っていた俺からすれば、二人が選んだこの家はちょっと意外なものだった。 もっと便利のいいセキュリティばっちりのマンションにするかと思っていたからだ。 「ここってさ、けっこう有名な建築士が建てた有名な家なんだろ?」 「え?」 「え、って何だ、葉山知らなかったのか?」 「知らない」 どうやらギイはこの家の値段がいくらだったのかを葉山には伝えてないらしい。 言えばきっと葉山が無理だと言い出すからだろう。 「歴史的価値があるとかないとか。そんな話聞いたように思うけど」 追い打ちをかけるように八津が言うと、さすがの葉山も眉を顰めた。 とは言うものの、今更どうすることもできないので諦めるしかない。 さすがギイ。このあたりの策士ぶりは昔のままだ。 「ギイってば何も言わないんだよね、そういうこと」 「言えば葉山の腰が引けるとでも思ったんじゃないのか?」 「まぁ確かにそうかも」 素直に認めて、葉山はテーブルに冷たいお茶を置き、ソファに腰かけた。 「そう言われてみれば、赤池くんが遊びにきたとき、ギイと二人でこそこそと何か話してたような気もする。真面目にリフォームの話してると思ってたんだけど、それだけじゃなかったのかな」 「あいつら昔っから企むの大好きだしな」 「それ、矢倉も同じだろ」 八津が笑い、そうだそうだと葉山もうなづく。 いや、俺がというよりはやっぱりギイが、だよなと思う。 祠堂にいた頃も、表だっては我関せずという顔をしていたが、裏ではけっこういろんなことに首を突っ込んでた。 気づかれないように、見守るように、だけど助けを求められたらちゃんと助けてくれた。 俺と八津だって、ギイと葉山が背中を押してくれたから一歩を踏み出せたようなものだ。 そういう意味では恩人みたいなものなのか。あまり認めたくはないけれど。 「あ、ギイだ」 玄関先での小さな物音に葉山が反応する。 八津にまとわりついていたあんこもダッシュで玄関へと走っていった。 「すごいね、葉山くん。ギイが戻ってきたことすぐにわかるんだ」 感心したように八津が言うと、葉山は 「だって黙って玄関開けて入ってくるのは、この家でぼく以外にはギイしかいないから」 と、笑った。 なるほど。一緒に暮らすっていうのはそういうことなんだなぁ、とやけにしみじみと納得してしまった。 「よぉ、悪いな遅くなって」 ギイがあんこを抱えながらリビングに入ってきた。 手に下げていた大荷物を葉山が受け取ると中を覗き込み、満足そうにうなづいた。 今日は焼肉をするらしい。美味しい肉屋が少し離れた場所にあるからということで、わざわざギイが買いに行ってくれていたようだ。 このあと赤池も合流したら男5人。 高校生の頃みたいにバカほど食べたりはしないだろうが、おそらくギイのお腹はブラックホールのままだろうから、肉の量も半端じゃない。 「ギイ。今日は誘ってくれてありがとう」 「八津、久しぶりだな、元気か?」 「おかげさまで。ギイも元気そうだね・・っていうか幸せそうだね」 「もちろん。念願叶って、文字通り愛の巣を手に入れたんだからな」 ぱちんと優雅にウィンクをするギイは昔のままだ。 食事の準備をするよと葉山がキッチンに立ち、ギイも同じように隣に立つ。 楽しそうに何やら話をしているギイと葉山の姿に、何だか祠堂にいた頃にもこんな光景をよく見たなぁと思った。 頑なだった葉山がギイと同室になったことですっかりいい感じに肩の力が抜けて、それからはよく2人でいるところを目にした。 2年の頃はまだ葉山とそれほど親しかったわけじゃなかったから、遠くから見ているだけだったけれど、ギイが葉山のことを特別に思っているのはバレバレだったし、葉山も同じようにギイのことを想っているのはすぐに分かった。 ギイが1年の頃から葉山に片思いしているのは知っていたから、2年になって両想いになれたことはすごく嬉しかったし羨ましかった。だけどあの頃、俺は八津とは距離を置いていたから、幸せそうな二人を見るのはちょっと辛い時もあったけれど。 「ギイ、これ何の肉?」 「何だったかな。あの肉屋たまに変わった肉仕入れるからさ」 「そうだけど、あ、赤池くんが来たら聞いてみよう。絶対見ただけで分かると思う」 「お前、章三の言うことなら疑うことないだろ」 「そんなことないよ」 2人の何てことのない会話を聞くともなしに聞いていると、10年たってもぜんぜん変わってないじゃないか、と笑えてくる。そして何だか嬉しい気持ちにもなる。 「相変わらず仲いいね」 たった今思っていたことを八津も口にした。 そうだな、とうなづいてこの場所の居心地よさにほっとする。 高校時代からの友人だからというだけではなくて、幸せな空気っていうのは目に見えなくても感じるものなのかもしれない。ギイと葉山から漂う幸せオーラは半端ない。 「一緒に生活するのってどんな感じなんだろうね」 あんこを膝に抱きながら、八津がさらりと言った。 その言葉に深い意味があるのかないのか。俺はその意図を計りかねて何も返せなかった。 祠堂では3年間寮生活だったが、結局八津とは一度も同室にはならなかった。 他人と暮らす大変さは知っているが、恋人と暮らすことがどういう感じなのかは分からない。 社会人になってからも八津とはずっと付き合っていて、今も仲良くしているし、きっとこの先もそれは変わらないだろう。 だけど一緒に暮らすには越えなければいけないハードルがまだある。 二人して相当な覚悟しないと飛び越えられないハードルの前で、俺たちは未だ立ち止まったままだ。 そりゃあできればすぐにでも一緒に暮らしたいと思うけれど、八津からそんな話が出たことはないし、もしかしたら一緒に暮らすのは嫌なのかもしれない。 そう思うとなかなか最初の一歩が踏み出せないでいる。 八津は、いろんなことどう思ってるのかなと10年たって思うけれど、だけどそれを聞くのも少し怖い気もする。 「矢倉くん、ホットプレート出してくれる?」 「了解」 部屋の隅に用意されていた箱からかなり大きめのホットプレートを取り出す。 これはどう考えても二人用というよりは、大人数用だな。 もしかしてギイはアメリカ式にしょっちゅうホームパーティとかやってんのかな? いや、葉山はそういうの好きそうじゃなさそうだしな。ということはこのでかいホットプレートは俺たちのために用意をしたということだろうか。 まったくギイは抜かりない。 ギイが肉をテーブルに並べ、その横に野菜も置く。 「赤池くんもそろそろかな」 「章三が箸休めの総菜を作ってくるって言ってたからな、それも楽しみだ」 「あいつマメだよなぁ」 「料理好きなのは昔からだよな」 「好きっていうか、必要に迫られてじゃないのかな」 みんなで噂しているとその本人がやってきた。 「よぉ、赤池」 「何だ、みんなもう揃ってるんだな。悪かったな、遅くなって」 赤池も相変わらずのようで、久しぶりだというのにまったくそんな感じなく挨拶を交わした。 手土産は総菜だけではなく手作りの餃子もあった。噂では相当美味いらしいので楽しみだ。 すでに用意されていた肉をギイが次々にホットプレートに乗せ、赤池が野菜もまんべんなく配置する。 ギイと赤池は祠堂時代には相棒と呼ばれていただけあって、何をするにも息がぴったりだ。 もしこの二人ができてると言われたら、そうかもなと思ってしまうほどに、1年の頃はいつもつるんでいた。 まぁ赤池は根っからのストレートなので天地がひっくり返ってもギイとそんなことにはならないだろうが。 「赤池くん、ビールでいい?」 「ああ。サンキュ。葉山、こいつ何とかしてくれ」 赤池が何とかと言って指さしたのは、胡坐の間でちょこんと座っているあんこだ。 ほんとうに人懐こいというか、誰にでも愛想が良すぎて誘拐されるんじゃないかと心配になるほどだ。 今は目の前の肉につぶらな瞳を輝かせて息が荒い。 「ほら、あんこ、肉はあげられないよ。しばらくサークルに入っててね」 じたばたと暴れるあんこを抱き上げて、葉山は部屋の片隅の囲いの中にあんこを入れた。 「これで安心して肉が食べられる」 「犬に肉とか良くないんだっけ?」 「人間と同じ食べ物あげるのはあんまり良くないっていうよね」 テーブルを囲んでビールで乾杯して宴会が始まると、互いに会えなかった時間を埋めるように次々と話題が湧き出てきて尽きない。 じゅうじゅうと焼き上がる肉をどんどん食べて、冷えたビールも気持ちいいほどに空いていく。 「それにしても、まさかお前らがずーっと付き合い続けるとはな」 ほどよく酔いの回った赤池がしみじみとつぶやく。 ギイと葉山のことかと思ったら、どうやらそうではなく俺と八津のことを言っているらしい。 「ギイはさ、いいんだよ。こいつの執念深さはよーっく知ってたからさ」 「おい章三、執念深いって何だよ」 「そうだろうが。祠堂からじゃないだろうが!子供の頃からだろ。で、葉山を祠堂まで追いかけてきて、まんまと付き合うようになって、途中で雲隠れしたくせにまたしつこく追いかけて」 「ひどい言い方だな。それだけ聞くとストーカーみたいじゃないか」 ギイががっくりと肩を落とす。 「だからギイと葉山はいいんだよ。だけどなぁ、まさか矢倉と八津もここまで続くとはなぁ」 「何だよ、俺たちが続いてちゃダメなのか?」 じゅうじゅうと焼き上がっていく肉を頬張りながら言うと、赤池はあーっと少し考えるように首を傾げた。 「祠堂にいる間だけの関係っていうのもあるんだろうなって漠然と思ってたからさ。卒業したら地元へ戻るし、距離ができて、大学には普通に女の子もいて、それでもやっぱり付き合い続けたいって思えるほどの気持ちがあるのかなって、正直なところ少し疑ってた」 「ひでぇな」 だが赤池の言うことも分からなくはない。山奥に隔離された空間での一時の気の迷いだったと言って、3年間だけの付き合いにすることだっていくらでもできる。 わざわざ同性を選ばなくても、卒業すればいくらでも普通の恋愛はできるのだから。 だけど、やっぱり八津が好きだし一緒にいたいと思うし、別れるなんてことは考えたことはなかった。 「矢倉は八津と一緒に暮らさないのか?」 当然の問いかけに一瞬言葉に詰まる。八津も困ったように苦笑する。 「まぁ同棲するにはやっぱりいろいろ大変だよな」 ギイがさりげなく助け舟を出す。 「ギイは簡単にやってのけたっぽいけど」 「いやいや、そんなことはないぞ、オレだってそれなりに頑張ったんだからな」 ギイが言うとどこまでも軽く聞こえるが、実際双方の親にもきちんと挨拶をしたというのだから、大変じゃなかったわけがない。 だけど、だからこそ、ギイと葉山はこの居心地のいい場所で二人で過ごすことができるのだ。 本当に欲しいものを手に入れるにはやはり何かを乗り越えなければいけないのだ。 そう思うと、俺ももうちょっと気合入れないとダメなんだろうな、と思う。 「あー酔った。ちょっと休憩」 珍しく赤池がギブアップしてゴロンと横になった。聞く話によると赤池も相当忙しい毎日を送っているらしいので疲れも溜まっているのだる。そこそこ酒には強いはずなのにすぐに酔いが回るのはそのせいだろう。 「赤池くん、寝るなら布団敷くよ?」 「んー」 「ダメだね。珍しいなぁ、赤池くんが潰れるなんて」 隣の部屋からブランケットを持ってきて赤池にかけてやると、葉山はほとんど食事の終わったテーブルを片付け始めた。 「手伝うよ」 八津が腰を上げたが、葉山は大丈夫だからゆっくりしててと笑った。 もちろんギイが黙って座っているはずもなく、葉山と一緒にいそいそと汚れた皿を集め始める。 「矢倉も八津もお客様だからのんびりしててくれ。ビールまだ飲むか?」 「いやもうけっこう」 ギイに片手を上げて、焼肉の熱気ですっかり暑くなった部屋の空気を換えようと、そのまま庭先へと続くリビングの窓を開けた。 「気持いいね」 八津が隣に立って大きく深呼吸をする。 冷えた空気のことだけではなく、きっと今この場の雰囲気を言っているのだろう。 祠堂を卒業してもうずいぶんたつというのに、こうして集まれば会えなかった時間などあっという間に飛び越えてあの頃と同じように話が弾む。 高校時代の友達は一生の友になるというが、なるほど本当にその通りだなと思う。 「矢倉、顔が赤いよ」 「けっこう飲んだからなぁ。八津だって赤い顔してるぜ」 「うん、ちょっと飲みすぎたかな。楽しいとついつい調子に乗っちゃうな」 その場に腰を下ろして、二人して薄暗い庭を眺めた。 住宅街の奥まったところにあるということもあって、周囲はすごく静かで、俺たちが大声で騒いで文句言われたりしないのかなと心配になるほどだ。 「こうしてみんなで集まって、ご飯食べて、ビール飲んで。祠堂卒業してからもこんな風に付き合いが続くなんて思わなかったな」 八津がぽつりとつぶやく。 新しい生活が始まるとどうしてもそっちに気持ちが行ってしまって、仲の良かった友達とも疎遠になることも多い。 そうならなかったのは、たぶんギイが突然消えてしまって、残された葉山のことが心配だったからだ。 卒業までの間、葉山はずいぶん気丈に振舞っていたけれど、俺たちだってけっこうショックだったのだから葉山はもっとショックだったに違いない。 それでも泣き言一つ言わずにいつも笑顔を見せていた。 そんな葉山のことを皆が気にかけて、卒業してからも事あるごとに集まっていた。 だからこそここまで付き合いを続けることができたのかもしれない。 ギイがやったことは馬鹿野郎という感じだが、おかげで今のこうして集まれるのだとしたら、まぁ怪我の功名というところか。 「なぁ八津」 「うん?」 「俺たちもさ、一緒に住むこと、考えたりしたことある?」 ないわけがない、とは思う。 俺だってずいぶん以前から考えている。 だけどそんな話したことがないから、本当は八津がどう思っているのか分からない。 「矢倉はどうなの?」 ぽつりと返してきた八津の表情はひどく困惑したもので、やっぱりこういう話題はまずかったのかと後悔した。 「あ、ごめん。質問に質問で返すのは卑怯だよね」 八津が慌てて言い、それから少し考えてから口を開いた。 「一緒に住むこと、考えたことあるよ。そりゃもちろん」 「ほんとに?」 「うん。大学の時、お互い一人暮らししてて、行ったり来たりして時々どっちかの家に泊まったりしてただろ?一緒に住めたら楽しいだろうなってずっと思ってたよ」 「そっか」 「うん」 だけど、どちらからもそうしようという一言が出なかったのは、八津の母親が八津と俺とのことを何も知らないからだ。 さすがに一緒に住むことになれば、付き合っていることを話さないわけにはいかない。 高校1年の時に別れるようにと一方的に言われ、成すすべもなく、八津を困らせたくなくて一度は離れることを選んだけれど、だけどやっぱり好きな気持ちは募る一方で、三年になってまた付き合い始めて、二人の関係を隠したまま現在に至る。 このままずっと二人の関係を黙ったままでいいのかどうか。 そうするしかないから、と思う反面、だけど何かの拍子に後ろめたいことをしているような気になることがある。 たぶんそれは八津も同じで、だけどそれを口にすることはない。 「なぁ、俺たちも・・」 言いかけた言葉を遮るかのように八津が立ち上がった。 「あんこと遊んでくる」 八津は部屋の片隅のサークルの中からあんこを抱き上げると、ソファに座って赤ちゃんでもあやすかのようにあんことじゃれあい始めた。 避けられたのはバレバレで、思わずため息が漏れる。 小さな喧嘩をすることはあっても、八津との仲は付き合い始めた頃と何も変わらないし、この先別れるつもりもない。だったらいっそ親にも打ち明けて一緒に暮らそうと言いたいのに、いつも八津ははぐらかすように逃げてしまう。 「やっぱり一緒には暮らしたくないのかな」 「何だって?」 今まで八津が座っていた隣に、ギイがやってきた。 甘い香りのするカップを手渡され、それが祠堂にいた頃ギイのゼロ番で何度かご馳走になったことのあるコーヒーだと気づいた。 「懐かしいな。バニラの匂いのコーヒー。まだお気に入りなのか」 「しばらく飲んでなかったんだが、最近またちょっとブームなんだ」 「ギイは一度好きになったものはずっと好きなんだろうな」 「それは矢倉だって同じだろ?」 何かを揶揄するようなギイの口ぶりに肩をすくめる。 「ギイはすごいよな」 「いきなり何だ」 「俺たちよりも背負ってるものは面倒だろうに、そういうの全部振り切って葉山を選んだんだよな」 「上手く振り切れてないところもあるけどな。まぁ全部が全部一気っていうのは無理だから、そのうち一つづつ片付けていくよ」 「だよな。一つづつ片付けるしかないよな」 では何か手をつけるべきなのか。 八津の母親が最大の難関だから、そこさえ乗り越えればと思っていたけれど、もしかしたら八津の気持ちはどうなのかをきちんと確かめるという基本の基本から確認すべきなのかもしれない。 一緒にいたいと思っているのは俺だけで、八津は今のままでいいと思っているかもしれない。 「矢倉、八津と一緒に暮らすのか?」 ギイが小声で尋ねる。俺はちらっと背後の八津を見てから同じような小声で答えた。 「あー、暮らしたいとは思ってるけど、八津はそうでもないみたいだから。無理強いもできないし、正直なところどうしたらいいものかと思ってる。俺たちのこと、八津のおふくろさんにはまだ内緒にしてるから、それが一番の難関で、八津も母親のこと悲しませたくないって思ってるだろうし」 「そうか。だけど、八津だって一緒に暮らしたいって思ってるんじゃないのか?まさかここまできて、別れたいとか思ってるとは思えないし」 ギイは美味そうにコーヒーを一口飲んで首を傾げた。 「・・・なぁギイ」 「うん?」 「こんな風に、葉山と一緒に暮らすことを選択したこと、後悔したことはないか?」 ギイの立場を考えると、きっと多くのものを犠牲にしただろうことは想像に難くない。 今までただの一度も、後悔をしたことはないのだろうか。 もっと楽な生き方を選べばよかったと思ったことはないのだろうか。 ギイは意外なものでも見るかのように俺を見て、それから 「ないよ」 と笑った。 「後悔したことは一度もない。託生と一緒にいられることと何かを天秤にかけて、託生の方が軽かったことはないから。周りから見れば、逆に見えるんだろうな、きっと。生まれた時から当たり前のように手にしていたものを軽んじるつもりもないし、それがどれだけ貴重なものかもちゃんと分かってるつもりだけど、それでもさ、オレにとって何が大切なものかは自分で決める。託生を選んだことを後悔したことなんて一度もない。託生を選んで、託生も同じようにオレを選んでくれて幸せだと思ってる」 いっそ心地よいほどきっぱりと言い切るギイには恐れ入る。 「矢倉だってそうだろ?」 問われて、一瞬後にそうだなと笑って返す。 八津と一度別れてしまったことは後悔しても、もう一度その手を掴んだことを後悔したことはない。 だけど八津はどうなんだろう。 「ちゃんと話し合えば?またあの時みたいに、自分の気持ちをちゃんと伝えないままで行き違ったりしないようにさ」 ギイがぽんとオレの肩を叩いて立ち上がった。 またあの時みたいに、ちゃんと自分の気持ちを伝えないままにすれ違ってしまうのだけは絶対に避けたい。 近いうちにタイミングを計って話をしないとな、と思う。 だけど付き合いが長くなっていると今さら感が満載で案外と難しい。 そのあと、交代で風呂に入り、ちょっと眠ったおかげですっきりとしたらしい赤池が復活し、常識的にはそろそろ寝ようかという時刻から麻雀をすることになった。 夜中になってみんなハイになっていたに違いない。 「久しぶりだなぁ、祠堂ではたまにやってたけど」 「よくゼロ番に集まってさ、階段長同志の麻雀大会」 「そんなのやってたの?」 葉山が呆れたように目を丸くする。 基本的には生徒の見本となるはずの階段長ではあるが、同じ年代の一生徒には違いなく、たまにはバカ騒ぎだってしたくなる。 ギイは3年になってそれまでのスタイルをがらりと変えたが、それも夏前には俺たちの前でだけは以前と同じような笑顔を見せるようになった。 ゼロ番に集まってたまに麻雀をしながらあれこれと相談をしあったものだ。 寮生活は不便なこともたくさんあったけれど、あれはあれでけっこう楽しかったなぁと今では思う。 こうして10年たっても付き合える友達ができたのも、あの閉ざされた空間での濃密な3年間があったからだと思う。 葉山と八津が交代で面子に入り、二回りした頃にさすがに睡魔に襲われてきて、全員がもう寝ると言い出した。 「矢倉くんと八津くんはこっちね、赤池くんはこっちの部屋使って。朝は適当に目が覚めたら起きるってことで。おやすみ」 葉山ももう半分眠ってるような表情で案内をしてくれた。 客間代わりの和室にはきちんと布団が敷いてあって、俺と八津は挨拶もそこそこにばたんと倒れ込んだ。 「眠い」 「うん。楽しかったけど、さすがにもう限界」 八津は小さく欠伸をして、もぞもぞと布団の中に潜り込んだ。 隣の布団に俺も入って、部屋の灯りを消すとあっという間に意識が飛んだ。 どれくらい眠ったのか。 ふと目が覚めて、見慣れない部屋の様子に一瞬ここはどこだったかなと考え、そうだギイの家に遊びにきてるんだったと気づいた。 隣で眠っているはずの八津の姿がないことでさらに目が覚め、重い身体を起こした。 布団を抜け出してちょっと水でも飲もうかなとリビングへ向かうと、ちょうど戻ってきた八津と出くわした。 「あれ、矢倉も起きたの?」 「あー、喉乾いた」 「俺もだよ。今飲んできたとこ」 けっこうな量の酒を飲んだからそれも当然だ。人の家のキッチンではあるが、勝手に冷蔵庫を開けてよく冷えた水をいただいた。 眠そうな顔をしているくせに、八津は布団には戻らずリビングのソファに座っていた。 「どうした、目が冴えちゃったか?」 「うーん、そんな感じ。冷たい水飲んだからかな」 「分かる」 俺は八津の隣に座った。月が綺麗に出ているせいか、真夜中だというのにやたらと明るくて、いったい今何時なのか分からなくなる。 「まだ朝まで少しある。寝よう、八津」 「なぁ矢倉」 「ん、どした?」 「一緒に住みたいって話、本当に、考えてないわけじゃないんだ」 「どした、急に」 いや、急ではないけれど。焼肉後にそんな話はしてたけど、スルーされたと思ってたのに。 「ごめん、たぶん矢倉はずっとそのこと考えてくれてたんだろ?」 「あー、まぁそりゃな。だけど無理強いするつもりはないよ」 八津はゆるゆると首を振った。 寝ぼけた表情は小さな子供みたいで可愛かったが、だけど込み入った話をするにはちょっとこの状況はどうなのかと思う。 「八津、話し合いなら明日しよう。お前、半分寝てるだろ?」 「そうかも。だけどこういう状態じゃないと本音で話せない。酔っぱらうとか寝ぼけてるとか」 そのどちらも今の状態だからこそ、本音を口にできなかった八津もその気になったのかもしれない。 俺は八津に向き合うようにソファに片足をあげて身体を傾けた。 「聞くよ。八津が思ってること何でもいいから話してみて」 「・・・矢倉と一緒に暮らしたい」 「うん」 よかった、そこはちゃんとそう思ってくれてるんだな、とまずは一安心する。 「ギイと葉山くんみたいに、毎日顔を合わせて、ごくごく平凡で普通の時間を過ごしたい。喧嘩したりテレビ見て笑ったり、苦手な料理を一緒にしたり、そういうの、すごく楽しいだろうなって思うし、そうなればいいなって思ってるんだけど、だけど、もし一緒に暮らすとしたら、母に黙ってるわけにはいかなくなる」 「そうだな」 「・・・・」 それきり八津は黙り込んだ。 どうしたってそれが一番のハードルなのは俺だって分かってる。最初に離れた時もそうだった。 「八津がおふくろさんのことを傷つけたくないって気持ちも分かるけど、俺もあの時みたいな子供じゃないし、ちゃんと分かってもらえるように・・・」 「うん、たぶん矢倉はそう言うだろうなって思ってた」 「・・・もしかして俺のために、この話題避けてた?」 またあの時みたいに俺が嫌な思いをするんじゃないかと思って? だけど一度経験してるし、今度はもっと上手くやる自信もある。 「矢倉のため半分と自分のため半分、かな」 「どういう意味?」 八津はうーんと低く唸った。 言いたくない、というよりはどう言えばいいかを迷っているようだったから、急かすことなく待つことにした。 まさか寝てないだろうな、というくらい待ったあと、八津はようやく口を開いた。 「母に全部打ち明けてもきっと理解はしてもらえない。きっとまた矢倉と別れるように言うだろう。だけどもう前みたいに矢倉が分かりましたって素直に身を引くことはないよね」 「まぁそりゃそうだな」 「俺だって別れるつもりはないし。じゃあ二人で母に認めてもらうように頑張るのかな。だけど、どうしたって簡単に認めてもらえるものでもないよね。だってこういうことってやっぱりなかなか理解してもらうのは難しいと思う。だけど、じゃあいいやって開き直れるほど俺も矢倉も割り切れないところがあって、どっちかというと矢倉の方が何とかしなくちゃって思うような気がするんだよ」 「あー、うーん、どうかな」 「それも俺に黙って」 「いや、だからあの時は・・・」 八津に黙って別れることを選んだのにはそれなりの理由があったのだけれど、今はもうそんなことはしない。 「うん、今度は俺と矢倉で一緒になって何とかしようって思うんだよね。そしてたぶん、俺たちは諦めない。母を相手にいろいろと傷つくこともあって、最初は平気でもそういうのが続くときっとしんどくなって嫌になる。頑張らなくちゃいけないような恋愛って続ける意味あるのかなって思うようになる」 「・・・」 「お互いのこと嫌になって喧嘩して、こんなことならもう全部終わらせた方が楽じゃないかって思うようになったら?別れたくないのに、一緒にいるために頑張ったせいで一緒にいられなくなったら?そういうの考えたら、このままでもいいかなって思うようになって。だってあのギイと葉山くんとだって、こうして一緒に暮らし始めるためには大変だったって。そういうの聞くと臆病にもなる」 ごめん、と八津はソファの背にかけた腕に顔を埋めた。 そんなのやってみなきゃ分からないだろ、と言うのは簡単だ。 お互いが傷つくことが嫌だとか、そんな理由ならそう言えた。 だけど、八津が言うように何かに立ち向かうには相当な気力が必要なのは事実で、いくら最初は頑張ると言っていてもやがて疲れて終わりにしたいと思うようになることもよくあることだ。 だから八津の言うことも分からないでもないのだが。 「大丈夫だなんて、軽々しく言うつもりはない。確かに頑張ることは疲れることだけど、疲れるからって頑張るべき時に頑張らないのは違うだろ?一緒にいるために頑張るんだから、その途中でしんどくなったり嫌になったりしても、二人ともがやめるって言わない限りは終わることはない。もし八津がやめたいって思った時は俺は思わないようにする、俺が思った時は八津が思わないようにする。だいたい、今さらちょっとくらいしんどいことがあったところで、そう簡単にやめたいだなんて思うわけないだろ。お前、俺の愛をもうちょっと信じろよ」 冗談めかして八津の寝乱れた髪をくしゃりと撫でる。 この恋がしんどいことになるのは最初から分かってた。それが嫌なら、三年のあの時、秘密にしたことを全部打ち明けてまで八津の手を取ることはしなかった。 「一緒に暮らそう、八津」 「・・・」 「ギイと葉山みたいに、居心地のいい場所を手に入れよう。どんなに大変なことでもそうしよう。時々こんな風に友達を呼んでバカ騒ぎして、たまに喧嘩することがあっても、やっぱり八津と一緒なら楽しいと思う。雨の日は二人で籠って好きなDVDでも見て、晴れた日はドライブがてら買い物でもして、そうだな、赤池に簡単な料理でも教えてもらって一緒に美味いものを作ろう。春には花見ができるような庭付きの家・・はちょっと無理でも、せめて桜が見える広いベランダのあるマンションでもいいな。そこで夏には花火が見えると最高だな。秋になったら旅行もしたい。八津は寒いの苦手だから冬になったらきっとコタツから動かないだろうけど、コタツで鍋でもしたいよな。そんな風に八津とこれから先の人生を過ごせたらいいなって思う」 俺の言葉を目を閉じて聞いていた八津は、何かを堪えるように息を吐いた。 「ちょっと泣きそう。幸せすぎて」 「何だそれ」 腕を伸ばして八津の頭を抱え込む。 「幸せすぎたら普通は笑うもんだろ」 うん、と八津がうなづく。 これだけ大見得切ったんだから、そりゃもう何がなんでも何とかする。 言っておくが、俺だってギイに負けないくらい乙女だったりするのだ。 好きになった相手のためなら何だってする。 ギイが長い時間をかけて葉山を手に入れたんだから、俺にできないわけはない。 むしろギイより庶民な分、ハードルは低いはずだよな。 明日、ちゃんと目が覚めたらこれからどうするかちゃんと話し合おう。 できれば誰も傷つけず、だけどそれが無理ならなるべく最小限で済むように。 大丈夫、何しろ身近にやり遂げた友がいる。 翌日全員が起きたのは昼前だった。 何しろ酒も飲んでいたし、遅くまで麻雀もしたし、ふらふらとリビングに集合した全員がまだ眠そうな顔をしていたが、誰より早く起きた赤池が二日酔い用にと味噌汁を作ってくれていた。 本当に何から何までマメな男である。 皆で食卓を囲み、無言のままに味噌汁を口にした。 「美味い」 「ほんとに」 「赤池くん、天才」 「嫁にしたい」 口々に褒めたたえるが、当の本人にはさほど響いていないようで、それでもみんなの世話をあれこれと焼いてくれた。 昼食が終わり、あまり長居するのも悪いのでと腰を上げた。 「矢倉、困ったことがあれば相談に乗るから」 ギイが玄関先で言った。 こいつはどこかで何か聞いてたんじゃないだろうな、というくらいに勘が良くて嫌になる。 だけどそれに何度も助けられた。 「ギイに倣って何とかする」 「上手くいくといいな」 もしも祠堂でこの仲間たちに出会っていなければ、八津とのこともどこかで終わっていたかもしれない。 いろいろと辛いことがあっても乗り越えてきた友達がいるから、自分も同じように頑張れると思う。 八津は昨日の夜のことには何も触れなかった。 だけどどこかすっきりとしたいい表情をしていて、その表情を見ると、俺も不思議と晴れ晴れとした気持ちになった。 気持ちを固めた今からが始まりで、これからのことを思うと不安がないわけではないけれど、何とかなるんじゃないかと根拠のない自信が湧いてくる。 「矢倉くん、またいつでも遊びにきてね」 見送りに出てくれた葉山が柔らかく笑う。 ありがとう、と言って八津と肩を並べて歩き出す。 手を繋ぎたいなぁと思ったけど我慢した。誰もいなくてラッキーと思ったけれど、こんな風にずっと肩を並べて歩いていけるように、これからありったけの幸運をかき集めなくてはならない。こういうちょっとした幸運はあとに残しておくことにする。 八津がちらりと俺を見てくすりと笑った。 ああ、たぶん俺と同じことを思って、同じように八津も我慢したんだなと思ったら、妙に嬉しくなった。 これから先も、こんな風に二人が同じ想いでいたれたらいいなと思う。 先は長い。だけどそれが一番大切なことだろう。 |