「あ、矢倉くん、ちょっといいかな」
夕食を終えて寮の部屋へと戻る道すがら、吉沢に声をかけられた。 「よぉ、吉沢、お疲れさん」 「お疲れさま。あのさ、このあとちょっと時間あるかな」 いつも控えめな吉沢が申し訳なさそうに言う。 1年の時から吉沢のことは知っていたけれど、それほど親しくしていたわけではなかった。 3年になってからは階段長仲間として、それまでよりも話す機会が増えた。 いつも穏やかで一見頼りなさげに見えるのだが、その実、吉沢ほど真っすぐでいざという時に頼りになるヤツもいないだろうなとも思う。 そう思うようになったのは、3年になってからだけど、 2年の時に学校一の美少年ではあるけれど、とんでもなく我儘な高林と付き合いだしたと聞いた時から、もしかしてこいつは、と一目置いていたのも事実だった。 吉沢は目立つタイプじゃないし、前に出ることも基本的には良しとしていないところがあるけれど、あの高林と付き合うだなんてなかなかできることじゃない。 何しろ高林はずっとギイにご執心だったのだ。 噂ではギイと絡んでちょっとした事件があったらしいが、結局そのあとは高林はすっかり吉沢に夢中になってしまった。 吉沢が高林にきちんと意見するようになり、それまで我儘三昧だった高林も少しは大人になったように思える。 恋の力は恐ろしい。 まぁあの高林の面倒を見ることができるのだから、多少やんちゃな一年生たちの世話なんて何てことはないのだろう。 吉沢が階段長に選ばれたのは当然だとも言える。 「時間はあるけど、何かあったのか?」 「うん、放課後に階段長会議をしたばかりなのに悪いんだけど、ちょっと相談したいことがあって」 「何か問題?」 「うん、ちょっと」 週一回程度、階段長と風紀委員長とで行っている情報交換のための階段長会議。まぁ会議といってもいつもは散歩がてら校内をぐるりと一周して、お互いが抱えている問題を共有する程度なのだが、今日はたまたま時間があったので放課後に短時間で話をしたばかりなのだ。 それなのにまた集まりたいだなんて、放課後の階段長会議のあと、何かトラブルでもあったってことか。 本当に今年の新入生はアクティブで困る。 「わかった。他の二人にはもう声かけたのか?赤池は?」 「野沢くんはOKだった。赤池くんには直接関係のない話だから、今回はいいかなと思って。あとはギイだけなんだけど、どこにいるか分からないんだ」 困ったように首を傾げる吉沢に苦笑する。 毎度毎度、ギイを捕まえるのには苦労するのだ。 3年になってからはすっかりクールな雰囲気を漂わせているギイだが、そもそもの本質が変わることはないようで、あちこちから相談ごとを持ち込まれては対応している。 まぁ神経質なくらいに警戒しているのは1年生に対してだけなので、その他の人間には今まで通り親身になってるあたりがギイらしい。 「じゃあ俺がギイを探すよ。場所は吉沢のゼロ番でいいのか?」 「うん。悪いね、1時間後くらいでどうかな」 「了解。じゃあまたあとで」 寮の入口で吉沢と別れた。 さっき食堂ではギイの姿は見なかったので、寮に戻っているとは思うものの、まだ時間的には早いしなぁとちょっと考える。 「あ、赤池」 談話室の前で赤池と出くわしたので、ギイと一緒が聞いてみた。 「いや、一緒じゃない。だけど、寮には戻ってるだろ。何か用か?」 「ああ、ちょっとな。じゃあゼロ番にいるのかな」 「どうかな。今日は新入生たちには捕まってなかったみたいだけどな」 「しょうがないな、とりあえず行ってみるか」 狭い寮でもいざ見つけようと思うと簡単にはいかないということを知っている赤池は、がんばれと言って俺の肩を叩いた。 こうなったらしょうがない。 まずはギイのゼロ番に行ってみよう。 とんとんと階段を駆け上がり、ゼロ番の扉を叩いてみる。 「ギイ?いるかー?矢倉だけど。緊急招集、おーい、いるのかー」 耳を澄ませると、どうやら人がいる気配がする。 よし、いるな。ギイ確保だ。 「ギイ、いるんだろ、開けろー」 どんどんっとしつこく扉を叩いていると、やがて遠慮がちに扉が開いた。しかし中からひょこっと顔を出したのは部屋の主のギイではなく、その恋人の葉山だった。 「あれ、葉山?」 「あ、えっと、こんばんわ、矢倉くん」 「・・・・ギイいるんだろ?」 答えを待たずに、薄く開いた扉に手をかけて大きく開こうとすると、思いもかけない強い力で葉山ががしっと俺の腕を掴んで引き留めた。 「あの矢倉くん!えっと、ギイは今ちょっと・・・」 「・・・」 「えっと・・あの・・」 葉山は真っ赤な顔をして少し乱れようにも見えるシャツの胸元をしっかりと押さえている。 「・・・・・」 「・・・・・」 ただの友達設定なんて、1週間も持つはずがないとみんなで話していたのだが、やっぱりその通りだったな。 ギイのやつ、平日の夜に何をしてたんだ、って聞くのは野暮なんだろう。 あーあ、葉山のヤツ、可哀想なくらい真っ赤だし、何だかおかしな色気は駄々洩れだし。 「で、ギイは?」 「えっと・・ベッドに、いま・・す」 どうやらすべてを知られてしまったと悟った葉山はますます顔を赤くして俯いてしまった。 たぶん、アレだな。俺のノックなんて完全無視を決め込んだギイと、緊急事態だったらどうするんだと焦る葉山の間で攻防が繰り広げられ、結果、葉山が出てきたというところだろう。 チェック組あたりが来たのなら、葉山だってさすがに無視しただろうけど、俺が緊急招集なんて言ったから・・って、あれ、これはもしかして俺が悪いことしちまったパターンなのか? 部屋を横切り衝立の向こう側にあるベッドを覗き込むと、ギイは力なく突っ伏していた。 「ギイ、大丈夫かー?」 「・・・矢倉、お前、オレに何の恨みが」 顔も上げずにギイが低く言うものだから、思わず笑ってしまった。 ここ最近のクールなギイなんて跡形もない。 だけど、こういうギイの方が好きだし、少なくとも俺たちにはそういう本当のギイの姿を今でも見せてくれるのが嬉しかったりもする。 「悪いなー、デートの真っ最中に邪魔しちまって」 口では謝りながらも笑いも零れるものだから、ギイに睨まれてしまった。 「いいとこだったのに」 「分かったよ、今度は誰にも邪魔させないように見張っててやるから。 吉沢が臨時会議をしたいってさ。あー、今からだと40分後に、吉沢のゼロ番集合な?」 「・・・一時間後」 「無理。その会議が済んだら好きなだけ葉山といちゃいちゃしろ」 後ろで俺たちの話を聞いていた葉山がぶんぶんと首を横に振る。 「僕はもう帰るから!好きなだけ会議してくれていいから!じゃあ、あの・・お邪魔しました!」 脱兎のごとくことはこのことか、というほどの素早さで、葉山は部屋を出て行った。 「矢倉!!」 「怒るなよ、ギイ。しょうがないだろ」 会議が終わったら、葉山の部屋へ行って、何とか上手く言いくるめてギイに引き渡さなくては。 ギイに平常運転してもらうには、葉山不足では無理なのだ。 いや、ということは会議の前に引き離したのは間違いだったのか? とりあえずギイに40分後だからなと念を押して、葉山のあとを追いかけることにする。 タイムリミットは40分。 あのシャイな葉山が果たしてもう一度ギイのゼロ番に来てくれるかどうかは微妙なところだが、誰だって恋人と一緒にいたいと思っているはずだ。 「ギイに貸しを一つ作っておくか」 頭の中で葉山拉致の成功の算段を素早く考える。 不憫な恋人たちに愛の手を。 |