「すごくいい式だったね」
夏が過ぎ、ようやく涼しくなった夜の街、前を歩く託生の足取りはどこか危なっかしい。 自分ではちゃんと前を向いて歩いているつもりだろうが、どこかふらふらと覚束ない。 手を握ってやりたいところだが、さすがにまだ人目もあるし、いい年した男同士が手を繋いで歩いていたら、今の日本ではまだ目立つことこの上ない。 別に誰にどう思われても何ともないが、どこまでもシャイな恋人は絶対に嫌がるに違いない。 「奈美子ちゃん可愛かったなぁ。赤池くんもカッコ良かったし。やっぱりお似合いの二人だよね」 今日は章三と奈美子ちゃんの結婚式で、披露宴が終わるとそのまま二次会へと雪崩れ込んだ。 ついさっきその二次会も終わり、二人で酔い覚まし代わりに宿泊しているホテルまでの道のりをのんびりと歩いていた。 親戚や職場の人が集まる披露宴とは違い、親しい友人ばかりが集まった二次会はそれは賑やかで楽しく、二人の人柄が窺えるように温かい集まりだった。 祠堂の仲間たちも足を運び、本当に久しぶりに昔話に花が咲いた。 滅多に着ないスーツに身を包んだ託生は、式ではお祝いの1曲を弾くことになっていたが、予想もしなかったアンコールをリクエストされてしまい、結局合計3曲を演奏することになった。 まだまだ有名とまではいかなくても、それなりに実績を積み、葉山託生の名前は知る人ぞ知るバイオリニストとして注目され始めている。 託生の繊細で優しい演奏に誰もが心を奪われ、うっとりと聞き惚れていた。 二次会ではそんな託生の周りに奈美子ちゃんの女友達が集まり、ずいぶんとあれこれと質問攻めにあっていた。会に出席していた矢倉に、 「モテ期か?」 とからかわれていた。 彼女たちにもう一度弾いて欲しいと強請られ、周りからもせっつかれて、また2曲ほど演奏をした。 大喝采に託生は照れたような笑みを浮かべ、けれど得意気な様子は見せずにそそくさと席に戻った。 そういう控えめで謙虚なところは、昔から変わらない。 「いい式だったなぁ。幸せになってほしいな」 もう何度聞いたか分からない言葉には嘘はなくて、本当に心から二人のことを祝福して零れたものだと知れた。 結婚したのは章三なのに、こうしてしみじみとしている託生の方が幸せいっぱいの顔をしていて、何だかおかしくなった。 「託生、ちょっとだけ休憩しよう。お前、もうふらふらだろ」 「そうかな?」 自覚のないのがその証拠だ。 自販機でペットボトルの水を買って、シャッターの閉まった店先にあったベンチに腰を下ろした。 キャップを開けて差し出すと、託生は無言のまま受け取って、ごくごくと半分ほどを飲み干した。 「美味しい。ギイも飲む?」 「ああ」 隣に座って、託生から受け取ったペットボトルから一口飲むと、アルコールで火照っていた身体が一瞬冷えたような気になった。 「幸せな人たちを見ていると、自分も幸せになれるよね」 「そうだな」 「大好きな人が幸せになるのを見るのはいいよね。すごく嬉しい」 章三はオレの相棒でもあるけれど、託生にとっても親友だ。 祠堂で出会ってからもう10年近く。 しょっちゅう会えるわけではなくても、それでも縁が切れることはなく、たぶんこれから先も切れることなく続いていくのだろう。 「早く赤ちゃんできないかなぁ」 「え?何だそりゃ」 託生の突拍子もない一言に思わず笑ってしまう。 「だってあの二人の子供ならすごく可愛い子だろうなって思うし。赤池くんがお父さんになったらどんな風になるのか見てみたいし」 「今とあんまり変わらないんじゃないか?」 「今って?」 「だから、時々あいつ、おふくろかっていうくらい口うるさいだろ?」 それは祠堂にいた頃からそうで、託生に対しては、好き嫌いするなだの、たまには外に出て運動しろだの、とにかくあれこれと世話を焼いていて、傍から見ると本当に小さい子供の面倒を見る母親のようだったのだ。 オレに対しても似たようなもので、平気で説教をしてくる。 この世でオレに何の躊躇もなく説教できるなんてのは章三くらいなものだ。 「おふくろって・・・赤池くんが聞いたらせめて父親にしろって怒るよ」 「はは、そりゃそうだな」 しばらくベンチに背を預け、道行く人をぼんやりと眺めた。 託生も同じように無言だった。 丸一日華やかな場にいて、けっこうな量のアルコールを飲んで、ほどよく身体は疲れていたけれど、楽しかった気持ちは高揚したままで、そのバランスが不思議な感じだった。 「・・・そういや託生、奈美子ちゃんの友達にアドレス聞かれてなかったか?」 「うん、すごい勢いで聞かれてびっくりしたよ」 「教えたのか?」 「矢倉くんが何かいろいろ間に入ってるうちに有耶無耶になった」 ナイスじゃないか、矢倉、とたまには悪友を褒めてやりたい気持ちになる。 「ギイだって聞かれたんじゃないの?」 「オレは聞かれてない」 「どうして?」 不思議そうに首を傾げる託生の目の前にずいっと左手を掲げて見せる。 「ああ・・・」 ちょっと面映そうに託生が笑う。 左手の薬指にはめられた指輪の効果は絶大で、年頃の女の子たちは目敏くそれを確認して、おかしな色気は出さずに、その場限りの楽しい会話をするようになる。 指輪はずいぶんと以前に買ったもので、もちろん託生も持っている。 これをするようになってからというもの、余計な心配をさせずにすむようになったと思うのだが、もともと託生はあまりそういうヤキモチは焼かないので微妙なところである。 そんな託生はバイオリンを弾く時に気になるから、と言って、普段は指輪をしていない。 「こういう時くらいしておけば、アドレス聞かれたりしないと思うんだけどな」 少し拗ねたように言ってみると、託生は一瞬目を見開き、そして小さく笑った。 「そうだね。でも指輪ってし慣れてないと気持ち悪いっていうか。それに、もしあの時、矢倉くんが間に入ってこなかったら、自分でちゃんと断ってたよ」 「どうやって?」 どんなに可愛い顔していても、いい男を見つけた時の女の子というのはなかなか手強いものだ。 託生がそんな女の子からのアプローチを上手くかわせるとは思えないのだが。 「恋人がいるから、ってちゃんと言うよ」 「へぇ」 「結婚してるって言ってもいいけど」 「ほぉ」 「あそこにいる人がそうです、って言うとか?」 いたずらっぽい瞳に、オレは腕を伸ばして託生の首筋を引き寄せた。 ほろ酔い加減のせいか、託生は文句を言わずにされるがまま大人しくしている。 「指輪、持ってるんだろ?たまにはペアリングで歩こうぜ」 耳元で囁くと、託生はうーんと唸ったあと、首元に手をやってネクタイを緩めると、シャツの下に隠れていたチェーンを引っ張り出した。そこに繋がれた指輪。 指につけていなくても、いつでも肌身離さず持ってくれている。 だからオレもどこかで安心している。 「やっぱり変な感じ」 薬指にはめた指輪を眺めて、託生が唇を尖らせる。 本来あるべき場所におさまった指輪は眩しく、心をじわりと温かくする。 結婚指輪でさえない。ただのペアのリングだ。 この指輪を贈ったときは遠距離恋愛真っ只中で、自分でもどうかと思うくらいに必死だった。 一方の託生はいつでも自然体で、その気持ちを疑うわけではなかったけれど、不安な気持ちがあったのかもしれない。 指輪を渡すと、託生は少し驚いて、だけど笑顔でありがとうと言った。 こんな小さな指輪で相手の何を縛れるはずもないけれど、だからこそ時折揺れそうになる気持ちのよすがとなった。 「さ、そろそろ帰ろうか。ベッドに入ったらすぐに眠れる自信があるよ」 「おかしな自信だな」 託生に促されてよっこらしょと立ち上がり、再び夜の街を肩を並べて歩き出す。 手を繋ぐことはなかったけれど、お互いの薬指の指輪で繋がっているような気がした。 |