1月に入ったとたん、祠堂でも風邪が流行りだし、まず最初に章三がダウンした。
ギイの話によれば、冬になると必ず熱を出すらしくて、去年同室だった時にも何度か看病をしたらしい。 「丈夫そうに見えるのになぁ」 思わずつぶやいたぼくを、章三はベッドの中で何か言いたげに見やったけれど、特に何も言わなかった。 というか、言えなかったのだ。 今年の風邪は喉にくるらしくて、章三もぜんぜん声が出なくなっていたのだ。 「赤池くん、これ、ポカリと栄養ドリンク。あと何か欲しいものあったら買ってくるけど」 章三は大丈夫、というように首を振った。 見舞い代わりの差し入れを机の上に置いて、ぼくは電気ストーブを弱から強に変えた。 何となく部屋が寒く感じたのだ。風邪を引いている時くらい部屋を暖かくしないと治るものも治らない。 ギイは勝手知ったる何とやらで、章三の椅子を引き寄せて腰を下ろした。 「熱は下がったのか?」 「・・・・」 答える代わりに章三は首を横に振る。ぼくは章三の額にそっと手を当ててみた。まだ少し熱っぽい。 「あとで中山先生に往診にきてもらうように頼んでおくよ」 「託生、食堂で病人食も頼んでやってくれ」 「わかった」 ぼくたちの会話を大人しく聞いている章三は、悪いなというように微かに笑った。 それから30分ほどそうして話をしていただろうか。 章三の部屋を出ると、次は同じようにダウンした政貴の部屋へと見舞い品を届けにいった。 その夜から、何となく寒気がするなぁなんて思っていたぼくは、次の日にはしっかりと風邪を引いてしまっていた。 立て続けに風邪人の部屋を回ったせいだろう。 同じように見舞っていたギイはぴんぴんしているのに理不尽だと思う。 「託生、今日は授業休んだ方がいいんじゃないか?」 ギイが心配そうにぼくの顔を覗きこむ。 ベッドに横になったまま、ギイから渡された体温計を咥えていたぼくはどうしようかなぁと思案していた。 今日は体育はないし、英語の授業はあまり休みたくないし・・・などと考えていると、ぴぴっと電子音がした。ギイがひょいとぼくの口から体温計を取り上げた。 「ああ、熱はないな・・・」 良かったな、とギイが微笑む。 熱がないならやっぱり授業には出ようと、ぼくはベッドから起き上がった。 授業に出るよ、と言おうとしたけれど、声はまったくでなかった。 どうやら章三の風邪を移されたようだけれど、熱が出てない分まだ軽いってことかな。 「託生、本当に大丈夫なのか?」 ギイが渋い顔でぼくに尋ねる。うんうん、とぼくはうなづいた。 咳も出ないし、熱もないし。声が出ないだけだから、大丈夫だろう。 「託生の大丈夫はあてにならないからな」 しょうがないな、というようにギイがため息をつく。 ぼくがシャツを着て、上着を着ようとしたときに、ギイがちょっと待てと言った。 「上着の下にもう一枚着ろ。ほら」 「・・・・」 手渡されたのはギイのセーターだった。上着の下に着るなら薄い方がいいだろ、と躊躇しているぼくの手からセーターを摘み上げると、頭から被せられてしまった。 ぼくの声が出なくて抗議できないのをいいことに、ギイはさっさと子供にするみたいにぼくに上着を着せかけてしまう。 薄いのにとても暖かいギイのセーター。 微かにギイの匂いがして、ぼくはうっかり赤面してしまった。 「よし。いいか、ちょっとでも辛くなったら寮に戻るんだぞ」 くしゃりと髪を撫でられ、わかった、とぼくはうなづいた。 幸いなことに食欲はあったので、ギイと2人で食堂へと向かった。 風邪で授業を休んでいる生徒が多いせいか、食堂はいつもより人が少ないようだった。 ぼくとギイが席に着くと、すぐにマスクをした章三がやってきた。 「お、章三もういいのか?」 「ああ、何とか復活した。何だ、葉山顔色悪いな」 まだ掠れた声の章三がギイの隣に座る。 「もしかして風邪か?」 「お前なぁ」 ギイがじろりと睨むと、章三はその意味にすぐに気づいたようで、 「悪い、葉山、移しちまったか?」 すまなそうにぼくを覗き込む章三に、大丈夫だよ、とぼくは笑ってみせた。 「声が出ないのか?」 うなづくぼくに、章三はやっぱり僕の風邪かと肩を落とす。 「それに比べて、やっぱりギイはぴんぴんしてるんだよなぁ」 「何だその言い草は」 「お前、去年も同じ部屋だったのに一度も風邪引かなかっただろ。僕が隣のベッドで死にそうになるほどの風邪を引いてても平気だったよな」 「手洗いとうがいで乗り切ったからな」 「お前は小学生か!」 2人の言い争いに加わることのできないぼくは、きょろきょろとテーブルの上を見渡した。 「お、託生、醤油か?ほら」 ギイが手を伸ばして醤油を取ってくれる。 「・・・・・」 ありがとうと口だけ動かすと、ギイはにっこりと笑った。 あ、そうだ、とまた視線を動かすと、 「お茶か?ちょっと待ってろ」 ギイはさっさと立ち上がると少し離れた場所にあるお茶を汲んできてくれた。 その様子を見ていた章三が感心したように苦笑を漏らす。 「すごいな、ギイ。葉山が何も言わなくても何が欲しいか分かるんだ?」 「そりゃ分かるさ。愛の力だよなぁ、託生」 どこか満足そうなギイの足を、テーブルの下で軽く蹴飛ばした。 こんなに人のいるところで・・・それも章三の目の前で何てことを口にするんだよ。 けれどギイはまったく気にしていなくて(むしろ嬉しそうなくらいで)、呆れた様子の章三に、ぼくの方がいたたまれなくなってしまった。 その日は一日中、ちょっと喉が渇いたなぁと思うとすぐさまギイがペットボトルの水を手渡してくれたり、誰かに声をかけようと思うと代わりに声をかけてくれたり(どうして誰に声をかけたいと分かったのか謎だ)。 とにかくギイはまるでぼくの心の中が見えているかのように、ぼくがして欲しいことをすべてしてくれた。 「どうした、託生?」 夕食後、305号室に戻り、さすがにちょっと疲れたなぁと思っていたぼくは、ベッドに座ってギイを見つめた。 「うん?疲れたんなら今夜は早く寝ろよ」 ほら、やっぱり分かる。 ぼくはギイの手を取ると、その手のひらに指先で文字を書いた。 (どうして分かるの?) 「どうして、って・・・どうしてかなぁ、何となく分かるんだよな。託生の考えてること」 ギイはちょっと面映そうにぼくを見る。 (嘘だ。何かあるんだろ?) タネ明かししろよと睨むぼくに、ギイは 「おいおい、何があるっていうんだよ」 と、笑ってぼくの隣に座った。 「不思議だと思うけどさ、オレ、ほんとに託生が何考えてるか分かるんだって」 「・・・・・」 「やっぱり愛の力だよな」 ギイはぼくの頬に口づけて、そのまま唇にもキスをしようとした。 ぼくは寸でのところでそれを阻止した。 「何だよっ!」 とたんに不機嫌になるギイに、 (風邪が移るだろ) と、声は出ないので、口パクで伝えると、ギイはちぇっと舌打ちした。 けれど、ぼくの抵抗なんてまったく気にせず、いつものように深く口づけた。 「だから言ったのに」 ぼくはベッドに横になるギイを見下ろして、やれやれと肩を落とした。 翌日、お約束のように、少し風邪っぽいもののぼくの声はちゃんと出るようになり、だめだと言ったのにキスなんてしてきたギイは声が出なくなっていた。 「授業休む?」 「・・・・」 首を横に振るギイはどうやら昨日のぼくと症状は同じようだ。 2人して食堂へ行くと、昨日とは状況が逆転しているぼくたちを見て、章三が楽しそうに笑った。 彼はもうすっかり回復していた。 「ギイが風邪引くなんてなぁ、いったいどうやって移したんだ、葉山?」 誰かに風邪を移すと治るっていうからなぁと章三がニヤニヤとぼくを見る。 「別に何もしてないよ」 いや、原因は絶対にあのキスだろうとは思うけど、そんなこと口が裂けたって章三には言えない。 「ギイのレインボウボイスが一日聞けないと思うと残念だなぁ」 「・・・・」 からかう章三をギイが睨む。 そして何かを訴えるようにぼくを見た。 「えっと・・・お茶・・・?」 と聞くと、ギイは違うというように首を振る。 あれ、じゃあ水かな?と首を傾げると、まるで見抜いたかのようにギイが首を横に振る。 「葉山、愛情薄いんじゃないか?」 章三が笑う。 「え、そんなことないよ。あ、分かった。醤油だろ?」 「・・・」 ギイは違うーと首を振る。すると章三がすいっと手を伸ばして、サラダのドレッシングを取った。 「ほらよ」 「・・・・」 「ああ、ドレッシングか」 なるほど、と納得したぼくの頬を、ギイがむにっと摘んだ。 「痛いよ、ギイ」 「・・・・・っ!!」 「え、なに?」 ぱくぱくと口を動かされても声が出ないからさっぱり分からない。 「葉山、やっぱり愛情薄いんじゃないか?ギイが思ってることぜんぜん分からないんだもんな。相棒の僕の方が良く分かるって、まずいんじゃないか?」 そんなこと言われても、ギイが何考えてるかなんて分からないよ。 そのあとも、まるで試すかのようにぼくにしたいことを目で訴えるギイだったが、結局何ひとつとして分かるものはなくて、ギイはひどく落ち込んでしまった。 「あれは愛の力がどうという問題じゃなくて、単に勘がいいか悪いかの違いだな」 声が出るようになると、きっぱりとギイが言い切った。 何となく申し訳ないような気がしていたぼくとしては、まぁ愛の力うんぬんではないとわかってもらえただけでも良かったなぁと思うのだが・・・ 「託生、お前もうちょっと勘が良くなるようになれよ」 「そんなの・・・どうすればいいんだよ」 また無理難題を言い出したぞ、とぼくは小さくため息をつく。 「もしくは、勘が悪くてもオレの考えが分かるくらいに、オレのことを愛してくれよ」 「えー、さっき愛の力の問題じゃないって言ったくせに!」 「オレだって、何も言わなくても託生にいろいろわかってもらえる幸せを味わいたい」 「・・・・えっと・・頑張るよ」 駄々っ子みたいなギイの訴えに、そうとしか言えない。 勘が良くなるのなんて努力で何となかなるものじゃないと思うし、いくら頑張ったところで、ぼくがギイ並みに勘が良くなるとは思えない。 そんなぼくの考えなんてお見通しのギイは 「託生、もちろんわかってると思うけど・・・」 「頑張るのは勘の方じゃなくて、愛の力の方だろ。わかってるよ」 「よろしい。お前、こういう時はオレの考えてること分かるんだな」 楽しそうにギイが笑ってぼくを引き寄せる。 「じゃ、さっそく努力してもらおうかな」 お互い風邪も治ったことだし、とおどけるギイに思わず吹き出してしまう。 ぼくはギイの肩に手を置いて、そっと彼にキスをした。 こんな小さな努力でも、そのうち以心伝心につながる・・・かな? |