「なに?」 暗闇の中でも視線というものは感じるらしい。 こちらに背を向けて横になっていた恋人が掠れた声で聞いてきた。 真夜中を過ぎた時刻、部屋の中は怖いくらいに静かで、何度味わっても飽きることのない濃密で甘い空気が満ちていた。 「眠ってるのかと思った」 「眠りかけてたのに」 口にしたのは不満の言葉のくせして、どこか笑いを含んでいる。 一回り以上も年下の恋人は、どんな時でも優しい雰囲気を纏っていて、年を重ねるごとに、そこに落ち着いた柔らかさが加わるようになってきた。 最近ではすっかり彼に甘やかされているような気がしてならない。 一回り以上も年下の恋人に、だ。 むき出しの肩先に唇をくっつけると、くすぐったそうに身じろぎする。 「眠らないんですか?」 「昔のことを思い出してた」 「昔?どれくらい昔?」 興味を引かれたのか、玲二がもぞもぞと寝返りを打った。 「恋人同士になった頃のことかな」 もう3年も前のことで、けれど今でも鮮明に覚えている。 いや、もっと前の、彼と初めて会った時のことだって、自分でも驚くくらいにちゃんと覚えている。 小さくて、女の子と間違えるくらいに可愛らしい少年だった。 何の屈託もなく懐いてくれて、初めは弟のように思っていたけれど、いつからか自分の中に違う感情が芽生え始めた。 好きだと気づいてからは、とにかく自分のものにしたくてならなかった。 あれこれと理由をつけては恩師の家へと通い、少しづつ気持ちを伝えて、ようやく思いが通じ合った。 恋人同士になってから3年たった今でも、好きだという気持ちは薄くなるどころかますます強くなるばかりだ。誰と付き合っても長続きしなかったのが嘘みたいに、今はこの恋が永遠に続くことを願わずにはいられない。 「初めてのデートのことを覚えてる?」 聞くと、彼は口元に笑みを浮かべた。 「もちろん。ディズニーランドに連れてってくれた」 「きみ、めちゃくちゃ緊張してただろ?」 「してました。だって、どうしたらいいか分からなかったし。だけど楽しかったな。お土産にペアのマグカップ買ってくれましたよね」 「あれ、まだあるぞ。玲二くんは?」 「持ってます。毎朝あれでコーヒー飲んでます。この前友達に見られて笑われましたけど」 「友達?まさか女の子じゃないだろうな」 朝のコーヒーを飲む瞬間に誰かが一緒にいるだなんて、穏やかじゃない。 「違います。大学の友達です。飲み会があって、遅くなったからうちに泊まっただけ」 「ふうん」 うっかりおかしなヤキモチを焼きそうになって、いかんいかんと思いとどまった。 大学生活を満喫している恋人に、余計な気遣いをさせたくはない。 けれど、察しのいい彼は、そんな俺の心中を見抜いたようで、甘えるように懐の中に潜り込んできた。 「ただの仲のいい友達ですから。だいたい、そうそう簡単に男に惚れたりすることってないと思うんだけど」 「そりゃそうか」 確かに彼の言う通りだとは分かっているものの、ノーマルだった自分だって気づいたら恋に落ちていたのだから、この世の中何があるかは分からない。 そう思うと、もっともっと離れられないようにしてしまいたいと思ってしまう。 何しろこっちはもう離れられないくらいには彼に惚れきってしまっているのだ。 「玲二」 抱き寄せると、素直に身を任せてくれる。嫌がることなく、逃げる素振りも見せない。 ここまで信頼してくれるまで3年かかった。そう思うとなかなか感慨深いものがある。 「そういや、初デートのあと、ここにきた時のことは覚えてる?」 「・・・・」 忘れてるはずはないだろう。なのに黙る彼を少しばかりいじめたくなって先を続けた。 「あの時、怖いって泣かれて最後までできなかった」 「実際怖かったんだからしょうがないだろ」 少しむっとしたように彼が唇を尖らせる。夜目でも頬が赤くなっているのが分かる。 いつまでたってもこういう冗談に慣れないところが可愛いなと思う。 「まぁそれはいいんだ。初めてだったんだし、気持ちもわかる。だけど、きみ、二回目の時のことは覚えてる?」 「・・・・」 冬休みになって、実家に戻ってきた玲二と二度目のデートをした。 少し遅れたクリスマスを楽しみ、当然一晩泊まることになり、そういう雰囲気になった。 お互い今度会ったらちゃんとしたいと思っていたから、途中までは滞りなくコトは進んだのだけれど・・・ 「今度は、痛いって泣かれて最後までできなかった」 思い出すと笑ってしまう。 「ほんのちょっと入れただけで・・」 「入れたとか言うなっ」 ばしんと胸を叩かれる。笑って、暴れる玲二をぎゅうっと抱きしめた。 あの時は、一度目だけならず二度目までも、とさすがにがっくりと肩を落としたのだ。 そのまましてしまうことだってできたのに、彼に泣かれると無理矢理なんてできるはずもなく、暴走しそうな気持ちと身体を何とか沈めたのだ。 「で、結局二度目もできなかったんだよなぁ」 「だってっ、ほんとに無理だって思ったから・・っ」 「それって男としては自信持っていいってことかい?それとも下手だったって責めてるのかい?」 「ただ痛かっただけです、深い意味なんてありません」 憮然として玲二が答える。 そりゃまぁ痛くないはずはないし、自分はする方だから少しくらい我慢しろとかいい加減なことを言える立場でもないし。 とはいえ、さすがに二度目のお預けはきつかった。 「よく考えてみると、俺はきみに焦らされてばかりいるよな。怖いって泣かれ、痛いって泣かれ、その都度お預け食らってるんだから」 本当によくもまぁここまで我慢強く待てたものだ。 自分でも感心してしまう。 「ようやく三度目の正直で最後までできたはいいけど、今度は長いって言って泣くんだもんな」 「・・・っ」 怖がらせないように、痛くないようにと、細心の注意を払いながら、ゆっくりゆっくりコトを進めていたら、時間をかけすぎたのか、 『もう、これ以上するのはやだ』 と言って涙目になるのだから、これは絶対にわざとに違いないと思った。 二度あることは三度あるということだろうが、三度目の正直ということもある。 とにかくその時は宥めすかして、ちゃんと思いを遂げた。 「玲二くんって、けっこうよく泣くよな」 「子供だって言いたいんですか?」 「いや、可愛いなってこと」 「・・・まさか二十歳を過ぎても可愛いだなんて言われるとは思いませんでした」 すぐに泣くのは感情が豊かで、自分に正直で嘘がつけないから。 同じくらいよく笑うし、怒ったり拗ねて見せたり。 付き合い始めの頃は見せなかった表情を、この3年間で見せるようになってきた。 それは俺には嘘をつかずに、ちゃんと本当の気持ちを見せてくれている証に他ならない。 そんな恋人が愛しくないわけがない。 よっこらしょと腕の中の恋人をもう一度身体の下へと組み敷くと、ぎょっとしたように玲二が目を見張った。 「あの・・・え、まさか・・・」 「もう一回したくなった」 首筋に顔を埋めると、玲二はぎゅーっと俺の肩を押し返そうと試みる。 「もうこんな時間なのに・・っ、大人しく寝てくださいっ」 「今度は眠いからって泣く?」 「泣かないけど・・っ」 さっきまでの熱がまだうっすらと残っている肌の匂いにくらくらする。 いい年してまったくどうかしてると思うけれど、そばにいるだけで、何度でも欲しくなってしまう。 ここまで骨抜きにされるだなんて、あの頃は思ってもみなかった。 「今度泣くなら、気持ちいいって泣いて欲しいんだけどな」 「エロ親父みたいなこと言わないでくださいっ」 心底嫌そうに玲二が文句を言う。 「好きだよ、玲二」 「・・・・そう言えば何でも許されると思ってるんじゃないでしょうね」 「思ってないよ」 「どうだか」 可愛くないことを言って、けれど諦めたように身体の力を抜くと、押し返そうとしていた腕をするりと首筋に回してくれる。 「手加減してくれないと泣きますよ」 「はいはい」 お任せください、とちゅっと唇にキスをすると、ふんわりと彼が微笑んだ。 「孟さん」 3年の間に他人行儀に苗字で呼んでいたのが、恋人らしく名前で呼んでくれるようになった。 それでも「さん」付けは変わらない。 どこまでも生真面目なところがやっぱり好ましい。 それでも、少しづつ少しづつ、気持ちも身体も近づいているのだと思える。 こんな風に二度目をねだっても、嫌がることなく受け入れてくれるのだから。 「孟さん、好きです」 年下の恋人は、たった一言で簡単に俺のことを幸せにしてくれる。 こんな時、彼に甘やかされているような気がして、少しばかり悔しいような、けれどたまらない幸福感で満たされるのだ。 |