恋をしたい人


第一印象・・というか、第一聴象は「見かけによらず男っぽいな」というものだった。
それで興味を持った。葉山託生という人間に。
それから何度か彼のバイオリンを聴く機会があって、毎回いい意味で期待を裏切られた。
葉山は音楽をする人間特有の前へ出ようとする気迫みたいなものが薄くて、どちらかというと目立ちたくないという空気がありありと感じられた。
自分の音を認めてもらうために皆が必死になっている中で、葉山が一人淡々と自分の音を奏でているのにも興味が引かれた。
その音は自己主張を全面に出している他の誰の音よりも耳に残り、不思議とまた聴きたいと思わせるもので、面白いと思い、もっとどんな音を出すのか知りたくなった。
ただそれだけで、友達になろうとか考えたことはなかった。
それなのに、いつの間にか周囲からは親しい友人だと思われている節がある。
「城縞くん、ここのところだけど、ぼくはもうちょっと強くした方がいいと思うんだけど、どうかな」
「え?」
「え?」
ぼんやりしていたようで、葉山の言葉を聞き逃してしまっていた。
葉山は気を悪くした様子もなく、にこっと笑うと、譜面を指さした。
「ここなんだけど、もうちょっと強くしたいなって思って」
「ああ・・・うん、じゃあやってみようか」
しまった。ぼくとしたことがうっかりしていた。
息を一つ吐いて、鍵盤に指を置く。
葉山が出す音はやっぱり耳に心地いい。さっきよりも強い音でバイオリンとピアノの音が絡み合うとそれだけで、もっともっとと気持ちが昂る。
今まで誰と音を合わせてもこんな風にはならなかったのに、葉山の音が今まで知らなかった何かを呼び起こす。
何が違うのだろうか。
葉山よりもテクニックがあって、上手なヤツはたくさんいるというのに。
そのあともお互いにどこをどうすればより良い演奏になるかを議論しつつ、気づいたらもう終了時刻になっていた。
「城縞くん、良かったら学食でお茶していかない?このあとはもうフリーだよね?」
バイオリンを丁寧にケースへと納め、葉山がそう言った。
別段予定もなかったので、いいよと返して肩を並べてレッスン室から少し離れた場所にある学食へと向かった。
「やっぱりあの曲だと難しいかな」
葉山がうーんと唸る。
「難しいって?葉山くんはちゃんと弾けてると思うけど?」
「あ、ううん、弾くのが難しいってことじゃなくて、今回聴いてくれる人たちってそんなにクラシックに馴染んだ人じゃないと思うし、だとしたら、もうちょっと聴きなれた曲の方がいいかなって思って」
「ああ、なるほど」
今月末にある3日間の市民文化祭で、チャリティリサイタルとして市民ホールで演奏をすることになっていた。
毎年大学からは数人が参加をしていて、今年はぼくと葉山とで2曲、その他にも弦楽四重奏組が2曲、ソロのピアノ演奏が2人参加することになっている。
聴きにくるのは音楽に精通している人ばかりではないし、子供も多いので、葉山の言う通り、退屈しない曲の方がいいかもしれない。
正直なところ、耳の肥えた聴衆ではないので、必死になって練習しなくともそれなりに演奏すれば拍手は貰えるだろうと適当に練習をしている連中もいるのだけれど、葉山はそんなことはこれっぽっちも考えていなくて、ここのところずっと空いた時間を見つけては練習をしている。
「城縞くんは、何か弾きたい曲はある?」
「あー、今回メインはバイオリンだから葉山くんに合わせるけど」
「うーん、あんまり時間もないからそこそこ仕上がってる曲がいいよね。でも市民文化祭ってことは小さい子供も聴きにくるだろうから、そうなるとやっぱり有名どころの・・・いっそアニメとか映画音楽とかでもいいかも・・・やったことないけど、どうだろう?」
普段、アニメや映画音楽とは無縁な生活をしているので、それがどんなものかの想像がつかない。
申し訳ないが、今回は葉山に丸投げするしかなさそうだ。
「明日のレッスンまでに、ちょっと候補を探してくるよ」
「わかった」
学食はほどほどに混んでいたけれど、空いた席を見つけて、コーヒーをトレイに乗せて席についた。
そういえばここで会ったんだったな、と思い出した。
例の葉山の恋人だ。
葉山は気づいていないようだったけれど、彼が学食に入った時から、周囲の空気が一変した。女子は全員彼の容姿に目を奪われていたし、男子は容姿ではなく彼が持つオーラに圧倒されていた。
芸能人が現れたらきっと同じような反応をするんだろう。いや、見たことはないけど。
もしかしたら芸能人よりも質が悪いかもしれない。芸能人なら少しは人目を気にするだろうが、彼は周囲からの好奇な視線などまったく気にした様子もなく、真っすぐに葉山のところへやってきた。
あまりにあからさまだから気づいてしまった。
ああ、こいつが葉山の恋人かと。葉山のことが好きなんだという気持ちがダダ洩れだったからだ。
それが単に友人としての好きではなく、もっと深い感情なんだということも、何故だか分かってしまった。
あの時、待ち合わせしているのは恋人だと葉山も言ったし(正しくは否定しなかっただけだが)、いったいどんな彼女が現れるのかと、らしくもなく興味津々で待っていたら、まさかあんな男が現れようとは。
あまりにも二人が違いすぎて、最初は上手く理解ができなかった。
葉山はごくごく普通の音大生で、特に目立つ容姿をしているわけでもなく、過激な性格をしているわけでもない。
一方の彼の方は、たぶん黙っていても周りが放っておかないタイプの人間だ。
ちょっと人間離れした容姿をしていて、たぶん頭もいい。裕福な家庭で育った者特有の空気を身に纏っていて、誰もが羨ましがる存在だろうが、その反面嫌悪感を抱く者もいるだろう。
何にしろ平々凡々な生き方はできないだろうなというタイプだ。
いったいどうしてこの二人が、と思わないわけにはいかなかった。
「葉山くんって遠距離恋愛してるんだっけ?彼氏、今はどこにいるの?」
「えっ!」
あまりにも唐突すぎたのか、葉山は大きく目を見開いて固まった。
「いや、ごめん、そんなに驚くとは思わなくて」
「あ、ううん。城縞くんがそういうこと言うとは思わなかったから、ちょっと驚いただけ」
「そう?」
そうなのだろうか。確かに他人の恋路に興味なんてない。誰と誰が付き合っていようが、別れようが、自分には関係ないことだ。
だからいつもならこんなこと、聞いたりはしないのだ。
だけど、どういうわけか気になって仕方なかった。
「あの、城縞くん・・・びっくりした、よね?その・・ギイとのこと」
葉山がちょっと躊躇いがちに小さくつぶやいた。
驚いたかと問われれば、まぁ少しはというところだろうか。
それは別に男同志だからというよりも、葉山と彼が上手く結びつかなかったからだ。
「彼・・・崎くんだっけ?」
「うん」
「すごく・・キラキラした人だったね」
その一言に、葉山がぷっと吹き出した。
「うん、それ、すごく分かるよ」
「単なる興味本位で申し訳ないけど、ちょっと聞いてもいいかな?」
「なに?」
「いったいどこでああいう人と知り合うんだろう」
それは素朴な疑問だった。どう考えても二人に接点がありそうにない。
「ああ、高校が同じだったんだよ。2年の時、同じクラスで同じ寮の部屋で、それから、かな」
「なるほど。ちょっとお目にかかれないくらいの男前だったからびっくりしたよ」
「だよね」
「もう見慣れた?」
葉山はうーんと考えると、どうかなぁと首を傾げた。
「慣れた、といえばそうだけど、でもやっぱり慣れないのかな、時々はっとすることがあるんだよね。今は毎日会えるわけでもないから、久しぶりに顔を見るとどきっとする時がある」
おかしいよね、と葉山が笑う。
美人は3日で慣れるというが、そういうものでもないというところだろうか。
「彼は今どこにいるんだい?」
「基本的にはニューヨーク。だけど何かいろいろあっちこっち飛び回ってる感じかな」
それはまたずいぶんと遠いところにいるんだな。
あ、そういえばハーフっぽい顔してたから、外国人なのか?
「彼のどういうところが良かったの?」
「城縞くんがそういうこと知りたがるって意外だな」
葉山が目を丸くしてぼくを見返した。
「ごめん、言いたくないなら別にいい」
「そんなことないよ。もしかして城縞くんも誰かと恋愛してみようかなって気持ちになったとか?」
どうだろうか。今までそんなことを考えたことはなかった。小さい頃からピアノを弾くことが楽しくて、それ以外のことには興味が向かなかった。
今だって、誰かと深く関りを持つことは面倒だと思うし、そんなことに時間を費やすくらいなら、一時間でも長くピアノを弾いていたいと思う。
そうだ、今こうやって葉山とのんびりお茶をしていることだって、時間の無駄なはずなのだ。葉山のバイオリンの伴奏を引き受けているから、もちろん一緒にいる時間は長くなるし、お互いの演奏をよく知るためにそれは必要なことだと分かっている。
でも、だからってこんな風に悠長にお茶なんて飲む必要もないのだ。

(おかしい。何だかいろいろおかしい)

人の恋路になんて興味はないはずなのに、あれこれ聞いたり、暇なわけでもないのにのんびりお茶なんて飲んだり。
それが別に嫌だと思っていなかったり。何なんだ、これは。
「城縞くん?」
「ああ、ごめん。葉山くんが付き合う相手としては、ちょっと意外だったからさ。何ていうか、彼は派手な感じだったし、何の苦労もなくここまできたっていうタイプに見えたから、葉山くんとは真逆ぽいなって思って。彼のどういうところがいいと思ったのかなって、単純な好奇心」
葉山は少し黙り込んだあと、静かに言った。
「確かにギイは見た目はキラキラしてて、何の苦労もなさそうに見えるかもしれないけど、だけどぼくたちと同じようにいろんな壁にぶつかってるし、その都度いっぱい努力もしてる人だよ。そういうの見せないけどね。高校生の頃からギイは何でもできちゃう人だったけど、同じ年の普通の人だよ。弱かったり、ずるかったり、我儘だったり。ぼくと何も変わらない。だから一緒にいられるんだと思う。同じ目線でこれからもいろんなものを見ることができると思うから一緒にいて楽しいって思えるし、一緒にいたいって思うんだと思う。城縞くんの言う通りぼくとギイにはあまり共通点はないって思ってたんだけど、最近はもしかしたら似てる部分があるのかもしれないなって思ったりもするんだ」
葉山の言葉は理解できるようでいて、難しかった。
誰が知らなくても自分だけはその人のことを理解している、ということだとしたら、果たしてそれは正しいことなのだろうか。
自分以外の誰かのことを、そんな風に正しく理解できることができるとは思えないし、それはただの思い込みにしか過ぎないんじゃないだろうか。
他人が何を考えているかなんて分かるものではない。
それとも、そんな風にしか思えない自分に問題があるのだろうか。
「やっぱり僕には恋愛は無理かもしれないな」
「え、どうして?」
「自分以外の誰かをそんな風に理解することはできないだろうから」
言葉にしてしまうとずいぶん寂しいものだな、と思わないでもないけれど、だからといって自分で何とかできるものでもない。
「だけど城縞くん」
葉山はちょっと遠慮がちに言った。
「ぼくだってギイのことを全部理解できているわけじゃないよ。そんなの絶対に無理だって思ってる。ギイだってぼくのことをすべて理解してるわけじゃない。だけど、知りたいと思うんだ。彼が何を考えているのか、どんなものを抱えていて、困った時や辛い時に、ぼくが彼に何をしてあげられるのか。これからもいろんな問題が起きるとは思うけど、そんな時に、どうすれば一緒にいられるのか、ちゃんと考えて知りたいって思うんだよ」
「・・・」
「好きな人って、すべてを理解してる人じゃなくて、理解したいって思える相手ってことでいいんじゃないかな。全部知っちゃったらきっとつまんないよ」
そう言って笑う葉山がやけに遠く感じた。
だけど、その時ふいに思った。
ああ、葉山のことはもっと知りたいなと。
何があってそんな風に考えるようになったのか、どうしてあの自分とは真逆に思える相手を好きになったのか、今までどういう出来事を経て、今何を考えているのか。
「知りたい・・・か」
知りたい、と何かに心を揺さぶられるなんて、初めてピアノを弾いた時以来かもしれない。
ピアノ以外のことに興味が持てなくて、それでいいと思っていた。
それなのに、ピアノ以外の何かを知りたいと思う日が来るなんて。
これは、良いことなのか悪いことなのか。
「知りたいこと」イコール「好き」だなんて単純なものではないと分かっているから、別に葉山に対して何かが変わったわけではない。
葉山に対する気持ちが恋心なのかどうかさえも分からない。
ただ以前とは違う何かが胸の奥に少しづつ層を作っていき、ますます自分の気持ちが分からなくなっていくような感じがして、それをどうすればいいか持て余していた。
とりあえず文化祭を終わらせてしまおう。
あれこれ考えて失敗するなんてあり得ない話だ。
とりあえずやるべきことをやってから考えよう。そう決めた。
何だか喉の奥に小骨が刺さったような感覚のまま、市民文化祭の日を迎えることになった。
割と盛大な文化祭で、市民講座の発表会やバザーがあったり、落語家を招いたり、3日間はあちこちで催し物が開催され市外からも人がやってくるほどの盛況ぶりだ。
音楽祭は二日目だった。
朝から軽く音を合わせ、午後からの演奏の前に軽く何か食べておこうと思い、近くのカフェへ行くことにした。
そこのサンドイッチが絶品で、そう言えば葉山も好きだと言っていたなと思い出した。
「・・・」
別に葉山を好きになったわけじゃない。
人を好きになるということがどういうことかをあれこれ考えている最中だから、うっかり思い出してしまうだけだ。
誘ってみようかなと思ったが、見渡したところにいなかったので、たぶん準備で忙しくしているんだろうと思い、一人で行くことにした。
お目当てのカフェの扉を開けると、想定外に満席になっていた。
どうやら文化祭に来た客たちが流れてきているようで、いつもなら待つことなく座れるのでびっくりしてしまった。
「すみません、今満席なんです」
バイトのウェイトレスが申し訳なさそうに頭を下げる。
待つほどの時間もないので、別の店に行くかと思ったとき、トイレから出てきた客があれ、と声を上げた。
「城縞くん?」
「・・・・あ」
そこには葉山のキラキラした彼氏が立っていた。
本当によく出来た容姿をしているな、と間近で見て改めてそう思った。店内の女の子たちがちらちらとこっちを見ている。
そりゃあ目立つだろうと思う。背が高くて手足が長い。バランスのいいスタイルにセンスのいい服装。
まったく隙がなくて、いっそ嫌味にさえ見える。
「城縞くん一人?これからランチ?良かったら一緒にどう?」
小さな店なので満席だということはすぐに分かったのだろう。たった一度、ちらりとしか挨拶していない相手だというのに、気軽に誘ってくれる。
「午後から託生と演奏するんだろ?これから別の店を探すのもあまり時間もないだろうし、良かったら一緒にどうぞ」
どうしようかと一瞬迷ったが、葉山の彼氏がどういう人物なのかを知るいい機会かもしれないと思い、ありがたく同席させてもらうことにした。
お薦めのサンドイッチのランチセットを注文して、改めて向かいあった。
ほぼ見知らぬ人間とランチを一緒にしようだなんて、今まで考えたこともなかったというのに、やっぱり葉山が絡むといろいろと調子が狂ってしまうようだ。
「城縞くん、いつも託生の伴奏してるんだよね」
「いつもってことではないけど、まぁ最近は多いかな」
「託生がいつも城縞くんのピアノはすごいって絶賛してるから、今日は演奏を楽しみにしてるんだよ」
「もしかして、今日の文化祭のためにわざわざ?」
まさかそんな。確かニューヨークだとか言っていなかったか?
ちょっと引き気味に確認すると、そうだけど、とあっさりとうなづかれた。
いやいや、大舞台での演奏でもあるまいし、どちかと言えば小規模な市民文化祭の舞台でちょっと弾くくらいなのに、わざわざアメリカからやってきたって?
何なんだ、それは?
ぼくがよほど訝し気な顔をしていたのか、崎は少し首を傾げた。
「え、そんなにおかしいことかな」
「えーっと、確かニューヨークだったかな、と」
「そう。でも2か月に1回は日本に来てるから、今回は今回の演奏会に合わせただけ」
「・・・学生だよね?」
念のため確認してみる。
葉山と高校が一緒だったはずだから、同い年だと思っていたのだが違うのだろうか。
「まぁ勤労学生みたいな感じかなぁ、単純に学生だとしたら2か月に1回日本に来るなんて金銭的に難しいだろうから、そういう意味ではあれこれやらされるのも無駄じゃないってことなのか・・・なるほど」
うんうん、とわけの分からないことを言って、崎はうなづき、それからずいっと身を乗り出してぼくを見た。
「城縞くんは託生と一緒に演奏しててどう?ずいぶんと託生の演奏を気に入ってくれてるみたいだけど」
「ああ、弾きやすいよ。もうちょっと自己主張してもいいとは思うけど」
「それな、佐智もたまに言うんだよな。でもある意味託生らしいといえば託生らしい」
崎は苦笑して先に運ばれてきたコーヒーを口にした。
佐智って誰だ。どこかで聞いた名前だな。
「そういう崎くんは何か楽器はするのかい?」
「オレ?いやぜんぜん。聞く専門。託生からは『あんまり人前で歌わない方がいいかも』って言われた」
「・・・音痴ってこと?」
「そんなつもりはないんだけどな」
おかしい、と首を捻る様子に思わず笑ってしまった。
一見すると冷たく見えてしまうほどに整った顔立ちをしているので、少し身構えていたのだけれど、どうやら見た目よりもずっと気さくな男のようだ。
お互いのサンドイッチが運ばれてくるまで、当たり障りのない世間話を続けた。
少し話しただけで、彼は相当頭もいいし、社交性もあることが分かった。
たぶん、何でも持っていて、何でもできて、誰からも羨ましがられる
人生を過ごしてきたんだろう。葉山が言うように、もちろん彼にも悩みや苦労はあるだろうが、それさえもバネにして前へと進むタイプだ。
知れば知るほど、どうして彼が葉山を選んだのか謎が深まる。
いや、もちろん葉山がいいヤツだということは十分わかっている。だけど。
「葉山くんとは高校の時からの付き合いだって聞いたけど」
「託生、そんなことまで話したのか、へぇ・・」
崎は少し考えるような表情を見せた。
「そう。高校の時、同じクラスで同じ寮の部屋だったんだ」
「みたいだね」
「・・・城縞くん、もしかして託生からオレのこといろいろと詳しく聞いてるとか?」
どこか牽制するような口調で言うものだから驚いた。
もしかして葉山との仲を気にしているのだろうか。葉山と親しくしている友人というだけなのに?
それとも、ぼくが葉山に少しばかり興味を持ち始めていることに気づいたとか?
だとしたら、ランチに誘ったのは敵情視察というところなのだろうか。
面白い。
第一印象とか、葉山からの話からの崎のイメージがどんどん離れていく。
何だかとっても面白い。
「なに?」
無意識に顔がにやけていたようで、崎が訝し気に眉を寄せた。
そんな表情ですらやっぱり男前で、確かに一緒にいると目の保養にはなるなと思った。
もっとも、葉山はそんなことで彼と一緒にいるわけでもないのだろうけど。
「崎くんて、もっとクールな人かと思ってたけど、実はそうでもないんだな、と思って」
「お、情熱家だって気づいた?」
「情熱家!そんな言葉、本でしか見たことないな、口にして言う人を初めて見たよ」
思わず笑うと、崎も確かにと笑う。
「崎くんはもしかしたら葉山くんにべた惚れで、すごくヤキモチ焼きなのかな。葉山って、割とマイペースだからそういうの気づかなさそうだけど」
「まったくその通り。託生はヤキモチ焼くタイプでもないしなぁ。まぁありがたいといえばそうだけど、でもたまにはヤキモチ焼いてくれてもいいんじゃないかって思うんだよな」
「ヤキモチ焼かないのは、崎くんのことを信用してるからじゃないのかな」
遠距離恋愛なんて思うより簡単なものじゃないだろう。ましてや相手は同性で、おまけに崎はやたらとモテることは想像に難くない。
なのにヤキモチを焼いたりしないということは、それはきっと崎のことを信じているからに他ならない。
普通なら喜びそうな言葉だったはずなのに、崎は何だか複雑そうな表情を見せ、それからちょっと困ったように小さく笑った。
「城縞くんてけっこう謎だな」
「え?」
謎??とは??
その意味が分からず黙っていると、アは細長い指先で唇をなぞった。
「もしかしたら託生のこと、好きになったんじゃないかって思ってたんだけど、そうじゃなかったのかな」
「・・・」
探るような視線に、どう答えたものかと考えた。
そもそもどうしてそんなことを直接聞いたりするのかも分からない。普通は聞かないんじゃないか?
やっぱり牽制なのだろうか。それとも宣戦布告?
どう考えても葉山が崎のことを好きなのは揺るがしようがないと思うのに、それでもやっぱり不安になるものなのだろうか。
やっぱり面白い。
誰かを好きになるということは、普通じゃ考えられないような思考に偏ってしまうものなのか。
恋愛というのは、やはり通常ではあり得ないことが起きるらしい。
「葉山くんのことは好きだよ」
友人として、と言いかけて、やっぱりやめた。
嘘ではないけれど、100%それだけだと言うのも何かが違うような気がしたからだ。
もちろん、この目の前の男と葉山を奪いあうつもりはないし、勝てるとも思わない。
だけどそう言って、簡単に安心させてやるのも何だか面白くなかった。
ぼくの言葉に崎はそれほど驚いた顔は見せなかったけれど、
「だけど、託生はやらないよ、絶対に」
と、さらりと言った。
まさかこんな風に断言されるなんて予想外で、やっぱり面白いと思った。
どう考えても葉山が心変わりをするとは思えないのに、それでもやっぱり不安になるものなのか。
「好きになるな、とは言わないんだ?」
「それはやめろと言ってやめられるものでもないし、喜ばしいことではないけど、どうしようもないだろ」
「まぁね」
「でもまぁウェルカムなことでもないので、こうして釘を刺してるわけだけど」
「ああ、やっぱりそうなんだ」
あっさりと白状した崎に笑ってしまった。
プライドが高くて、そういうことを口にはしなさそうなのに、人は見かけによらないものだ。
だけど、そういうことをちゃんと口にするところは好感が持てた。
葉山のこと、本気で好きなんだなと知れる。
男同志だからといって下手に隠そうとする様子もないし、
葉山は大切にされているんだなと思うと、良かったなと思う反面、何だか悔しいような気持ちにもなる。
「別にぼくに釘なんて刺さなくても、葉山くんは浮気なんてしないと思うけどな」
「もちろん。だけど、何しろ遠距離なものでね。目の届かないところでちょっかい出されたら手も足も出ない」
「まぁ葉山くんは密かにモテてたりするしね」
「・・・初耳だけど」
「そう?」
めちゃくちゃ嫌そうな顔をす崎にまた笑いが込み上げる。
何だか葉山よりも彼氏の方がずっと可愛いんじゃないかとさえ思えてきた。
葉山がモテるというのは嘘じゃない。
性格も穏やかで優しいし、癒し系だと女子たちの間では人気がある。
たぶん、ちょっと人を見る目のある人間なら、葉山が彼氏としてはお買い得だと気づくだろう。
一緒にいて楽だと思うのは何もぼくだけじゃないのだ。
崎はうーんと考えるように腕を組んだ。
「うーん、ますます困ったな」
「モテる彼氏を持つと大変だな」
だけど、葉山は少しばかり距離が離れているくらいで、心変わりをするようなヤツではない。
「城縞くんは?オレに釘刺されてどう?」
「どう・・って言われても。別に・・・。崎くんはぼくが葉山くんに気があるんじゃないかと心配しているみたいだけど、確かに気になる存在ではあるけど、正直なところ、どうして気になるのかまだ分からないし。好きだというのともちょっと違うようにも思うし・・ってまぁ今まで誰かのことを好きになったことがないから、よく分からないな」
「それ、一番まずいパターンじゃないか」
「?」
崎はやれやれというように肩をすくめる。
「崎くんから葉山くんを奪おうとかそんなことは考えてないし」
「は?当たり前だろ!」
「いや、でももし本気で好きになったら分からないな。遠距離の彼氏よりは身近な相手の方が頼れるものじゃないかとも思うし」
「いやいや、そこは深堀りしなくていいから」
この先宣戦布告することになるのか、それとも何事もなく二人の関係を見守るだけに終わるのか。
未来のことなんて誰にも分かりはしないから、とりあえず何かを明言するのはやめておこう。
カフェには次々と客がやってきていたので、サンドイッチを食べ終えると早々に席を立った。
店を出てからも、崎は何だかぶつぶつと言っていた。
「何だかなぁ、もうちょっとしっかりと牽制するつもりでいたのになぁ」
「してたじゃないか」
ぼくが言うと、崎はニヤリと笑った。
「いやいや。本気で牽制するならこんなもんじゃないから。
だけど城縞くんが思いの外面白いヤツだったから、何だかちょっと拍子抜けしたというか、安心したというか」
「安心・・・」
そうそう簡単に安心されても困る。
葉山のことを好きになる可能性だって・・・あるのか?
「なぁ」
「うん?」
「葉山くんのどういうところを好きなったんだい?」
先日、葉山にしたのと同じ問いかけをしてみた。
崎はじっとぼくを見つめたあと、子供っぽい笑みを見せた。ほっそりとした人差し指を口元へと運び、ぱちんとひとつウィンクする。
「秘密」
いたずっらぽい表情も、普通なら眉を顰めてしまうであろう気障な仕草も、崎だと不思議と嫌味にならない。
本当に何から何まで恵まれた男だなと思う。
けれど、ほんの僅かな時間を一緒に過ごしただけでも、彼が悪い人間ではないことはよく分かった。
葉山はなかなかに人を見る目があるようだ。
「秘密とはケチくさいな」
「オレが託生のどこを好きになったかは、オレだけが知ってればいいからさ。他の誰かにはきっと分からないし、分からなくていいんだ。だから秘密」
まるで大切な宝物のことを口にするかのような崎の穏やかな口ぶりに、誰かを好きになるというのはこういうことなのかと思った。
葉山は好きになった相手のことを知りたいのだと言った。理解したいと思えることが、好きだということだと言っていた。
だが崎の方がもっとシンプルだ。
自分にとってその人が大切で、そこに言葉にできるような理由はないのだろう。
あれこれ理屈をつけるより、そっちの方が分かりやすい気もする。
思いもかけずのんびりと食事をしてしまったせいで、開始時間まであとわずかとなっていった。
崎と二人、かなりの駆け足で会場へと向かう。控室前の廊下で、託生がそわそわ周囲を見渡しているのが見えた。
ぼくたちの姿を見つけると、ほっとしたように駆け寄ってくる。
「城縞くん!」
「悪い、少しのんびりしすぎてた」
「ギイ、一緒だったの??」
葉山は崎とぼくとを交互に見て、何とも言えない表情をしてみせた。
「偶然店で一緒になってさ。託生に教えてもらったあの店のサンドイッチ美味かった」
「それは良かった。って、何だよ、二人ともずいぶん仲良くなっちゃって、ずるいよ、ぼくもサンドイッチ食べたかった」
葉山が子供みたいな我儘を言うのは初めて見た。
いつも聞き分け良くて、我を通すことをしようとしない葉山しか知らないからちょっと驚いた。
もしかしたらこういう葉山が本当の葉山なのだろうか。
「じゃあまたあとで行こうぜ。あれならもう一度食べられる」
崎がうんうんとうなづく。
「相変わらずの食欲魔人だね。だけど意外だったな、ギイと城縞くんが一緒だなんて思いもしなかったよ」
「偶然にね」
「そっか。ギイ、城縞くんともっと話したいって言ってたもんね」
葉山の一言に、えっと崎を振り返る。
それはどういうことだ。
葉山に対しておかしな横恋慕をしているんじゃないかと疑っていたから、直接話をしたかったということか?
崎は余計なことを言うなというように葉山を軽く睨むと、困ったようにぼくを見た。
「託生からいろいろ話を聞いてたからさ、ちょっと興味があったのは本当」
「牽制じゃなくて?」
「牽制?」
ぼくの問いかけに、葉山が同じ言葉で聞き返す。
崎はそうじゃなくて、と苦笑する。
「いや、まぁそれも半分くらいはあるけど、どちらかというと、純粋な興味。オレ、職人肌の人間に弱いからさ」
「職人?」
「そう、ピアノ職人?」
何だそれは。
「別にピアノを作ってるわけじゃないんだけどな」
「うん、でも何かに一筋に頑張ってる人って職人ぽいだろ。別に何かを作っていなくてもさ。いや、ある意味音楽を作ってるとも言えるけど」
崎はどう見ても職人タイプではなさそうだ。葉山は職人ぽいかも。そんな風に自分とは違うタイプだから好きになったのだろうか。自分だけが知っていればいいという葉山の好きなところって何だろう。
やっぱり気になる。
別に深い意味はなく、純粋に知りたいと思うだけだ。
「とにかく城縞くん。もうあんまり時間もないから、準備を急ごう。そうだ、終わってから3人でお茶でもしようよ。あ、もし時間があるような一緒に夕食はどうかな。ギイもいいよね」
「もちろん」
「じゃあ行ってくるから」
「客席で見てる、がんばれ」
「うん」
短い言葉のやり取りにも、二人の間には入り込めない絆を感じた。
高校時代からの付き合いなら、もう5年以上?長いのか短いのか。だけど、関係が落ち着くには十分な時間のように思う。
割り込むつもりなんてないし、そんなこともできないだろうから、それは喜ばしいことなんだろう。
「なぁ葉山」
「なに?」
このあとの演奏のことで頭がいっぱいらしい葉山は半分上の空で聞いているのがありありとしていた。
「ちょっと興味が出てきたよ」
「興味って?え、なに、もしかしてギイに??」
びっくりしたように葉山が足を止めてぼくをまじまじと見返す。
びっくりするのはこっちの方だ。
唖然として葉山を凝視した。
何でそんな突拍子もないことを思いつくんだ。さすが葉山というところか。
「いや、それはないから安心していいよ」
「あ、そうなんだ、よかった」
「モテる彼氏を持つと大変だな」
「そんなことはないけど・・って、あ、ギイは確かにモテるけど、そういう意味じゃなくて。ああ、そんなことより、もう15分後には出番なんだけど!」
ばたばたと葉山はバイオリン片手に舞台裏へとかけていく。
その後ろ姿に思わず笑みが漏れた。
誰かと恋愛するなんて正直まだよく分からないし、どうしてもしたいか?と言われると、今はピアノに集中したいからどっちでもいいかなというのが正直なところだ。
葉山のことは好きだし、もしかしたらこの先、友人以上の気持ちになったりすることもあるかもしれないけれど、葉山は崎から誰かに心変わりするとは思えないし、崎の本気の牽制も怖いものがあるし、そもそも幸せな恋人たちの間に割り込むほど野暮なことはない。
ただ少しだけ、誰かのことを・・葉山みたいにちょっとぼんやりした誰のことをもっと知りたいと思えるようになった時に、二人のことを参考にさせてもらうのもいいかもしれない。
いや、そもそも同性同士の恋愛を参考にする必要があるのだろうか?
「・・・まぁ人を好きになるということは同じか」
演奏が無事終わったら、二人と一緒に食事に行ってみよう。
とりあえずこの二人を見ていれば、誰かを好きになることがどういうことか、少しは分かるんじゃないかと思う。
もしかしたらまた崎から牽制されるかもしれないけれど、それもまたちょっと楽しいような気がする。


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あとがき

いただいたお題は「「恋する人」でお礼の豆話にギイサイドのお話がありましたが、城縞くんサイドのお話も読みたいです。」というものでした。城縞くん、まだよく分からん人です(笑)
ギイはがっつり牽制するよりも「仲良くなった方がいい牽制になる」て思ってるんだと思います。プチ黒ギイ(笑)