Love or Lust


※今回R18描写あります。
※ギイ託にエロは不要という人はご遠慮ください。






  ****

いつも無邪気な笑顔を見せるから、どうにもならない衝動や欲望を抱くことなんてないんじゃないかと思う時がある。
けれど、口づければちゃんと応えてくれる。
抱きしめれば同じだけの強さで抱きしめてくれる。
彼はちゃんと肌を重ねることの快楽を知っているし、それを求めて甘い声でオレを誘うことだってある。
何も知らない子供じゃないことくらい百も承知なのに、それなのに、いつまでたってもオレの中には無垢で純粋なイメージしかなくて、彼に触れるたび、自分がいけないことをしているような気分になった。
そんなことを言えば、彼はきっと呆れるだろう。
今さら何を、と笑うかもしれない。
お互いのキモチイイことがどういうことか、もう何度も確かめ合っているというのに、まだオレの知らない顔があるような気がして、時々欲望の赴くままにめちゃくちゃくに彼を抱いてしまいたいと思うことがある。
泣くまで追い詰めて、オレを求める言葉を吐かせたいと思う。

そんなことをもし彼に告げたら、彼はいったいどんな顔をするのだろう。


  ****


開け放たれた窓から吹き込む風が頬を撫で、その冷たさに、自分の身体が火照っていることに気がついた。
ほんの一瞬、意識が逸れたぼくに気づいて、ギイは重ねていた唇を離した。
けれどまたすぐに深く口づけてくる。
「んっ・・・」
簡単に舌を絡められ探られる。
咥内を好き勝手に貪られ、巧みな動きに応えるだけで精一杯だった。
逃れようとすることを許さずに、ギイは背中に回した腕に力を入れてさらにぼくを引き寄せた。
息苦しくて、意識が遠のきそうになる。
章三がこっそりと教えてくれた秘密の屋根裏部屋でギイと会うのは、これで三度目だった。
3年になってからはただの友達のふりしかできなくて、言葉を交わすこともほとんどなく、それが1年のチェック組対策で、ちゃんとお互いの気持ちは通じ合っていると分かっていても、やはり寂しいことには変わりなくて。
だから放課後の短い時間、こうして2人きりで会って、他愛もない話をするだけでも、ぼくの気持ちは落ち着いた。
ほんの少し口づけてもらえれば、それだけで安心することができた。
けれど、そんなのは自分を誤魔化しているだけだと、今日思い知らされた。
屋根裏部屋に少し遅れてやってきたギイは、
「今日は時間がないんだ」
と言うなり、ぼくのことを抱きしめた。
あんまり強く抱きしめるものだから、何かあったのだろうかと心配になるくらいだった。
ギイはそのままぼくの耳元にキスをすると、深く息を吐き出した。
「・・・まずいな」
「何が?」
「時間ないっていうのに、さ」
言うなり、ギイはぼくの身体を抱きすくめたまま、腰を下ろした。
「オレのこと癒して、託生」
「え?」
両手で頬を包まれて、ギイが唇を寄せてくる。目を閉じて最初は優しいだけの口づけを交わしていたのだけれど、やがてそれは深いものに変わっていった。
ベッドの中でしか交わすことのないような濃厚な口づけに、ぼくはたまらなくなってぎゅっとギイのシャツを掴んだ。

ほんの少し、その笑顔を見て、言葉が交わせればいいなんて嘘だ。

もうどれくらいギイに抱かれていないかと考えると、ふいに体の奥が熱くなった気がしてぼくはうろたえた。
「託生・・・」
ギイが小さく囁いて、ぼくの首筋を舌先で舐めた。
いつの間にかシャツの裾は引きずり出され、ギイの指先が器用にボタンを外していく。
どこか切羽詰ったように小さな口づけを繰り返すギイに、ぼくは縋り付くようにして両腕を回した。
滑り込んできた冷たい指先が素肌に触れる。
ゆっくりと撫で上げられて、それだけでどうにかなりそうな気がして怖くなった。
戸惑うぼくに気づいたのか、ギイは優しくぼくの背を撫でた。
「2週間・・・」
「え・・?」
「2週間、託生のこと抱いてない」
ギイの囁きに、ぼくはうんとうなづいた。
「最後まではしないから」
「・・・・」
「だから触らせて?」
託生のことちゃんと触りたい。
ギイの甘い声に、ぼくはゆるゆると首を振った。
「ダメ?託生」
「そう・・じゃなくて・・・っ」
今日は時間がないって言ったのはギイの方だ。
2週間触れ合っていないのはぼくだって同じで、だからこそこんな時間のない中で中途半端に触られたりしたら辛いだけだ。
ぼくだってずっとギイが欲しかったのだから。
最後まではしないって、時間がないのは分かるけど、だけどそれはあまりにも辛すぎる。
ギイは違うのだろうか?
「好きだよ。託生」
「やっ・・・」
ふいに敏感な部分に触れられて、息を呑んだ。
「だめだって、ギイ・・っ」
苦情はキスで封じられて、熱く昂ぶっている部分をゆるりと擦り上げられる。
ぼくはギイの肩を押し返そうとしたけれど、それを許さずにギイはなおも指を動かす。
「やだっ・・ギイっ・・」
「何で?したくなかった?」
「だから、そうじゃなくて・・・っ」
もし、ここがちゃんと鍵のかかったギイのゼロ番だったなら、ぼくは抵抗などすることなくギイのことを受け入れていただろう。
だけど・・・
「託生・・」
与えられる快感がじわりと背筋を這い上がる。
頭ではだめだと思っているのに、身体が勝手に反応してしまう。
これ以上拒むことなんてできないと思ったその時、ぴぴっと小さくギイの時計が鳴った。
弾かれたように、ギイが顔を上げた。
無言のまま互いに見詰め合って、やがて小さく息をつく。
「くそっ」
らしくない言葉を吐いて、ギイがぼくの身体を離した。
苛立たしげに二度、三度と軽く頭を振って、深呼吸をする。
タイムリミットを告げる時計をこの時ほど恨めしく思ったことはない。
ぼくは乱されたシャツを整えようとしたけれど、指が震えてどうにもならなかった。
ギイはそんなぼくに代わってシャツのボタンを留めると、くしゃりを髪をなでた。
「ごめんな、中途半端なことして」
「・・・ううん」
「明日も放課後は時間取れないし、夜も先約だらけでさ、しばらく託生に触れることができないんだなぁって思ったら我慢できなくて」
「・・・うん」
「近いうちに必ず時間作るから」
ギイが口先だけの約束なんてしないことは分かっているけれど、毎日忙しくしているギイだから、ぼくのために無理するなんてことはして欲しくなかった。
そう思う一方で、こんな風にしか会うことができないことを少しばかり寂しくも思う。
もちろんギイを責めるつもりなんてこれっぽっちもないけれど。
「立てるか?」
「うん、大丈夫だよ」
きちんと制服を整え、ぼくはギイを見上げた。ギイは微かに笑うと、ぼくの頬を軽く摘んでそっと唇を重ねた。先ほどとは違って欲情の感じられない優しいキス。
「じゃ、先に行くから」
「うん」
ギイはもうさっきまで抱き合っていたことなど忘れたかのような、いつものクールな表情を浮かべて部屋を出て行った。
階段を降りる足音が小さくなると、ぼくはため息をついた。
身体の奥深くで燻る熱を、どうすればやり過ごすことができるのか分からず、火照った頬に手をやった。


  ****


その時の授業は体育で、ぼくたちのクラスは体育館でのバスケットボールだった。
いくつかのグループに分かれての試合形式だったから、自分がコートに出ていない間は体育館の端で他のチームのプレイを応援するだけだった。
ぼくが座っていた場所からはグラウンドが見えた。
ちょうどギイたちのクラスも体育で、サッカーの試合をしていた。
たくさんの人がいても、ギイのことはすぐに見つけられる。
周りから頭一つは背が高いことと、薄茶の髪が目立っているからだ。
すらりとした体躯や長い手足。
思わず見惚れてしまうほどの綺麗に整った容姿。
一度視界に入ると目が離せなくなってしまう。
味方へと指示を出して、自分もまた見事なフットワークでボールを操る。
試合に参戦していないクラスメイトからの声援に応えて、あっという間に敵をかわしてゴールを決める。
満面の笑顔で片手を上げて、仲間たちとハイタッチをする。
そこにいるのはごくごく普通の高校生の姿だ。
何やらせても格好いいなぁなんて思いながら
眺めていると、ふいに昨日の屋根裏部屋での出来事を思い出してしまった。
どこか切羽詰った様子で抱きしめられたことや、熱い口づけや、肌に触れる指先の感触も。

(触らせて)

耳元で囁かれた低い声まで鮮明に思い出されて、顔が熱くなった。
もし時間制限がなかったなら、あの場所でそのまま行き着くとこまでいっていた。
たった2週間ほど触れ合ってないだけで、こんな風になってしまうなんて今までなかった。
中途半端に煽られることは今までだってあったけど、それをずっと引きずることなんてなかったのに。

「おい、葉山」

どんと肩を押されてバランスを崩しそうになる。
顔を向けると、章三が呆れたような顔でぼくを見ていた。
「お前なぁ、いくら自分の出番じゃないからって、授業中に堂々とよそ見してるんじゃない」
「あ、ごめん」
たった今までコートで試合をしていた章三は、グループ交代でぼくの隣へと腰を下ろした。
目いっぱい運動したあと特有の体温の高さが、隣から伝わってくる。
以前ならとてもじゃないが他人とこんな風にそばになんていられなかった。
人の温もりに触れられないどころか、感じることさえ我慢できなかったから。
ギイがぼくの嫌悪症を治してくれた。
そして人の温もりがどういうものかを、本当に好きな相手と抱き合うことがどういうことかを教えてくれた。
章三は手にしたタオルで汗を拭うと、さっきまでぼくが見ていたグラウンドへと顔を向けた。
「サッカーか。来週からは僕たちもサッカーするらしいぞ」
「そうなんだ」
「それにしても相変わらずギイは足速いなー」
そう言えば持久力はないけど瞬発力はあるんだっけ。
でも普通の人よりは持久力だって十分あると思うんだけどな。
ホイッスルとともに試合が終わる。どうやらギイのチームが勝ったようで、大きく手を上げて
皆で喜びを分かち合っている。テンションが高まり、互いに抱き合う姿から、ぼくは思わず目を逸らした。
ぼく以外の誰かがギイに触れるのを、今は見たくなかった。
こんなにギイのことを欲しいと思っているぼくは彼に触れることができないのに、違う誰かは簡単に彼に触れるのだ。
それが嫌だった。
すごく我侭で浅ましいとは思うけれど、そう思ってしまった。
「葉山、赤い顔して熱でもあるのか?」
「だ、大丈夫だよ」

(熱はある)

屋根裏部屋でギイに口づけられてからずっと、消せない熱がぼくを苦しめている。
きゅっと両手で両腕を抱きしめた。

自分が欲情していることをはっきりと自覚したのはこれが初めてだった。


  ****


今日の委員会には階段長も出てくれと急な要請を受けて、オレは矢倉と肩を並べて会議室へと向かっていた。
「それにしても、何でもかんでも階段長呼び出すのは勘弁して欲しいよな」
「まったくだ」
矢倉の愚痴に素直にうなづく。
もともと予定にはなかった委員会に出席するとなると、このあとの予定も大幅に変わる。
もっとも一年生たちの必要なんだかどうだかよく分からないような質問のために裂く時間など、少々短くなったところでたいした問題はない。
問題なのは、どこかで時間調整をして託生と会おうと思っていたのが、やはりダメになりそうだということだ。

(冗談じゃないぞ、まったく)

昨日、うっかり託生に触れてしまってからというもの、何をしていてもあの短い逢瀬のことが頭から離れないでいる。
キスだけで終わらせることなどできず、かといって、それ以上のことをするには短すぎる時間。
最初から無理だということはわかっていたのに、うっかり欲望赴くままに託生に触れてしまった。
そして中途半端なことをして、突き放してしまった。
何ともない風を装って先に部屋を出たのは、そうでもしなければ、そのあとのことなどすべて放り出してあのまま託生のことを抱いてしまいそうだったからだ。
自分でも驚くほどに、託生のことが欲しくて仕方ない。
身体の奥深くで燻る熱を抱えたまま、もし偶然に託生に会ってしまったら、有無を言わせず誰もいない場所へ引きずり込んでしまうそうな気がして、意識して託生の姿は探さないようにしていた。
けれどそれは逆効果だった。
会わないようにしなければ、と結局いつも託生のことを考えしまっている。
今度はいつ託生のことを抱けるかも分からないというのに、求める気持ちばかりが強くなる。

(託生はどうしてるのかな)

持て余した欲望を、託生はどうしてやり過ごしたのだろうか。
もしかしたら、こんな風に託生のことが欲しくて苦しんでるのは自分だけで、託生は案外あっさりと昨日のことなど忘れてしまっているかもしれない。
「さて、もう始まってるな」
矢倉がそっと会議室の扉を開けた。
委員会が始まる時間から10分ほど過ぎていた。何しろ急な召集だったので、これでも精一杯急いできたのだ。
各学年、各クラスの委員が集まる中、オレたちは後方に政貴と吉沢の姿を見つけて、その隣の席についた。
遅れてやってきたオレたちに気づいた議長が軽く目配せをしたことで、他の委員たちがこっちを振り返った。
その中に託生の姿を見つけて、オレは内心うろたえた。
まさか託生がいるとは思わなかったのだ。
級長の玲二の姿が見えないことから、代理で副級長の託生が出席しているのだろうと分かった。
託生はオレに気づくと驚いたように目を見開き、そしてすぐに視線を逸らした。
3年になってからはただの友達として、親しい関係ではないふりをしている。
1年連中がちらちらとオレを見ては、様子を伺っている気配を感じ、その鬱陶しさに内心ため息をつく。
去年まで同室だった託生との関係を探ってくる連中はまだいて、少しでもそれらしい様子を見せたら最後、彼らの関心は託生へと移り、オレを目当てに近づいていくに違いない。
そんなことは絶対にさせない。
託生をくだらない争いに巻き込むわけにはいかない。
オレは頬杖をついて、議長の話を聞く振りをしながら、そっと託生の様子を伺った。
俯き加減で手元の資料を見つめている。
突然代理を頼まれた副級長として、議長の話を聞き漏らすまいと真面目に耳を傾け、メモを取っている。
細長い指が目に入る。
ピアノもやっていたという託生の指は案外と大きくてしなやかだ。

あの指に何度も触れた。
あの指で何度も触れられた。

思い出すだけでまた身体の奥で疼いてきそうで、オレは邪まな妄想を無理矢理振り払った。
ふいに託生が顔を上げ、オレの視線に気づいたのか、ほんの少しこちらを向いた。
視線が絡まり、逃げられなくなる。
先に視線を外したのは託生の方だった。

(まずい、怒ってるのかな)

あんなことしておいて、その後も放ったらかしでいるオレのことを怒っていたとしてもおかしくはない。
これは本当にどうにかして時間を作らなければ、いろんな意味でまずいことになりそうだ、とため息をつく。
頭の中は託生のことでいっぱいだったが、何となく行き詰った会議を終わらせるために有効な解決案を提案し、予定通りの時間で会議は終わった。
放課後の貴重な時間を無駄にするまいと、会議が終わったとたんに、委員たちは足早に部屋を出て行く。
そんな中、託生は一人椅子に座ったまま、のろのろと資料をまとめていた。
まるでオレとかち合うのを避けるかのように。
「行くぞ、ギイ」
先に歩き出した矢倉が振り返って声をかける。
オレは少しの逡巡のあと、先に行ってくれと手を上げた。
ほとんど人のいなくなった会議室の中、オレはゆっくりと託生に近づいた。その気配に気づいて託生が素早く立ち上がる。まるでオレから逃げようとするかのように、荷物を手にして反対側の扉へと向かう。
「・・・・っ」
行く手を遮るように扉と託生の間に身を滑らせると、託生ははっとしたように顔を上げた。
「託生?」
どうしてオレを避ける?
そんなに怒ってる?
声には出さずに問いかけてみると、託生はゆるゆると首を横に振って小さく言った。

「お願いギイ、ぼくを見ないで」
「え?」
「・・・おかしくなりそうだよ」

思わず手を伸ばしそうになったオレを振り切るようにして、託生は会議室を出て行った。
追いかけることもできず、オレはしばらくそのまま立ち尽くしていた。


  ****


馬鹿なことを言ってしまった、とぼくは少しばかり落ち込んでいた。
ギイはぼくが怒っていると思ってしまっただろうか?
本当はそうではなくて、ギイに見られていると思うと、それだけでどうにかなってしまいそうで怖かったのだ。
2人で交わした約束も忘れて、その場でギイに抱きついてしまいそうだったから。
「葉山、少し出てくる。鍵は持っていくから先に寝てくれてかまわないよ」
同室の三洲が机の上の資料をまとめて立ち上がる。
ぼくは振り返って、分かったとうなづいた。
三洲はぼくを見て、ほんの少し眉をひそめた。
「・・・どうした、葉山。元気ないな」
「え、大丈夫だよ。三洲くん、相変わらず忙しいね」
「まったく、いったいいつになったら落ち着くんだろうね。じゃ、葉山、おやすみ」
三洲は足早に部屋を出て行った。
ぼくは細くため息をついて、宿題の続きをしようとテキストを開いた。
けれど問題なんてまったく頭に入ってはこなかった。

(ギイ、どうしてるのかな)

たぶん、いつものようにゼロ番に持ち込まれる厄介ごとを淡々とこなしてるんだろう。
ギイは1年のチェック組が相手だと、クールな表情がさらにクールになって、ひどく冷たく見える。
けれど、それがギイの本当の姿ではないことをぼくは知っている。
本当はすごく優しくて、困ってる人を放っておけなくて、友達思いで、誰より愛情深い人だ。

(会いたいな)

でもしばらくは会えないとギイに言われている。
共犯者になるって決めたのだから、これくらいは我慢しなくてはいけないことなのに、やっぱり胸が痛む。
ぼくは勉強に集中できないまま、それでも何とか宿題を終えると、今夜はもう眠ってしまおうと、灯りを消してベッドに入った。
眠って、ギイのことを考えないようにしようと思った。
そんな風に、あといくつか夜を過ごせば、きっとこの熱もやり過ごせるはずだから。
大丈夫、眠ってしまおう。
ぼくは目を閉じて、穏やかな眠りがやってくるのを待った。
やがて深い眠りへと吸い込まれていく。
ぼくは夢も見ないほどにぐっすりと眠りこんだ。

別段眠りが浅い方というわけではないのだけれど、物音がしたような気がして意識が戻った。
カーテン越しの月明かりで部屋の中はぼんやりと薄暗く、部屋に帰ってきた三洲が壁にある鍵かけに鍵をかけている姿が見てとれた。
「おかえり三洲くん」
ぼくはそう言ったつもりだったけど、たぶん呂律は回ってなかっただろう。
寝言のように聞こえたのか、彼はこちらにゆっくりと近づいてきた。
おかしいな、と思った。
ぼくに元気がないと気にしてくれていたけれど、わざわざ様子を伺うほどまで気にしているとも思えなかった。
ぼんやりと半分眠りながらそんなことを思った。
ぎしりと音をさせて三洲がベッドの端に腰を下ろす。そしてぼくの顔を覗きこむように上体を屈めた。
彼はそのままゆっくりとぼくへと手を伸ばしてきた。
するりと頬を撫でられて、ぎくりとした。
「・・・・っ!」
大きな手のひらが、叫ぼうとするぼくの口元を素早く押さえた。
心臓が止まるくらいに驚いて、ぼくの眠気は一気に吹き飛んだ。起き上がろうとする肩を強い力で押さえ込まれてベッドに縫い付けられる。
「んっ・・・・・」
「静かに」
その低い声にぎくりとした。
三洲ではない。
ぼくが動けないでいることで、ゆっくりと口元を押さえていた手が離れる。
「・・・ギイ・・・?」
まさかそんなと混乱するぼくの顎に指をかけて、ギイがゆっくりと唇を寄せてくる。
何が何だか分からずに呆然とするぼくに口づけて、ギイはベッドに乗り上げてきた。
「なに・・・どうして・・ギイが・・・」
「ごめん。我慢できなかった」
上掛けを剥いで、ギイの体温が近づいてくる。
両腕を背に回されてぎゅっと抱きしめられただけで、全身が粟立ち歓喜に震えた。
ぼくは震える指でギイの髪に触れた。
甘い花の香りがぼくを包み込みこむ。涙が出そうになって、大きく一つ息を吐いた。
「託生・・・抱いていいか?」
夜中に他人の部屋に忍び込んで寝込みを襲っておいて、今さら口にする台詞じゃないだろうと思わず笑いが漏れる。こんな大胆なことをしておいて、ぼくに対しては弱気なギイが愛しく思えてならない。
「いい?」
どこか切羽詰ったようにぼくに聞くギイ。
ぼくは答える代わりに、ギイの肩を引き寄せて深く口づけた。



何度も角度を変えて交わされる口づけに眩暈がしそうになる。
ギイはぼくのシャツのボタンをもどかしく外すと、顕わになった首筋に顔を埋めた。
噛み付くように吸い上げられて声が上がる。
喉から顎先へと舌を這わされ、ぼくはくすぐったさに逃げようと身を捩った。
ギイはそんなぼくの手首を掴むと、ぐいっとシーツの上に押さえつけた。
「逃がさない」
逃げるつもりなどこれっぽっちもなかった。ただ条件反射のように、身体が反応してしまうのだ。
ギイは薄く開いたぼくの唇を舐めると、そのまま舌先を口の中へと滑り込ませた。
ゆったりと咥内の濡れた感触を味わうように動いて、そしてぼくの舌を捕らえる。
互いの舌を味わうように絡められ、溢れる唾液を何度も飲み込んだ。
唐突にギイの冷たい手が下衣の中へと滑り込んだ。
「んっ・・・ぅ」
キスだけで熱く昂ぶっている屹立を握られて、恥ずかしさからぼくは身を震わせてギイの肩を掴んだ。
しなやかな指がひどく性急にぼくを高みへと導いていく。
優しく愛撫されて、我慢しようとしてもしきれず、触れられている部分に熱が篭もっていくのを感じた。
簡単に反応する身体はまるで自分のものではないようで、どうしていいか分からなくなる。
ただ気持ちよくなりたくて。
何も考えずにギイにすべてを委ねるしかなくて。
知らず知らずのうちに声が零れた。
溢れ出した滴で滑りがよくなり、ギイの指が根元から先端へと動くたびに聞こえる湿った音が生々しくて、ぎゅっと目を閉じて顔を背けようとすると、ギイがふっと笑ったような気がした。
「気持ちいい?託生」

キモチイイ。
ギイがぼくを気持ちよくしてくれる。

「・・・っ、ギイ」
痺れるように腰から下の感覚がなくなっていく。
ギイは無言のまま、噛み付くようにぼくに口づけた。
甘い口づけというよりは、何かを奪い取ろうとでもするような激しい口づけ。
触れ合う舌の熱さにくらりと眩暈がしそうになる。
もう何も考えられなかった。容赦なく追い上げられ、強く握られた瞬間、背筋を駆け上がる快感に抗うことができず、ぼくは大きく背を反らして、ギイの手の中にすべてを放った。


一瞬、頭の中が真っ白になったような気がして、ぼくは大きく胸を喘がせた。
久しぶりの感覚に脱力してしまって力が入らない。
ギイはそんなぼくに小さく口づけると、身につけていたシャツを脱ぎ捨てた。そしてぼくの腕からも中途半端に脱がされたシャツを引き抜き、そのまま下衣も奪い去ってしまう。
ぴたりと裸になった胸を合わせられ、その熱い肌の感触にわけもなくほっとした。
ああ、ギイの温もりだ、と笑みがこぼれる。
互いの存在を確かめ合うように、素肌に触りあい、何度も口づけを交し合う。
さらりとしたギイの肌が心地よくて、ぼくは身体の力を抜いた。
ぼくが落ち着くのを待っていたかのように、ギイはぼくの両足を開くと、さらに奥へと濡れた指を差し入れた。
ギイの長い指が入口を探るように蠢く。
「やっ・・・あぁ・・」
思わず閉じかけた足を片手で割り開き、ぐいっと上へと押し上げる。
いつものギイからは考えられないような強引さに少しばかり怖くなる。
「やだ、ギイ・・・」
その行為自体が嫌なわけでもなく。むしろ早くギイに抱かれたいと思っているのに、何も言わずに進めようとするギイが怖かった。
ぼくの言葉に答えずに、頑なな場所に何度も指を滑らせて、やがて中へとゆっくりと沈めていく。
何度経験しても慣れない感触に、ぼくはきつくギイの腕を掴んだ。
「やだっ・・・ギイっ・・・!」
ようやくギイは動きを止めて、顔を上げた。
潤んだ瞳がぼくを見つめ、そして何かに耐えるように深々と息を吐いた。
「託生の・・・」
「・・・・・?」
「託生の嫌だっていう言葉が本心じゃないことくらい知ってるけどな・・・だけど、今夜は拒絶の言葉は聞きたくない」
「・・・・っ」
「オレを欲しいって言ってくれ。それしか聞きたくない」
でないとひどいことしてしまいそうだ。
ギイの言葉にぼくは、ああと喘いだ。
昨日からずっとギイのことが欲しかった。
そしてギイも同じように思っていてくれたのだと知って、ぼくは泣きたくなるほど嬉しくて、ギイの首に両手を回した。
「・・・欲しい」
口にしたとたん、ギイの指がさらに深くぼくの中を穿った。
「ふ・・・っ・・・ギイ・・欲しい・・・」
痛みはなく、それどころか熱くて溶けてしまいそうな感覚が身体中を駆け巡る。
深く口づけられ、指が増やされる。
緩急つけて抜き差しされて、耐え難いもどかしさに無意識のうちに腰が揺れた。
「う・・っ・・・んっ・・・・」
「託生・・・力抜いて・・・」
欲しいと口にしたとたん、身体は素直にギイのことを受け入れるために開いていく。
次第に慣らされていくのが分かった。
感じる場所を指が掠めるたび、言葉にならないような快感がわき上がる。
早く繋がりたいと思っているのに、ギイは焦らすばかりでその先へ進もうとはしない。
ぼくはギイの胸元に顔を埋めて、彼の匂いを吸い込んだ。
甘い花の香りと汗の匂い。
「ギイが・・・欲しい・・・」
お願いと小さく懇願すると、ようやくギイは指を抜き、そのままぼくの片足を抱え上げた。
何の迷いもなく、熱く滾ったギイが一息に奥まで押し入ってくる。
「はっ・・・ぁ・・・」
悲鳴じみた声が漏れ、ギイは一瞬動きを止めた。
「ごめん・・・託生・・・」
ギイがぼくの膝を抱えなおして、さらに奥へと腰を進める。
それと同時に律動が開始され、ぼくは夢中でギイにしがみついた。
浅く、深く繰り返される抽挿に、繋がった箇所が淫らに音を立てる。
互いの息遣いと、ベッドの軋む音。
手加減なく突き上げられて、ぼくの中で何かが弾けた。
「ギイ・・・っ」
もっと、と叫んで自らも腰を動かした。
こんなにもギイを近くに感じているのに、足りないと思ってしまうのはどうしてだろうか。
身体の奥深くにギイを飲み込んで、中を擦られて、言葉にならない快楽に自分もまた昂ぶっていく。
恥ずかしいのに、でもそれ以上にギイのことが欲しくて仕方がない。
「託生・・」
耳元で甘く名前を呼ばれる。その声もどこか切羽詰っていて煽られた。
もう無理というように首を振ると、ギイが動きを早めた。
幾度目かの突き上げで、ぼくは再び絶頂に達し、それと同時にギイもまた息をつめて、ぼくの中に己を解き放つ。
「ふ・・ぅあ・・・」
浮いた背とベッドの間にギイが腕を差し入れて、抱きしめてくれた。
ギイの指がぼくの眦を辿る。
そこで初めて、ぼくは涙を流していたことに気がついた。


  ****


薄く頬を上気させて、託生が目を閉じる。
長い睫に溜まった涙が溢れ、こめかみを伝うのを目にして、自分がずいぶんとひどいことをしたことに気がついた。
いつもならもっと時間をかけて、痛みなど与えないようにするのに、今夜はとてもそんな余裕はなかった。託生に触れたとたん、我慢などできなくて強引に身体を繋いでしまった。
「ごめん」
いきなり寝込みを襲って、有無を言わせずに抱いた。
これではまるで強姦魔だ。
だけど・・
「我慢できなかったんだ」
会議室であんなことを託生に言われて、欠片ほどしか残っていなかったオレの理性はあっさりと消え去った。
ごめん、ともう一度小さく告げると、託生はどこか不思議そうな瞳をしてオレを見返した。
細長い指がオレの前髪に触れる。
「どうして謝るの、ギイ?」
するりと頬を滑り、オレの唇に触れる。
「謝らないで。ぼくだって・・・したかったんだから」
「・・・・・っ」
あの屋根裏部屋で消えない熱を抱えてしまった。
何でもないふりをして、けれど何もなかったことにはできなかった。
2人とも。
力の抜けた足の間からゆっくりと自身を引き抜くと、託生はひくりと身体を震わせた。
二度放った託生はくったりと脱力していて、たぶん、このまま眠ってしまいたいと思っているに違いない。
けれど、オレはまだ足りなくて、託生の身体を組み敷いた。
「ギイ・・・・?」
「もう一回していい?」
「・・・・」
「まだ足りない」
託生は戸惑ったように視線を彷徨わせ、やがて小さくうなづいた。
オレは託生の身体をうつ伏せると、力の入らない腰を引き上げた。
後ろからの体位に託生は一瞬怯えたような表情を見せ、けれど何も言わずに枕に顔を埋めた。
拒絶の言葉は聞きたくないといったせいだろうか。それとも託生もまだ足りないのか。
どちらにしろ互いにまだ欲しいと思っていることに違いはなくて。
膝で託生の足を開かせ、顕になった箇所に指を這わせる。
「ん・・・っ」
「力抜いて・・・?」
さっきまでオレのことを飲み込んでいたそこは、たいした抵抗もなく指を飲み込んでいく。
ゆっくりと奥まで挿し入れると、くちゅっと濡れた音がした。
何度か抜き差しを繰り返すと、中から溢れてきた白い蜜が託生の腿を伝い落ちた。それを見たとたん、じわりと腹の底が熱くなって、我慢できなくなった。
猛った自身を押し当てて、勢いのままに託生の中へと突き入れた。
「ああっ・・・う・・っ」
託生が無意識のうちに肘をついて前へ逃げようとする。その肩を掴んで引き戻し、さらに奥へと捻じ込んだ。きゅっと締め付けられ、その心地よさにため息が漏れる。
苦しげに呼吸を繰り返す託生を可哀想だと思いながらも、やめてやることもできない。
繋がった腰を強く自分の方へと引き寄せる。
緩く前後に動かすと、託生は声を上げるまいと手で口元を押さえた。
後ろからの方がより深く託生の中に入ることができる。
熱くて、柔らかい。
しっとりを絡みつくような感触に包まれて、あっさりと解き放ってしまいそうな自分を何とか押しとどめる。
ゆっくりと引き出して、再び押し入れる。そのたびにぬかるんだ内部がびくびくと蠢く。
少しずつ深く深く、託生の中を抉っていく。
「んっ・・・んん・・・っ」
「託生・・気持ちいい?」
「あっ・・・うごか・・ない・・で・・っ」
「ほら・・全部入ってる」
ふるふると頭を振る姿も可愛くて、もっと苛めてみたくなる。
優しくしてやりたいと思っているし、実際そうしているつもりだけれど、
時々、まだ知らない託生を知りたくなる。性欲なんて感じさせない清廉とした表情を壊してみたくなる。
何もかも忘れて、オレだけを欲しいと言わせたくなる。
必死で声を押し殺す託生の背中を舌で味わって、薄い胸元から腹部を辿り、開いた脚の付け根へと手を伸ばした。
「ギイっ、ま・・・って・・・」
「どうして?託生も感じてるのに?」
手の中で形を変え、とろりとした蜜をこぼす託生に笑みが漏れる。
「だ・・・って・・・っ」
抽挿の速度を上げると、託生は甘い声を上げて、往生際悪くまだ逃れようと身を捩る。
もちろんそんなことを許すはずもなく。
「はっ・・・あぁ・・・」
切なげな声や、肌のぶつかる音、繋がった部分から聞こえる水音や互いの息遣い。
部屋の中の空気がやけに濃密で苦しいほどで・・。

(おかしくなる・・・)

あまりにも愛しくて。
あまりにも心地よくて。

だめ、と託生が大きく背を反らしてオレの手の中に迸らせた。
崩れ落ちる身体を引き寄せて、夢中で腰を動かした。
達したばかりの託生はされるがままに、しゃくり上げるような泣き声を上げた。
「託生・・・っ」
強く引き寄せ最奥に放つと、時が止まるかのような快感が背筋を駆け抜ける。
「ふ・・・っ」
二度三度とさらに揺すってすべてを吐き出すと、そのまま託生の背に覆いかぶさった。


  ****


このまま溶けちまいたい、とギイが掠れた声でつぶやいて、ぼくを抱きしめる。
うん、とうなづいて、ぼくはギイの首筋に顔を埋めた。
触れ合った場所はどこもかしこも熱くて、ギイの言うように溶けてしまいそうだと思った。
まだ身体の奥にギイがいるような気がする。
何度極めたのかも覚えてない。
際限なく求めて求められて。
「託生、気持ちよかった」
疑問形ではない物言いに、ぼくは赤くなってしまう。
そういうこと、あからさまに口にしないで欲しいのだけれど、ギイはごくごく普通のことのようにぼくに言うのだ。
「ねぇ、ギイ」
「うん?」
だるそうにギイが聞き返して、ぼくの肩から腕へと指を滑らせる。
「どうやって部屋に入ったの?」
甘ったるい雰囲気を少しでも払拭しようと、ぼくは不思議に思っていたことを聞いてみた。
「三洲に鍵を借りたんだよ」
「ええっ!?」
「今夜、どうしても託生に会いたかったからさ、三洲に頼んだんだよ。一晩部屋を代わってくれって」
「・・・冗談だよ、ね?」
「いや、マジで。ゼロ番使ってくれていいって一応鍵は渡したんだけど、オレのベッド使うのはごめんだって言ってたから、たぶん真行寺あたりとどこかで泊まってるんだろうな」
また三洲にでっかい借り作っちまったなぁ、とギイは低く笑う。
ぼくはあまりのことに混乱してしまった。一晩部屋を代わってくれだなんて、つまり、そういうことしたいから鍵を貸せと言ったも同然ではないか。
ああ、明日三洲に何を言われるか怖い。
というか、たぶん彼は何も言わないだろうから、そっちの方が怖い。
「ギイのばか」
「何でだよ」
「恥ずかしいだろっ」
「託生が悪いんだろ。あんな台詞でオレを誘うから」
「さ、誘ってなんかないよっ」
「いや、誘われた。オレ、あの一言で夜這いすること決めたんだからな」
くくっと喉の奥で笑って、ギイはぼくの二の腕に唇を押し当てた。
ちゅっときつく吸われて、ぴりっとした痛みが走る。
「やっ、痕つけたら・・・っ」
「こんなとこ誰も見ないよ」
見るとうっすらと赤い花びらのような痕が残っている。
普段からすぐにぼくの身体に口づけのあとをつけたがるギイ。
もちろんぼくはその都度必死でそれを阻止している。誰にどこで見られるか分かったものじゃないからだ。
そんなぼくの努力なんて、ギイにはちっとも伝わらないのだから腹が立つ。
「見えるとこにつけなきゃいいんだろ」
なおもギイがぼくの胸元へと唇を寄せようと迫ってくる。
「だめっ」
「ケチ。じゃあさ、託生」
ギイは上体を起こすと、ぼくの腕を引いた。
「オレにつけて」
「え?」
「託生のキスのあと、オレの身体につけて」
甘い声でぼくを誘惑する。
ほらここに、とギイが胸元を指差す。シャツのボタンを少し外してもたぶん見えない辺り。
ねだられるままに、汗ばんだ白い肌に唇を寄せると、いつもの花の香りではなく、ギイの・・・ギイ自身の匂いがした。
うっとりと息をすると、ギイがぼくの髪をさらりと撫でた。
小さく口づけて、舌で彼の肌を味わう。
いったいどれくらいの強さで口づければいいのか分からなくて躊躇していると、ギイがくすりと笑った。
何となく悔しくて、少し強めに吸い上げてみる。
唇を離すと、そこには見慣れた薄紅の痕が残っていた。
「痛かった?」
「全然」
ありがとう、とギイはぼくのあたまのてっぺんにキスすると、そのままもう一度ベッドに押し倒した。
甘えるようにぼくの胸の上に頭を乗せる。
何も言わずにじっと動かないギイを、ぼくはそっと抱きしめた。


  ****


いつの間に眠っていたのか。
翌朝目覚めるとギイはもう部屋にはいなかった。
綺麗に整えられたベッドには彼がいた痕跡などまったくなくて、ぼくは夢でも見ていたのだろうかと思ったほどだった。
けれど、二の腕に残された口づけの痕が、昨夜のことが夢ではなかったと教えてくれた。
そのあと少しして、部屋に帰ってきた三洲は怒った風もなく、ぼくの手の中にギイの部屋の鍵を落とした。
そして
「この代償は高くつくって言っておいてくれ」
と、つまらなさそうに言った。


持て余していた身を焦がすような熱は引いたと思っていた。
あれほど際限なく抱き合ったのだから、十分満たされたと思っていた。


中庭を見下ろす廊下を歩いていた時、窓の外、眼下にギイがいるのに気づいた。
同じクラスの矢倉やその他の級友たちと何やら楽しげに話をしている。
足を止めて、見るともなく彼を見つめた。
するとふいっとギイが視線を上げてぼくを捕らえた。
見つめられて動けなくなる。
ギイはゆっくりと、まるで内緒とでもいうように、人差し指を唇へと当てた。
そしてその指を胸元へと下ろす。
ぼくがつけた口づけのあとを軽く叩いて、そしてもう一度唇へ。

ギイがぼくを見つめて、嫣然と微笑む。

ぼくは慌ててその場を離れた。
心臓が痛いくらいに高鳴っていて、頬が熱かった。

(どうしよう)

あんな衝動、もう起こらないと思っていたのに。

ぼくは人影のない校舎の片隅にしゃがみこんだ。
身体のそこかしこにギイに触れられた感覚が、彼の匂いが残っている。
ふと気づいて、ぼくは今朝三洲から渡されたギイの部屋の鍵をポケットから取り出した。
どこかでこっそり返そうと思っていたのに・・・。
ぼくは目を閉じて、手の中の鍵をぎゅっと握り締めた。


  ****


いつもストイックでクールな雰囲気を漂わせているから、どうにもならない衝動や欲望を抱くことなんてないんじゃないかと思う時がある。
けれど、口づければそうじゃないということが分かる。
優しく口づけられることも、子供をあやすように抱きしめてくれることも、それは確かに嘘ではないのだけれど、きっとそれだけが彼のすべてではない。
むしろそれは彼が纏った偽りの仮面だ。
ぼくを抱くとき、時折彼の瞳の奥に、もっと激しい感情が見え隠れする瞬間があって、それを必死に押さえ込んでいることを、ぼくは知っている。
彼がぼくに触れるたび、隠しておきたい欲望を暴かれていくようで恥ずかしいと思う反面、もっと何も考えられなくして欲しいとも思う。
彼になら、ぼくは何をされたってかまわない。
たぶん、彼はぼくがそんなことを望んでいるとは夢にも思っていないに違いない。
優しすぎてもどかしい。

そんなことをもし彼に告げたら、彼はいったいどんな顔をするのだろう。


  ****


ぼくはまたギイが欲しくてたまらなくなっている。

きっと今夜、ぼくはこの鍵を使ってゼロ番を訪ねてしまうに違いない。
昨夜、ギイがそうしたように。

深夜のゼロ番で、我慢できなかったんだと言えば、彼はいったいどんな顔をするのだろうか?








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あとがき

夜這い万歳。