ラヴリーベイベー




それからというもの、ハルは毎日毎日、朝起きると、
「赤ちゃんできた?」
と聞いてくるようになった。
朝の食卓で、ギイは新聞を眺めて聞こえない素振りをするものだから、ハルの相手はもっぱらぼくがすることになる。
「ハル、何度も言ってるけど、そんな簡単に赤ちゃんはできないんだよ」
「どうして?」
「どうしてって、赤ちゃんが欲しい人はいっぱいいるから・・・えっと、まずは赤ちゃんがいない人から優先なんだ。ぼくとギイにはハルがいるだろ?」
「・・・・でも、ゆうくんのところは2人も赤ちゃんがいるよ?」
ゆうくんというのは同じペントハウスに住むハルの友達で、つい最近双子の赤ちゃんが産まれたのだ。
うーん、ハルもだんだん知恵がついてきて、ちょっとやそっとじゃ騙されてくれない。
「ぼく、毎晩ちゃんと神様にお願いしてるんだよ?」
「そうだね」
「じゃあどうして駄目なの?」
どうしてと言われても。どうすりゃいいんだ?ぼくは顔を隠すギイから新聞を奪い取った。
「ギイ、ぼくちょっとご飯の支度してくるから、ハルの相手よろしく」
「え、おいちょっと」
ぼくはそそくさとキッチンへと逃げ込んだ。そのあとはハルからあれこれと質問攻めにあって、朝っぱらから疲れきって出勤するというのがここ最近の恒例行事となっていた。

「というわけで、困ってるんだよ」
ぼくが言うと、章三がめずらしくぷっと吹き出した。
ここ何年か、クリスマスになると章三たちと一緒にちょっとした食事会をするようになっていた。子供たちにしてみればクリスマスパーティは一大イベントでいつもおおはしゃぎだ。
何しろ子供同士が仲がいいので、一緒にしておくと楽なのだ。放っておいても遊んでくれる。
「赤ちゃんなんて絶対無理だよ」
「確かに難問だな」
「ほんとに。ギイはそのうち忘れるから放っておけばいいなんて言うけどさ。もう毎日、赤ちゃんできたー?って聞かれるぼくの身にもなって欲しいよ。そんな簡単にできるわけないっていうんだ」
「そりゃそうだ。けどそのあたりをハルに理解させるにはまだ早いしな」
章三は見事な手つきでカニをさばいてくれる。今日はみんなで鍋パーティだ。章三が朝一番に市場で仕入れてきたというカニがメインである。クリスマスっぽくないけど、大人の事情というものだ。
「どうしたらいいと思う?」
「どうって・・・子供なんて何か他に興味のあることが出てくれば、そっちに目がいくし、適当にかわしてればそのうち忘れるさ」
「そうかなぁ」
「もしくは、頑張って二人目を作る」
「赤池くんっ、ぼくは本当に困ってるんだよ!」
「はは、悪い悪い。こればかりは欲しいと思って作れるもんでもないしなー」
だいたいハルだってどうやってやってきたかも分からないのだ。どれだけハルにお願いされたって、ぼくにはどうしようもない。
「次は女の子がいいんじゃないか?葉山によく似た女の子なら、ギイはそりゃもう目に入れても痛くないほど可愛がりそうだよな」
他人事だと思って章三は適当なことばかり言ってくれる。だけどもしギイによく似た女の子だったりすると、そりゃもうめちゃくちゃ可愛いんだろうなぁ。ハルは弟がいいっていうけど、妹だって可愛いんじゃないかと思うんだけどな。
などとアホなことを考えている自分にがっくりしつつ、ぼくは用意した鍋の具材をキッチンのテーブルの上に並べた。
みんなで賑やかに食卓を囲むとすごく楽しくて、特に子供たちはやや興奮気味だ。何しろデザートでケーキは食べられるし、奈美子ちゃんからは恒例の手作りのプレゼントがもらえるし、わーわーと騒ぎまくってうるさいことこの上ない。
「託生、これもらった」
ハルが喜び勇んで見せにきたのは、奈美子ちゃんがくれたブーツに入ったお菓子のセットだ。クリスマスの定番。自分の背丈の半分ほどはあろうかという大きなブーツにハルは目を輝かせている。
「一度に食べちゃ駄目だよ。一日一個」
「うん。んとね、託生にも一個あげるよ。たくさんあるから」
ハルが嬉しそうにブーツの中を覗き込む。
「ありがと。だけどぼくはいいから。全部ハルのものだよ」
「じゃあ、半分は赤ちゃんのために食べないでおく。そしたら赤ちゃんやってくる?」
嬉しそうにぼくを見上げるハルに、ぼくはついかっとしてしまった。
「ハル、いつまでも赤ちゃんって言わない。すぐには無理って言っただろ?」
どこまでも赤ちゃん赤ちゃんと言うハルに、ぼくはつい口調を強めてしまった。ぼくにできることなら何でもしてあげたいと思うけど、無理なものは無理で、いい加減うんざりしてしまっていたのだ。
ハルは手を止めて、大きな目をさらに見開いてぼくを見上げていたけれど、やがてきゅっと唇を尖らせた。
「だって・・・」
つぶやいたあと、ほろほろと大粒の涙が両目から零れ落ちた。ああ、子供の涙ってどうしてあんなに大粒なのかな、とぼくはぼんやりと思った。滅多に我侭なんていわない子だから、ぼくも感情に任せて怒ったことなんてないのだけれど、今回はつい言ってしまった。
自分のためのお菓子を半分赤ちゃんのために、なんて言うほど優しい子に、あんな言い方するなんて。
正直、ぼくの方が泣きたいくらいだ。
堪えきれず声を上げて泣き出したハルに、ギイがどうした、と顔を覗かせた。
「ハル、託生に怒られたのか?なにやった?」
ギイがひょいとハルを抱き上げる。ハルはぎゅーっとギイの首筋に抱きつくと、ひっくひっくと嗚咽を漏らす。
ギイがどうした、というようにぼくに視線を向ける。ぼくはこれ以上声を荒げないように一つ息をついた。
「ハルがまた赤ちゃんっていうから」
その一言で、ギイは何があったか分かったのだろう。ギイだってハルからの赤ちゃん攻撃にはほとほと困っているのだから。
「ハル、そんなに弟が欲しいのか?」
「んっ・・・ほ・・しいっ・・・」
泣きじゃくるハルの背を、ギイがぽんぽんと叩く。
「しょうがないやつだな。ほら、泣くんじゃない。ハル、赤ちゃんはすぐにできるものじゃないって何回も言ったよな?」
「ん・・・ひっく・・・」
「オレも託生も、ハルに弟がいたらいいなぁって思ってるよ。ハルにお願いされたように、仲良くもしてるだろ?ハルも神様にお願いしてくれてるんだよな?」
「うん・・・」
「だけど、お願いしたら何でも叶うってことはないってハルも分かってるよな?それなのに託生に赤ちゃんが欲しいってずっと言ってたら、託生が困るだろ?」
「・・・・」
「託生が困ってもいいのか?」
「やだ」
「じゃあもう赤ちゃんの話はしない」
ギイの言葉にハルはくすんくすんと泣き続ける。ここですぐに「はい」と言わないあたりが、さすがギイの遺伝子。簡単には諦めない子なんだよなぁ。我侭ではなくて頑固。
そんなぼくたちの様子を見ていた奈美子ちゃんが涙で濡れたハルの頬を指先で拭った。
「ハルちゃん、弟が欲しいんだ?」
「んっ・・・」
「そっか。じゃあうんといい子にしてなきゃね。神様が見てるから」
ハルは顔を上げると、奈美子ちゃんを見た。
「神様は『ハルちゃんはいい子にしてるかな』ってちゃんと見てるよ」
「ほんとに?」
「ほんとよ。いいお兄ちゃんになれるようにしなくちゃね」
ハルはその言葉の意味を考えるかのように少し黙り込んでいたが、やがてこくんとうなづいた。
いい子にしてなきゃ赤ちゃんはこない、とあからさまに言っているわけではないけれど、奈美子ちゃんが言いたいことはそういうことで、ハルはちゃんとそれが分かったようだった。
「ハル、託生にごめんなさいは?」
ギイが言うとハルはぼくを見て、ごめんなさいと謝った。
ぼくもつい声を荒げてしまったのだから、謝られるとちょっと心が痛む。ぼくがハルの頭を撫でると、ハルはすんと鼻を鳴らした。
「ほら、おいでハルちゃん」
奈美子ちゃんが小さくうなづいて、ハルをリビングへと連れていってくれた。
ギイは落ち込むぼくの髪をくしゃりと撫でた。
「だめだな、ぼく」
「何が?」
「ハルのこと、傷つけちゃった」
「そんなことない。ちゃんと怒らないといけないこともある」
「怒ったっていうか、すごく自分勝手にハルに当たっただけだよ」
ギイみたいにちゃんと話をすれば、きっとハルは分かってくれたのに。ぼくは感情のままに怒ってしまった。
「だけどさ、託生、親は完璧じゃないだろ?間違うことだってある。託生が間違った時にはオレが、オレが間違った時は託生が、お互いにフォローすればいいだけだろ?」
「・・・うん」
「大丈夫だよ、ハルにも駄目なものは駄目って分からせないといけないからな」
ギイの言葉はいつもぼくを勇気づけてくれる。
そのことにほっとする。
ギイがいてくれて良かった、と心からそう思う。
「ありがとう、ギイ」
「どういたしまして。ほら、コーヒー入れよう。みんなケーキが食べたくてお待ちかねだ」
章三たちには見られないように、ギイは素早くぼくの頬にキスをした。
食事のあとのデザートがすむと、章三たちは良いお年をと行って帰っていった。
どうせ年が明けたらまたどちらかの家に集まるのは分かっているけど、とりあえずはけじめのように挨拶を交わした。
ハルはツリーの下のプレゼントの箱を眺めては、中に入っているものを想像しているようで、時々我慢しきれず手を伸ばしては、ギイに駄目だよと止められている。
「ハル、こっちにおいで」
ぼくがハルを呼ぶと、ハルはぴょんと飛び上がってぼくの膝の上に座った。
「さっきはごめんね、ハル」
柔らかな頬を撫でると、ハルはふるふると首を横に振った。
ぺったりと甘えるようにぼくの胸に抱きついてきたハルの頭のてっぺんにキスをする。
もし本当に、弟がいたらな、とぼくは思った。
今だってすごく忙しくて大変だけど、きっと今以上に賑やかで楽しい毎日が待っているはずだ。
そういうのもちょっといいなって思うのだ。
「託生はサンタさんに何をもらうの?」
ハルの質問に、ぼくはそうだなぁと笑う。
隣に座るギイサンタが用意してくれているプレゼントはいったい何だろうか。
きっとそれはハルも一緒に楽しめるものだとは思うけど。
「内緒」
「えー、ずるいー」
ばたばたと手足をばたつかせるハルをぎゅっと抱きしめた。
もし本当にサンタがいたら、ハルのために赤ちゃんをお願いしよう。
できれば男の子。ギイに似た子だともっといい。
優しくて、かっこいい子になると思うから。
もっともこればかりはギイサンタに頼んでもどうしようもないけど。
ハルに赤ちゃん赤ちゃんと言われ続けても、実際欲しいなんて思ったことはなかったけれど、ハルが泣くほどほしいと言うのなら、ちょっとはお願いした方がいいのかなと思った。
何しろ今夜はクリスマスイブだ。
ハルのために、少しくらいそんなお願いをしてもいいような気がした。
その日の夜、ベッドの中でそんな話をギイにすると、ギイは少し驚いたようだった。
「まったく、託生はハルには甘いな」
「え、ギイに言われたくないんだけど」
「いーや、オレよりも託生の方がずっと甘い」
言い切るギイに、そうかなぁとぼくは首を傾げる。
「でもまぁ、もし託生にそっくりな子供だったら、オレもめっちゃ甘くなりそうだけどな」
「何だよ、じゃあぼくがハルに甘いのはハルがギイに似てるからってことかい?」
「違うのか?」
「う・・・どうだろ」
そうなのかな。いや、そんなことはないはずだけど。
あれこれ考えてるぼくをギイが笑って引き寄せる。
「ハルに似てるオレのことも甘やかして、託生」
ハルと同じように胸元に顔をうずめるギイに、ぼくはやれやれとため息をついた。
「はー。やっぱり赤ちゃんは無理かな。今でも子供が二人いるみたいだもん」
ハルが大きくなってもこんな風に甘えてばかりいたらやだなぁ。やっぱりもうちょっとビシビシと鍛えなくちゃだめなのかなぁ。でもギイも小さい時は大人しい子だったっていうしなぁ。
そう言えば、ハルがぼくたちの元へやってきたのもイブの夜だったな。
なんてことをつらつら考えながら、ぼくはギイの腕の中で眠りについた。

朝起きると、もちろんぼくとギイの間に赤ちゃんはいなかった。
「良かった・・・というか、普通だよ普通」
一度そういう経験をしているので、毎朝起きるとついつい、もしかしてなんてことを思ってしまう。
ぼくは手早く着替えると、ハルの様子を見に子供部屋へと向かった。
扉を開けると、ハルはもう起きていた。
ぼくを見るとぱぁっと満面の笑顔になって、猛ダッシュでかけよってくる。
「託生!」
「おはよう、ハル。今日は早起きだな」
「だって、赤ちゃんが」
「・・・・赤ちゃん?」
ぼくはハルの言葉にぎくりとした。恐々と視線をベッドに向けると、そこには小さな小さな赤ちゃんが手足をバタつかせていた。血の気が引くとはこのことだ。それは昔、ハルがやってきた時と同じ光景で、ぼくは本当にそのまま倒れてしまいたいと思ってしまった。
「嘘・・・」
「託生、ありがとう!クリスマスのプレゼントなの?」
どこの誰がクリスマスプレゼントに赤ちゃんを用意するものか!!
ハルはそりゃもう大喜びで、赤ちゃんの手を握ってはあやそうと必死だ。
「赤ちゃん・・・・?はは、嘘だよね?」

誰か嘘だと言ってほしい。
けれど目の前の赤ちゃんは本物だ。

「ギイっ!!!!!!」

こうしてぼくたちの元に、二人目の赤ちゃんがやってきた。

クリスマスイブに、安易に赤ちゃんが欲しいなんて思ってはいけないのだと、ぼくは今さらながらに思いしらされたのだった。




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あとがき

お疲れさまでした。キリがないのでこの辺で(笑) とりあえずハル、良かったね。