ジャンケンで負けてしまったので、ポット片手に湯茶室へ向かった。 こういう時、章三はやたらと運がいい。オレもけっこう運はいいはずなのにおかしい。 「あれ、ギイもお湯汲み?」 湯茶室には先客がいた。 託生と同室の片倉利久だ。ひょろっと背が高く、人が良くて、誰からも好かれている。 あの託生でさえ、片倉には心を許しているのだから、羨ましいやら憎らしいやら。 「片倉もか。もしかしてジャンケンで負けたのか?」 「え?違う違う。託生はめちゃくちゃ寒がりでさ、一度部屋に入ったら翌朝までできるだけ外には出たくないんだってさ。今も電気ストーブの前を陣取ってるんだぜー。俺一人にお湯汲みさせてずるいと思わないか?」 へぇ、そんなに寒がりなのか。確かにいつも厚着してるよな。 小動物が冬の寒さに震えている図が思い浮かんで、思わず笑ってしまった。 そんな託生を間近で見たい。できればオレが暖めてやれればもっといい。 片倉はそんな託生をいつも見ているなんて、何だかもやもやする。 くだらないヤキモチだとは分かっているが、こればかりはどうしようもない。 「片倉はいいな」 「へ?」 うっかり漏れた言葉に片倉が目を丸くする。 「そうだ、片倉、帰りにちょっと寄っていけよ。インスタントだけど、身体が温まるお茶があるから、寒がりの葉山におすそ分けしてやってくれ」 「え、マジ。やったー、俺の分もある?」 「当たり前だろ」 「うーん、何だか今日はラッキーな日だな」 ほくほくしている片倉に気づかれないように、そっとため息を漏らす。 そのラッキー、オレにもちょっと分けてくれないものか。 「あ、じゃあギイもついでにうちの部屋に寄ってくれよ。実家からまた笹かま送ってきたから、もしよければお裾分けするし」 片倉の言葉に思わず大きくうなづいてしまった。 寒さに震える託生をちらっとでも見られるということは、少しは運が向いてきたということなのだろうか。 湯茶室で一緒になった片倉と一緒に部屋に戻り、買い置きのお茶のパックを手に、次は託生の待つ421号室へと向かう。 (ちょっと緊張してきたな) 別に初めて訪れるわけでもないのに、これから託生と顔を合わせると思うと、自分でも笑えるくらいにドキドキしてしまう。 「ギイ、どうせなら部屋で一緒に笹かま食おうぜ。実は託生と食べるつもりでお湯汲みに行ったんだよ」 「ああ、じゃあそうしようかな・・・でも・・」 「あ、託生?だよなぁ・・・でも大丈夫だよ。俺が思うに、託生はギイのこと嫌ってないし」 「そうかな」 そうだといいのだけれど。何しろ託生の人間接触嫌悪症はなかなか手ごわい。 片倉は少し考えたあとぽつりと言った。 「託生さぁ、ちょっと難しいとこあるけど、でもめちゃくちゃいいヤツだし、あんなに周りと距離を置こうとするくせに、誰のことも嫌いじゃないんだよ。だからギイがいろいろ託生のことを気にしてくれてることも分かってるし、ギイのことも嫌ったりしてないし・・・」 「・・・」 「だから託生の態度がちょっと悪くても、託生のこと嫌いにならないで欲しいんだ」 「嫌いになんてならないよ」 片倉はそっか、と嬉しそうに笑った。その笑顔を見て、託生はいい友達を持っているなと思った。 奇跡の部屋割りとはよく言ったものだ。 たぶん、託生の中で今は片倉が一番近い人間に違いない。 だけど、できれば自分がそうなりたい。託生の一番近くでその笑顔を見て、楽しいことも悲しいことも一緒に味わいたいと思う。 果たしてそんな日はやってくるのだろうか。 そのために祠堂へやってきたというのに、嫌われるのが怖くて一歩を踏み出せないでいる。 「ギイ、入ってくれよ」 到着した421号室の扉を開けて、片倉がどうぞと促す。 まずは部屋への一歩を踏み出してみる。 421号室の部屋の真ん中に置かれた電気ストーブ。その前にもこもことした厚手のカーディガンを着込んだ託生がうずくまって、オレンジの光に手をかざしていた。 初めて見るその姿にさすがに目を見開いてしまう。 「託生〜、お湯汲んできたぞー。あと、ギイが身体が温まるお茶をおすそ分けしてくれるってさ、良かったなー」 「・・・・」 託生も突然オレがやってきたことには心底びっくりしたようで、一瞬にして身構えて、オレをじっと見つめた・・というより睨んできた。 歓迎されてないなぁということは重々承知しているが、せっかくのチャンスを逃すわけにもいかない。 「葉山、寒がりなんだって?祠堂の冬は相当寒いらしいけど大丈夫なのか?」 片倉が3人分のお茶の用意を始める。 オレは警戒心丸出しの小動物を相手にするかのように、少し距離を置いて託生に声をかけた。 託生は立ち上がると、無言のまま逃げるように自分のベッドの端に腰かけた。 きゅっとカーディガンの胸元を合わせる姿に目が釘付けになる。 可愛いなぁと抱きしめたくなる衝動を抑えるのに必死にもなろうというものだ。 「ギイにも笹かまお裾分けしようと思ってさ。しっかしギイがこんな風に部屋に遊びにきてくれたなんて知られたら、みんなから羨ましがられるだるなぁ」 呑気な片倉のつぶやきにも、託生は何の反応も返さない。 たぶん、オレがいなければ片倉の冗談にも気軽に答えるのだろう。 ほんのちょっとでいいから、オレにもそんな声を聞かせてくれないかなぁ。 「ほい、どうぞ」 片倉がお茶と笹かまが乗った紙皿を机の上に置く。 黙り込む託生に頓着することなく、他愛ない話を続ける片倉はある意味すごい。 もっとも、そんな片倉だからこそ、託生は心を許せるのかもしれない。 「託生、ギイがくれたお茶、美味いぜ」 その言葉に小さくうなづいた託生がカップに手を伸ばすのと、オレが笹かまを取ろうとしたのが同時で、一瞬手が触れた。 次の瞬間、託生がぱっとその手を引き、そのはずみでカップが傾いた。 「あちっ」 溢れたお茶がオレの手にかかった。とたんに、託生がすごい勢いで立ち上がった。 どちらかというと託生はのんびりとした性格だと思うのに、その時はまったく別人のように素早くオレのシャツの裾を引っ張って、洗面所へと向かった。 勢いよく水を出して、オレの手を蛇口の下へと押し出す。 絶対に他人に触れようとはしない託生が、まるで別人のようにオレの手首を掴んで放そうとしない。ざぁざぁと溢れる水の中で、熱さで少し赤くなった指先をいろんな方向へと傾ける。 「どうしよう・・・」 小さくつぶやく託生は真剣な表情でオレの指先を見つめている。 お茶がかかったといっても、それほどの量でもなく、確かにまだひりひりとしているが、すでに水の冷たさでひりひりしているといってもいいくらいだ。 「葉山、大丈夫だよ」 「・・・でも・・左手なのに・・・」 別に利き手でもないから何の問題もないのにと思い、大丈夫だよ、ともう一度口にする。 その言葉で託生はようやく我に返ったのか、掴んでいたオレの手を離して、不安そうな目をしてオレを見上げた。 「ごめん・・・」 「本当に大丈夫だって。葉山が水をかけてくれたおかげで、もうぜんぜん痛くないし」 「・・・・」 「ありがとな」 正面から視線が合うと、託生は何か眩しいものでも見るかのように少し目を細めて、それからぎこちなくうなづいた。逃げるように託生が洗面所から出て行ったあと、今は少し見えなくなっている本当の託生に久しぶりに会えたような気がして、わけもなく胸の奥が熱くなった。 そんなことがあってから半年ほどした頃、オレたちは2年になり、入学式を終えてすぐに食堂で一悶着あった。 野崎が託生にカレーを投げつけようとした瞬間、託生は身を捩って左腕を庇おうとした。 その時、ふいにあの時託生がつぶやいた言葉が脳裏を掠めた。 (左手なのに・・・) 利き手でもないのに左手の火傷を心配した託生。バイオリンの弾く託生にとって、左手はとても大事なものなのだ。 守らなくてはいけない。託生が大切にしているものなら、オレは何があっても守る。 そう思った瞬間、あとさき考えずに身体が動いて託生の前に飛び出していた。 |