最後の春休み


夕食が済むと普段ならすぐに自室へ引き上げるのだが、今夜は何となく家族団欒ぽい雰囲気になって、珍しく家族全員がリビングに残っていた。
もともと家族仲はいい方なので、他愛もない話で盛り上がる。
蓑巌玲二はこの春に祠堂を卒業したばかりで、久しぶりに帰ってきた息子に両親はあれこれと世話を焼きたがった。
ありがたいと思う反面、いつまでたっても子供扱いされるのもどうなのだろうか、とも思う。
長く離れていたせいで、両親の中ではまだ玲二は中学を卒業したばかりの子供に思えるのだろうか。
祠堂では何でも一人でこなしていたし、どちらかと言えば面倒を見る立場だったので、今の状況は何ともむずがゆくも感じる。
まぁこれも親孝行の一つと思うしかないかなと諦めて、あれこれと話しかけてくる母親に相槌を打つ。
間もなく始まる大学生活を目前に、玲二は春休みをのんびりと過ごしていた。
それほど長い休みでもないので、長期でのアルバイトができるわけでもなく、両親からは
「たまには遊びに行ったら?」
と笑われたりもした。
もともとアウトドア派というわけでもないので、久しぶりの実家でのんびりするのは苦ではないのだけれど、あえて家にいる理由は、恋人である乃木沢孟の休みが不定期なこともあって、いつ予定が入ってもいいようにしているだけのことだった。
乃木沢は多忙な議員秘書で、玲二は大学入学前の学生。
となれば、玲二が時間を合わせないとななかなか会えなくなる。
いつ連絡が来てもいいようにしているけれど、多忙な恋人からは短いメールが来るものの、会おうかという連絡はやってこない。
大学が始まるまでに一度くらいは食事に行こうと言っていたのに、どうやらそんな時間さえも取れないほどに忙しいようだ。
「玲ちゃん、今度の土曜日映画行こうよ」
ソファに座る玲二の隣にくっつくようにして腰を下ろした弟が、手元の本を無理やり取り上げた。
3つ下の玲二の弟はこの春から祠堂への入学が決まっている。
小さい時から玲二のことが大好きな弟は、玲二が家に戻ってきてからというもの、しょっちゅう遊びに行こうと言って譲らない。
「んー、土曜日か、どうしようかな」
「今話題のサスペンスホラー。行こうよ」
今のところ乃木沢からの連絡もないし、何の予定も入っていないから映画に行くくらいどうってことはないけれど、もし土曜日に会おうと乃木沢から連絡が入ったら、きっと先にしていた弟との約束を反故にしても、乃木沢と会うことを選んでしまうと思う。そう思うと即答ができない。
「いいじゃん、玲ちゃんずっと暇にしてるんだし。4月になったら俺も寮生活始まって、簡単には会えなくなるんだから、ちょっとは弟孝行してよ」
「弟孝行なんて言葉初めて聞いたよ」
思わず笑ってしまう。
「そういえば、最近乃木沢さん遊びに来ないよね。玲ちゃんが家に戻ると必ず顔出してるのに」
向かい側に座る父親に向かって弟が話かける。
玲二が実家にいる時は用事もないのに乃木沢が遊びにくるのはいつものことなのに、春休みになってからまだ一度も乃木沢は来ていない。
確かにそれは珍しいことだけれど、わざわざ父親に確認するほどのことでもないのに。
父親は読んでいた新聞から視線を上げることなく、そう言えばそうだなと笑った。
「彼も忙しいんだろう。そうそう用事もないのに遊びにきたりはしない」
「いつも忙しくたって、用事がなくたって、遊びに来てたよ。今って政治家の先生たちって忙しい時期だっけ」
「暇な政治家って何か嫌だな」
「まぁ仕事以外も忙しいんだろう」
父親がさらりと言った言葉に玲二は顔を上げた。
その口ぶりは乃木沢の近況を知っているかのようだった。
「仕事以外って?」
「ああ、見合いをするらしいからな」
「えっ」
玲二よりも先に弟が声を上げた。
あの乃木沢がお見合い?
そんな話ぜんぜん聞いてないんだけど、と今すぐ乗り込んでいきたい気になったが何とか堪えた。



「ごめんね、玲ちゃん、変なこと聞いちゃって」
自室へと戻った玲二の元へ、何とも申し訳そうな表情をして弟がやってきた。
自分が振った話からとんでもない事実が出てきてしまった、と玲二よりもしょんぼりとしている。
乃木沢と玲二が恋人同士だということを、弟だけは知っている。
何しろお兄ちゃん子で玲二のことなら些細な変化でも見逃すことがないので、隠していてもすぐにバレるだろうと思い、玲二から打ち明けたのだ。
昔から乃木沢が玲二のことを特別扱いしていることに薄々気づいていたので、最初は驚いたものの、すぐに納得して、玲二が幸せなら応援するよと言ってくれた。
そして、乃木沢に対しては、
『玲ちゃんを泣かせるようなことをしたら許さないからね』
と強い口調で言い切った。
もちろん乃木沢は分かっていますと神妙にうなづいた。
玲二のことを盲目的に好きでいる弟なので、乃木沢と付き合っていると知ったら激怒するのではないかと思っていたのだが、案外とすんなりと受け入れてくれたことに、乃木沢はほっとしたようだった。
玲二も弟のことは大切なので反対されたら辛いだろうなと思っていたから、嫌な顔をすることなく受け入れてくれたことには感謝している。
「ねぇ玲ちゃん、お見合いって本当かな?知ってた?」
「聞いてない」
「玲ちゃんと付き合ってるのにお見合いするなんて信じられないんだけど」
「うん、確かに」
「玲ちゃん、怒ってないの?」
「怒るっていうか、ほんとかどうかまずは確かめてから、かな」
怒るというか困惑しているという方が強かった。
見合いが本当だとしても、きっとやむにやまれぬ事情があるのだろう。
乃木沢なら、もし結婚したいのであれば、見合いなんてしなくても相手はすぐに見つかるだろうから。
それに今現在、喧嘩もしていないし付き合いは順調だ。
「俺、乃木沢さんに聞いてみる」
「え」
言うが早いか、携帯を取り出した弟を慌てて止める。
「こらこら、聞くなら俺が聞くし、心配しなくても大丈夫だから」
「ほんとに?」
「もちろん。ほら、見たいテレビあるんだろ?始まっちゃうよ」
「あ、そうだった。玲ちゃん、何かあったらちゃんと言ってよね。俺が乃木沢さんに説教するから」
それはちょっと見てみたい気はしたが、気持ちだけ受け取っておくよ、と玲二は自分よりも必死になっている弟に笑った。
部屋で一人きりになると、玲二はベッドに横になって携帯を手に取った。
今すぐ事の真相を乃木沢に問いただしたい気はしているけれど、この時間ならまだ仕事中だろう。
それに、こんなことで電話やメールをしたら迷惑になってしまう。
いつもならそんなことを思って遠慮してしまうのだが、果たして今回はそんな遠慮をしている場合なのだろうか?
信じていないわけじゃないのに、事実かどうか気になるのはどうしようもない。
もし本当に見合いをするのだとしても、それは玲二と別れるためではないだろうと思う。
だとすればあえて聞く必要もないのかもしれない。
とは言うものの・・・
「でもやっぱり気になる」
玲二は勢いをつけて起き上がると、一つ深呼吸をして乃木沢の番号を画面に表示させた。
メールの方が簡単だということは分かっているけれど、こういうことをメールで聞くのは何となく
違う気がする。
仕事中だったら、謝って切ればいい。
もうずいぶんと声も聞いてないから、ちょっとだけ声が聞ければそれでいいし。
よし、と小さくうなづいて玲二が通話ボタンを押そうとした瞬間、小さく携帯が震えた。
あまりのタイミングに思わず息を飲んで、表示された名前が乃木沢だということにさらにドキリとする。
何てタイミングの良さ(悪さ?)だろうか。
玲二が通話ボタンを押すと、すぐに乃木沢の声を聞こえた。
『玲二くん?』
「こんばんわ」
『ごめん、ずっと連絡できなくて』
「もう仕事終わったんですか?」
ラインの向こうはずいぶんと静かで外ではなさそうだ。もう帰宅しているのだろうか。
『ああ、さすがにそろそろ早く帰れって言われてね。玲二くんは今家?』
「はい」
久しぶりなことと、聞かなくてはならないことがあるという緊張感から何ともそっけない返事になってしまったせいで、乃木沢が一瞬無言になった。
『えーっと、玲二くん、怒ってる?ちょっと仕事でばたばたしてて・・・ってつまんない言い訳だけど、いや、ほんとせっかくの春休みだし会いたいのは山々だったんだけど、ほんとごめん』
「いいんです、仕事なら仕方ないし」
あ、嫌味な言い方になったかも、と思ったが、乃木沢は玲二の言葉に特に反応はしなかった。
『実は明日休みが取れたんだ。もし、会えるようなら会いたいなって思ったんだけど、どうかな』
「・・・あの、乃木沢さん」
『あ、もう予定入ってた?』
「いえ、そうじゃなくて。ちょっと聞きたいことがあるんですけど」
『なに?』
何の屈託もなく乃木沢が先を促す。
だからといって、乃木沢に後ろめたいことが全くないとは思えないのが辛いところである。
何しろ百戦錬磨の議員秘書でポーカーフェイスなどお手のものだ。必要であれば真顔で嘘をつくし、絶対に悟られることもない。
玲二が相手なら嘘なんていくらでもつけるに違いない。
だけど、乃木沢が玲二に嘘はつかないと、それは信用している。
「乃木沢さん、お見合いするって本当ですか?」
だからするっと一番聞きたいことを聞くことができた。
心臓がどきどきと脈打っていて、うるさいくらいだ。
玲二の問いかけに、一瞬乃木沢が言葉に詰まったのが分かった。
たぶん本当に一瞬のことで他の誰かなら気づかないくらいだろうけど、玲二には分かってしまった。
見合い話は本当で、乃木沢はあえて玲二にそれを言わなかったのだ。
『玲二くん、それって・・・』
「いいんです、すみません、変なこと聞いて。あの、また連絡します」
『え、ちょっと待って、玲二く・・・』
最後まで聞かずにそのまま通話を切った。すぐに折り返しがあるだろうと思って、そのまま電源も落とした。
ぼすんと枕に顔を埋めて、玲二は大きくため息をついた。
いろんな後悔が押し寄せて、何だかもう泣きたくなってしまった。
聞かなけりゃ良かったとか、どうして最後まで聞かなかったのかとか。
浮気(ではないが)防止のために、もっと自分から連絡すればよかったのか、とか。
だいたい恋人同士なのだから、何の遠慮がいるというのか。
だけど乃木沢は自分よりもずっと年上の社会人で。忙しくて大変な毎日を送っていて。
春休みで時間を持て余している自分から気軽に連絡するのはちょっと気が引けてしまうから。
「あー、もう電話なんてしなければよかった」
見合いだなんて聞かなかったことにしていればよかった。
だけど、たぶん、乃木沢と顔を合わせたら隠し事をしているなんてすぐにバレてしまうだろう。
せっかく明日休みだからって連絡をくれたというのに、自分から切ってしまうなんて。
それが一番の後悔だ、と玲二はがっくりと肩を落とした。
今日はちょっと無理だけど、明日もう一度電話してみよう。休みだと言っていたから、可能なら直接会って乃木沢の口から事情を聞いて、どうせたいしたことじゃなくて、きっとなぁんだと思うに決まってるから・・・
余計な心配なんてしなくていい、と玲二は自分に言い聞かせる。
目を閉じて大丈夫と胸の中で唱えていると、次第に眠気に襲われた。
こういう時は眠るに限ると思いながら半ば無理やりに眠りについた。
気持ちのいい眠りを妨げたのが、ばんっという大きな音だった。
あまりの大きな音にびくりと身体を震わせて、玲二は目を開けた。
部屋の扉を開け、立っていたのは乃木沢だった。
慌てて身体を起こした。
「え?」
夢でも見ているのだろうか、と玲二はまだぼんやりとした頭で考えた。
あれこれ考えながら眠ってしまったからこんな変な夢を見ているのか?と思ったが、すぐにこれが現実なのだと気づいた。
「え、乃木沢さん?」
「人が慌てて飛んできたっていうのに、ぐっすり眠ってるって・・きみね・・・」
はーっとその場にしゃがみこんで大仰にため息をつく乃木沢を見るのは初めてで、玲二は慌ててベッドから降りた。
「どうしたんですか、乃木沢さん。えっと、これ夢かな」
「違います。きみが話を聞かずに電話を切るから、これはおかしな誤解をしてるに違いないと思って飛んできたんだ」
はーっと肩を落として、乃木沢はのろのろと立ち上がった。
いつもより砕けた服装なのは慌てて出てきたせいだろうか。髪もらしくなく乱れている。
決してきちんとした格好ではないのに、久しぶりに見る恋人は相変わらずカッコいい、と場違いなことを思って玲二は戸惑う。
それにしてもまさか乃木沢がやってくるとは思わなかった。
「乃木沢さん、あの・・・」
「玲二くん、いったい誰に何を言われたんだい?」
玲二はつい先ほど父親から聞いた話を乃木沢に伝えた。
聞き終えた乃木沢は見るからに不本意だという表情を玲二に見せた。
「それ、ぜんぜん違うから」
「そう・・なんですか?」
「微妙に輪郭だけは合ってる。見合い話が来たのは本当。だけどそういうのは今までも何回もあったんだよ。で、もちろんその度にきちんと断ってる。今回も同じ。少し前に、きみのお父さんと偶然会ってね、その時にそんな話になったんだよ。仕事が忙しいのに見合いなんて持ち込まれて大変だってね。何をどう勘違いしたのか、見合いをするのに大変だって思われたようだ。正しくは見合いを断るのに大変ってことなんだけど」
「ああ」
案外とそそっかしいところのある父親を思い浮かべ、そういう勘違いはありそうだと思った。
忙しいという言葉と見合いという言葉だけを繋げて、いつの間にか乃木沢が見合いをするのに忙しいということになっていたのだろう。
なるほど、父親の思い違いという線は思いつかなかった。
「それで、玲二くんは俺が見合いするって思ったわけかい?」
乃木沢に問われ、玲二は少し考えた。
「・・・もし乃木沢さんが結婚したいって思ったのなら、見合いなんてしなくても相手は選び放題だろうな、ということは断れない事情があるのかもしれない、とは思いました」
「冷静だな」
「だけど、やむにやまれぬ事情があったとしても、見合いするのはやっぱり嫌だなって」
「それ、平気だって言われるとかなりへこむよ」
言うと乃木沢はぎゅっと玲二を抱きしめた。
久しぶりに触れ合う乃木沢の温もりに、玲二はほっと力を抜いて身を任せた。
本気で疑っていたわけでもなく、本当だとしても何か理由があるはずで、それ以前に、乃木沢が玲二のことを嫌いになるわけはないとちゃんと分かっていた。
なのに不安は拭いきれず中途半端な電話なんてしてしまった。
「乃木沢さん、怒ってます?」
「こんなことで怒ったりしないよ。ただ玲二くんが変に誤解してたら困るなと思って、慌てて家を出たよ。だが、こんな時間にちょっとまずかったかもしれない」
それは確かにそうだ。
いつもなら休みの日の昼間に、恩師を訪ねてきた風を装って家にやってくるのに、今日は平日の夜、何の約束もなくいきなりやってきたのだから、どう考えても両親は不審に思っているだろう。
「俺が来て欲しいって言ったことにします」
「あー、いやいや、玲二くんはそういうこと言うタイプじゃないだろ。一応言い訳は考えてきた。以前からきみが読みたいと言っていた本を見つけて、ちょうど近くまで来たからついでに持ってきたっていうのはどうかなと思って、さっき迎えてくれた奥様に言ってみたけど、微妙な顔されたよ」
「はは、確かにちょっと唐突だったのかも」
思わず吹き出した玲二につられたように乃木沢も笑った。
それからごくごく普通にちゅっとキスをされた。
「ずっと連絡できなくて悪かった。ほんと、死亡フラグが立ちそうなくらい忙しくてね」
「分かってます」
「少しは会いたいと思ってくれてたかい?」
「それはもちろん」
「でもメールも電話もないから、忘れられたかと思ったよ」
「迷惑かけたくなかったから」
乃木沢は低く唸ると、もう一度玲二を抱きしめた。
「こういうこと言うのはずるいと分かってるけど、ちょっとくらい我儘言って欲しいな。
玲二くんは年齢の割に物分かりが良すぎて物足りない時がある」
「じゃあ今から乃木沢さんの家に行ってもいいですか?明日休みだって言ってたから、それなら今夜から行きたいです」
「え」
ほら、我儘言うとそういう顔するくせに、と玲二はちょっとばかり意地の悪い気持ちになった。先に言い出したのは乃木沢だ。
「ずっと放置してたからお詫びしてください」
「あー」
「今すぐ両親が納得する理由を考えてください」
「うー」
ずいっと乃木沢につめよってみる。
本気で言っているわけではないが、たまにはこれくらい乃木沢を困らせてもいいだろう。
だけどさすがに可愛そうになり、嘘ですよと玲二が言いかけた時、遠慮がちに扉がノックされ、ひょこっと弟が顔を覗かせた。
「二人とも、仲直りできた?父さんが降りてこいって言ってるけど」
「さ、乃木沢さんの腕の見せ所ですね」
玲二がからかうように言うと、乃木沢は両手を上げて
「わかった。何とかするよ」
と請け負った。
そのどこかふてぶてしい笑顔に玲二は呆れると同時に嬉しくなった。
乃木沢がそう言うなら本当に何とかしてくれるに違いない。
突然降って湧いたような幸運に、抱いていた不安が綺麗に消えていく。
いくら信用していても、やっぱり時には不安に思うことはあるだろうし、ヤキモチを妬くこともあるだろう。だけど乃木沢が玲二のことを悲しませるようなことはしないということだけはちゃんと分かってる。
他人からすればバカみたいに見えるかもしれないけど、たぶん自分たちはこれでいいのだと素直に思える。
「乃木沢さん、会いに来てくれてありがとうございます」
弟には聞こえないように小さく言うと、乃木沢は嬉しそうに笑った。






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あとがき

定番の見合いネタなのに喧嘩にならんかったよ。