見えない明日 貴方を想う


ギイはどこにいてもすごく目立つ。
髪の色とか肌の色とか、外国人の血が四分の一混じっているせいかすごく淡くて、黒髪の日本人の中にいると、そこだけ色合いが違って見えるのだ。
だから自然と目がいってしまう。
ギイとは住む世界が違うと分かっているのに、どういうわけか気づくと視界の端に彼がいた。
これといって楽しいことなんてないぼくの生活の中で、ギイだけはキラキラと輝いていて、誰も気づかれないようにこっそりと見つめるだけでも、何だか贅沢なことをしているような気持ちになった。
だけどそれだけ。
彼と親しくなりたいとか、一緒にいたいとか、そんなことは思ったことがなかったのだ。
だって、ギイとぼくの間に共通点なんて何もないのだから。
そう思っていたのに、2年に進級したその初日に、ぼくはギイから告白されて、あれよあれよといううちに恋人ということになってしまっていた。
恋人?
正直に言って、まだ全然この状況が理解できなくて、戸惑っていた。
ぼくと、あのギイが恋人?
やっぱりどうしても信じられない。





あ、ギイだ。

廊下の窓から、ふと中庭を見下ろした時に、ギイの姿が目に入った。
相変わらずふわふわでキラキラの髪をなびかせて、何だか早足で歩いている。
2年に進級してもギイはやっぱり級長で、あちこちから声がかかっては顔を出している。
そういうのを何でもない顔をして普通にこなしてるのってすごいなぁって思う。
ぼくには絶対無理だから。
そういえば、副級長にさせられてしまったんだっけ。
ああ、何だか今から胃が痛い。
ギイはフォローするから大丈夫、だなんて言ってるけど、ぼくに副級長の仕事なんてできるだろうか。
「ギイ!」
ばたばたとギイに駆け寄ってくる高林泉の姿が目に入った。
ギイが足を止めて振り返る。
あの音楽堂での夜以来、泉はぼくへちょっかいを出してくるのをぴたりと止めた。
泉に傷つけられた額の傷はもう薄くなってきている。
何か切羽詰った様子で、泉はギイに何かを言っている。
ギイはうんうんと話を聞きながら、時折笑顔を見せて言葉を返していた。
2人の話までは聞こえてこない。
だけど2人とも笑顔だ。
泉はずっとギイのことが好きだった。
好きで好きで、ぼくのことを傷つけようとするくらいにギイのことを思っていた。
そんな風になりふり構わずに人を好きになれるっていうのは、ぼくからしてみればすごいことで、だからどうしても泉のことを嫌ったり憎んだりすることはできなかった。
章三にはお人よしだなと笑われたけれど、本当にそんな気持ちにはならなかった。
好きな人に好きだと言うのはとても勇気のいることで、それはぼくには持てなかった勇気だからだ。
泉が文句を言うような表情でギイに何かを言い、ギイは軽く肩をすくめて泉の頭をぽんぽんと叩いた。
そしてそのまま手を上げてその場を去っていった。
「仲いいんだなぁ」
あんなことがあったけど、ギイは誰にでも平等に優しくて親切だ。
ギイはどうして泉を選ばなかったんだろう。
泉は美少女と見間違うくらいに整った顔立ちをしていて、誰よりもギイのことを好きでいた。
病気だって持ってない。
ぼくはぎゅっと腕を掴んだ。
あの夜、音楽堂でギイにキスされた。
びっくりして、だけど嫌だとは思わなかったけど、身体は見事なほどに拒否反応を示した。
人間接触嫌悪症は、たとえギイでも治せないんじゃないだろうか。
だとしたら、ぼくはギイの恋人になんてなれはしない。
「ギイ・・・」
ぼくは本当にきみのそばにいてもいいのだろうか。




夜の食堂は少しでも出遅れると、空いた席を見つけるのは困難になる。
トレイを手にしたまま、ぼくは空いた席を探した。別にどこでもいいのだけれど、できればあまり隣の人と触れ合うことの少ない端の席がいい。
「託生ー、こっちこっち」
声がした方を見ると、利久が片手を上げてぶんぶんと振っていた。
無意識のうちにほっとして、ぼくは利久の隣に座った。
「なぁ託生ぃ、今日のオムライス、何か味が薄いんだよ」
「そうなの?でも利久、そんなにケチャップかけてたら味なんて分からなくなるだろ?」
「分かるさ。時々食堂のおばちゃん、味付けおかしいときがあるよなぁ」
ぶつぶつ言いながらも、利久がもりもりとオムライスを片付けていく。
サイドメニューのサラダを突きながら、ぼくは広い食堂の中にギイの姿を探していた。
同じ部屋になってからというもの、ギイと一緒に食事をするのが当たり前のことのようになっていて、周囲からは羨望とやっかみと疑惑の視線を浴びることになってしまった。
ぼくとしては目立つことこの上ないギイと一緒にいると心休まることがないので、せめて食事くらいは静かに食べたいというのが本音だった。
今日はちょっと用事があるから夕食は別で、と言われた。じゃあ今日は目立つことなく食事ができると思っていたのに、離れたとたんギイの姿を探してしまうなんて。
自分でもどうかしてると思う。
「利久、級長の仕事どう?」
「ああ?まぁ今のとこはこれといってはなー。分からないことばかりだけど、みんなで相談しながらって感じかな」
「そっか、良かったね。心配してたけどやっぱり何とかなったじゃないか」
「そりゃあんな適当な決め方したんだから、手伝ってくれなきゃ困るぜ」
ぶつぶつ言ってるけど、利久は友達が多いから、誰もが手を貸してくれるんだろう。
「託生も副級長だろ?でもまぁ、託生んところはギイがいるからな。別に何の問題もないよな」
「うん、まぁ・・・」
利久は空になった皿を脇へ避けると、ずいっとぼくの方へ身を乗り出した。
「託生、大丈夫か?」
「え?何が?」
「寮の部屋さ、ギイと一緒で、俺としてはほっとしたんだけど・・・ほら、ギイは他のヤツらみたいに面白がって託生に触ったりしないだろうし、からかったりもしないだろ?」
「・・・うん」
利久はぼくの病気のことをいつも気にかけてくれていて、去年はずっと親身になって助けてくれた。
この前だってギイと仲良くしろよと言って、実家から送ってきた笹かまをお裾分けしてくれた。
「託生、ギイと上手くやってけそうか?」
「たぶん」
たぶん、友達としてならそれほど悩むことなく付き合えたんだろうと思う。
嫌悪症のことだって理解してくれているし、友人としてはきっとこれ以上ないくらいの人なんだろうと思う。
だけど、友達じゃなくて恋人という関係になりたいと、ギイは言うのだ。
「託生」
「なに?」
「もし、どうしても辛かったらちゃんと言うんだぞ」
「え?」
利久は腕組をして、難しい顔をしてぼくを見た。
「だから、いくらギイでも託生の病気を治せるわけじゃないだろうし、ギイはめちゃくちゃいいヤツだけど、何しろ目立つし心酔してるやつも多いからさ。そんな連中から、託生が理不尽な仕打ちを受けないとも限らないだろ」
「・・・利久」
「だからさ、もしどうしても辛いことがあったら、ちゃんと俺に言うんだぞ。そりゃギイみたいには上手くできないかもしれないけど、託生のことは1年一緒にいて、俺の方がよく分かってるし、ちゃんとそんな連中に意見するからさ」
「利久が?」
「そうだよ。俺だってやる時はやるんだからな」
どこか恥ずかしそうに早口で言う利久に、ぼくは笑ってしまった。
1年間、ぼくはずいぶんと利久に面倒をかけて、本当なら呆れて離れていってもおかしくないのに、利久はずっとぼくのそばにいてくれた。
やっと面倒なぼくを離れることができたというのに、こんな風に心配してくれるんだね。
「ありがとう、利久」
「な、何だよ、あらたまって」
「困ったことがあったら、ちゃんと利久に相談するから」
「約束だぞ」
ちょっと照れたように利久が念を押した。
以前のぼくなら、こんな風に利久から言われても、大丈夫だからと言って少し距離を置こうとしてしまったような気がする。
他人と深く関わりあうのが怖かったから。
だけど、今は利久の気持ちを素直に受け入れることができる。
不思議だ。いったい何が変わったのだろうか。
「あ、ギイだ」
利久のつぶやきにぼくは顔を上げた。
食堂の入口からギイと章三、そして高林泉が一緒に入ってきた。
「珍しい組み合わせだなー」
「そうかな」
「だってさ、まぁギイと赤池は親友だからしょっちゅう一緒にいるけど、ギイ、高林のことは完全無視だったからさー」
そうなんだ。だけど、昼間に見かけたときは、二人は普通に仲良さそうに見えたんだけどな。
3人は空いた席に座り、和気藹々と食事を始めた。
「けどやっぱりギイと高林のツーショットは眩しいな」
「そうだね」
周囲の人間も、どこか見惚れたような表情でギイと泉をちらちらと見ている。
「高林は性格は別として、顔だけは美少女だもんなぁー。ギイと並ぶとほんとオーラ出まくりだよな」
誰が見ても、ギイと泉はお似合いなのだ。
ぼくなんかと一緒にいるよりも、やっぱりギイは泉みたいな綺麗な人と並ぶ方が似合ってるのに。
「ご馳走さま」
「何だよ、託生、ぜんぜん食べてないじゃんか。具合でも悪いのか?」
「そんなことないよ。先に戻るね」
「体調悪いなら中山先生のとこに行けよ」
「わかったよ」
トレイを手にして立ち上がった。ギイたちの方は見ないようにして、カウンターへとトレイを戻して、ぼくは食堂をあとにした。




夕食が済むと寮の部屋で消灯までの間は勉強をするというのが一般的な過ごし方だ。
特に部活をやっている人は夕食が終わってからしか自分の時間は取れない。
ぼくは部活をやっているわけではないので、授業が終わって寮に戻ってから夕食までの間に宿題なんかは済ませてしまうので、夕食が終わってからの時間はどちらかといえば自由時間になっている。
ベッドに寝転んで本を読んでいると、ギイが戻ってきた。
「託生、戻ってたのか」
「おかえり、ギイ」
起き上がって、脇へと本を伏せた。
ギイは疲れたーと言いながらクローゼットの扉を開けた。
「今日は一緒にご飯食べれなくてごめんな。明日は一緒に食おうな」
「あのギイ・・・」
「うん?」
制服を脱いで私服に着替えるギイを横目で見ながら、ぼくは言葉を選んだ。
「あのさ、食事は一緒にしてくれなくてもいいよ。あの・・・ギイも仲のいい人と食べる方が楽しいだろうし、ぼくもその方が気楽っていうか・・・」
シャツのボタンを外していたギイの手が止まり、訝しげにぼくを眺める。
怒らせてしまっただろうか。
同室になって、あれこれと気を使ってくれている好意を拒否するようなことを言われては、ギイだってやっぱりいい気はしないだろう。
だけど、ギイの隣には章三や泉みたいな人の方が似合うし、ぼくと一緒にいたら、周りから何を言われるかも分からない。
「託生・・・?」
「ほんとにいいからっ、ぼくに気を使ってくれなくても・・・あの・・・」
ギイははーっと息をつくと、そのままぼくの隣に腰を下ろした。
「なぁ、オレと一緒に食べるのは嫌か?」
「え、そんなことは・・・ない・・んだけど・・・」
正直なところ、ギイといるとそれだけで目立つので、生きた心地がいないというか。
そういう意味では一緒にいると困るのは確かだ。
だけど、それはギイ自身が嫌だということではなくて、むしろいつも何が起きるか分からないギイといるのはドキドキして楽しいのだ。
だけどギイには迷惑なんじゃないかと思ってしまうから。
つまはじき者だったぼくといたら、ギイだって奇異の目で見られてしまう。
「あのさ、オレは託生と一緒にいたいんだよ」
「・・・でも・・・」
「オレたち、恋人同士になったんだよな?」
「えっと・・・」
ギイはぼくのことを好きだと言った。ぼくもギイのことは嫌いじゃない。
告白されて、キスをして、それってイコール恋人同士になったってことになるのだろうか。
そんな簡単に、それまで話したこともなかった相手と?
「ごめん、オレやっぱり急かしすぎてるよな」
ぼくが口篭っていると、ギイはごめんなとぼくの顔を覗きこんだ。
ふいに目の前に近づいて綺麗な顔に、一気に鼓動が高まった。
思わず身を引くと、ギイはぱちぱちと瞬きをした。
「託生、そんなに警戒しなくても、いきなり触ったりしないから」
「そ・・んなこと・・は・・・」
誰かに触られたら全身粟立ち、たまらない吐き気に襲われる。
あの音楽堂の夜から、少しづつマシになってきているようにも思うのだけれど、だけどやっぱり怖い。
ギイはちゃんとそれを分かっていて、不用意に近づいたり触ったりはしない。
ほどよい距離感を保ってくれていることに、ぼくはちゃんと気づいている。
「託生、触ってもいい?」
「でも・・・っ」
「大丈夫。本当にダメなら突き飛ばしてくれていいから」
そう言って、ギイはそっとぼくの手に触れた。
とたんに、全身にぞわりと寒気が走る。だけどギイはそのままゆるゆるとぼくの指を握った。
「託生の指って長くて綺麗だな」
「そんなこと、初めて言われたよ」
「オレも手は大きい方だけど、もしかしたら託生の方が大きかったりするのかな」
どうだろう、とギイはぼくの手を持ち上げて、ぴたりと手のひらを合わせた。
意外なことに、ぼくとギイの手の大きさは同じくらいだった。
何となくギイの手の方が大きいような気がしていたのに。
「やっぱりピアノ弾くからかな」
さらりとした手のひらから温もりが伝わってくる。
他人の体温なんて気持ち悪いだけだったのに、今はぜんぜん嫌な感じはしなくて、こうしてギイに触れられていると、逆にほっとしてしまう。
「爪」
「え?」
ギイがぼくの指先をそっと手の上に乗せた。
「託生、爪の形も綺麗だな」
「・・・」
何か素敵なものでも見つけたかのように笑って、そしてそのままゆっくりとギイはぼくの指先に唇を寄せた。
一瞬、何が起きたか分からなくて、けれどすぐに何をされているかが分かって思わず振り払うようにして思い切り手を引いてしまった。
「あ・・・ごめん・・・っ」
「託生、顔真っ赤だぞ」
くすくすと笑うギイは余裕綽々で、こういうことに慣れてるのかなと思うと、ぼくはますます居たたまれなくなってしまう。
唇が触れた指先はじんじんと熱を持っていて、そこから何か違うものになっていってしまうような気がした。
ギイはぼくの頭をぽんぽんと叩くと立ち上がった。
その仕草は、昼間、泉にしたものと同じもので、あの場面が脳裏に甦って、ぼくはひどく混乱してしまった。
「高林くんにも・・・」
「え?」
思わずつぶやいた小さな声に反応してギイが振り返る。
はっとしてぼくはううんと首を振った。
「高林がどうかしたか?」
「ううん・・何でもない」
ギイは少し考えたあと、
「なぁ、もし何かあったらちゃんとオレに話してくれよな。今度はちゃんとオレが守るから」
「大げさだなぁ、ぼくは大丈夫だよ」
今までだって一人で何とかしてきたのだ。
ギイはちょっと困ったような表情を見せて、うんとうなづいて洗面所へと入っていった。

高林くんにも同じことしてたよね

いったい何を言うつもりだったのだろう。
あんなのはギイにとっては別に深い意味なんてないことなんだ。
ぼくはまだ熱を持っている指先にそっと唇を寄せた。
どうしよう。
ぼくはどんどんギイのことを好きになっていってる。
ギイの隣に並べるような人間じゃないのに、もしかしたらなんて思い始めている。
きらきらと輝くギイの眩しさに惑わされて、ぼくは愚かな勘違いをしてしまいそうになっている。

(託生、爪の形も綺麗だな)

違う。
ぼくはギイが思うほど綺麗じゃない。
本当は何もかも汚れているのに。
ギイがそんなこと言うから、ぼくは愚かな勘違いをしていまいそうになる。





新しいクラスにも慣れてきて、去年までとは違って、どういうわけかぼくに声をかけてくる人が増えていた。最初は挨拶程度。そのうち、休み時間にちょっと言葉を交わしたり。
そばにギイがいるおかげだと分かっていても、それはとても新鮮でくすぐったく、それまでの世界が少しづつ変わっていく予感に柄にもなくドキドキしたりしていた。
ギイとの距離感は相変わらずで、だけどそれはぼくが近づこうとしないからだった。
恋人だと言ってくれるギイに、ぼくはどうしても近づくことができなくて、ギイが何も言わないことをいいことに、今の状況に甘えていたのだ。
明日は日曜日だという土曜の午後、ぼくは寮の給湯室でばったりと高林泉出くわしてしまった。
先に中にいた泉は、入ってきたのがぼくだと気づくとしばし無言でじっと見つめてきた。
「葉山、今ちょっといい?」
「え、うん・・・」
手にしていたポットをその場に置いたまま、泉はじゃあこっちとぼくを給湯室から連れ出した。
人気のない場所まで来ると、泉はまじまじとぼくを眺め、それからどこか戸惑う様子を見せた。
「葉山、傷はどう?」
「え?」
いきなり問われて、何のことか分からなかった。
それがあの音楽堂で傷つけられた額のことだと気づいたのは、泉の視線がぼくの額にあったからだ。
「ああ・・・うん、大丈夫だよ。ありがとう」
前髪を掻き分けて、もうかさぶたも剥がれて薄くなった傷跡を見せてみる。
泉は顔を近づけて傷跡を確認すると、ほっとしたように固かった表情を緩めた。
「良かった」
その小さな一言に、ぼくは泉があの夜からずっとぼくのことを心配してくれていたことを知った。
正直なところ、ずっと何かと突っかかられて泉に対してはあまりいい印象は持っていなかったのだけれど、あの音楽堂の夜、吉沢の叱責されてうなだれた姿を目にしてからは、何だかがらりと印象が変わってしまっていた。
「あの時・・・」
泉がそっぽを向いたままぽつりと言った。
「吉沢に言われて勢いのまま謝ったけど、何が何だかわからないままだったし、ギイに聞いたらケガは大丈夫だからって言われて安心はしてたけど、自分で確認しないうちは納得できなくて」
「ああ・・うん・・」
泉の言葉で、あの中庭での光景が思い出された。
もしかして、あの時泉はギイにぼくのことを確認していたのだろうか。
「ギイには葉山は大丈夫だからしばらく近づくなって言われてさ、ひどいと思わない?」
「え、そうなの?」
「僕がまた葉山に何かするとでも思ってんのかな。もうギイのことは綺麗さっぱり諦めたっていうのにさ」
「高林くん、ギイのこと・・・好きだったんだよね・・・」
今さら何を言い出すんだ、とでも言いたそうに泉がじろりとぼくを睨む。
「好きだったよ。今でも好きだよ。だけど、もう終わりにすることにしたから」
「・・・」
「何でギイともあろう者が僕より葉山を選んだのかは未だに謎だけど、誰かを好きになるのって自分じゃどうしようもないことなんだなって最近気づいたし」
やれやれというように泉は軽く肩をすくめた。
「あの・・聞いてもいいかな?」
「何?」
いつもの高飛車な切り返しに一瞬怯んで、だけど思い切って聞いてみた。
「どうして・・・高林くんは自分の気持ちに素直に、その・・好きだって気持ちを好きな人にちゃんと言うことができるのかな、って・・・」
「はぁ?」
何だよそれ、と泉は見るからに嫌そうな顔をしてみせた。
「・・・葉山、ギイのこと好きなんだろ?」
「・・・・」
「別に僕に遠慮しなくてもいいよ。なに、好きだって言ってないの?言えばいいじゃん。ギイだって葉山のことが好きなんだし、何の問題もないだろ」
「でも・・・ぼくなんか・・・」
「あのさー」
うんざりしたように泉が溜息をついた。
「何で葉山ってそんなに自分に自信がないわけ?見ててイライラしちゃうよ。好きだって言えないのは、ギイが振り向いてくれなかったらどうしよう、とか思ってるから?それってただ自分が傷つきたくないだけなんじゃないの?傷つくくらいなら諦めた方が楽だってこと?」
「それは・・・」
そうだ。ぼくは今までずっとそうして生きてきた。
本当に欲しいものを求めれば裏切られて傷ついて。自分を守るためには諦めるしかないと思ってきた。
そうして自分を守ってきた。
ギイのことは好きなのに、彼の気持ちを受け入れるのはすごく怖い。
求めて、手に入れて、だけど失ったらと思うと怖くて一歩が踏み出せない。
黙り込んでしまったぼくに、泉はしょうがないなというように言葉を続けた。
「葉山さ、気持ちは分からなくはないけど、そんな風に怖がってちゃせっかく目の前にある幸せを見逃しちゃうことになるんじゃないの?それってすっごくもったいないと思わない?あとになって後悔したって遅いんだよ?わかってる?」
「う、うん・・・」
立て板に水のごとくがんがんと責められ、おまけに泉の言うことは正しいことなので、ぼくは何も言い返せずにうなづくしかない。
「とにかく、この前はごめん。それだけ言わなきゃって思ってたから。せいぜいギイに愛想尽かされないように頑張りなよね。ギイの気持ちは分かってるんだから、好きって言えばいいだけだろ。ごちゃごちゃ考えるよりまずはそれからなんじゃないの?」
「・・・」
「誰かを好きになるっていいことばかりじゃないよ。ギイにはさんざん振られてそりゃ僕だって少しは傷ついたし。だけど後悔はしてないよ。あ、葉山にしたことは悪かったと思ってるし後悔もしてる。でも僕はやるだけやったから自分の気持ちにピリオドも打てた。葉山はまだ何もしてないじゃん。僕も頑張るって決めたから、葉山も頑張れば?」
じゃあね、と泉は言いたいことだけ言ってしまうとさっさと給湯室へと戻ってしまった。
何だかいろいろと言われてしまったけれど、泉はぼくの怪我のことが気になっていて謝りたかったということなんだろう。おまけにギイとのことも頑張れと励まされてしまった。
「変なの」
ついこの前までは目の敵にされていたようにも思うのに、こうして話をしてみると不思議と気持ちが通じる部分があった。どこまでも強気で口の悪い泉だけれど本当は優しい人なのかもしれない。
もしかしたらもっと仲良くなれるかもしれない。
仲良くなれるまではいかなくても、普通の友達にはなれるかもしれない。
そう思うと、何だか嬉しくなってしまう。
ぼくは少ししてから給湯室へ戻り、ポットにお湯を入れて305号室へと戻った。
「遅かったな。給湯室混んでたか?」
中ではギイがコーヒーを入れる準備を整えて待ってくれていた。
ぼくは遅くなってごめん、と言って、ポットのお湯をカップへと注いだ。
「給湯室に高林くんがいて・・・」
「高林?何かあったのか?」
心配そうな声色にぼくは苦笑した。
「ギイ、高林くんにぼくに近づくなって言ったんだって?」
「え?何だ、そんな話したのか?」
ギイは決まり悪そうに視線を彷徨わせた。ぼくはコーヒーの入ったカップをギイへと手渡した。
「高林くん、ぼくの怪我のことを心配してくれてたみたいで、ごめんって。今までちゃんと話をしたことなかったけど、何だか仲良くなれそうな気がしたよ。どうしてギイはぼくに近づくなって言ったんだい?」
「あー、別にずっと近づくなってことじゃなくて、あくまでしばらく、だよ。あんなことがあったばかりだし、高林もほら、吉沢のことでいっぱいいっぱいだし」
「吉沢くん?」
「そ。あいつ、思い込んだら一直線のところがあるから、自分のことを棚にあげて、託生にあれこれおかしなことを言ったりするんじゃないかと思って、しばらく近づくなって言ったんだよ。託生の怪我のことは気にしてたし、もう嫌がらせみたいな真似はしないって分かってたけど・・・」
「けど?」
ぼくが聞くと、ギイはうーんと少し考えたあと、ふっと笑った。
「いや、単にオレが心配性なだけだった。託生が嫌な思いするんじゃないかなんて、勝手に思ってた。でも、仲良くなれそうな気がしたんだよな、託生は」
「・・・」
「そうだよな、託生ってそういうヤツだよな」
すごく納得したようなギイにぼくは何と言っていいか分からずに黙り込んだ。
ぼくは何かおかしなことを言ったのだろうか。
「あの・・・ギイ」
「うん?」
「・・・どうして高林くんを選ばなかったんだい?」
「?」
中庭でのギイと泉が一緒にいた場面を思いだす。
2人はとても似合っていた。
泉は本当はすごくいい人だ。怪我をしたぼくのことを心配するほどに。
彼はとても綺麗で、ギイの隣にいても誰もおかしいとは思わない。
何のとりえもないぼくなんかより、泉の方がずっと・・・
「オレは・・・」
ギイは手にしていたカップを机に置くと、少し困ったようにぼくを見た。
「オレは託生が好きなんだよ。それだけ。それだけじゃ理由にならないか?」
「・・・」
「託生は、オレが託生を好きでいると迷惑?」
「そんなことはないけど、どうしてギイがぼくなんかって・・思ったから」
「オレは本当の託生を知ってるから」
「え?」
本当のぼくって何だろう。
去年一年間のぼくを見ている人からすれば、とてもじゃないけど好きになってもらえる要素なんてないはずなのに。
ぼくがまじまじとギイを見つめていると、ギイはにっこりと笑った。
「託生が好きだよ。だから託生もオレのことを好きになってくれると嬉しい」
どこまでもストレートなギイの言葉、それはぼくの胸の奥をふわふわと温かくしていく。

(怖がってちゃせっかく目の前にある幸せを見逃しちゃうことになるんじゃないの?)

泉の言葉はきっと正しい。
ぼくが本当の気持ちをギイに言えば、ぼくだけじゃなくてギイも嬉しいって思ってくれるのだろうか。
「ギイ」
「うん?」
「ぼくも・・ギイが好きだよ」
言ったとたんに顔が熱くなって火が出そうだと思った。目の前のギイがすごく驚いた顔をしたことで、さらに恥ずかしくて逃げ出したくなる。
「託生・・・」
「あ、えっと・・・あの・・・す、好きだけど・・・だから何ってことじゃなくて、ただちゃんと言わなくちゃダメなのかなって・・・。今まで思ってることを言葉にしなくて、誰からどう思われたって平気だって思ってた。でもギイにはちゃんと知って欲しいって思ったから。あの・・・ギイはいつもぼくに好きだ・・って言ってくれるから」
その言葉はぼくの中にある何かをゆっくりと溶かしてくれる。
見ようとしなかった世界に目を向けさせてくれる。
決して仲良くなんてなれないだろうと思っていた人とも、もしかしたら仲良くなれるかもしれないと思わせてくれる。
たった一言。
好きだよ、という言葉で、ギイはぼくを変えてくれた。
「ギイが好きだよ」
そして、同じ言葉を返すだけで、ぼくはそれまで気づかなかった優しい気持ちが芽生えていくことに気づく。
ギイは嬉しそうに笑った。
その笑顔は何だかいつもよりもずっと子供っぽく見えてドキドキしてしまった。
もしかしたらぼくの一言でも、ギイの何かを変えることができるのだろうか。
そんなおこがましいことを考えるなんて馬鹿みたいだけど、だけど、もしかしたら・・・。
ギイが触っても大丈夫?と聞き、ぼくは小さくうなづいた。
そっと抱きしめられて、目を閉じる。
誰かを好きになるなんて初めてだから、どうやってギイの気持ちに応えればいいのか分からない。
このままギイを好きでいていいのかもすごく迷う。
何より、ギイに本当のことを知られたらと思うと胸が痛む。
だけど今は少しだけ信じてみたいと思うのだ。
ギイの気持ちとか、ぼくの気持ちとか。
2人の明るい未来とか。
明日のことは分からないけれど、ギイと一緒ならきっと何かが変わる気がした。





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あとがき

もだもだしてる2人はいい!このあたりの2人が好きだー。