消灯後、ひっそりとした寮を抜け出すと、約束した場所に真行寺が立っていた。 もう4月だというのに、夜の空気はきんと冷えていて、薄手のセーターだけでは寒いくらいだ。 夜空に綺麗に浮かんだ月の光のおかげで、深夜だというのに辺りは明るく、薄闇の中に背の高いシルエットを浮かび上がらせていた。 真行寺は俺に気づくと、嬉しそうに笑った。麓の女の子たちが見たら、そのまま恋に落ちてしまいそうなほどの綺麗な笑顔に、緩みそうになる口元を引き締めた。 「こんばんわ、アラタさん」 真行寺は白い息を吐いて、首に巻いていたマフラーを俺の首にかける。 「何だか冬に逆戻りしたいみたいな寒さっすね」 「・・・別に外で待ち合わせしなくてもいいだろうに」 いつも寮の空き部屋で会うというのに、どうして今夜に限って外なんだ? それに付き合う自分もどうかと思うが、どうしても、と拝み倒されてうっかり約束してしまった。 「今夜は特別です。良かった、来てくれて」 いたずらっ子よように笑う真行寺に、肩をすくめる。 消灯後にこっそりと部屋を抜け出して、空き部屋で会うようになってもう1年になる。 カラダだけの関係だと言い続けているのに、真行寺はそれでもいいといって一向に関係を終わらせる気配はない。 (物好きだな) それは真行寺だけではなく、自分にも言えることだ。 こんな関係、一方的に終わらせようと思えばできるのに、どうして文句を言いながらも会っているのか。 いつの頃からか、俺は、その理由を考えることを避けてきているような気がする。 「アラタさん、こっちです」 「どこへ行くつもりだ?」 「いいからいいから」 ポケットに手を入れて、真行寺が歩き出す。俺よりもずっと薄着なくせに、寒そうには見えない。 子供は体温が高いせいか? 「アラタさん、今日の体育、バスケだったでしょ?」 「何で知ってるんだ」 「見てました」 「・・・真面目に勉強しろよ、お前」 呆れる俺に、真行寺は子供っぽく舌を出す。 「アラタさんがゴール決めるとこもばっちり見てました」 かっこ良かったっすねー。などと手放しで褒められても何と言っていいものやら。 無邪気に喜ぶ真行寺の方こそ、運動神経は抜群に良くてスポーツは何でもこなすのだ。 部活では剣道をしていて、その腕前もなかなかのものだと耳にしたことがある。 勉強の方もそこそこできるようだし、客観的に見れば、真行寺はイイオトコの部類に入るんだろうなと思う。 もっとも、俺の前ではいつも子供っぽくてヘタレなので、そんなことは思わないのだが。 先を歩く真行寺はどんどんと敷地の外れにある温室方向へと向かっていく。 「おい、どこまで行くつもりだ?」 「あとちょっとです」 やたらと広い祠堂の敷地。温室はその外れにあり、日中だってあまり人は訪れない。 もちろんこんな夜中では誰もいないだろう。 「お前、おかしなこと考えてないだろうな」 「何っすか?おかしなことって」 いたずらっぽく笑う真行寺に蹴りを入れ、そのまま先を歩く。 「真行寺」 「はい?」 「ほんとにどこに行くんだ?」 「あそこです」 真行寺の指先方向に視線を向けると、薄闇の中、ぼんやりと白い花が見えた。 桜・・・?じゃないな、梅・・・でもない。 見たことはある。でも名前までは知らない花だった。 「やっと咲いたんで、俺、アラタさんと一緒に見たくって」 そう言って、真行寺は花の傍に立つと、目を細めてその白い花を見上げた。 そして俺を振り返って試すように尋ねる。 「これ、何て花か知ってますか?アラタさん」 「・・・・ハクモクレン」 「すっげ、絶対知らないと思ったのに!」 真行寺が心底驚いたというように目を見開く。 (ああ、知らないよ) 俺は真行寺の足元を指差した。 そこには花の名前を記したプレートが刺さっている。 「あ、ずるい」 「ずるくない」 笑って、俺も真行寺の隣に立ってその花を見上げた。 冷えた空気の中、凛とした風情で咲く美しい花に心を奪われる。 祠堂の敷地内に、こんな花が咲いていたなんて知らなかった。桜並木はいつも見事だとは思うけれど、それだって別に花見をするわけでもなく、ただ通りすがりにそう感じるだけだ。 「お前に花を愛でる趣味があるとは知らなかったな」 「別にそんな趣味はないっすよ。花の名前なんてほとんど知らないんですけど・・・」 真行寺は俺を見ると、ちょっと照れたように笑った。 「この花、ばあちゃんちの庭に咲いてたんです。毎年春になると綺麗に咲いて。ばあちゃんが一番好きな花だったんで、俺も名前を覚えてたんです」 「・・・そうか」 「まさか祠堂で見られるとは思わなかったっすけど、ここにあるって知って、どうしてもアラタさんと一緒に見たかったんです」 「・・・・」 「寒いのに付き合ってもらっちゃってすみません」 おばあちゃん子だったという真行寺にとって、この花は特別な思い入れのある花なのだろう。 それを俺と一緒に見たいと言うんだな、お前は。 「綺麗ですよね」 優しかった祖母のことを思い出しているのか、どこか泣きそうな笑顔を見せる真行寺。 やっぱりこいつはいつまでたっても子供だな、と思う反面、きっとそういう気持ちを大人になってもずっと持ち続けるんだろうと思うと羨ましくもなる。 真行寺は時々そんな風にして俺に忘れそうになる何かを思い出させる。 忘れてはならない何かを。 「真行寺」 「はい?」 俺は手を伸ばして真行寺の肩を引き寄せると、そっとその唇に口づけた。 冷えた唇とは裏腹に、触れ合った舌先はひどく熱かった。 ひとしきりの口づけのあと、突然の俺からの口づけに訝しげな表情をする真行寺に笑いが漏れた。 「泣かれたら困るからな」 「・・・泣いたりしないっすよ」 小さく笑って、真行寺は両腕を広げると俺を抱き寄せた。 「アラタさんとこうして見ることができるのは今年が最初で最後なんですよね」 しみじみと真行寺がつぶやく。 来年のこの時期には、俺はもうここにはいない。 こんな風に、泣きそうな顔をしてハクモクレンを見る真行寺のそばにいてやることもできない。 その事実に、どういうわけか胸が痛んだ。 「卒業したらまたどこかで一緒に見れるだろう」 思わず口をついて出た言葉に、真行寺が一瞬後に嬉しそうな笑みを見せた。 寮の空き部屋に戻って、冷えた身体を温めあった。 もう数え切れないほど肌を重ねてきたのに、いつも真行寺は少し緊張したように俺に触れる。 今更拒むつもりもないし、それなりに楽しんでいるというのに、いつもどこか壊れ物に触れるように、真行寺は俺を抱く。 一年もの間、ずっと気づかないふりをしてきた。 気づきたくなかった。 真行寺のことが好きなのだと。 馬鹿みたいに真っ直ぐに俺のことを見つめる真行寺が。 カラダだけの関係だと言われ続けても諦めない強さが。 何よりも俺のことを考えて、あれこれ悩んでは一人落ち込む優しさが。 いつも底抜けに明るいくせに、どこかで心の痛みを抱えている彼のことを、いつの間にか好きになっていた。 目を閉じると、真行寺と見たあの白い花が瞼に浮かんだ。 ハクモクレンという花の名前は、きっとこの先も忘れることはないだろうと思った。 |