Shapes Of Love


※もし尚人が生きてたらというお話です。
 →尚人は弟大好きなちょっと突き抜けた人になってます。
 →託生くんとはキヨラカな関係ということで。でも溺愛。
 →もちろん託生くんの恋人はギイです。




全寮制の男子校、祠堂学院高等学校の楽しみの一つである文化祭がまもなくやってこようとしていた。
誰もが楽しみに待つ一大イベントのはずなのだが、本番が近づくにつれ、元気がなくなっていく人物が一名いた。
「葉山、何だってそんな暗い顔してるんだよ。久しぶりに仲良しの兄貴が会いにくるんだろう?嬉しくないのか?」
放課後、どんよりとした託生を見かねて、赤池章三が声をかけた。
託生に歳の離れた兄がいて、ずいぶんと仲がいいということは、相棒のギイから聞いて知っていた。その兄が初めて祠堂にやってくるというので、章三もけっこう楽しみにしていたのだ。
託生はうーんと唸ると、深々とため息をついた。
「嬉しくないわけじゃないんだけど・・・」
「何だよ」
「ギイを紹介することになっててさ」
「友達として?それとも恋人として?」
ニヤニヤと笑いながら尋ねる章三に、託生は嫌そうに唇を尖らせる。
「・・・ギイとのことは、兄さんは知ってるから・・・一応、恋人として、かな」
「へぇ、弟に男の恋人がいても平気なんだな、葉山の兄貴」
章三の感覚からすれば理解に苦しむところである。
「平気じゃないよ。文化祭でギイのことをじっくり観察して、どんな人間なのか見極めるって、息巻いているんだ」
「おい、男ってところはスルーかよ。普通は反対するんじゃないのか、男の恋人なんて」
「男だからどうってことじゃなくて、問題はぼくが誰かと付き合ってるってことなんだ。誰が相手でもたぶん反対すると思うんだよ」
「へぇ」
「あー気が重い」
思わず託生がテーブルに突っ伏す。
6つ年上の兄の尚人は、それはもう目に入れても痛くないほどに託生のことを可愛がっていて、歳が離れているせいか、いつまでたっても託生のことを子供扱いをして弟離れしてくれないのだ。
決して尚人のことが嫌いなわけではない。
むしろ、何を言っても何をしても笑って許してくれる兄のことは大好きなのだ。
だが、しかしである。
「どうしよう、ギイとつかみ合いの喧嘩とかになったら」
「ええ?大げさだなぁ」
「ぜんぜん大げさじゃないんだよ」
章三は兄のことを知らないから、そんな暢気なことを言ってられるのだ、と託生は肩を落とす。
その時、突っ伏した頭を誰かがくしゃりと撫でた。
顔を上げると、そこには麗しの恋人が立っていた。
「よぉ、ギイ。委員会は終わったのか?」
「ああ、今日はスムーズに何の問題もなくな。どうした託生、元気ないな」
「オクサマ、どうも情緒不安定みたいだぜ」
茶化す章三に、ギイは軽く肩をすくめてみせた。
尚人が文化祭にやってくると決まってからというもの、託生が毎日どうしようかと悩んでいるのはギイもよく知っていた。
何しろ尚人とギイが会うのはこれが初めてなのだから、託生がナーバスになっても仕方ないとは思う。
自分たちのことを尚人には話したということは託生から聞いていた。そのことだけでも、託生にとって尚人が大切な存在なのだということはよく分かった。
男同士だから世間体が悪い、と自分たちのことをあまり人に話したがらない託生が、尚人には打ち明けたのだ。
大切な存在だからこそ、嘘はつけないのだろう。
託生と別れるつもりなんて毛頭ないのだから、いずれ尚人とは会わなくてはいけないのだ。
ギイにしていれば、むしろ早く会って、自分たちのことを認めてもらえれば万々歳なのだが。
「託生、何も心配しなくていいって。オレ、ちゃんと上手くやるからさ」
「ギイのことは信用してるんだけど・・・問題は兄さんの方っていうか・・・ギイにいろいろ失礼なことしそうで怖いんだよ」
「はは、平気だよ、何言われたってさ、託生の兄貴だもんな。仲良くなれるように頑張るからさ」
「・・・ありがと、ギイ」
力強いギイの言葉に、託生はようやく笑顔を見せた。
けれど、尚人のことを誰よりよく知っている託生としては、やはり一抹の不安は拭えずそっとため息をつくのだった。


そして文化祭当日。
綺麗な秋晴れで、イベント開催という独特の高揚感が祠堂中に漂っていて、寮内の雰囲気も慌しく感じられた。
「託生、兄貴、何時に来るって?」
「えっと、10時に正門で待ち合わせしてる」
「そっか、じゃオレも一緒に行くよ」
「えっ、いいよ、ギイ。朝からウェイターの当番だろ?忙しいのに悪いよ」
制服に着替えていた託生が思わず振り返る。
「何言ってんだ。託生の家族に紹介してもらえるっていうのに、ウェイターなんてやってられないだろ」
「でもギイが休憩時間の時に、ちょっと会ってくれればいいんだよ」
「何だよ、お前、今更オレを兄貴に紹介したくないって言うんじゃないだろうな」
ギイがずいっと託生に近寄る、いきなり近づいた整った造形に、思わず託生が顎を引く。
「・・・あのさ、ギイ」
「うん?」
「兄さん、ほんとにちょっと変わってるっていうか・・・ぼくに過保護すぎるっていうか、会わせたくないってことじゃなくて、ただ、仲良くできなかったら、やっぱり悲しいし」
「託生・・・」
ギイは長い腕で託生のことを包み込むようにして抱き寄せた。
「大丈夫だよ」
「うん」
大好きな花の香りにうっとりと目を閉じる。
それでもまだどこか不安げな託生を安心させるように、ギイは優しく口づけた。



約束の10時少し前に、託生とギイはそろって正門へと足を向けた。
すでに地元の来客たちでごった返す中、やけに目立つ背の高い男の姿に、すれ違う女子高生たちが振り返り、
「あの人かっこいい」
と、ちらちらと視線を送りながら、名残惜しそうに校内へと歩いていく。

(なるほど男前だな)

ギイがそう思ったその男に向かって、託生が「兄さん」と声をかけた。
呼ばれた尚人は顔を上げ、託生を捉えると、満面の笑みを浮かべて歩き出した。
そしてギイが挨拶しようと声をかけるより早く、がしっと託生のことを抱きしめた。
「託生、会いたかったよ」
「に、兄さんっ、くるし・・・」
ぎゅうぎゅうと抱きしめ、頬ずりしまくる様子を、ギイはもちろん周囲の人間も唖然と眺めた。
このままくるくると回りだすんじゃないかと思えるくらいに、尚人は託生を抱きしめたまま離そうとしない。

(これが噂の兄貴か・・・)

ギイはしげしげと尚人を観察した。
背が高い。たぶん自分と同じくらいはある。託生とは違って少し色素の抜けたような淡い色の髪をしていて、端正な顔立ちをしている。
心臓が少し悪いと託生から聞いていたから、もっと病弱なイメージを持っていたが、そんな様子はない。むしろ元気すぎるくらいではないか?
弟離れができていない過剰に心配性で甘やかしすぎの兄、という託生の言葉を思い出し、なるほど、それもうなづけた。

「兄さんっ、ちょっと苦しいから、離して」
「何言ってるんだ。久しぶりに会えたんだから、抱擁くらいさせろ」
「だ、だって、人が見てるよ」
「だから?兄弟が抱き合って何が悪い?」

ギイはしばらくの間そんな2人を我慢してみていたが、いつまでたっても終わりそうにないので、仕方なく声をかけた。
「託生」
「あ、ギイ、助けて・・・」
託生が視線をギイへと向け、それにつられたように尚人もまたギイへと視線を向けた。
ばっちりと目が合う。
尚人はゆっくりと託生を離すと、一瞬無表情にギイを見つめ、すぐに綺麗な笑みを浮かべた。
「やあ、はじめまして、崎義一くんだろ。託生から話は聞いてるよ」
「どうもはじめまして、お兄さん」
「きみにお兄さんって言われる筋合いはないんだけどなぁ、別に兄弟でも何でもないんだから」
「それは失礼しました」
「いつも弟の託生が世話になってるようだね」
「いえいえ、恋人ですから、世話なんて」
にっこりと答えながらも、何となく二人の間に火花が散っているような気がして、託生は頬を引き攣らせた。
「さ、託生、校内を案内してくれるんだろう?」
「うん、あの、ギイも一緒に案内してくれるっていうんだ、だから・・・」
「崎くんはクラスの甘味処のウェイターやるって言ってなかったか?」
「そうだけど・・・」
「崎くん、僕たちに付き合わせるのは申し訳ないから、戻ってくれていいよ。僕と託生は2人で大丈夫だから」
これ見よがしに託生の肩を抱いて、わざわざ迎えにきてくれてありがとう、と一応それらしいことを口にするが、さっさと消えろと言わんばかりの視線を送ってよこす。

(託生、これは過保護じゃなくて、溺愛っていうんだ)

思わず心の中で毒づいて、けれどここで押し問答するのもどうかと思ったギイは、それじゃまたあとで言った。
しかしあっさりと引き下がるのは悔しいので、尚人に見せつけるようにして託生へと手を伸ばすと、その頬をきゅっと摘んだ。
「浮気するなよ、ハニー」
「なっ・・!」
とたん真っ赤になる託生にくすりと笑って、ギイは尚人に軽く会釈すると、校舎へ向かって歩きだした。
「気障なヤツ」
「兄さん、せっかくギイが挨拶にきてくれたのに、ひどいよ」
「ちゃんと挨拶しただろ?だいたい、僕は託生に会いにきたんだよ。邪魔されたくない」
「邪魔だなんて・・・」
「託生、僕に会いたかったかい?」
尚人が少し身を屈めて託生の顔を覗きこむ。
「・・・うん、まあ・・」
「僕は毎日託生のことを考えてたよ。早く会いたくて、たまらなかった」
「・・・・」
「ほら託生、ちゃんと顔見せて」
尚人は両手で託生の頬を包み込んで、顔を上向かせた、
「少し痩せたんじゃないか?ちゃんとご飯食べてるか?」
「食べてるよ。ギイがすっごく食べるからつられてたくさん食べてるくらいだよ」
「そっか。あいつ、そんなに食べるのか?」
尚人が託生を促して歩き出す。
「気持ちいいくらいに。今日、お昼一緒に食べるからその時分かるよ」
「ふうん。それは楽しみだな」
「兄さんこそ少し痩せたんじゃない?」
もともとあまり身体が丈夫なほうではないのだ。
最近では寝込むようなことはないと聞いているが、いつも心配している。
託生の心配そうな顔に、尚人は愛しくて仕方ないというように目を細め、
「託生がいないから寂しくて痩せたかもな」
とわざとらしく肩を落としてみせる。
「大学は忙しいの?」
尚人の甘ったるい囁きは綺麗にスルーして、託生が尋ねる。
いちいち反応していては話が進まなくなるのは経験上よく知っているのだ。
「学校はまぁ普通だよ」
「そう。元気そうで安心したよ」
校舎へ向かう途中も、尚人は託生の手を握ったまま離そうとしない。
見知った顔もちらほら見えてきたので、託生はやんわりとその手を外した。
「誰かに見られるから」
「兄弟なんだから別に恥ずかしいことじゃないだろ」
「え、十分恥ずかしいと思うけど」
小さな子供じゃあるまいし、と託生は困ったようにつぶやく。
とにかく尚人は何かにつけて託生に触りたがるのだ。
託生が全寮制の祠堂を進学先に選んだのも、尚人からのスキンシップがあまりにも激しすぎるので、このままだと身の危険があるかもしれないと思ったためである。
あとは早く弟離れしてほしかったこともある。
離れて暮らすのはいいアイデアだと思ったのだが、誤算があった。
まず一つ目は離れてしまったせいで、たまに会うと、それまで以上に尚人がべったりとまとわりつくようになったこと。
そして二つ目は、祠堂でできた恋人は、生まれも育ちもアメリカということもあって、託生の常識からは考えられないようなスキンシップを求められるようになったことである。
家でも寮でも、託生の気の休まる時がない。
もともとそんなに人とくっつくことを得意としない性質なので、この2人からの過剰な愛情表現にどう対応していいか、未だに分からないでいるのだ。
どうしてこんなことで悩まないといけないのだろうか。
誰にも相談することもできず(章三あたりに相談したら鼻で笑われそうである)、一人悶々と悩むばかりなのだ。


体よく尚人に追い払われ、仕方がないのでクラスの出し物である甘味処のウェイターをしてたギイの耳に
「葉山がすっごい男前と仲良く歩いている」
という情報が飛び込んできた。
もちろん相手が尚人だということは知っているが、それでもどうにも落ち着かない。
実の弟にべたべたとくっつくとはどういう了見だ、と憤るあまり、オーダーを3回も間違えるほどである。

(この恋愛の一番のネックはあの兄貴だな)

あの兄貴を攻略するというハードルは、男同士というハードルよりも、ずっと高いかもしれない。
もっとも、どれほど高いとしても、そんなことくらいで諦めるつもりはさらさらない。
託生のことを溺愛するのは気に食わないが、仲良くしないと託生が悲しむことだし、何とか妥協点を見つけだなさなければ、とも思う。
とりあえず昼食を一緒にする約束なので、そこで少しは気安くなれればいいのだが、
「・・・どうも上手くいく気がしない」
いつになく弱音が零れる。
あの尚人の様子では、ギイのことを弟の恋人として受け入れるつもりはさらさらなさそうだ。
いや、それでも何とかしなくては。
麓からやってきたギイ目当ての女子高生たちに愛想笑いを返しながら、頭の中では尚人攻略のためのシミュレーションで忙しいギイだった。

午前中いっぱいこきつかわれ、やっと休憩をいただけたので、約束をしていた食堂へと急いだ。
「よぉギイ」
途中、一足先に休憩に入っていた章三と出くわした。
「今から飯か?」
「ああ」
「食堂で葉山が待ってたぞ。兄貴も一緒に」
章三の目が笑っていることに、ギイは舌打ちした。
「葉山の兄貴ってすっげぇ男前だな。挨拶したけど、感じのいい人だったぜ」
「・・・オレ以外には感じがいいみたいだな」
思わずつぶやいたギイの言葉に章三が吹き出す。
「あんまり葉山と似てないな。どっちかと言えばギイに感じが似てる。あの兄貴を見て育った葉山は、もしかしたら面食いなんじゃないか?」
何しろ恋人であるギイもとんでもない美男子だ。
当のギイは、尚人と感じが似ていると言われても、あまり嬉しくはないし、かなり複雑だ。
兄貴と似ているから好きになった、なんて言われたらかなり凹む。
託生がそういうことにまったく興味がないのは知っているが、しかし毎日あの顔を見て育ったのだとしたら、確かに審美眼は鍛えられそうだ。
顔で選ばれたとは思っちゃいないが、少なくとも尚人と張り合うことができる程度に整った顔に産んでくれてありがとう、と思わず心の中で母親に手を合わせるギイである。
「姑バトルならぬ、義兄バトル、がんばれよ」
章三がばんとギイの背中を叩く。
こいつは絶対面白がってるな、と苦々しく思いつつ、ギイは食堂へと向かった。
窓際のいつもの席に託生と尚人はいた。まるで恋人よろしく隣同士に座っているあたり、この野郎と思ったが、深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。
「託生」
「あ、ギイ。お疲れさま。甘味処、大繁盛みたいだね」
「おかげさまでな。何だ、まだ注文してないのか?」
「うん。一緒に食べようと思って」
優しいなぁ、と思わず頬が緩む。一方の尚人は無言のままそんな2人をじっと見つめている。
「何食べる?」
3人で券売機の前で考える。カレーでいいや、という託生と、じゃあ定食にプラスして蕎麦食べるかなというギイ。
託生から聞いていた通り、高校生らしくがっつりと食べるギイに、尚人がくすりと笑いを漏らす。
「じゃ、これで」
自分の分は自分で、と言うギイを片手で制して、尚人が託生に財布を渡す。
「託生、僕はラーメンセット」
「うん、わかった」
ギイと託生を残して、尚人は先に席に戻った。
「なぁ託生、兄貴、オレのこと何か言ってたか?」
カウンターに並びながら、こそりとギイが託生に聞いてみる。
「え、うーん、別にこれといって・・・。その方が怖いような気もするんだけど・・・。あ、ギイさっきはごめん。せっかく一緒に迎えに行ってくれたのに」
「気にしなくていい。それにしても、噂通りの溺愛っぷりだな」
「うん・・・びっくりした?したよね?」
はーっと託生はため息をつく。
「ずっとあんな感じなのか?」
「うん。歳も離れてるし、ぼくが生まれたときから、すっごく可愛がってくれてたみたいで。それが今も続いてるって感じかなぁ。たぶん兄さんの目にはぼくはまだ子供なんだよね」
「子供ねぇ」
っていうか、あれは幼い弟を可愛がるというよりは、恋人を慈しむっていう態度だぞ、と思ったが口にはしない。
「とりあえず夕方には帰るから、それまで何とか頑張るよ。ギイもちょっとだけ我慢して」
「あのなぁ託生」
ギイはふぅと息をつく。
「夕方まで、じゃないだろ?オレとお前が付き合う限り、兄貴との付き合いも続くわけだし。ちゃんと託生とのこと認めてもらわないと」
「ギイ」
「とにかく、オレの口からちゃんと託生とのこと、言わなくちゃな」
「え、でも・・・」
戸惑う託生を促して、自分の分と託生の分のトレイを持ち、尚人の待つ席へと戻った。
当然のように尚人は自分の隣に託生を座らせた。ほんの少しの間でも離れていたくないという態度がありありだったが、久しぶりに再会した兄弟なのだから、とギイは何とか心を落ち着かせる。
「ああ、美味しそうだな」
尚人は手を合わせると、黙々と食事を始めた。
仕方がないので、ギイも託生も空腹を満たすために箸を手にした。
静かな食事が半分くらい済んだ頃、おもむろに尚人がギイを見た。
「ところで、崎くんと託生はいったいどこまでいってるのかな」
「・・・っ!!」
ギイはもう少しで蕎麦を吹き出すところで、託生は飲んでいたお茶にむせ返った。
「な、何、兄さん・・・」
「一応兄としては気になるところだし、大切な弟が何されてるか聞いておかないとね。返答次第じゃ考えないと」
「な、何も・・おかしなことなんて・・・」
と言う託生の顔は真っ赤で、誰がどう見ても、最後までいたしてますと告白しているようなものである。
絶対に尚人もわかっていて聞いているのだろう、とギイは内心舌打ちし、どうやら対決の時が来たようだ、と腹をくくる。
「お兄さん」
「だから、僕はきみの兄さんじゃない」
「オレは本気で託生のことが好きなんです」
「だから?」
「・・・オレたちのこと、認めて欲しいんです」
誰が何と言おうとどうでもいい。
世間が認めてくれなくても、そんなこと気にしたりしない。
けれど、彼にはちゃんと認めて欲しいと思うのだ。
託生のことを大切に思っている人だからこそ、ちゃんと認めてもらいたい。
尚人は何かを考えるように少し首をかしげた。
「だけど、崎くんは、卒業したらアメリカに戻るんだろう?」
「・・・・それは・・」
「いくら真剣に付き合ってるって言ったって、まさか託生を連れていくわけには行かないよね。かといって、きみ、Fグループの跡取りなんだろ?日本に残るわけにもいかないだろうし」
「兄さん、そんな話・・・」
託生が尚人の腕を引っ張る。
「避けて通れる話じゃないし、崎くんが言う本気っていうのがどういう意味なのか、託生だって知りたいだろ?それとも託生は真剣じゃないのかい?まぁそれならそれで全然かまわないけどね。高校時代のひと時の恋愛としていい思い出になれば・・・」
「兄さんっ」
託生がいつにない固い声でそれを遮る。
「何でそんな話するのさ・・・」
「託生のことが大切だから。お前が彼に傷つけられるのは見たくないんだよ」
「オレは託生のことを傷つけたりしません」
ギイがきっぱりと言い放つ。
強い口調に、尚人はすっと表情を変えた。
「ふうん、自信があるんだ?」
「覚悟が」
「・・・なるほど」
尚人はそれ以上は何も言わなかった。



「兄さん、ギイのこと嫌い?」
食後のコーヒーをご馳走する、と言って席を立ったギイの背を見送って、託生は尚人に向き直った。
「可愛い弟を誑かした相手だからなぁ、好きにはなれないだろ」
「誑かされたわけじゃないよ。ぼくが・・ギイのことを好きになったんだ」
好きだと打ち明けたのはギイからだったけれど、託生だって初めてギイを見たときから魅かれていた。そこにいるだけでキラキラと輝いて見える、誰もが一度はギイのことを好きになるだろう奇跡のような人。
「あいつのどこがそんなに好きなんだ?」
それは、と託生が考える。すべて、なんて答えたらありきたりだろうか。
けれどどこが好きかなんて一言じゃ言えない。などとあれこれ考えていると、尚人が先に口を開いた。
「確かに顔はいいし、実家は金持ちだし、勉強もスポーツもできる、パーフェクトな人間かもしれないけどな、ヤツはいつかお前のことを泣かせるよ」
「・・・・そんなことないよ」
「傷つく時がくる」
尚人が託生の頬に触れる。託生はその手に自分のそれを重ねて、そっと外した。
「兄さん、ぼくはね、それでもいいんだよ」
「・・・・」
「ギイのことが好きだから、ぼくは彼を信じる。ぼくとは住む世界が違いすぎて、いつか泣くことも傷つくこともあるかもしれない。それでもいいんだ」
覚悟はしてるんだよ、と変わらない笑顔を見せる。
ギイと同じ「覚悟」という言葉を使い、真っ直ぐに尚人を見つめて言い切る託生に、尚人は細くため息をついた。
「・・・・やれやれ。困った子だね」
「ギイのこと、きっと兄さんも好きになるよ。ぼくが好きになった人だから」
「はいはい」
託生のこととなると見境がなくなる尚人ではあるが、それでも結局、託生がそうしたいと言えば最後には許してくれるのだ。長い付き合いなので、託生が一番よくそれを知っている。
「兄さんのことも大好きだよ」
「彼の次に?」
「・・・同じくらいに」
「ま、託生にしては上出来な答えかな」
くしゃりと髪を撫で、尚人は託生にだけ見せるいつもの優しい笑みを浮かべた。




「それにしても祠堂は広いなぁ」
3人で何とか和やかに(?)食事を終え、あちこちの教室を覗いて出し物を見ていく。
もうとっくの昔に高校を卒業している尚人にしてみれば、文化祭というのが懐かしくもあり、興味津々だった。
午後からは来客の数も増え、校内は賑やかなことこの上ない。
ギイと尚人がそろって歩いていると、そこだけオーラが違って見えるようで、すれ違う人が皆一度は振り返る。特に女の子たちは一瞬にしてぽーっと頬を赤らめている。

(こういうのって両手に花、っていうんだろうなぁ)

ギイと尚人に挟まれて歩く託生は、何ともいえない居心地の悪さを感じていた。
こうして2人と一緒にいると、やはり自分はごくごく普通の人間だなぁと思うのである。
「崎くん、甘味処へ戻らなくていいのか?きみのウェイター目当ての女の子たちが大挙してたって聞いたけど」
どうせ章三あたりが世間話で口にしたのだろう、とギイは苦々しく思いつつも、
「当番制ですから、オレは午前中で終わりです。午後からは他のクラスの出し物を託生と一緒に見るつもりでしたから」
と返す。
「本当に邪魔をするなぁ、久しぶりに再会した兄弟に少しは遠慮しようという気持ちはないのかな」
「ありませんね。そちらこそ恋人たちのデートを邪魔して悪いなぁという気持ちはお持ちじゃないんですか?」
「毎日同じ部屋で生活してるくせに」
「どういう関係があるんですか、それ」
「2人とももう少し静かに歩いて」
げっそりと託生が注意をする。自分を挟んで先ほどから不毛な会話がずっと続いているのだ。
「託生、お前はどっちの味方なんだ」
「え、味方って・・・別にそんな・・・」
「託生は兄さん思いな子だから、まさか恋人を優先するなんてことはないよね」
尚人がにっこりと笑う。
「普通は恋人を優先するだろ、託生」
横からギイが顔を覗きこむ。
「もうっ、どっちも同じっ!順番つけるものじゃないだろっ!」
めずらしく託生が声を上げ、2人から逃げるように歩く速度を速めた。
もう一人になりたい。
これ以上一緒にいたら、おかしくなりそうだ。
「待てよ、託生」
背後からの呼びかけは聞こえないことにして、託生は階段を下りた。
「託生」
「うるさい、仲良くできないなら、ぼくはもう一緒には歩かないからっ」
振り返って2人に向かって宣言をする。
「ちが・・っ、危ないっ」
「え・・」
はっと前を振り向くと、ちょうど出し物に使うらしき機材を持った生徒が階段をあがってくるところで、頭まであるダンボールでまったく前が見えないらしく真っ直ぐに託生へと向かってくる。
ぶつかる、と思って託生がほんの少し右側へと身体をよける。
けれど僅かな差でダンボールの端が託生の身体に触れバランスが崩れた。
「託生っ」
ずるりと足元が滑り、そのまま落ちそうになる託生へとギイと尚人が手を伸ばした。
一瞬の差でギイが託生の手首を掴み、そのままぐっと引き寄せる。けれど重力には逆らえずそのまま二人して、階段を数段踏み外した。
「ギイっ」
重なるようにして階下で座り込む。
「いって・・・大丈夫か、託生?」
「ギイこそ、大丈夫?どこか怪我してない?」
託生が真っ青になってギイの腕を掴む。
滑り落ちたのはほんの3段ほどだったが、ギイが託生を庇うように落ちたので、託生にはまったく痛みはなかった。
「お前なぁ、ちゃんと前見て降りろよな。危ないだろ」
「ごめん、ほんとに大丈夫?保健室行く?」
「大丈夫だよ」
よっこらしょ、とへたり込む託生の手を引き立ち上がる。
実際、捻挫も骨折もしていないし、打ち身で数日痛むくらいだろう。
何があったんだ、と集まり始めた生徒たちをギイが追い払う。
「ごめん、ギイ・・」
託生はまだ動揺が隠せないようで、震える声で不安そうにギイを見上げる。
「ごめん」
安心させるようにギイが託生の頬を軽く叩く。
「どこも怪我してないから、そんな顔するなって」
「託生」
尚人が少し固い声でうつむく託生を覗き込む。
「崎くんの言う通り、ちゃんと前を見て歩かないとだめだろ。何もなかったからいいようなものの、2人して怪我することだってあるんだから」
「ごめんなさい」
しゅんとしてうなだれる託生に、ギイは少し笑ってしまった。
恐らく、小さい頃からこんな風に何度も尚人に叱られていたのだろう。その光景が目に浮かぶようである。
危なっかしい弟から目が離せなくなる気持ちが、ほんの少し分かったような気がした。



ぎりぎりまで文化祭を楽しんだ尚人は、ギイと託生と共に校舎を出て正門へと向かった。
文化祭が開催される2日間は、祠堂と麓の街を繋ぐバスは増発される。
それでも1時間に2本しかない。時間と見計らって出てきたというのに、もうすぐ正門というところで、いきなり尚人が足を止めた。
「ああ、託生。食堂の自販機にあったペットボトル買ってきてくれないかな」
「ええ?喉が渇いたんなら、あそこの自販機で・・・」
「僕が飲みたいのはあれじゃない。食堂で売ってたヤツが飲みたい。これから長いバスの旅になるんだから、ちょっとくらい兄さん孝行しなさい」
「もう、欲しいならもっと早くに言ってよ。すぐ戻るから!」
「ゆっくりでいいよ」
「バスの時間に間に合わなくなるだろ!」
「そしたらもうちょっと託生と一緒にいられる」
「ばかっ」
託生はくるりと踵を返すと、食堂へ向かって走り出した。慌てて転ぶんじゃないよ、とその背に声をかけて、尚人は残ったギイへを振り返った。
ギイもまた真っ直ぐに尚人見つめる。
「わざわざ託生を行かせて、何か聞かれたくない話でもあるんですか?」
ギイの問いかけに、尚人は嬉しそうに笑った。
「頭のいい人と話すと説明がいらないから楽だなぁ」
「託生と別れろなんていわれてもお断りしますよ」
「言わないよ。さっきは託生のことを助けてくれてありがとう。ちゃんとお礼を言っておかないと、と思ってね」
素直な言葉に、一瞬虚をつかれた。
嫌味でも何でもない感謝の言葉が、まさか尚人の口から出ようとは思ってもみなかったのだ。
それを託生に聞かれたくないなんて、やっぱりちょっと屈折してるな、とギイは低く唸る。
「当然のことをしただけですし、礼なんて・・・」
「そうだね。恋人だし?」
揶揄する口調に、ギイが少し考える。
「それはオレのこと、恋人として認めてくれたってことですか?」
「託生が、きみのこと好きでしょうがないみたいだからね」
帰路につく人々が目の前を通り過ぎていく。
2人でいるとどうも目立つようで、ちらちらと視線を向けられて、どちらからともなく場所を移動した。
「きみ自身のことは認めてるよ。よくできた人だなぁって思う。誰が見てもパーフェクト。だけど託生の恋人としてはどうかな。正直まだよく分からない。きみがいつか託生のことを傷つける時がくるってことは分かるけど」
「そんなこと・・・」
「きみが傷つけなくても、きみを取り巻く人間や状況や・・・きみの力ではどうにもできないことで託生は泣くことになるんだろうな。当事者じゃないからこそ、見えるものもあるんだよ」
「・・・・」
「だけど、託生はきみがいいらしい」
傷ついてもいいと言った。
泣いてもいいと言った。
口で言うのは容易い。
おそらく託生も、ギイ自身もそれがどういうことなのか、まだ実感としては分かっていないのだ。
近い将来、嫌というほどその辛さを味わうことになるかもしれない。
けれど、それでもいいと言うのだろう。
「さっき、託生が階段で落ちそうになった時、あの時、僕もきみと同じように託生に手を差し伸べた。ほんの一瞬の差で、きみが託生の手を掴んだけれど、あれは偶然なんかじゃない。託生がきみの手を取ったんだ。託生はきみしか見てなかった。きみなら、自分のことを助けてくれるって無意識のうちに思ったんだろうな」
託生が掴んだ手はギイのものだった。
気づいていなかったその事実を知り、ギイの胸は熱くなる。
たったそれだけのことで幸せな気持ちになれる。
単純だな、と自分でも思う。
「2人はちゃんと恋人同士なんだなぁって実感したよ」
「もしかして、妬いたりしています?」
「そういうのとはちょっと違うかな」
尚人は軽く肩をすくめた。
ギイはそんな尚人に少しの逡巡のあと、思い切って確認してみることにした。
「聞いてもいいですか?」
「・・・何だい?」
口にしてはいけないような気もした。
けれど、今聞いておかなければ、もう二度と聞けないかもしれないと思い、ギイは小さく深呼吸をした。

「託生と、兄弟でなければ良かったと思っていますか?」

もし兄弟でなければ、自分がそうしたように、託生のことを恋人として手に入れたのだろうか。
恋人として、託生のことを愛したのだろうか。
尚人はギイの問いかけにさして驚くでもなく、少し考えたあとゆるりと微笑んだ。
「思わないよ」
「・・・」
「兄弟で良かった。疑ってる?本当にそう思ってるよ。だって兄弟である限り、僕と託生の縁は一生切れることがない」
「・・・っ」
「きみがどんなに託生のことを愛していると言ったところで、所詮他人だ。いつか愛情が冷めることもあるかもしれない。どちらか一方が別れたいと思うこともあるかもしれない。周囲からの反対で無理矢理別れさせられるかもしれない。だけど、僕と託生は血を分けた兄弟だから、死ぬまで絆がなくなることはない」
兄弟で良かったよ、と尚人が笑う。
理由はどうあれ、その言葉に嘘はないようで、ギイは少し拍子抜けした。
尚人の託生に対する態度は恋人のそれに近いものがあったし、実際、託生を見つめる目は、弟を見る目ではないような気がしていた。
てっきり兄弟であることを、それはどうにもできないことではあるけれど、不本意なものだと思っているかと思ったのだが。
「そうですか・・・あなたの言動を見ていると、託生のことを恋人にしたかったのかなって思えたので・・・すみません、失礼なことを聞きました」
尚人はふっと表情を変えると、ギイにしか聞こえない低い声でゆっくりと言った。
「兄弟で良かったと思っているのは本当だけどね、安心はしない方がいい。世間で言うところの禁忌の一線を飛び越えることなんて、僕には何の抵抗もないんだから」
その言葉の意味を理解するのに数秒。
ざわりと肌があわ立ち、胸の奥が痛くなって、ギイは一歩後ずさった。そんなギイを面白がるように尚人が一歩近づく。

「身体を繋ぐことなんて、その気になればいつでもできる」

「あんたっ」
ギイが尚人の胸元を掴んだ。何の躊躇いもなく、ごくごく普通のことのようにタブーを口にする尚人に、言いようのない怒りが込み上げる
それがギイをからかっている言葉であれば、軽くかわせたかもしれない。
けれど、尚人の口調はどこまでも真剣で、それがギイには怖かった。
「許さないからな、託生を傷つけるようなことをしたら・・・っ」
「・・・しないよ、そんなこと」
強い力でシャツを掴むギイの手首を、尚人が掴んで下ろさせる。
「いつでもできる。だけどしない。約束するよ」
「・・・・」
どこか遠くを見つめる尚人に、ギイはまだ怒りを静めることができない。
目を閉じて、大きくひとつ息を吐いて、腹の底が熱くなるほどの憤りを何とかやり過ごす。
どこまでが本心で、どこからが冗談なのかも掴めない。
けれど、どちらにしてもギイにしてみれば不快なことに違いはなかった。
こんなこと、託生には絶対に聞かせたくない。
「託生がきみのことを好きで、きみも託生のことを好きでいる間は、僕は何もしない。託生が幸せでいるのなら、僕のことを受け入れるとも思えないし、どうせなら心も欲しい。まぁ、きみが託生と別れるようなことがあれば、案外簡単に託生は僕のものになるかもしれないけどね」
「それ、絶対にあり得ませんから」
「そう願いたいな。そうであれば、僕はこちら側で踏みとどまれる」

決して踏み込んではいけない世界が、すぐそこにある。
そこは、想像もできないほどに、甘く魅惑的な世界なのだろうか。
尚人は、そこへ行きたいと心のどこかで思っているのだろうか。

ギイには理解できなかった。
たとえそれが愛情の形のひとつだとしても、決して許されることではないのだから。
それは誰も幸せにはなれない禁忌でしかない。
託生を、向こう側へ行かせるわけにはいかない。


「兄さん」
息を切らしながら、託生がペットボトルを片手に戻ってきた。
「はい、これでいい?」
「うん、ありがとう」
託生はどこか強張った表情でいるギイに気づいて、
「2人きりで喧嘩しなかった?」
と、心配そうに小さく尋ねた。
「喧嘩はしてない」
まだ喧嘩の方がましだったけどな、とは言えず、ギイはご苦労さんと託生の肩を叩いた。
麓からやってきたバスが近づいてくるのが見えると、尚人は両手を伸ばして託生をぎゅっと抱きしめた。
「兄さんっ」
「んー、帰りたくないなぁ。このまま一緒に帰ろうか、託生」
「え、無理無理。何言ってんのさ」
ていうか、本当にそろそろ帰ってください、と託生が心の中でつぶやく。
このままだと本当に連れて帰られてしまいそうな気がして怖い。
尚人はそっと託生の身体を離すと、

「愛してるよ。僕の託生」

甘く囁いて、託生の顎先に指をかけると、ちゅっとその唇に触れるだけのキスをした。

「おいっ!!!!」

ギイが慌てて託生の腕を引いて、胸の中に抱え込む。
抱きつくのはまだ許せる。好きだの愛してるだの、馬鹿げた言葉も辛うじて我慢できる。
だが、実際にキスするとは何事だ!
仮にも託生は血を分けた弟だ。こいつはもうあちら側に片足を突っ込んでるじゃないか、と再び怒りが込みあがる。
「冗談にもほどがある」
「別にいいだろ、今さらだ。託生のファーストキスは僕とだもんな」
しれっと尚人が肩をすくめる。
「何だとっ!」
ギイが気色ばんで託生の肩を掴む。
殺気立つギイに託生が慌てる。
「ちがっ・・・、兄さん、誤解を招く言い方しないでよっ。そんなのぼくが生まれてすぐの時の話だろっ!」
「3歳の春だよ。可愛かったなぁ」
うっとりと目を閉じて思い出に浸る尚人にギイの怒りのオーラが増していく。
「たーくーみー」
「ちょ、ギイってば、だから・・子供の時の話で・・3歳だよっ、ぼくのせいじゃない」
「まぁまぁ、2人とも喧嘩せずに仲良くしなきゃだめだよ」
「あんたが言うなっ」
「アメリカじゃキスなんて挨拶みたいなものだし」
「ここは日本だっ!」
いつもなら章三がギイに向かって怒鳴る台詞を、ギイが尚人に向かって言い放つ。
尚人は少しも気にした風もなく、はははと軽く笑い飛ばした。




「さぁ託生、包み隠さず全部話すように」
305号室のギイのベッドに、託生はちょこんと正座させられ、目の前のギイに詰問されていた。
「だから、3歳だよ。仕方ないだろ」
尚人が帰り際に落とした爆弾のせいで、そのあとギイはずっとご機嫌斜めだった。
託生のファーストキスがまさか尚人に奪われていようとは、夢にも思っていなかったからだ。
託生にしてみれば、そんな記憶にもない昔のことで不機嫌になられても困るというものである。
「ギイ、今日は疲れたからもう眠らせて」
今日一日、尚人とギイの間に挟まれて精神的にも肉体的にもくたくただった。
2人が仲良くなってくれればいいと願っていたけれど、どう考えても難しそうだと実感した一日だった。
自然に瞼が落ちてくる託生に、ギイが待ったをかける。
「待て、託生。聞きたいことがある」
「・・・なに?」
「お前、まさかキス以上のことはしてないだろうな」
「誰と?」
「兄貴とだよっ!」
馬鹿馬鹿しくて話にならない、と託生はぱたりとベッドに横になった。
そしてそのまま夢の世界へと旅立った。
「・・・・ていうか、託生、お前ちゃんと抵抗してくれよな・・・」
がっくりとギイが肩を落とす。
託生が尚人からのキスに慌てたのは、その場にギイがいたからで、何もなければ当たり前のこととして受け入れてたのではないかと思う。

(尚人ばかりが問題だと思っていたが・・・)

生まれたときから尚人からの過剰な愛情をその身に受けていたのだ。
ギイの常識では考えられないことも、もしかしたら託生の中では普通のことになっている可能性もある。

「オレ、もしかしてこの先めちゃくちゃ苦労したりするのかな」

弟離れのできていない愛情過多の兄と、無意識のうちにそれが普通だと思ってる(かもしれない)弟。
はーっとため息をついて、ギイは子供のような寝顔を見せる恋人の髪に触れた。

「あちら側には行かせないからな」

尚人の言葉を深く考えてはいけない。
過保護な兄貴だと笑い飛ばしてるくらいがちょうどいい。

「やっぱり最強のライバルだったなぁ」

もちろん負けるつもりはこれっぽちもない。
むしろあの宣戦布告とも言える尚人の言葉に覚悟を深くしただけだ。

とにかく疲れた一日だった。
考えなければいけないことはたくさんあるけれど、とにかく今日はもう寝てしまおう。
ギイはゆっくりと身を屈めると、託生の頬に口づけて、そのままベッドに横になった。
やがて緩やかに眠りに落ちる直前、ふと嫌な考えが脳裏をよぎった。
文化祭が明日もあるということである。
まさか二日連続でやってきたりはしないだろう、という楽観的なギイの考えは、翌日無残にも打ち砕かれることになる。




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あとがき

原作ベースだと心が痛いのですが、ちょっと突き抜けた尚人だと笑い話にできるので楽しい。尚人が生きてたらタクミくんシリーズのテイスト変わるだろうなぁ。