祠堂を卒業すると、蓑巌玲二は都内の大学へと進学した。
滅多に会えなかった乃木沢とは会いたい時に会えるようになり、それまで離れているのが当たり前だった生活が一変して普通の恋人同士のように付き合うことになった。 最初は戸惑ったけれど、それにもすぐ慣れた。 もっとも、会いたい時に会えると言っても代議士秘書の乃木沢は多忙を極めていたし、玲二も始まったばかりの大学生活に慣れるのに精いっぱいで、ようやく二人の生活のリズムが合い始めたのは夏がやってこようかという頃だった。 その日は久しぶりに乃木沢と玲二の休みが重なったので、前日の夜から乃木沢のマンションで恋人らしい時間を過ごすことができた。 遅い朝食を二人で食べて、そのあとはこれといって特別なことをするわけではなかったけれど、借りてきたDVDを見たり、玲二の大学生活のことを話したり、のんびりと静かに時間を過ごした。 「あ、今日ってほおずき市の日なんですね」 見るともなく見ていたニュースで、ほおずき市の話題が流れた。 毎年開催されているのは知っていても、行ったことはない。 キッチンでドリップ珈琲を丁寧に入れていた乃木沢が玲二のつぶやきに顔を上げた。 「行ったことある?」 「え?ほおずき市ですか?行ったことないです。テレビで見るくらいかな」 「じゃあ行ってみる?」 ふわりといい香りをさせたマグカップを手渡し、乃木沢が玲二の隣に座る。 「今から?」 「んー、もうちょっと夕方になってからにしようか。まだ暑いし」 今年は例年よりも夏が早く、まだ7月だというのに毎日暑い日が続いている。 この炎天下に外に出るのはちょっと躊躇してしまう。 「乃木沢さん、ほおずき市行ったことあるんですか?」 「あるよ。子供の頃に父親に連れられて。ほおずき目当てじゃなくて、ついて行けば買ってもらえる駄菓子目当てだったけどね。あの頃はほおずき市の何が楽しいのかぜんぜん分からなかったけど、大人になるとああいう風物詩的なものってやけに楽しく感じるんだよな」 しみじみと言う乃木沢に、玲二は思わず笑いを漏らす。 確かに玲二より乃木沢の方がずっと歳は上だが、伝統的なイベントを心待ちにするほどの年齢でもない。 「ほおずき市をぶらっと見て回って、夜はちょっといい食事をしよう。何か食べたいものあるかい?」 すっかりうきうきモードに入った乃木沢があれこれと玲二に提案してくる。 「何かあっさりしたものがいいかな」 「あっさりって、玲二くん、まだ若いんだから焼肉とか焼肉とか焼肉とか」 「・・・分かりました。焼肉が食べたいんですね、乃木沢さん」 「あれ、バレた?」 そこまで連呼されて分からないはずがない。だが、玲二も肉は嫌いじゃないので、美味しい焼肉なら異存はない。 「よし、じゃあ用意しようか」 「え、夕方から行くんじゃないんですか」 「まぁちょっと寄り道もしたいから」 促されて玲二は財布だけを持って乃木沢と一緒にマンションを出た。 車で行くと渋滞に巻き込まれそうだし、と電車で行くとにした。最寄り駅を降りると同じようにほおずき市へ行く人たちで辺りはいっぱいになっていた。 「すごい人ですね」 「名物イベントだからね」 そう言って乃木沢は玲二の手を引いた。人の流れに逆らうように別の方へと足を向ける。 「え、ほおずき市ってあっちじゃないんですか?」 「その前に寄り道」 ぐいぐいと手を引かれて連れて行かれたのは通りから一本路地へと入った店だった。 からからと引き戸を開けると、古い店特有の懐かしい匂いがした。 「いらっしゃいませ」 中から現れたのは人の良さそうな年配の女性だった。 「すみません、浴衣を一式見繕っていただきたいんですが」 「はいはい。そちらの方の?」 「ええ」 浴衣? 玲二はびっくりして乃木沢の腕を引いた。 「乃木沢さん、浴衣なんて・・・」 「いいじゃないか。どうせならそれらしい恰好で行こう。ここはなかなかいいものが揃ってるんだ。玲二くんにぴったりの浴衣を選んでもらえると思うよ」 奥から店員がいくつか浴衣を抱えてやってきた。 「さ、どうぞ試してみてください。何かお好きな色とかありますか?」 「えっと・・・浴衣なんて着たことなくて」 もっと子供の頃は着せられたことがあったようにも思うけれど、物心ついてからは浴衣なんて着たことはない。 戸惑う玲二に店員は心得たように微笑んだ。 「では、こちらの色なんていかがでしょうか。最近人気の色ですが」 勧められてもそれがどうして人気があるのかもわからない。 困って乃木沢を見ると、どれどれと乃木沢が近づいてきた。 「ああ、今時っぽい色だなぁ。でももうちょっと古典的な色の方がいいかな。奇抜な柄でなくていいし。帯と一緒に見せてもらおうかな。その方がイメージしやすいだろうから」 「承知しました」 にこにこと店員が帯も一式持ってきた。 「乃木沢さん、あの、困ります、こんな・・・」 小さな声で乃木沢に訴えてみる。最近の安い浴衣ではなく、どうもこの店の浴衣はいい値段がしそうな感じである。だいたい値札がついていないのが気になる。 玲二が躊躇しても乃木沢は気にする風もない。 「俺が見たいんだよ。玲二くんの浴衣姿。たまにはプレゼントもさせてほしいし。ほら、きみはあまりモノを欲しがらないからさ」 そんなことはない。 何も言わなくても、乃木沢はことあるたびに、ちょっとしたものを玲二に買ってくる。 例えばコンビニの新作デザートとかそういうもの。高価なプレゼントよりも、そんなチープなものをちょこちょこと買ってくれるところが何だか微笑ましくていいなと思っている。 けれど、それが乃木沢には少しばかり物足りないらしい。ああいうのはプレゼントとは言わないらしい。 「でも、俺だけ浴衣ってちょっと恥ずかしいんですけど」 「え?そう?じゃあ俺も一式そろえてもらおうか?お揃いにする?」 「ますます恥ずかしいので嫌です」 だよなーとからりと笑って、乃木沢は自分の分もお願いしますと店員に告げた。 30分ほどれがいいあれがいいと品定めをして、結局乃木沢は黒の浴衣を、玲二は濃紺に細いストライプの入った浴衣に決めた。 「よくお似合いですよ」 お世辞ではない店員の言葉に何とも気恥ずかしくなる。 助けを求めて乃木沢を見ると、乃木沢は満足そうに玲二を見つめ、 「うん、いいね」 とうなづいた。 そういう乃木沢の方こそよく似合っていると玲二は思う。 乃木沢は上背もあり、いつもスーツ姿の時にはカッコいいなぁなどとこっそり思ってはいたのだが、初めて見る浴衣姿も何とも言えずにカッコいい。 何となく浴衣といえば、女の子や小さな子供が着るイメージがあったのだが、大人の男の人がきちんと着ると浴衣も素敵なんだなと改めて玲二は思った。 何だか別人っぽいなぁなんて思うと今さらながら緊張してしまう。 しかし同じことを乃木沢も思っていたようで 「玲二くん細身だから浴衣どうかなって思ったけどすごく似合ってるね。何だかいつもと違うから緊張するな」 などと言って笑った。二人して同じことを思ってるのかと思うと力も抜ける。 着ていた服は紙袋に入れてもらい、慣れない下駄を履いて店をあとにした。 浴衣なんて自分たちだけだったらどうしようと思っていたけれど、店を出てほおずき市へ向かうと同じように浴衣を着た人たちもあちこちで見られた。 普段なかなか着る機会もないので、こういうイベント時にはむしろ着たいと思うのかもしれない。 「あ、ほおずき」 赤みがかったオレンジ色のほおずきをつけたたくさんの鉢植えが所狭し置かれている。 まだ緑ばかりが目立つ鉢も目に鮮やかだ。 「すごい。こんなにたくさんあると綺麗ですね」 「うん。滅多にこんな光景は見られないしね」 二人でのんびりと店先に並べられた鉢を眺めていく。 「せっかくだし、ひとつ買って帰ろうか。玲二くん、好きなの選んでいいよ」 「でも乃木沢さん忙しいから世話なんてできないんじゃないですか?」 玲二が小さく首を傾げる。 「玲二くんが世話をしに毎日来てくれると嬉しいけどな」 「はは、さすがに毎日は無理ですよ。でも、そうだな。ほおずきのためって理由があれば寄り道しやすいかな」 今年から大学に通い始めた玲二は自宅通学だが、乃木沢のマンションは通学路の途中にあるので立ち寄ることは簡単にできる。 けれど乃木沢がいない時に勝手に上がり込むのは気が引けると言って滅多にやってくることはない。 合鍵だって渡してあるというのにだ。 寄り道するのに理由が欲しいというあたり、生真面目で可愛いなと乃木沢はこっそりと思う。 「よし、じゃあ大きいヤツ買おうか」 「小さいのでいいです。でもちゃんと実がなってるヤツ」 「実は食べられないよ」 「知ってます。でもどうせなら小さいよりは大きい方が元気があるような気がしませんか?」 なるほど、と乃木沢がうなづいて、その場にしゃがみこんでほおずきを吟味し始めた。 所詮植物なんてことを口にせず、真剣な眼差しで鉢を見比べている。 その様子に思わず笑みが漏れた。 頭上からちりんと風鈴の音がして、玲二は顔を上げた。 「乃木沢さん、あのほおずきの鉢、風鈴がついてます」 「え?ああ、ほんとだ。いい音がしてるなぁ。あれにしようか」 ほおずきと風鈴がセットになっているものは人気だと店主が教えてくれる。 形が綺麗なほおずきを玲二が選び、乃木沢が買ってくれた。 「すごく夏っぽいですね」 「そうだな。たまにはこういうのもいいな」 乃木沢は毎日忙しくて滅多にどこかへ遊びに行くなんてできない。大学生の玲二は自由になる時間があるとは言え、一般的な学生よりせっせと勉強しているようで、本当なら毎日でもマンションきて欲しいと思っているのに、そこまでべったりとはしてくれない。 もっと恋人らしく甘えてきて欲しいと思う反面、生真面目な性格が愛しくも思う。 だからこうしてたまに一緒にでかける時間というのは本当に貴重で、何にも代えがたいものだとお互いに思っている。 「鉢、重たくないかい?」 「平気です。だけど、どうしてほおずきと風鈴って一緒にセットになってるのかな。夏っぽいから?」 「あー、聞いた話だけど、ほおずきって亡くなった人が彼岸に帰ってくるときの灯りとして飾る習慣があったんだって。あと、強い風は悪いものも運んでくるって考えられたみたいで、風鈴には厄除けの意味があるんだ。風鈴の音が聞こえる範囲には悪いものが来ないらしい。亡くなった人が帰ってくる時に、悪いものが一緒に来ないようにってほおずきと風鈴がセットになってるってことらしいよ。昔の人ってそういうことちゃんと考えてるんだな」 「へぇ、乃木沢さん詳しい」 頭のいい人だとは知っているが、こういうことまで詳しいとは。 普段年配の代議士先生たちの相手をしているから、こういうことは嫌でも知識の一つとして仕入れているだけだよ、と乃木沢は笑う。 この人は軽そうに見えて、実際には勉強家だし努力家だったなと玲二は思い出した。 父親からもそんな話を聞いたことがあったが、その時は嘘っぽいと疑っていた。けれどこうして付き合うようになるとそれが真実だと身を持って知るようになった。 知れば知るほど、玲二は乃木沢のことを好きになっていく。 人混みではぐれないように少し先を歩く乃木沢の背中を見つめて、こんな風にずっと一緒にいられたらいいのになと思った。歳も離れていておまけに男同志で、この先いろいろと乗り越えなくてはいけない問題も出てくるだろうことは簡単に想像できる。 だけど玲二がどうしようどうしようと悩んだとしても、乃木沢は全部するっと引き受けて涼しい顔をして問題を解決しそうな気がする。 そのやり方が玲二にしてみれば少しばかり眉を顰めるものであったとしても、たぶん玲二は最後には受け入れるのだろう。それくらい乃木沢のことが好きだから。 この人に任せておけば何とかなるんだな、と安心できる。 そう思うと時々感じる不安はふっと軽くなる。 「あ、玲二くん、ちょっと」 立ち止まった乃木沢はやけに嬉しそうな顔をして玲二を手招く。 視線の向こうにある屋台には『冷えたビールあります』の文字がある。 「飲みたいんですね?いいですよ」 この暑さの中、冷えたビールはさぞかし美味いことだろう。 屋台の周りに集まっている人たちもビール片手に満足そうな顔をしている。 玲二はまだ未成年なのでもちろん飲むことはできないので、乃木沢はビールと一緒にお茶を買ってきた。 「玲二くんがアルコール解禁になったら連れていきたい店もあるんだけどな」 「楽しみにしています」 「お父さんはけっこうな酒豪だから、玲二くんも強いのかな」 「どうかな。たぶんそれほど強くはないような気がするけど・・・」 お正月などにほんの味見程度に口にしたことはある。そして実は祠堂の寮でも、時折こっそりと宴会が開かれていた。その時はどこからともなくアルコールが登場したものだ。 もちろん校則違反なので見つかれば大変なことになるが、何しろ階段長の連中が幹事だったりするのだから誰かに見つかることはなかった。ビールはさほど美味いものとは思わなかったが、日本酒は香りが好きだなと思いだす。 「じゃあこれもちょっと味見してみる?」 差し出されたビールのカップを受け取る。 黒ビールは飲んだことがない。いいのかなぁと思いつつカップを受け取り一口飲んでみる。 普通のビールとやっぱりちょっと味が違って、こっちの方が好きかもしれないと思う。 「美味しい」 「お、好みだった?普通のビールよりもちょっと変わったビールの方が口に合うのかな。じゃあそういう店を探しておくかな」 一緒に飲める日はまだ先なのに、乃木沢はどこか楽しそうにうなづく。 黒ビールは初めて飲んだけれど、ちょっと癖はあるものの美味しいなともう一口飲んでみる。 そこで乃木沢にカップを取り上げられた。 「こらこら、一口だけだろ。未成年はそんなに飲んじゃ駄目だよ」 「飲ませておいて都合のいいことばっかり言ってる」 「大人っていうのはそういうものだよ」 乃木沢はカップのビールを飲み干すと、カップをゴミ箱に捨てた。 「さ、行こうか。もうちょっと市を見て、焼肉食べに行こう」 「はい」 再び歩き出したものの、空きっ腹にアルコールを入れたせいか、何だかふわふわと足元がおぼつかないようが気がして、玲二は何度か瞬きをした。 これはまずい、かもしれないと思った時、 「あっ」 どんっとすれ違い際に肩がぶつかり足元がよろけた。 慣れない下駄のせいで、足首をおかしな感じで捻ってしまい、つきんとした痛みが走る。 「大丈夫?」 気づいた乃木沢が慌てて玲二の腕をつかむ。 「大丈夫です。ちょっと捻ったみたいで」 「ちょっと見せて」 人波から少し離れた場所で、乃木沢がしゃがみこんで玲二の足首を見る。 「捻挫した?」 「いえ、そこまでは。大丈夫です」 「下駄って履きなれないとおかしな具合に捻る時があるからなぁ。靴に履き替える?」 「え、浴衣に靴って変じゃないですか?」 「でも歩ける?」 まだちょっと痛みはあるが、捻挫ではないから歩けないことはない。 かといて、このまま長時間歩くのは自信がない。 足のせいではなく、さっき口にしたビールのせいで、頭がぼーっとしてきているせいだ。 たった数口飲んだだけなのに、やはり空腹時に飲んではいけないんだなと思い知らされる。 「・・・やっぱり無理かも」 「ほらね。よし、じゃあもう帰ろう。目的のほおずきも買えたことだし」 「でも焼肉食べるんですよね?」 あれだけ連呼していたのだから、すっかりその気になっているはずだ。 乃木沢は苦笑して立ち上がった。 「焼肉はいつでも食べられるよ。それに玲二くん、顔赤いよ。もしかして酔っぱらってる?」 「・・・酔うほど飲んでませんけど、でもちょっとほわほわしてるかも」 「まいったな。ビール弱いんだな。気持ち悪くない?」 「平気です。それよりも美味しい焼肉・・・」 「それはまた今度。ほら、帰ろう」 気持ち悪くもないし、どちらかというとふわふわと気持ちがいいのでもうちょっと賑やかな雰囲気を楽しみたいと思ったのだが、乃木沢がぎゅっと玲二の手を握った。 「・・・手」 「うん、はぐれると困るから」 「子供じゃないんですけど」 「はいはい」 人目のあるところで手を繋ぐなんてことはいつもはしない。だけど、今は酔っ払いの手を引いているようにしか見えないだろうから見られても平気だった。 玲二はきゅっと乃木沢の手を握り返した。 本当はこんな風に手を繋いで街中を歩いてみたいと思っていた。 絶対に口にはしないけど、何だかちょっと嬉しいと思ってしまう。 「玲二くん、ほんとに酔ってる?」 「酔ってませんよ」 思わず笑った玲二に、乃木沢は何とも言えない微妙な表情をしてみせた。 駅まで歩くと足がまた痛くなるだろうから、と言って、乃木沢は人混みを抜けたところでタクシーを拾った。 冷房のきいた車内で玲二は目を閉じて乃木沢の肩に寄り掛かった。酔ってるふりをするとこういうこともできるのかとちょっと楽しくもなる。浴衣の袖で隠れるように繋いだ手の温もりも心地いい。このままうとうとしてしまいそうなほど気持ちよくて、知らず知らずのうちに笑みが零れてしまいそうになる。 「玲二くん、寝ちゃった?」 大丈夫ですと無理矢理目をこじ開けて言うと、乃木沢が笑う気配を感じた。 マンションの前でタクシーを降りるころには、ふわふわとした酔いもおさまっていて眠気も飛んでいた。 「すみません、せっかくのほおずき市だったのに、焼肉も行けなかったし」 「・・・」 「お腹空いているところにビールってダメですね・・・そんなに飲んでないのに」 「・・・」 からからと下駄を鳴らしながらエントランスを入りエレベータに乗っても、乃木沢は無言のままで、けれど玲二の手を放そうとしなかった。 せっかくちょっとデートっぽい雰囲気だったのに、怒らせてしまっただろうかと少し不安になる。 玄関の扉を開けると、手にしていたほおずきの鉢を玄関先に置いた。 「玲二くん」 「え・・・」 繋いでいた手が離れ、そのまま抱きすくめられて壁に押し付けられた。 唐突に唇を塞がれて、あっという間に深いキスになる。 「・・・っ」 咥内をくまなく探られるようなキスは初めてではないし、嫌でもないけれど、こんな風に突然されるとどうしていいか分からなくなる。 「・・・乃木沢さん・・っ」 「ごめん、今すぐしたい」 「えっ、何で・・・」 突然のことにそれまでの酔いも一気に覚めた。 浴衣の襟元がはだけられて、玲二は慌てて乃木沢の肩を押し返した。 「乃木沢さん、なに、どうしたの?」 「玲二くん、お酒飲むのは俺と一緒にいる時だけにしてくれないかな。色気だだ洩れだった」 「は?」 色気?色気ってなに? 玲二が半ばパニックになっている間にも、乃木沢はさらに身体を密着させてくる。 押し返そうとしても、体格差から少々抵抗したところでびくともしない。 「最初から玲二くんの浴衣姿にちょっとくらっと来てたんだけど、ほろ酔い加減であんな風に甘えてこられたら、そりゃしたくなるだろ」 「そりゃって言われても、ちょっと、乃木沢さんっ」 背中に回された腕がごそごそと蠢いて帯が解かれる。 すべり落ちそうになる浴衣を玲二は必死で掴んだ。 「あのっ・・こんなところでしなくても・・・」 「うん、ごめんね」 むき出しになった肩先にちゅっとキスされて、玲二は乃木沢が本気なのだと気づいて一気に頬が熱くなった。すっかり乱されてしまった浴衣の裾から乃木沢が手を差し入れてくる。 「やっ・・・」 緩く握りこまれてすぐに反応を返してしまったことに玲二はいたたまれなくなる。 思わず逃げようとした玲二の顎先を掴んで、また深く唇を重ねられた。 舌先が触れ合うだけでも気持ちよくて、玲二は無意識のうちに甘えるように鼻を鳴らした。 こんなところで、と思うのに次第に触れられた部分からじわじわと甘く痺れていって、そのまま崩れ落ちてしまいそうになる。 唇から頬へ、首筋から胸元へと乃木沢の唇が滑りおりて、胸の先を含まれた。 「乃木沢さん・・・っ」 ちゅっと何度か音を立ててはきつく吸い上げられて、玲二は思わず声が出そうになって口元を手の甲で塞いだ。 そんな玲二に低く笑って、乃木沢はそのままその場で膝をついた。 「え・・・」 乃木沢の手の中で形を変え始めていたものをそのまま口に含まれて、玲二は息を飲んだ。 口でされるのは初めてではないけれど、こんな玄関先で自分は立ったままで。 「うそ・・・」 どんと壁に背中を預けて、玲二はぎゅっと目を閉じた。 片足を肩にかけられて、不安定な姿勢で一方的に刺激を与えられる。 焦らすように先端だけを舌先で擽られ、やがて深く含まれた。熱い咥内に包まれて腰の辺りからぐずぐずと溶けてしまいそうになって大きく胸を喘がせた。 「んっ・・・は、はぁ・・・」 閉じそうになる脚はその都度乃木沢によって開かされる。 「もう、やだ・・」 「何で?気持ちよくない?」 口を離した乃木沢が玲二を見上げる。 「ん?」 「・・・っ・・気持ちいいから、もうやだ・・」 痺れているのは下肢だけではなくて、頭に血が上って眩暈がしそうになっている。 たぶん乃木沢の目にはいつまでたっても慣れない子供のように映っているのだろう。 それが悔しくも感じるし、カッコ悪いとも思う。だけど、どうしたって乃木沢には勝てないのだ。 「ほんとにやだ・・」 何が嫌なのかはっきりしないまま口にすると、乃木沢がくすりと笑った。 「可愛いな」 その言葉と同時に再び深く飲み込まれて、舌と唇で刺激された。 優しく丁寧に愛撫されて、溢れた蜜を何度も舐めとられた。 「あ・・んぅ・・・待って・・出ちゃ・・」 ぐんぐんと上がる射精感に腰が引ける。このまま口になんて絶対無理と思って乃木沢の頭を押し返そうとしたけれど、きゅっと強く吸い上げられては我慢できなかった。 「は・・・っ・・」 一瞬頭の中が白くなる。 身体中の力が抜けていくような感覚に、玲二はずるずるとその場にしゃがみこんだ。 濡れた口元を拭った乃木沢がそんな玲二の額にちゅっとキスをした。 「可愛いな、玲二くん」 「もう・・・ばかっ、乃木沢さんのばかっ」 こんな場所でとか、いきなり何するんだとか、言いたいことは山ほどあるのに、口の中に放ってしまった気恥ずかしさから言葉にならない。 「だって玲二くん、すごく可愛かったし」 「だからってこんなところで・・・」 「うん、そうだよね。ごめんごめん」 ちっとも悪びれた様子もなく乃木沢が笑い、すっかりはだけた浴衣で玲二の身体を包むと、そのままよっこらしょと担ぎ上げた。 「ちょ・・っと・・」 「お姫様抱っこじゃなくて悪いけど」 どちらかというと子供を担ぎ上げるような形で抱き上げて、そのまま玄関を上がってすぐ脇にある寝室の扉を開けた。 広めのベッドに横たえられると、すぐさま上から伸し掛かられた。 その重みに玲二は半ば諦めながらも抗議してみる。 「乃木沢さん、昨日もしたのに・・」 休日前の夜だからとそりゃもうさんざん盛り上がったのだ。 もう十分、もうしばらくはお腹いっぱいと思っていたのはどうやら玲二だけのようで、乃木沢はそんなことなどすっかり忘れてしまったかのような勢いで、中途半端に纏わりついている玲二の浴衣を綺麗に脱がせ始めた。 「うん、昨日もした。すっごく気持ちよかったよね」 「そういうこと言わないでくださいって何回も言ってるのにっ!」 付き合い始めた頃は玲二は祠堂の寮にいて、年に数回会えればいい方だった。当然、キスより先に進むチャンスもなかなかなくて、試行錯誤の末ようやく最近になって玲二もそんな雰囲気にも慣れてきて、乃木沢から迫られてもさほど怯えることはなくなったのだけれど。 「乃木沢さん・・っ、お風呂入りたいっ・・汗かいたし・・・」 「どうせ今から汗かくし、あとで一緒に入ろう」 「でも・・汚いしっ」 「汚くないよ。玲二くんって可愛いこと言うよな」 「馬鹿にしてます?」 「してないよ。愛しいなって思っただけ」 そっと髪を撫でられてゆっくりと口づけられた。 しばらく味わうようにお互いの舌を絡めあった。キスは好きだなと玲二はぼんやりとした頭で思った。 乃木沢とのキスはいつも気持ちいい。 唇が離れるともっとと言いそうになって慌てた。額から頬から顔中にキスされ、それから喉元から肩へと滑り降りた唇で身体中を探られて口づけられた。 さんざん感じる部分を責められて、知らぬうちに甘い声が漏れ始める頃には、乃木沢に言われるがままに脚を開いていた。 乃木沢としか経験がなくて、いったいこれが普通のことなのかそれとも普通じゃないことなのかも分からない。だけど乃木沢が経験豊富で、これ以上なく優しく玲二に触れてくれていることは分かる。 ベッドサイドに置いてあった昨日使ったばかりのジェルで時間をかけて中を広げられた。 耳に聞こえる水音にさらに羞恥心を煽られて、いったいどんな顔をしていればいいか分からなくて玲二は思い切って乃木沢の首に両腕を回した。 「の、乃木沢さん」 「うん?痛い?」 ゆるゆると玲二は首を横に振った。 昨日の熱が残っているのか、すぐに柔らかく溶けているのが自分でもわかる。 「じゃなくて・・・も、いいから・・して・・」 自分から強請るような言葉を言うのは本当に恥ずかしい。けれど、これ以上時間をかけて焦らされるのも耐えられない。 乃木沢はふっと息を吐きだすと身体を起こして玲二を見下ろした。その視線に玲二はこくりと喉を鳴らした。 いつも飄々として穏やかな印象の乃木沢だが、こういう時は少し怖くなる。 欲望を隠そうとしない乃木沢に全部余さず食べられてしまうんじゃないかという気がして逃げたくなる。 もちろん逃げられるわけもないし、本当は全部綺麗に食べて欲しいと思う自分がいるのも知っている。 玲二の脚を抱えて乃木沢が身体を進めてくる。熱い塊を押し当てられて、玲二は大きく息を吐いた。 「んんっ・・・あ・・っ」 ぐっと上体が倒れて肌が触れ合う。ゆっくりと奥まで入ってきた熱の苦しさに玲二は何度も胸を喘がせた。 しばらく動かずにいた乃木沢が腰を引き、また中へと入ってくる。緩慢な動きはいっそもどかしくて、玲二は乃木沢の腕をぎゅっと握り締めた。 「乃木沢さん」 「うん?」 「・・・もっと、ちゃんと・・・動いて」 中途半端に与えられる快楽は辛いだけで、それなら痛いくらいにしてくれた方がいい。 玲二の言葉に低く唸って、乃木沢は一気に揺さぶるスピードを速くした。 今ではよく知る快楽に翻弄されて、自分でもどうかと思うくらい甘い声が零れた。 普通じゃ考えられないような恰好をして、恥ずかしくて仕方ないのに、だけど乃木沢が触れる部分が信じられないくらい熱くてもっとと求めてしまう。 「玲二・・・」 好きだよと何度も囁かれて、うんと頷く。同じように好きですと返すと、身体の奥を貫いていたものが大きく脈動するのがわかった。ぴたりと動きをとめて、お互いに荒い息が落ち着くのを待った。 やがて早かった鼓動が落ち着くと、乃木沢は身体を離して、くったりと脱力した玲二の頭を抱えるようにして、そのこめかみに口づけた。 「大丈夫?」 「・・・うん」 「ごめん、ちょっと強引だった」 やけに殊勝な物言いに、玲二は思わず笑った。 確かに強引だったけれど、自分からは上手く誘えない玲二にしてみれば絶対に嫌だというわけでもない。 もちろん絶対に嫌な時にはちゃんとそう言うけれど、でも絶対に嫌だなんてときなんてあるのかな、と考えてしまったりもする。 乃木沢は玲二を抱きしめて、言い訳するように続けた。 「玲二くんの浴衣姿がなぁ、あれがダメだな、うん、襟元とかくるぶしとか、何でちらっと見える部分って色っぽく見えるんだろうなぁ」 「乃木沢さん、おかしいよ」 女の子のそういう部分にどきっとするなら分かるけど、玲二は細身であっても身体つきは男だし、色っぽいだなんて誰からも言われたことがないというのに。 「まぁあれだな。俺の目には玲二くんは何してても可愛く見えるんだろうな」 「・・・」 「無茶してごめんな」 「可愛く言ってもダメですからね。もうしばらくはいちゃいちゃ禁止です」 えーっと文句を言う乃木沢をベッドに残して、玲二はだるい身体を起こすと手近にあったシャツを羽織った。 玄関先に置いたままになっていたほおずきの鉢を手にして、リビングを横切りベランダの窓を開ける。 むわっとした夏の空気が頬に触れ、もうすっかり夏なんだなと思った。 鉢をベランダに置いて、スロップシンクの蛇口を捻る。 「水やり?」 窓辺に立つ乃木沢が声をかけた。 「うん。枯れないように育てたいし。あ、乃木沢さん、風鈴吊ってください」 手にした風鈴を乃木沢に渡すと、乃木沢は腕を伸ばして軒下に吊るした。 ちりんと耳に心地いい音がして、すっと温度が下がったように思えた。音の効果というのはなかなかのものだと感心する。昔の人は頭がいい。 「玲二くん、汗かいたしシャワー浴びようか」 「一人で入るのでお先にどうぞ」 「おいおい、そんなに警戒しなくてもいいだろ」 「何もしませんか?」 「あー、それはちょっと自信がないけど」 正直に白状した乃木沢に玲二は呆れたような視線を送った。 たっぷりとほおずきに水をやり、軒下に吊るされた風鈴に笑みを浮かべる。 今年の夏が終わるまでは、ここへ来ればこの音を楽しむことができるのだと思うと、もうちょっと足繁く遊びにきてもいいなと思う。 ほおずきが赤くなるのも楽しみだ。 「・・・シャワー一緒に浴びましょうか、孟さん」 まだちょっと不満そうな顔をしていた乃木沢の腕にそっと手をかけて玲二が微笑む。 滅多に名前では呼んでくれない恋人が時折こうして名前を口にするときは、いちゃいちゃしたい時なのだと 乃木沢も知っている。 「やっぱり可愛い」 聞こえないようにつぶやいて、乃木沢は玲二の肩をそっと引き寄せる。 風に吹かれた風鈴がちりんと小さく音を立てた。 |