それはある日曜日の朝のこと。
「まったく、せっかくの休みの日だっていうのに、まいるよなぁ」
そう言って、ギイは素肌に白いシャツを羽織った。 ふわりと膨らんだシャツの袖に腕を通して、襟元に手をやって形を整える。 「今日は託生と一日のんびり過ごす予定だったのになぁ」 心底がっかりした声に、ぼくは小さく笑う。 「仕事なんだろ?」 「仕事だけどさ」 日曜日。久しぶりに何の用もないというギイは、今日一日は何もせず、ぼくと一緒にいると言っていたのだ。 けれど、昨夜遅くにかかってきた電話で、ギイは朝早くから街へと出向くことになってしまった。 世界的な大企業であるギイの実家。ギイも高校生ながらも父親からの命令で時々外交と名のつく仕事をしているらしい。 庶民のぼくにはまったく想像もできない世界なので、ギイがどんなことをしているのかなんてまったく分からないけれど。 朝一番のバスに乗るというギイに付き合って、ぼくも早起きをした。 朝ごはん、一人で食べるのは寂しいかなと思ったのだ。 休みの日はみんなゆっくり寝ているので、食堂が開くと同時に食事をする人なんてほとんどいないのだ。 「あーあ、久しぶりの託生とのデートが・・・」 「そんなこと言うけど、仕事は断って、ぼくと一緒にいてって言ったって、ギイは仕事に行くんだろ?」 そんなこと言うつもりは全然ないけど、興味本位で聞いてみた。 ギイはそうだなぁと苦笑する。 「まぁ託生はそういうこと言わないと思うけど、もし本気でお願いって言われたらさすがに心が痛むかな」 「心は痛むけど、仕事には行くだろ?」 「行くさ」 あっさりと言うギイに、ぼくはくすっと笑った。 ぼくにはとことん甘いギイだけど、でもそういうところで甘やかしたりはしない人だ。 そういうところが好きだなぁと思うのだ。 その時すべきことをちゃんと分かっていて、きちんと自分の役割を果たそうとするところが。 ギイはふと思いついたようにぼくを振り返り、 「がっかりした?託生」 と聞いた。 「え、そんなことないよ。仕事よりぼくとのデートを優先されても困るし」 これは本心だ。 もしギイがぼくのために仕事は断ったなんて言ったら、めちゃくちゃ困る。 「何だ、たまにはそういうおねだりして欲しいんだけどな」 「意味のないおねだりしても、ね」 そう言うと、ギイはそれでもたまにはして欲しいんだけどなぁ、と笑った。 朝の光が窓から差し込み、ギイの薄茶の髪が目に眩しかった。 シャツの袖口のボタンをとめる長い指先の動きが綺麗で、思わず見惚れてしまう。 ネクタイを結ぶ流れるような動きとか。 ちょっとつまらなさそうに髪をかき上げる仕草とか。 ギイがとんでもない美男子なんだということは分かっているはずなのに、毎日一緒にいるから時々忘れてしまうのだ。忘れる、というか慣れてしまった、というか。 それって、よくよく考えると、すごく贅沢なことなんだろうなと思う。 だけど、何かの拍子に、例えばこんな風に、朝の光の中で身支度を整えている彼の姿をベッドに腰掛けたまま眺めている時に、それはふいに胸を打つのだ。 (ああ、やっぱりとても綺麗だなぁ・・・)
ぴんとした背筋。長い手足。白い肌。柔らかな髪。
ギイは自分の容姿を褒められることをそれほど喜んでいないと知っているから口にはしないけど。 だけど、やっぱり・・・。 「・・・・み?たーくーみー?」 ぼんやりとギイに見惚れてたぼくは、目の前でギイに名前を呼ばれて我に返った。 「どした、ぼんやりして?」 「あ、えーっと・・・」 まさかギイに見惚れてたなんて、恥ずかしくて言えない。 うわ、どうしよう。 顔が赤くなるのが自分でもわかる。 「託生?」 「あ、ううん、何でもないよ」 「ふうん」 にやにやと笑いながら、ギイが指先でぼくの額をつんと突く。 「いてっ」 「見惚れてた?」 「え?」 「いやいや、愛されてるなぁ、オレ」 喉の奥で笑うギイを軽く蹴り飛ばす。 「自信過剰」 「あれ、違った?愛されてるだろ、オレ?」 「それは、そうだけど・・・」 小さく言うと、ギイは極上の笑みを浮かべた。 そしてぼくの隣に座ると、そっと抱き寄せてこめかみにキスをする。 「なるべく早く帰ってくるから」 「うん」 「デートだめになってごめんな」 「うん」 「オレのこと好き?」 返事は分かってるくせに、どうしてこう何度も同じことを聞くのかなぁ。 ここで下手に返事を誤魔化すと、またねちねちといじめられるのは分かってるので、ぼくは素直に答えることにした。 「・・・好きだよ、ギイ」 「まさか外見だけ、とか言わないだろうな?」 ギイのちょっと拗ねたような言葉に、ぼくは吹き出した。 「外見も、好きだよ」 その容姿も心も、何もかもひっくるめてギイだから。 どれか一つだけじゃないんだよ。 ぼくには過ぎた恋人だっていつも思ってる。 「ギイの全部が好きだよ」 そう言うと、ギイははーっと大げさにため息をつくと、天を仰いで低く唸った。 「・・・・お前、これから出かけなくちゃならないっていうのに、そういうこと言うか?オレ、やっぱり今日仕事行くのやめようかな」 「何言ってんだよ、さ、用意できたならご飯食べに行こう。バスに乗り遅れちゃうよ」 ギイの腕から逃れて先に立ち上がろうとするぼくの手を、ギイが掴んだ。 「託生、帰ってきたら、もう一回今の台詞言ってくれる?」 「やだよ。恥ずかしいだろ」 「くそー、何かすっごく損した気分。このまま襲っちまいたいのになー」 うだうだと文句を言うとギイの手を引いて立ち上がらせた。 「ほら、さっさと食堂へ行く。バス停まで送ってあげるからさ」 「冷たいな、託生。オレのことそんなに追い出したいのかよ」 「そうじゃないよ。早く行って、早く帰ってきて欲しいだけ」 ぼくの言葉にギイは目を見開いて、そして嬉しそうに笑った。 「なるほど。了解しました。それならさっさと行くことにする」 近づいてくるギイの唇を、ぼくは目を閉じて受け止めた。 柔らかな口づけに、胸がぎゅっと痛くなる。 ほんとはこのまま二人で休日を過ごしたい、なんて我侭な考えが浮かんでしまって、必死でそれを振り払う。 もしそう言えば、ギイの心は痛むのだろう。 そして、どうしたら仕事に行かなくてすむかを、あれこれと画策するのだろう。 でもそんなことやっぱりできなくて、ギイはもっと心を痛めるんだ。 ぼくには分かる。 だから言わない。それはぼくの心の中だけでの我侭だ。
唇が離れると、ギイはくしゃりとぼくの髪を撫でた。 「速攻で帰ってくる。待っててくれよな」 「わかったよ」 「よし、じゃ朝飯に行こう」 朝の光を背にして、ギイが微笑む。 それは、ごくありふれた日曜の朝のこと。 |