One Day



葉山がアメリカへ行くという。




12月に入り、街はすっかりクリスマスムードになっていた。
今年の冬は寒いと聞いていたけれど、実際にはまだそこまで寒くもなく、薄手のジャケットだけでも外を歩くには十分なほどだった。

(けどまぁ、葉山は寒い寒いって言うんだろうな)

待ち合わせは最近できたばかりのシネコンの入口だった。
葉山がそこなら分かると言ったからなのだが、入口じゃなくて中にしておけばよかったかなと少し反省してしまった。
いやしかし、ギイじゃあるまいし、そこまでヤツに甘くする必要もないかと思い直す。
だいたいそこまでの寒さでもない。
そう思いながらシネコンの前まで行くと葉山はもう来ていて、首に巻いたマフラーにすっぽりと顎先を埋めていた。
「よぉ、待たせたか」
声をかけると、葉山は顔を上げてふるふると首を横に振った。
「そんなに待ってないけど、ここ、寒いね」
思っていた通りのセリフが飛び出したので思わず笑ってしまった。
「何だよ」
「いや、期待通りの反応だったからさ」
「?」
「そこまでの寒さでもないとは思うが、何か温かいものでも飲みにいくか」
このあたりは学生時代にアルバイトをしていた場所なので、穴場のカフェも知っている。
葉山を促すと、ほっとしたように一緒に歩き出した。
「そういえば赤池くん、今日、奈美子ちゃんとデートだって言ってなかったっけ?
忙しいのにごめん」
「デートじゃない。あいつ、この近くのホテルで友達の結婚式の披露宴に出てるんだ。引き出物の荷物持ちに駆り出されただけだよ」
「ああ、引き出物ってけっこうな荷物になるんだよね。でも最近はカタログとかで、あとで選べるようになってるって聞いたけど」
「カタログだけならいいけどな。何だかんだで結局荷物が増えるらしい」
軽くてもかさばる物が多いから電車で帰るのは大変だとお願いされてしまっては仕方がない。
そう言った僕に、葉山は楽しそうに笑った。
「文句言いながらも優しいよね、赤池くん」
「そうか?普通だろ」
仮にも恋人に対しての行動としてはそれほど感心されることでもないと思うし、ギイなんて僕の100倍は葉山に甘かった。
それは今でも変わらないし、ますます拍車がかかっているようにも思う。
「あそこのカフェでいいか?」
「うん、暖かいとこならどこでも」
男同士で入るなら喫茶店で十分なのだが、このあたりは女性向けのカフェばかりが増えてしまって、何とも居心地が悪くて仕方がない。
それでも学生らしき男だけのグループもいたので、別段目立つこともなく席につくことができた。
ホットコーヒーをオーダーして、しばらくお互いの近況を報告しあった。
コーヒーが運ばれてくると、冷えた手のひらを温めるようにして葉山がカップを手にする。
それも冬になると見慣れた光景だ。
缶コーヒーでも何でも、葉山は両手でそっと包み込んで手を温める。
バイオリンを弾くからだろうか。いつでも手が冷えることを気にしているような気がする。
「で、何かあったのか?急に会えないか、なんて。ギイは今アメリカだったか?」
「うん、そう」
「あいつもアメリカと日本と行ったり来たりで忙しいよな」
「うん」
葉山は少し笑うと、手にしていたカップをテーブルに置いた。
ギイは今、基本的にはアメリカにいて、父親の仕事を手伝っている。らしい。
らしいというのは他にも何だかあれこれと手を出しているようで、いったい何が本業なのか分からないからだ。
それでも日本に来る時には必ず僕にも連絡をくれ、葉山と三人で飲みに行く。
それはまるで祠堂にいた時と同じようで、会えば僕たちの時間は簡単にあの頃へと遡った。
「赤池くん、ぼくね・・・」
「うん?」
「ぼくね、アメリカに行こうかと思ってるんだ」
「・・・・」
相談でも何でもなく、それはもう決心したと知れる言葉だった。
「ギイと一緒に?」
「うん、そう」
それが当然だとも思えたし、どうして?とも思えた。
「赤池くんには最初に言わなくちゃと思って」
「・・・」
「いっぱい心配かけたし、いつでも応援してくれたから」
「そうか・・・」
葉山はちょっと微笑むと、うんと小さくうなづいた。

祠堂を卒業してからも葉山との付き合いはずっと続いていて、時間ができると映画を見たり、食事をしたりして、お互いの近況はいつでも知っている程度には顔を合わせてきた。
ギイが何も残さずに姿を消してから、再び葉山の前に姿を見せるまでの数年間、たぶん僕たちは祠堂にいた頃よりもずっと近しい存在だったと思う。
突然消えてしまったギイへの思いは複雑すぎて、僕も葉山も話したいことはたくさんあったけれど、それを上手く言葉にすることができずに、もやもやとした気持ちを抱えたまま時間ばかりが流れていた。
葉山は相変わらずギイのことを思っていたけれど、僕としてはもう忘れた方がいいんじゃないかと思うことも何度もあった。
常識的に考えて、あれほど大切にしていた恋人に一言も残さずに姿を消したのだ。
裏切りだと思って当然だし、ギイだって平気な顔をして葉山の前に現れることなどできないだろうと思っていた。
音大に入学した葉山は、温厚で誠実な人柄でそれなりに女の子にも好意を持たれた。
何度か告白されたとも聞いたし、二人きりで遊びに行ったこともあったはずだ。
だけどいつもそれ以上の関係に進むことはなく、仲のいい友達止まりで終わっていた。
誰かを好きになってまた傷つくことを恐れているのかと思っていたけれど、そうではなくて、ただ単に葉山の中にずっとギイがいたせいだ。
葉山が静かにギイのことを思い続ければ続けるほど、僕の中では怒りの感情が膨らんでいった。
ギイが突然消えたことにはきっと理由があって、あのギイがこんな形で消えなければならなかったくらいだから、それはかなり深刻なことだったのだろうと想像はできた。
それは頭では理解できたけれど、気持ちがついてはいかなかった。
もし葉山のことがなければ、相棒だと思っていた男にひどい仕打ちを受けたとさっさと見切りをつけていたかもしれない。
だけど一番傷ついているはずの葉山が馬鹿みたいにギイのことを信じているから、自分だけがいつまでも腹を立てているのが馬鹿らしくなったのだ。
短い時間だったけれど、僕たちとギイとの間には間違いなく友情と愛情があったし、すべてにおいて完璧でミスなどしないギイのことを好きになったわけじゃないと思い直した。
ギイだって同じ年の高校生で、自分だけの力じゃどうにもできないこともあったのだ。
僕だって後悔することも、誰かに謝らなくてはならないこともしてしまうのだ。
だからギイのことを許せないなどと思うのは、あまりにも傲慢なことなのかもしれないと思った。
葉山はそんなややこしいことを考えていたわけではなく、単純にギイのことが好きだから信じているのだとあっさりと言ってのけた。
結局僕たち3人の中で一番強いのは葉山だったのだ。
無条件で誰かを信じることができるのは、簡単そうで難しいことだ。
だけど葉山にはそれができた。
そして、たぶんそれは正解だったのだ。
数年たって、ギイは再び葉山の前に姿を現せた。
二人の間でどんな話し合いが行われたのかは分からないけれど、もう一度初めから始めることにしたようだった。
どこまでも真っすぐにギイのことを思い続けていた葉山だから、そんな奇跡が起こったのだろう。
ギイは僕に対してもきちんと事情を説明し、もう一度付き合いを始めたいと申し出てきた。
ギイ自身のことを嫌いになったわけではなかったので、わけの分からない状況に納得さえできれば良かった。
葉山の分も合わせてさんざん文句を言って、また僕たちは以前と同じような付き合いが始まった。
社会人になって、仕事もしているのだから、祠堂にいた頃のように毎日顔を合わせるなんてことはなかったけれど、時間さえできれば3人で会うようになった。
ぎこちなかったのは最初だけで、すぐに何もなかったかのように馬鹿なことを言っては笑いあえるようになった。
ギイはアメリカに住んでいて、仕事の合間を見つけてはせっせと葉山の元へと通っている。
もう一緒に住めばいいじゃないか、と言っているのだけれど、ギイの仕事の拠点はアメリカだったし、葉山だって日本で仕事をしているから、なかなか難しかったのだろう。
このままずっとこのスタイルで行くのかと思っていたから、葉山のアメリカへ行くという発言は、僕には寝耳に水で驚いた。
「それって、ギイと相談して決めたってことか?」
「うん」
「そっか・・・葉山、英語どうするんだ?」
祠堂での成績を考えると、英語圏で生活などできるのだろうかと心配になる。
「それなんだよねぇ。でもまぁ行ってしまえば何とかなるような気もするし」
「出た!葉山ってそういう変に度胸座ってるとこあるよな。見かけによらず、さ」
「行くって言ってもたぶん一年くらいだと思うんだ。ギイ、そのあとは日本で仕事するって言ってるし」
ああ、Fグループって世界中に拠点があるしな。
ギイがその拠点で順番に仕事をしているのは、たぶん会社を継ぐであろう将来に向けての準備みたいなものなんだろうが・・・
「いや、ちょっと待て。一年後にギイが日本に住むのならそれまで待ってればいいだろ。わざわざアメリカに行かなくても」
僕が言うと、葉山はそうだよねぇと困ったように笑った。
「それは赤池くんの言う通りなんだけど・・・・」
少し何かを考えるように、葉山は首を傾げた。
「確かに一年もすれば日本で一緒に暮らせるって分かってるんだけどさ」
「じゃあどうして?またギイに強引に押し切られたか?」
ギイは相変わらずギイのままで、葉山相手だといつも子供っぽい独占欲を発揮して、時々強引にコトを進める癖がある。
葉山も相変わらず葉山のままなので、ギイが相手だとしょうがないなと半ば諦めムードでそれを受け入れる節がある。
もっとも、本当に嫌なことなら葉山はきっぱりと拒絶するので、結局のところいい具合に二人の相性は合っているのだろう。
でなけりゃ祠堂で突然行方をくらませた時点で二人の仲は終わっていたはずだ。
だとしても、どうしてこのタイミングで葉山がアメリカへ行くのか分からない。
「んー、まぁギイからどうかなって言われたのもあるんだけど・・・」
だけどね、と葉山は続けた。






「何だか雪が降りそうだね」
店を出ると、すっかり暗くなった空を見上げて、葉山が白い息を吐きながら言った。
そういえば明日あたりは雪のようなことを言ってたような気がする。
「赤池くん、時間大丈夫?間に合う?」
まだまだ葉山に聞きたいことはあったけれど、奈美との約束の時間が近くなり、それを心配した葉山の方から続きまた今度と切り上げてきた。
「奈美子ちゃん待ってないかな」
「大丈夫。葉山はこれからどうするんだ?」
「帰るよ。こんなに寒い中うろうろしたくないし」
「そこまで寒くはないけどな」
昔から寒がりなやつだったが、年を重ねるごとにさらに寒がりになっているような気がする。
こんな調子でニューヨークで生活ができるのか?
あそこの寒さは日本の比じゃないだろうに。
「じゃあ赤池くん、奈美子ちゃんによろしく伝えて」
「ああ。じゃあまたな」
「うん」
軽く手をあげて歩き出した葉山に思わず声をかけた。
「葉山」
「なに?」
「・・・ギイによろしくな」
言うと、葉山はぱっと笑顔になった。
花も綻ぶ、なんて女の子に使うような表現だが、本当にそんな感じの綺麗な笑顔だった。
ギイの名前だけでそこまでの笑顔になれるなんて、本当にこいつは単純だなと思う反面、少し羨ましくもなる。
二人がちゃんと仲良くしてるんだなと思うと安心するのは、たぶんギイがいない間の葉山のことを知っているからだ。
ギイがどれほどよくできたヤツでも、あの頃の葉山の苦しみを間近で知っているのは僕だけだからだ。
だから、今葉山が幸せでいるなら本当にほっとする。
時計を確認すると約束の時間から5分ほど遅れていたので、慌ててその場をあとにした。
奈美は両手に大きな荷物をぶらさげて、待ち合わせ場所に立っていた。
「遅いよー、章三くん」
「悪い、どうだった、披露宴」
「素敵だった。ウェディングドレスも綺麗だったし」
奈美の手から荷物を受け取ると、それは思っていた以上にずっしりと重い。
「おい、これ何が入ってるんだ?」
「何だろう。開けてないから分かンないよ」
「米とか?」
「まさか!」
くすくすと笑って、奈美はお皿か鍋のセットじゃないかと面白味のないことを言った。
少し歩いて、駐車場に停めてった車に乗り込み、そろそろ渋滞が始まろうかという街を走った。
「ねぇ、葉山さんと会ってたんでしょ?元気だった?」
「ああ、元気元気。奈美によろしくって」
「長い間会ってないしなぁ、久しぶりに会いたいな。今度一緒にご飯に行こうよ」
助手席で奈美が好き勝手なことを言う。
どういうわけか葉山と奈美は気があうらしく、会えばいつまでもずっとあれこれと話をしている。
性格はぜんぜん違うと思うのに不思議なものだ。
「まぁ飯くらいいつでも付き合ってくれるだろうけど、葉山、もうすぐ忙しくなるんじゃないかな」
「どうして?」
「アメリカに行くみたいだから」
「え、それって、アさんのところへ行くってこと?」
「まぁ、そりゃそうだろうな」
そうかぁ、と奈美は何故か嬉しそうにうなづくと、
「やっと一緒に暮らすことにしたのね。早くそうなればいいのになぁって思ってたんだけど」
「何で?」
「何で、って、そりゃあんなに仲いいんだし、アメリカと日本の長距離恋愛なんて早く解消できればいいのにって思ってたし」
「ふうん」
「何よ、その微妙な反応は」
微妙にもなるだろう。
今さら男同志でどうこうを反対する気もないし、ギイと葉山が本気で付き合っていることだってちゃんと分かっている。分かってはいるが、これからの葉山の苦労を思うと素直に喜ぶのもためらわれる。
何しろギイの実家が実家だけに、愛情だけですべての問題がクリアになると思えない。
そんなおとぎ話を信じられるほどもう子供でもないのだ。
だけど、そんなおとぎ話が現実になるのなら、そんな奇跡みたいなことが起きるなら、それもいいかななと思ってしまうのは、まだまだ子供だということなのか。

(いや、そうじゃないな)

子供だからじゃなくて、大人だからこそ、そういう夢みたいな話があって欲しいと思うのだ。
ギイにとっての初恋の相手と、葉山にとっての運命の相手と、二人がもしこれから先も離れることなく一緒にいられたら、この世の中で不可能なことなんてないんじゃないかなんて・・・

「僕も相当毒されてるな」
「え?何が?」
「いや、何でもない」

奈美は披露宴でお腹いっぱい食べてきたというので途中どこかへ立ち寄ることもなく、一人暮らしをしているアパートまで送ることにした。
就職すると、実家から少し遠かったこともあって、奈美は一人暮らしを始めた。
その頃にはもう恋人同士としての付き合いをしていたので、女の子の一人暮らしなんて、と反対したが、ちゃんと安全なところに住むから大丈夫だと押し切られてしまった。
ギイには奈美の両親よりも心配していると笑われ、葉山には一緒に住めばいいのにとからかわれた。
奈美とはほとんど生まれた時からの長い付き合いで、ほとんど家族みたいなものになっていて、ギイたちみたいなバカップルみたいに四六時中一緒にいなけりゃ不安になるなんてこともない。
だけど、たぶん、それがいけなかったんだろう。
とりとめもないことを考えながら、アパート前で車を止めて、荷物を下ろした。
「章三くん、ちょっと寄ってく?荷物持ちのお礼に美味しいコーヒー入れるけど」
奈美の部屋にはもう何度も来たことがあるので、そこに深い意味などなくいつものように誘ってくれた。
正直なところ、奈美の入れる美味しいコーヒーの誘いはかなり魅力的だったが・・・
「いや、今日は夕飯に鍋をするから帰ってこいって言われてる」
「ふふ、おじさん、章三くんのお鍋大好きだもんね」
うちの親父の変人ぶりなど昔からよく知っている奈美は、別段気分を害することなく笑った。
「鍋なんて誰が作っても同じだろ」
「そうじゃなくて、章三くんと一緒に食べたいんだってこと」
「いい年して、そんな不気味なことを言われてもな」
「いいじゃない、家族なんだから。じゃあ今日はここで。迎えにきてくれてありがとね。助かった」
「・・・・ああ、うん」
いつもならここで別れの一言を口にして、またなと軽く手を振って歩き出す。
だけど今日はそれができなかった。
「章三くん?」
「なぁ奈美」
「なに?」
「結婚しようか」
それはいつ口にしても良かった言葉で、だけど今さら感満載で何となく言うきっかけがなかった言葉だった。
奈美はいきなりの言葉にさすがに驚きを隠せないようで、まじまじと僕を見つめていた。
まさか断られるとは思っていなかったけれど、あまりにも長い間無言でいるものだから、さすがの僕もちょっと不安になってきた。
「あー、返事は急がないけど・・・」
「あ、ごめん。あんまり突然だったから驚いちゃった」
「悪い」
「ううん」
奈美は一歩僕へと近づくと、ぺこりと頭を下げた。
「末永くよろしくお願いします」
「え、あー、うん、こちらこそ末永くよろしく」
顔を見合わせて思わず笑った。そしてほっとした。
ああ、案外と緊張してたのかなと今さらのように思い知った。
「それにしてもびっくりした。どうしたの、急に?」
奈美が面映ゆそうに首を傾げる。
僕は小さくため息をついた。

「じゃあまた、って言うのが嫌になったんだよ」

それは葉山が言ったセリフそのままだ。

どうして今、アメリカへ行く必要があるのだと聞いた僕に、葉山は困ったように小さく笑った。
「んー、まぁギイからどうかなって言われたのもあるんだけど・・・」
だけどね、と葉山は続けた。
「毎日のように電話してるだろ?切る前にじゃあねって言ったり、月に何度か顔を合わせて、もっと一緒にいたいなぁって思っても、やっぱりギイはアメリカに帰らないといけなくて、空港でじゃあまた、って言わなくちゃならなくて。何かさ、そんな風に好きな人に『じゃあまた』って言うのが嫌になっちゃったんだよ。赤池くんの言う通り、1年もすれば一緒にいられるって分かってるけどね、でもそういう別れの言葉を口にするのが、すごく嫌だなって思ったら、アメリカに行ってもいいかって開き直れたっていうか・・・」
自分でもどうかしてるって思うけど。
そう言って葉山はやれやれというように肩をすくめてみせた。
まったくどうかしてる、とその時僕も笑ったけれど、だけど葉山を決心させた何てことのない別れの言葉を、僕もまた何の気なしに奈美に対して言っているんだなと気づいた。
じゃあまたな、と今までも何度も簡単に手をあげてきた。
永遠の別れでも何でもなく、本当にまた会うことが分かっているからこその言葉だけれど、自分が望んでいなくても、大好きな相手と突然会えなくなるようなことが起きることもあるのだと、ギイと葉山のことで思い知った。
だから葉山が、もうそんな思いはしたくないと思うのも、ギイにじゃあまたと言われると不安になる気持ちもよくわかった。
日本での生活を捨てて、アメリカへ行くという大きな決心するには些細な理由なのかもしれないけれど、不思議と僕にはすとんと腑に落ちた。
例えそれが他人から見れば呆れるようなものであっても、ああそうかと思えればそれでいいのだ。
葉山の話を聞いて、特別感動したとか、そういうことではなかったけれど、奈美にいつものように「じゃあまた」と言いかけてやめた。
言いたくないというよりは、言えなかったのだ。
そして、ああ、そういうことかと素直に思った。

(人が何かを決心するのは、きっとそんな小さな理由からなんだな)

そう思うと、いつでもいいなんて思いながらなかなか言えなかった一言は、本当に何の気負いもなく口から滑り出た。
「何だか、葉山に借りができた気分だ」
「え?どうして葉山さん?」
「どうしてかなぁ。あいつは思いもせずに、僕の人生を変えてるような気がするな」
男同志で恋愛なんてありえないという常識をひっくり返したり、恨んでもおかしくないような相手をずっと想い続けることができる奇跡を見せつけたり、英語なんてちっともできないくせにギイがいるからというだけであっさりとアメリカ行きを決める潔さを曝け出したり。
葉山はいつも僕が思いもしないようなことをさらりとしてみせる。
そして僕は呆れるのと同時に感心をして心を動かされるのだ。
そりゃあ影響を受けないわけないよな、と半ば諦めて苦笑する。
友達っていうのはそういうものなんだから。




春になると、葉山はアメリカへと旅立った。
見送りに行った空港で、しばしの別れを惜しんだあと、僕はそれまで言わずにいたことを告げた。
「そうだ、葉山」
「なに?」
「奈美と結婚するよ」
「えっ!」
葉山は想像通り、派手に驚いてくれた。
「え、え、なにそれ、いったいいつ決まったの?どうしてもっと早く言ってくれなかったんだよっ!」
「驚かせてやろうかと思って」
あまりの慌てぶりがおかしくて笑うと、葉山は呆気にとられたようにぽかんと僕を見返して、それから盛大に文句を言った。
「ちょっと何だよそれ!!そりゃいつかはそうなるって思ってたけど!!ずっと黙ってるなんてひどいじゃないか!何でもう行かなきゃいけないときに言うんだよっ!」
「しょうがないだろ、なかなか会う機会もなかったんだし」
「・・・嘘だ。赤池くん、わざと言わなかっただろっ!」
あれこれ聞かれるのが嫌だったんだろ!と葉山にしては珍しく図星をさしてきた。
「はは、ほらほら葉山。もう行かないと遅れるぞ」
時計を見るとそろそろ出国時間が近づいていたので、葉山は心底悔しそうな顔をしつつも、出発ゲートへと向かった。
「アメリカについたら連絡するから!」
「おう」
「奈美子ちゃんとのこと、ちゃんと教えてよね!」
「はいはい」
「結婚のこと、ギイにも言っていいの?」
葉山の問いかけに、僕は少し考えてから言った。
「いや、自分で伝えるよ。相棒だからな」
二人には、ちゃんと自分の口で伝えないといけないと思っていた。
これからも長い付き合いになるのだから。

葉山は晴れやかな笑顔を見せて、じゃあまたね、と僕に手を振った。
僕も同じように、じゃあまたな、と手を振った。
頑張れよ、とその後ろ姿にエールを送りながら。


Text Top

あとがき

以前に書いたお話に、この時のことがちょこっと!(笑)分かったらすごいけど。