パン屋にて


実家はパン屋です。
自慢ではないですが、父の焼くパンは絶品で、この辺りではけっこう人気のお店です。
1年ほど前に雑誌の取材を受けたこともあって、それからは途切れることなくお客様も来てくれます。
お薦めはアップルパイとクロワッサン。
去年お店を改装してイートインスペースも作りました。
出来立てのパンと美味しいコーヒーを提供して、これもなかなか人気です。
もちろんパン屋の娘として、店番をすることはしょっちゅうですが、出会いがあるわけでもなく、他所でアルバイトしたいなぁと思ったりもしますが、何しろ家族経営なので仕方ないと諦めています。
そんな楽しみのないお手伝い生活ではありますが、ところが、です。
最近、ちょっと気になる男の人がパンを買いにくるようになったのです。
毎日ではないのですが、2日に一度くらい、夕方にお店にやってきます。
たぶん、そろそろやってくる頃じゃないでしょうか。
あ、やってきました。
最近よく店に来てくれるのですが、今まであまり見かけたことがないので、きっと最近この辺りに越してきたんじゃないかと思います。
たぶん年齢は20代半ばくらい。
別にイケメンってわけじゃありませんが、ちょっと雰囲気のある人です。
細身で黒髪。
時々バイオリンケースを手にしていて、そういう時はパンをトレイに取るのに苦労してるみたいです。
もたもたとしているのを見かねてお手伝いしたことがあって、その時はちょっと恥ずかしそうに『ありがとうございます』と返してくれました。
年上のはずなのにちょっと可愛いなぁなんて思ってしまいました。
お気に入りは塩パンのようで、必ずお買い上げ。
そのほかにもけっこうな量のパンを買っていただけるのですが、いくら男の人でもこんな大量のパンを食べれるのかしら、とちょっと心配にもなります。
でも2日もすればまたご来店なので、意外と大食漢なのかもしれません。
または、結婚していてまだ若いけど子だくさんとか?
落ち着いた雰囲気の人なので、結婚しててもおかしくはないけど、もしそうならちょっと残念です。
もう一人気になっているのは、これはもう本当に目の保養です。黒髪さんはもしかしたら手が届くかも、という感じだけど、こっちの彼はただただ見るだけで十分お腹いっぱいという感じです。
何しろイケメンにもほどがあるくらいのイケメン。
たぶんハーフかクォーター。あ、最近はダブルとかミックスとか言うんでしたっけ。
肌が白くて、髪が金髪に近いほどの薄茶。背が高くて、少女漫画の中の王子様みたいなルックスをしています。
着ているものもお洒落だし、何だかとってもいい匂いもします。
もしかしたらモデルさんとかかもしれません。
この人が店内にいると、他のお客様の目が釘付けで足も手も止まるのでちょっと危険です。
この彼のお気に入りはピザとクロワッサン。
そして黒髪さんと同じように、買う時は大量にご購入です。
一度、『クロワッサンってもう売り切れ?』って尋ねられたことがあって、イケメンは声まで素敵で、思わず見惚れてしまいました。ほんとに何から何まで完璧な人です。
まぁこれくらい素敵な人には当然素敵な恋人がいるだろうし、あまりにも完璧な人と一緒にいるときっと緊張してしまうと思うので、パンを買いに来てくれる時に目の保養ができればラッキーくらいの気持ちでいます。
個人的には黒髪さんの方が優しそうだし、穏やかそうでいいなぁと思ってます。
さて、今日は日曜日です。
お店は朝の7時から営業していますが、雨の日はやっぱり客足は悪くなります。
特に土日だと皆さん朝は遅いので店番をしていてもちょっと暇です。
そこへやってきたのが例の黒髪さんです。
これは朝からラッキーです。何だか今日はいいことがあるんじゃないかと思ったら、何と後ろからイケメンさんも登場したではありませんか。
ラッキーの二乗です。神様ありがとうございます。
だけどもっと驚いたのはどうやら二人が知り合いらしいということです。
黒髪さんがトレイを手にすると、あとからやってきたイケメンさんがそのトレイを当然のように受け取ったんです。
代わりにトングを手にした黒髪さんが焼き立てほやほやのパンを見て笑みを浮かべました。
「美味しそう」
それほど広い店内ではないのですが、黒髪さんはどれにしようかなぁという感じでじっくりとパンを眺めていきます。割と毎回時間をかけて選ぶ人なので、慎重派なのかもしれません。
そういえば、あまり変わり種は購入されませんし。
一方のイケメンさんは新作は必ず手にします。新しいモノ好きなんでしょうか。
「これは?」
「うん、二個取って」
どうやら親しい仲のようで、肩を並べて吟味したパンをトレイに乗せていきます。
それにしても、まさかこの二人がお友達同志だったなんて思いもしませんでした。
今まで一緒にお店に来たことはなかったし、ぜんぜんタイプが違うので、一緒にいる姿を想像することすらありませんでした。
それぞれ別々に、ちょっといいなぁと思うだけで。
だけど、タイプはぜんぜん違うと思っていたのに、こうして並んでいる姿を見るとやけにしっくりとくるから不思議です。
目の前で二人が楽しそうにパンを選んでいるのを見ていると、何とも言えない幸せオーラが漂っていて、こっちの方が恥かしくなりそうです。
「この卵パンが美味かった」
「そうなんだ。じゃあそれも」
二人であれもこれもとトレイに乗せていくのはいいのですが、そんなにたくさん食べられるものでしょうか。
最後にイケメンさんがバゲットを一本手にして、二人でレジ前までやってきました。
黒髪さんの後ろに立つイケメンさんはトングでいくつかのパンを端に避けると、
「これはイートインで」
と、言いました。
もちろん大歓迎です。店内で食べるのは初めてです。
何となくもうちょっと二人が一緒にいるところを見ていたいなぁと思ったので、お二人を席に案内して、コーヒーをお出ししました。
窓際の席で向かい合ってパンを食べる姿は何とも微笑ましい感じです。
イケメンさんはそろそろ寒くなってきたというのに白いシャツに薄手のジャケット。
黒髪さんはそれとは逆に、暖かそうな大きめのカーディガンを着ていて、カップを両手で包み込むようにしてコーヒーを飲んでいました。
二人が何を話しているのかは聞こえませんでしたが、イケメンさんが何か言うと、黒髪さんはにこにこと笑い、その笑顔につられたようにイケメンさんが笑う様子を見ていると、昔、高校時代ってあんな感じだったなぁと思い出してしまいました。
くだらないことを話しているだけで楽しくて、仲良しの男の子たちってこんな風だったなぁと。
イケメンさんがちぎったパンを黒髪さんに差し出すと、黒髪さんはじーっとのパンを眺めたあと口を開けてぱくりと食べました。
え、あ、そういうことしちゃうくらい仲いいんですか。
もしかしてお二人は恋人同士だったり・・はしないですよね、さすがにそれはないでしょう。
そんな漫画みたいなこと。
ぼーっと見てる間にお客様が増えてきたので、しばらくレジ対応に追われ、中にはイートインされる方もいたので、そちらの対応もして。
人が増えてきたのに気づいたのか、イケメンさんがトレイを、黒髪さんが二人分の傘を持って立ち上がりました。
返却される時に、黒髪さんが、
「美味しかったです」
と声をかけてくれました。
イケメンさんは
「ごちそうさま」
と。
二人とも礼儀正しいし、優しそうだし、本当に素敵です。
お店を出た二人は空を見上げて、もう雨が降っていないことを確認すると、何やら言葉を交わして、駅とは反対方向へと歩き出しました。
イケメンさんが手を繋ごうとして、黒髪さんがそれを慌てて振り払ったように見えたのですが、友達は手は繋がないですよね、たぶん。なのできっと見間違いだと思います。
とにかく最近はあのお二人のおかげでパン屋のお手伝いも悪くないなと思っています。








<おまけ>


最近ギイとぼくのお気に入りはイートインのできるパン屋さんだ。
ギイが見つけてきたのだけれど、いつも焼き立てのパンがたくさんあって、どれもとても美味しい。
ここのところ代わる代わる店へと行っては、ついつい大量に購入してしまっている。
時々店員さんにびっくりしたような目で見られることがあって、ちょっと恥ずかしい。
これは決してぼくだけが食べるんじゃないって言い訳したくなってしまうけど、さすがにそれもできないので、きっと店の人には「大食漢」だと思われているんだろう。
実際には買ったパンのほとんどはブラックホールの胃袋を持つギイが食べてしまうのだ。
「雨が降ってるね」
日曜の朝、起きて窓の外を見ると、しとしとと雨が降っていた。
「すぐやむさ。託生、散歩がてらあのパン屋に行こうぜ」
「え、この雨の中?」
「焼き立てパンを買って、美味いコーヒーで朝メシにするっていうのはどう?」
「うー、それはめちゃくちゃ美味しそうだ・・」
よし決まり、とギイは嬉しそうにジャケットを手にした。
ほんと、食べることにはマメだよね、昔から。
雨の日の早朝に散歩に出るモノ好きはいないようで、家を出ると辺りはまだしんと静まり返っていた。
雨はすぐに止みそうな感じだ。これならあんこを連れてくれば良かった。
家からパン屋まで歩いて10分ほど。散歩というには短すぎる距離だけど、ここ最近お互い忙しくてゆっくり話ができなかったので、他愛ない日常の出来事を報告しあう。
何から何まで知ってなくては我慢できない、なんてことはないけれど、やっぱりギイが今何を考えているかは知りたいし、いろいろ話を聞いてもらうのも楽しい。
毎日一緒にいるというのに、不思議と話題は尽きないものだなぁと思う。
パン屋はもちろん朝早くから営業していて、だけど雨のせいか他にお客さんはいなかった。
「いらっしゃいませ」
ふわっと香る焼き立てのパンの匂いに思わず笑みがこぼれる。
どれにしようかなぁと棚を眺めていく。
「美味しそう」
いつもお気に入りのパンばかり買ってしまうけど、今日は今まで食べてないものでもいいかもしれない。そのうち全種類制覇してみたいなぁとも思う。
あ、カレーパン発見。ここのカレーパンはごろっとした具が入っていて絶品なのだ。
「これは?」
ギイに聞くと、
「うん、二個取って」
と即決。そうだよね。ギイも大好きだもんね。
メロンパン、あんぱんも定番だ。
「この卵パンが美味かった」
「そうなんだ。じゃあそれも」
そんな風に食べたいものをチョイスしていくと、毎回大量になっちゃうんだよなぁ。
まぁ食べるからいいんだけど。
イートインで朝ごはんにしようと決めていたので、ギイと二人で誰もいないスペースに座って熱いコーヒーと共にパンをいただく。
「ねぇギイ、毎回こんなにパンを買うんなら、いっそホームベーカリーを買うっていうのはどうだろう。そしたら家で焼き立てが食べられるよ」
「託生が焼いてくれるのか?」
「え?ぼくは無理だよ。ああいう家電って苦手だもん」
「何だよ、オレに作らせて託生は食べる専門になるつもりか?ずるいぞ」
「はは。でもこうして一緒にパンを買いに行くのがいいかな。散歩しながらギイといろいろ話をするの好きだし」
ギイはふうん、とまんざらでもないように頷くと、食べていたパンを半分ちぎって、はい、とぼくへと差し出した。
「美味いぜ、これ」
「ほんと?」
これはいったい何パンだろう?でもまぁいいかと口を開けてぱくりと食べた。
食べてから、ここが家の中じゃないことに気づいてどきっとしたけれど、周囲に誰もいなかったんだと思い出してほっとした。
「ギイってば」
「別にいいじゃん。美味いだろ?」
「うん、美味しい」
ほんとにここのパンはどれも美味しいなぁ。
ギイはぺろりと三つを食べて満足そうだ。そういえば祠堂でもパンを分けてあげたことがあったな。
あの頃からギイはよく食べる人だったけど、一緒にいるとついつい同じように食べちゃうから気をつけないと。パンって太るっていうし。
ギイは何食べても太らないからいいけどさ。
「甘いパンは控えよう」
「何で?美味いのに」
「ギイ、ぼくが太ったらどうするんだよ?」
「別に。託生はもうちょっと太ってもいいだろ。ぽよっとしてる託生も可愛いと思うけど」
ギイは何を想像してか、うんうんとうなづく。
「可愛いって・・・いい年してそれはない」
「そっか?託生はいくつになっても可愛い」
ギイが何の気負いもなく言うもんだから、うっかりそうかなと納得してしまいそうになるけれど、客観的に見て可愛いだなんて言葉はこの年の男には使わないのだ。
ほんと、ギイといると感覚がおかしくなってくる。
店にお客さんが増えてきたので、そろそろ帰ることにした。
店を出ると、雨はもうやんでいた。
「やっぱり焼き立てパンって美味いよなぁ。オレ、あと5つであの店のパン、コンプリート」
「え、いつのまに!」
得意気なギイがさりげなくぼくの手を繋ごうとする。
さっきとは違って、人の目があるので、ぼくは慌ててそれを振り払う。
「ケチ」
「家に帰ったらいくらでもくっつけるだろ」
「家だとあんこに邪魔される」
むぅっと唇を尖らせるギイに呆れつつ、大量のパンを手にぼくたちは家路を急いだ。
こんな風に、ぼくたちは短いデートを時々楽しんでいる。


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あとがき

とか言いながら、真夜中のテレビショッピングでホームベーカリーを買いそうなギイ。