Period


祠堂は山の中腹にへばりつくように建っている全寮制の男子校である。
ここでは下界より一足先に秋がやってくる。
その日は気持ちのいい日曜日だった。
昨日までの雨が嘘のように上がり、雲ひとつない青空が目に眩しい。
寮の部屋に閉じこもっているのはもったいないような日で、寮生たちも半数以上が下界の街へと遊びにいっていた。確かにこんな日に遊びに行けたら楽しいだろうなぁと思うのだが、寮生活をしていると、ふと思い立った時に好きに外出することはできない。
もっとも今日は受験生らしく、一日真面目に勉強するつもりでいたので、最初から外出許可は取っていなかった。土日でも開放されている図書室へ行くつもりでテキストをまとめ、部屋を出る。
寮の建物を出ると、暑くもなく寒くもない秋の空気の心地よさに、自然と笑みが浮かんだ。

(デート日和だったんだよ)

ふいにギイの言葉が甦り、苦笑する。
確かにこれはデート日和だ。
まるで今日の天気を知っていたかのような口ぶりだった相棒は、めずらしく落ち込んだ様子で僕にそう言った。
3年になってから以前とは打って変わったクールなイメージで、1年のチェック組を寄せ付けないようにしているギイだが、中身は去年までと何も変わっちゃいなかった。
相変わらず葉山のことを馬鹿みたいに愛してて、最近はタダ友設定なんて忘れてしまったかのように、葉山への気持ちを素直に見せている。もっともそれは、僕たち親しい友人に限定されてはいたけれど。

(章三、頼みがあるんだ)

いつになく神妙な面持ちでギイが言うものだから、うっかり引き受けてしまった頼みごと。
どうして僕が、と思う反面、やっぱり僕しかいないのかと諦めてみたり。
校舎とは別の方向、温室へと向かう途中で足を止め、自動販売機で缶コーヒーを2本買った。それを片手に祠堂のサハリンと呼ばれている場所へと歩き出す。
まだ紅葉には早い時期のはずなのに、うっすらと色づき始めている木々を眺めつつ、ゆっくりと歩を進め、やがて見えてきた温室の扉に手を伸ばした。
音をさせないようにそっと扉を開けると、中からバイオリンの音が聞こえてくる。
あまり聞いたことのない曲だったけれど、柔らかく優しい旋律に笑みが漏れる。邪魔しちゃ悪いと思い、すぐそばにあったベンチに腰を下ろした。
僕はそれほどクラシックに詳しいわけじゃないから、葉山のバイオリンの腕前がどれほどのものかは正直まったく分からない。ミスなく弾いているから上手なのかな、とかその程度だ。
けれど、葉山の音は聞いていて心地いい。
ギイが貸与しているというバイオリンは恐らく想像できないほどの値がつくものだろうが、それが理由ではなく、きっと葉山の性格が音に現れているのだろう。
優しく澄んだ音。
時折力強く響くのも、ヤツの隠れた一面なのだろうと思う。
しばらく葉山のバイオリンの音を楽しんでいたが、やがてぷつりと音が止んだ。どうやら休憩に入ったらしいなと思い、缶コーヒーを手に腰を上げた。
温室の奥へと進むと、再び葉山がバイオリンを構えようと背筋を伸ばすのが見えた。
練習の邪魔をするのは悪いと思ったが、ここで声をかけないとまたタイミングを逃してしまうと思い、わざと足音を立ててみた。
耳のいい葉山は小さな音でもすぐに反応して振り返った。
僕を見て、ほっとしたような、がっかりしたような、そんな微妙な表情を浮かべた。
ギイが来たのかと思ったのだろう。
「赤池くん?」
「よ、悪いな。邪魔して」
「どうしたんだい?ここに来るなんて珍しいね」
葉山はバイオリンを肩から外すと、大切そうにケースへと置いた。
「いいのか?」
僕がバイオリンを指差すと、
「え?ああ、うん。ちょうどいいから休憩するよ。ちょっと煮詰まってたし」
そう言って、葉山は身体をほぐすように大きく伸びをした。
「ほら、差し入れ」
「ありがとう」
嬉しそうに缶コーヒーを受け取ると、葉山は僕を小さなテーブルセットへと促した。
いかにも手作りといったテーブルの上には、お菓子がたくさん並んでいた。
「どうしたんだ、これ」
「ああ、ちょっと前まで大橋先生が来ていて、練習の合間に食べていいよって」
「葉山、可愛がられてるなぁ」
「や、そんなんじゃなくて。単に賞味期限が切れる前に片付けたいってことだよ」
葉山は慌てて否定する。
まったくどこまでも謙虚なヤツだな。
しかし、いったい誰がこんなに大量のお菓子を持ってくるのやら。まさか大橋先生が自分で買ってストックしているわけじゃないだろうしな。
「遠慮しないで食べていいよ。大橋先生の許可があるから」
葉山は缶コーヒーを開けると、一口飲んでお菓子の袋を僕の方へと押しやった。
「葉山、昼は食べたのか?」
「食べたよ。お弁当買って、ここで食べた」
「朝からずっとバイオリンの練習してたのか?」
「うん、予定がなくなっちゃったからね」
小さく笑って、葉山は頬杖をつく。
僕は袋一つ開けると、中の菓子を一つ口にした。安物ではない、かなり高価な菓子だとすぐ分かる。
美味いぞ、と葉山に勧めると、じゃあ一つ、と言って口にする。
「美味しいね」
「ああ、これはかなり高級だな」
しばらくの間、2人で菓子を堪能していたが、やがて葉山が僕を見てくすりと笑った。
「何だ?」
「赤池くん、またギイに頼まれてぼくの様子を見にきたの?」
「・・・・・」
さすがに鈍い葉山でも分かるか。
別に隠すことでもないので、僕はまぁなとうなづいた。
「今日、ギイと出かける約束してたんだろ?」
「うん」
葉山は素直にうなづいた。

***

今朝、少し遅い朝食をとるための食堂でギイの姿を見つけて、僕は少しばかり驚いた。
なぜなら、今日は久しぶりに葉山と2人きりでのデートだと、昨日さんざん惚気ていたからだ。
葉山とは特別な関係ではない、と周囲に思い込ませるため、ギイと葉山が2人きりでいるところは3年になってからはほとんど目にしないようになっていた。
それなのに。
「デートだと?いいのか?2人でいるところ、1年のチェック組に見られたらまずいんだろ?」
「抜かりはない。出かけるときは、矢倉と八津も一緒だ」
「で、麓の街に着いたら別行動ってか?」
「さすが章三。たまにはオレだって託生と2人でゆっくりしたいからな」
優雅にウィンクなどされても、僕は葉山じゃないんだからげんなりするだけだ。
「デートするならゼロ番でいいだろ。わざわざ街へ行かなくても」
「気候もよくなったし、アウトドアでデートくらいさせろ」
「別に止めやしないけどな」
などと、不毛な会話をしていたのが昨日の夕食でのことだ。
確か、朝一番のバスで出かけると言っていたはずだった。
だからこんな時間にギイが食堂にいることなどあり得ないと思っていたのだ。
「どうしたんだ?」
「今日のデート、だめになった」
席に着くなり、ギイは不機嫌を隠そうともせずに吐き捨てるように言った。
どうやら朝早くに、3階の1年生が流血沙汰の喧嘩をしたらしい。ただの口喧嘩くらいであれば日常茶飯事で、どうということもないけれど、さすがに怪我をしたとなると先生方も放ってはおかない。
怪我の手当てはもちろんのこと、当人たちからの事情聴取も必要だったし、当然3階の階段長であるギイにも召集がかかったらしい。
「ったく、何でオレが呼ばれなきゃならないんだ?」
「そりゃ階段長だからな。監督不行き届きってことなんだろ?」
「冗談言うな。勝手に喧嘩しておいて、何でオレに責任がある?」
ギイは心底うんざりしたように舌打ちした。
いつもならこれくらいの召集で文句を言うようなギイではないが、イライラしているのは葉山とのデートがダメになったせいだろう。
「デート日和だったんだよ」
ぽつりとギイが言う。
「知ってるか章三。今日はこれ以上ない秋晴れで、降水確率もゼロ。行楽日和だと言っていた」
「ふうん」
「託生とちゃんと話ができるのもさ、すっげえ久しぶりだったし、オレ、楽しみにしてたんだ」
「だろうな」
そりゃまぁ気持ちは分かるが、それを僕に訴えられてもどうしようもない。
ということは、ギイだってわかっているだろう。それでも愚痴を言わずにはいられないほどに落ち込んでいるというところか。
「で、デートがダメになったって、葉山には言ったのか?」
「言った」
「で?葉山に怒られたか?それとも泣かれたか?」
僕が聞くと、ギイは複雑そうな表情でゆるゆると首を振った。


***


葉山はやっぱりもう一つ食べよう、と言って菓子の袋に手を伸ばした。
土日の温室にやってくる生徒なんて皆無に等しく、おまけに寮からも校舎からも遠く離れこたこの場所は別世界のように静かだ。温室だけあって暖かく、下手すると昼寝をしてしまいそうなほどに快適だった。
「赤池くん、わざわざぼくの様子見にこなくても良かったのに。用事あったんだろ?」
テーブルの上に置いたテキストに視線を向けて、葉山が笑う。
その笑顔はいつもの通りで、ギイとのデートがだめになってもっと落ち込んでいるかと思っていた僕にしてみれば、少し拍子抜けした感じだった。
「図書室へ行く途中で寄ってくれたんだ?」
「まぁな」
「ギイに頼まれて」
「・・・まぁな」
「逆方向なのに」
「別にいいさ、そんなこと」
葉山はやれやれというように肩をすくめると、小さく笑った。
「過保護だよね、ギイは」
「愛されてるんだろ」
「そうなのかな」
その言葉は思ってもみなかったものだったので、僕は少しばかり驚いた。

(章三、頼みがあるんだ)

ギイの頼みはもちろん葉山のことだった。

朝一番にまずは葉山を掴まえて、ギイは今日の約束がだめになったことを告げたと言った。そのあとギイは先生に呼ばれてしまい、あれやこれやしているうちに、朝食がこんな時間になったのだと零した。
「で?葉山に怒られたか?それとも泣かれたか?」
僕が聞くと、ギイは複雑そうな表情でゆるゆると首を振った。
「あいつさ、笑ったんだよ」
ギイが辛そうに言った。
「オレが今日だめになった、って言ったら、託生、『わかった、しょうがないね』って笑ったんだ」
「・・・・」
「怒って、泣いて、文句言われても仕方がないって思ってたのに、あいつ、何でもないことのように笑ったんだ」
「そりゃ・・・怒ったって仕方ないって、葉山だって分かってるんだろうさ」
今回のことはギイのせいじゃないし、どっちかと言えばギイだって被害者だ。腹を立てるのなら、相手はギイではなくて喧嘩をした連中に、だ。
「そうじゃなくてさ」
ギイは深くため息をつくと、かけていたメガネを外して胸ポケットへと入れた。
「託生はさ、いつだって絶対にオレを責めたりしない。だけど今までなら、こういうことがあると、それでもやっぱり・・辛そうな顔してたんだ。必死で我慢して、気づかれないようにして。でもまぁ、オレにはそういうの、わかるんだけどさ」
「・・・・・」
「だけど、さっきの託生は、本当に何でもないことのように普通に笑ったんだよ。だから・・・」
だから、逆に心配なのだとギイは言った。
そんな風に心を隠すのは、本当は一番危険な兆候なんじゃないかと。自分の気持ちを素直に吐き出せずに、内へ内へと押しこめて、また悪い形で爆発してしまうんじゃないかと。
自分の想いを諦めて、辛いと思うことを素直に辛いと感じてはいけないと言い聞かせて、そのせいで人間接触嫌悪症になってしまったのだから。
「だからさ、章三。忙しい時に悪いが、託生の様子、ちょっとだけ見てきてくれないか?」
心配なんだ、と小さくつぶやく。
「まったく、僕は葉山の子守じゃないんだぞ?」
2年になってすぐの時も、3年になってすぐの時も、僕は葉山の様子を見に行った。
今回も、馬鹿馬鹿しいと思いながらも、ギイがいつになく神妙な顔をして言うものだから、断れなくなってしまった。まったくお人よしすぎると自分でも思うが、残念なことに、僕はギイのことも葉山のことも大切な友人だと思っていて、力になれるのならなってやろうと思ってしまっているのだ。
だからこうしてギイの代わりに、温室までやってきたというわけだ。



「意外と元気だったな」
「え?」
「いや、もっとがっくりと落ち込んでるかと思ったからさ」
僕が言うと葉山はきょとんとしたように目を見開き、そしてごくごく普通の口調で言った。
「だって、そういうことだってあるだろ。突然急用が入ることだってさ。それに、別に今日の約束は、特別なものじゃなかったし」
「だけど、久しぶりに2人きりで会えるチャンスだったんだろ?」
「うん」
「おまけに、ギイはこれまで連続で3回約束をキャンセルしてるらしいじゃないか」
「・・・うん」
「だったらもっと怒ってもいいと思うけどね」
葉山には怒る権利がある。もちろん今回のことはギイが悪いわけじゃない。けれど、ギイにしてみれば怒ってもらった方が安心するのだ。そういう我侭が必要なときもあるのだ。
そういってやろうかと思ったが、やめた。
言ったところで、こいつはギイに対して文句なんて言わないんだろう。
「赤池くん、ギイ、何て言ってた?」
「うん?葉山に悪いことしたって落ち込んでた。そりゃもう海より深く」
「どうしてかなぁ」
「何が?」
「どうしてギイはそんなにぼくのこと心配するんだろ」
「だから、愛されてるんだろ」
さっきは、そうなのかな、なんて疑うような台詞を口にした葉山だが、ギイが葉山のことをそりゃもう宝物みたいに大切にしていることは、疑う余地もない。まさかそれを葉山自身が疑っているなんてことはないだろうな。それじゃああまりにもギイが気の毒すぎる。
けれど、次に葉山の口から出た台詞は、僕が想像したこともないようなものだった。


***


図書室を出る頃には、もう辺りはすっかり暗くなっていた。同じように受験勉強に勤しんでいた級友たちと一緒に寮へと戻り、僕はその足で3階のゼロ番、ギイの部屋を訪ねた。
ギイは部屋にいて、僕を見るとほっとしたように中へ招き入れてくれた。
「よ、喧嘩の後始末は無事終わったか?」
「終わったよ。けっこう時間取られて、まいったよ」
僕がソファに座り込むと、ギイはいつものようにバニラの香りのするコーヒーを淹れてくれた。
「サンキュ」
カップを受け取り、一口飲む。ギイも同じようにカップに口をつけ、向かい側に腰を下ろした。
「なぁ、託生、どうだった?」
何も言わない僕に焦れたように、ギイが尋ねる。
もちろん僕だって、葉山の様子を伝えるためにここに来たのだけれど、どんな風に伝えればいいか少し考えていたのだ。
思っていたよりずっと元気だったと、一言で言えばそうなのだけれど、けれど、それだけでは葉山の思いを正しく伝えることはできないだろうと思った。
ただ、僕の口から伝えるべきことなのかどうかを、葉山と別れてからずっと迷っていた。
「章三、託生は何か言ってたか?」
「まぁな・・・」
「何だよ、歯切れ悪いな」
「なぁギイ、お前、ちゃんと葉山のこと見てないと、そのうち痛い目に合うかもしれないぞ」
「・・・どういう意味だよ」
とたんにギイの表情が硬くなる。
そのまんまの意味だよ、と言って、僕はその日、葉山と話した内容をギイに話すことにした。
僕自身の考えや感想なんて付け加えずに、そのままを伝えることにした。
それでギイがどう思うかはギイ次第だ。



その日の約束がダメになったとギイに言われた葉山は、普通に「わかった」と答えた。
それがギイにしてみれば、すごく気になる反応だったんだぞ、と僕が手の内をバラすと、葉山は困ったように首を傾げた。
そりゃあ確かに久しぶりの2人きりでのデートだったし、葉山自身すごく楽しみにしていたのは事実だと言った。だけど、と葉山は静かに続けた。
「ぼくに約束がダメになったって言ったとき、ギイはすごく申し訳なさそうな顔をしたんだ。キャンセルは3回目だったし、かなりがっかりしたのは事実だけど・・・」
「だよな。平気だったわけじゃないよな?」
「そこまで鈍感じゃないよ」
葉山はおかしそうに笑う。
「だけどね、赤池くん」
「うん?」
「どうしてギイはそんなにぼくにごめん、って言うのかな、って思ってさ」
「だから、それは・・・」
「それは、ぼくとのこと、先の短い恋だって思ってるからなのかな、って」
「え?」
その言葉の意味がわからず、僕はしばらくじっと葉山の顔を凝視した。
「どういう意味だ、それ?」
「だからさ、ギイはぼくとのこと、この祠堂にいる間だけの恋だって思ってるから、だからせめて一緒にいる間だけはぼくに嫌な思いさせないようにって思ってるのかなって。いい思い出だけ残そうって思ってるのかなって、だからあんなにすまなさそうに謝るのかなって」
「そんなことあるわけないだろ」
あのギイが?
葉山のことを誰よりも大切に思って、葉山がかぐや姫なら一緒に月について行くと言い切ったギイが?
「ねぇ赤池くん、だってさ、ずっと長く付き合っていくんだとしたら、約束がだめになることなんて普通にあることだろ?それが例え3回連続であってもさ。そんなことぐらいでいちいち喧嘩してたらキリがないよ。ギイとの約束がだめになる時って、たいていギイが悪いんじゃないし、それでもギイはぼくのためにきっとちゃんと埋め合わせを考えてくれて、たぶんそれはまたぼくがびっくりするようなサプライズだったりして」
葉山はそれを想像したのか、くすっと笑った。
「そんな風に、ギイとこれからも一緒にいられたら、きっとまた嬉しいことも楽しいこともたくさんやってくるって、ぼくは知ってるんだ。なのに、ギイは最近謝ってばかりでさ。もちろんそれはぼくのことを思ってくれてるからだって分かってるよ。すごく嬉しいって思うし、ありがたいなぁって思うよ。だけど、時々・・・それが辛くなるときがあって。ギイは・・・・」
葉山はうつむき、きゅっと唇を噛んだ。やがて顔を上げると、葉山は晴れやかに笑った。
「ぼくはね、赤池くん、この先もずっとずっと、ギイと一緒にいたいって思ってるんだよ。祠堂を卒業しても、その先二人が別々の道を歩くことになっても、何があっても、ずっと一緒にいたいって思ってるんだ。だから、ちょっとくらい辛いことがあってもね、頑張ろうって思うし、頑張れるくらいに強くなろうって決めたんだ」
そう言って笑う葉山は、僕が知っている葉山ではなかった。
僕が知っている葉山は、いつもギイに大切に守られているような、そんなイメージばかりだった。けれど、目の前にいる葉山は、誰かを大切にするということがどういうことなのかを知っていて、ひどくしっかりとした意思を持っているようにも見えた。
「ぼくはね、ギイとのこと、先の短い恋愛にはしたくないって思ってるんだよ」





「葉山はギイが心配しなくても大丈夫だよ。あいつなりに、気持ちを決めてて、迷ってない。それなのにお前がちょっとしたことで騒いでたら、そのうち愛想尽かされるぞ」
僕の話を黙って聞いていたギイは、ゆっくりと両手のひらを僕へと見せた。
「どうしよう、章三」
「何だよ」
「嬉しくて手が震えてる」
「はぁ?」
見ると、確かにギイの両手は微かに震えている。
僕はその手をばちんと叩いた。
「いってぇな、おい」
「ふん、それで震えも止まっただろ」
僕はソファの背にもたれると、まだどこか信じられないような表情をしているギイに肩をすくめた。
「なぁ、葉山のこと、もっと信じてやれよ」
「・・・・・」
「あいつは大丈夫だよ。以前からふてぶてしいヤツだったが、最近それに磨きがかかった。あんまり過保護にする必要はないと思うぜ」
「分かってる。けど、ああ・・・そうだな、先の短い恋じゃないんだからな・・・・」
ギイは静かに微笑むと、ぎゅっと両手を握り合わせた。
よほど葉山の言葉が嬉しかったのだろう。
やれやれ、と思う。
不純同性交遊なんてさっさと改心してくれればいい、と思っているはずなのに、こんな表情を見せるギイを見ていると、こっちまでほっとしてしまうのだから始末におえない。
「ま、そういうことだ。これで安心できただろ?」
「ああ。だが、まずいな・・今すぐ託生に会いたくなっちまった」
「・・・・・言うと思った」
僕は腕時計で時間を確認すると、そのまま立ち上がった。
「ギイ、言っておくが明日は月曜日だからな。絶対に泊めたりするなよ」
そこまでの根回しはしないからな、と言って、扉を開ける。
ちょうど扉に手をかけようとしていた葉山が、びっくりしたように目を丸くして廊下に立っていた。
ナイスタイミング。
本当に葉山は時間に正確なヤツだ。
「赤池くん・・・?」
「よし、時間通りだな。入れ」
おずおずと中に入る葉山は、ギイを見てふわりと笑った。
結局、二人きりで会いたいと思う気持ちはギイも葉山も同じなわけで、今日で3連続で会えなかったなんて聞いてしまっては、何とかしてやりたいと思わないわけがない。
とりあえず僕と三人でならば、ゼロ番に葉山を呼び出しても周りからは不審には思われないだろう。
もちろん僕は適当なところで部屋を出るつもりでいた。
二人の邪魔をする気は毛頭ない。
ギイは僕が葉山を呼び出していたと知ると、決まり悪げに、けれど嬉しそうに笑った。
単純明快。
本当にギイは葉山のこととなると分かりやすい。
「章三、ありがとう」
「どうしたしまして」
「できれば、二人きりにしてくれると、もっと助かる」
ギイは恥ずかしいことを堂々と言って葉山の顔を真っ赤にし、僕に砂を吐かせた。
こいつは本当に恩知らずなヤツだ。
けどまぁ、逢引もままならない不憫な恋人同士だと思って我慢することにする。
僕が部屋を出て行こうとした時、ギイはさっき僕に見せたのと同じように、葉山に手のひらを広げて見せた。
嬉しくて手が震えた。
なんて、馬鹿げた台詞を口にするギイに、葉山はしょうがないなというように笑う。
そして僕とは違って、葉山はギイの手を叩くことなんてせず、そっと包み込んだ。
まるで宝物を手にするかのように。

(馬鹿馬鹿しい)

視界の端にそんな二人が映ったが、僕はさっさとゼロ番をあとにした。




葉山が日本の音大に進むと決めたのはこの頃だったらしい、とあとで知った。
それは大きな決断だったと思うけれど、先の短い恋じゃないから、きっと葉山はギイと離れることもよしとしたのだろう。
誰かを好きになるということで、進路や、それから先の人生までも変わることがあるのだと、二人を見ていてそう思った。
そしてそんな二人に巻き込まれて、僕の人生まで変わるんだろうなと思うと、うんざりする反面、この恋の行き着く先がどこなのか、少し見てみたい気にもなるのだった。






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あとがき

順番的にはこのあとに「TEMPEST」というお話に。やっぱりギイの方がこの恋に関してはあたふたしてそうなイメージが(笑)