物心ついてこの方、自分のことを臆病だなんて思ったことがなかったギイだったが、この時ばかりはそれを認めざるをえなかった。
この1年、密かに想い続けてきた葉山託生が風邪を引きダウンした。 できることなら部屋まで行って、一晩中でも看病してやりたいところだったが、そんなことはどだい無理な話だった。 人間接触嫌悪症の葉山託生は、ギイだけではなく他の誰のことも寄せ付けることはせず、友人と呼べるのは寮の同室者である片倉利久くらいなものだった。 唯一託生が心を許し、まともに話ができる片倉のことを、ギイが何度羨ましく思ったか分からない。 いや、いっそ嫉妬しているといってもいいくらいだった。 天は二物も三物も与えたと揶揄され、周囲から羨望の眼差しを一身に受けているギイが、実は片倉と取って代わりと思っていると知れたら、どう思われるだろうか。 それがひとえに託生と親しくなりたいからだ、などと知れたら、相棒の章三あたりからは、頭がおかしくなったのではないかと心配されるかもしれない。 それほどまでに、託生は周囲から問題児扱いされていたし、ギイとは住む世界が違う人間だと思われていた。けれど、そうではないとギイは思っていた。 人から触れられることは極端に嫌がる託生だけれど、いつも自分から問題を起こしているわけではない。 たいていは誰かが面白がってわざと託生に触れるなどの嫌がらせをし、託生は適当に受け流すことをせずにすべて受けて立つから騒ぎになるだけだ。 もっと世渡り上手に立ち回ればいいのに、と思うこともしばしばで、託生が窮地に立たされるたび、何の助けもしてやれないギイの方がいつも心を痛めていた。 もし、少しでも助けを求めてくれたら、いくらでも力を貸してやれるのに。 けれど、託生は自分にだけにはそんなことをしないだろうことも、ギイは知っていた。 あからさまに対立しているわけではないけれど、託生からあまり快く思われていないことは自覚していたし、下手に動けばそれこそ状況がさらに悪化してしまうこともあったので、八方塞りになってしまったのだ。 いっそ強引に告白でもしてみようか、と思ったこともある。 2年になればクラスだって分かれてしまうかもしれない。 そうなれば、今以上に接点がなくなってしまう。 そう思うと、進級までにもう少し関係を改善したいと願いながらも、けれどやはり嫌われるのが怖くて手が出せい。 これ以上託生と距離ができることは何としても阻止したかった。 今の状況を変えられるのは自分だけなのだと思いながら、それなのに嫌われるのが怖くて一歩が踏み出せない。 そんな自分の臆病っぷりにため息が洩れる。 そういう毎日が祠堂に入学して以来ずっと続いていた。 託生が風邪でダウンしたのは、もうすぐ卒業式がやってくるという冬の日のことだった。 高熱で授業も休んでいたので、ずっと気になっていたのだが、寮の部屋へ押しかけることもできない。 じりじりしているそんな時、託生が飽きることなくベッドの中から雪景色を見ているという話を、片倉がしているのを聞いてしまった。 寒がりのくせにカーテンを開けていると。 それならば、とギイはペットボトルのスノウドームをプレゼントすることを思いついた。 昔、化学の実験のおまけで知ったその現象。 ちょっとした薬品が必要だったが、何とか手に入れ、あとは渡すだけという段になって、さてこれをどうやって渡したものかと思案した。直接渡すにはハードルが高すぎる。 かといって、片倉に頼むのもちょっと悔しい。 託生がいるであろうはずの412号室の扉の前で、ギイはじっと立ち尽くしてしまった。 結局ギイはコンビニの袋に入れたスノウドームを渡すことができず、そのまま引き返してしまった。 せっかく作ったのにな、と知らず知らずにため息が漏れる。 自分からの見舞いなんて迷惑がられるだけだろうと思っていたギイだったが、廊下でちょとした騒ぎを起こしていた託生と目があった瞬間、何故かそれまでの不安な気持ちが綺麗に消え去った。 ギイと目が合っても、託生は視線を逸らすことなく、むしろギイのことを追いかけるようにずっと見つめ返してきたからだ。 まるで助けを求めるかのように。 熱のせいで、それは無意識の行動だったのだろうと思う。けれど、それならば、それこそが本心なのだとしたら、自分は嫌われているわけではないのかもしれないと思った。 気づくと勝手に体が動いていた。 ギイは託生のことを助けようとしていた先輩から半ば無理やりに託生のことを奪い取った。 そうすることが必要で、そうしなければならなかったのだ。 驚く周囲のことなど意に介せず、そのまま、熱で朦朧としている託生を部屋へ連れて戻り、ベッドへ横たえる。託生は自分のそばにいるのがギイだなんて、夢にも思っていないだろう。 「大丈夫だから、寝るんだ」 ギイが言うと、素直にうなづき目を閉じた。 すぐに静かな寝息が聞こえてくる。 それを見届けて、ギイは手にしていたペットボトルをそっと机の上に置き、少し考えたあと、メモ用紙を拝借してスノウドームの作り方を記した。 もしかしたら誰かのいたずらだと思われて、そのまま捨てられるかもしれなかったがそれでもいいと思った。プレゼントは半分託生のためであり、半分はギイ自身のためでもあったからだ。 クリスマスにも託生のためにプレゼントを用意した。 けれど結局渡せないままに、今も手元に持っている。 いつか託生に渡せるといいのに、と綺麗に包まれたプレゼントを見るたびにそう思った。 だから今回、スノウドームを渡せることができたのは本当に幸運だといってよかった。 高価なものでなくてもいい。何か託生が喜ぶものをプレゼントできるということが嬉しかったのだ。 いずれにしても、普通の友人ならば深く考えずにできる差し入れでさえ、こんな風にこっそりとしかできないことは辛かったが、それでもギイにしてみれば一歩前進をしたような気になれた。 「小さな一歩だよな」 けれど、何の努力もしないでいてはだめなのだ。 拒まれようが、嫌われようが、自分から動かない限り、今の状況が変わることはない。 ギイは静かに眠り続ける託生を見下ろした。 そっと屈みこんで、指先でその頬に触れてみる。 託生に意識があれば、こんなことをしたら間違いなく殴られていることだろう。 初めて触れる託生の温もりに、ギイはガラにもなく胸が痛くなった。 (好きだよ・・託生・・・) 言葉にはできない想いがあふれ出しそうになる。 深く息を吸い込んで目を閉じて、その衝動をやりすごす。 しばらくそうしていたあと、ギイは立ち上がり 「早く良くなれよ」 と小さくつぶやいて、静かに部屋をあとにした。 数日後、託生はいつもの通り授業に出席した。 しばらく寝込んでいたせいか、少しやつれた風にも見えたが、片倉と話している様子からは、すっかり治ったように見えた。 いつものように友人たちと他愛もない話をしながら、ギイは少し離れた場所で片倉と話をする託生へと意識を向けていた。 聞くともなく話が聞こえてくる。 「託生、よかったよ、早く治ってさ。俺、風邪移しちゃったみたいで気になってたんだ・・」 「そんなことないよ、利久」 「そっかー?ならいいんだけどさ。ま、あれだよな、託生がちゃんとカーテン閉めるようになったおかげだよな。だいたいなー、めちゃくちゃ寒がりなくせして雪降るの見るのは好きだなんておかしいよ」 「だって綺麗じゃないか」 「そうだけどなー、でもどうして急にカーテン閉めてもいいなんて言い出したんだ?」 片倉の問いかけに、託生はうんとうなづいて窓の外へと視線を向けた。 「カーテンを閉めてても、雪が降るのを見れるようになったからさ」 「え、何だよそれ」 片倉がわけが分からないと首を傾げ、そんな片倉に託生が小さく笑う。 (ああ、ちゃんと見てくれたんだな) ギイは背後からの託生の声に、思わず微笑む。 あんな子供のおもちゃみたいなプレゼントでも、喜んでくれたのならこれほど嬉しいことはない。 「なぁ、ギイはどうなんだよ?」 「え?」 託生たちの会話に気を取られて、目の前で繰り広げられていた話題など聞こえちゃいなかった。 悪い、何だって?と聞き返すと、クラスメイトがおいおいとブーイングを起こす。 「だからさ、ギイは彼女ができたら、あれこれとプレゼントしそうなタイプだよな、って」 「そんなことないと思うけどなぁ」 軽く否定してみるが、あながち間違ってもないかもしれないとも思う。 好きな人が喜ぶ顔が見れるなら、そりゃプレゼントのひとつやふたつ、いくらでもしてしまうだろう。 「何しろ自由になる金が俺たちとは桁違いだしなぁ」 「ま、ギイなら何だってプレゼントできるよな」 嫉妬とも羨望とも言えない揶揄を含んだ言葉を、ギイはいつものように聞き流す。 「そんなことないさ・・・」 ギイは軽く肩をすくめて、まだ雪のちらつく窓の外へと視線をめぐらせる。 「せいぜい、雪を降らせるくらいだな」 小さなつぶやきは誰にも聞こえなかったようだった。 渡せるあてのないプレゼントは寂しいものだけれど、それでもあのスノウドームのように、いつか渡せる日がくるかもしれない。 (託生が喜ぶなら、雪だって降らせてやるよ) 託生が笑っていてくれるなら、傷つくことなく心穏やかに毎日を過ごせるなら、どんな無茶な願いだって叶えてやる。 そうしてやれるのは自分でなくてもいいのかもしれないと思っていた。けれどやはりそれでは駄目なのだ。 託生のことは、自分が幸せにしてやりたい。 それはもうどうしようもなく、ギイの中で揺るぎない決意となって心の深い場所へと刻み込まれた。 そのために、まずはほんの少し勇気を出す必要がある。 失うことを恐れて臆病になっていてはいけないのだ。 春が来て、新学期が始まる頃、ギイはその決意のままに託生に想いを告げる。 |
スノウドームの話はいいなぁv