チャイムが鳴る。
何度も何度も耳にしたチャイムの音。 ここで聞くのはこれが最後だと思うと、それは特別なもののように聞こえてふいに胸が熱くなった。 起立、という声と共に一斉に卒業生たちが立ち上がり、順番に講堂を出て行く。 居並ぶ父兄たちの間を抜けて外へと。 卒業式は綺麗に晴れた、少し肌寒い春の日のことだった。 別れの挨拶は、昨日までにそこかしこでさんざんしていたので、卒業式当日は思っていた以上にあっさりと最後の挨拶をすることができた。 「もっと感動的かと思ってたけど、案外とそうでもなかったな」 政貴が言うと、その場にいた全員が「えっ」と眉を顰めた。 型通りの卒業式とは言え、学院長の話もそれなりに感動できるものだったし、卒業生代表の三洲の凛とした堂々たる答辞もじわりと胸を熱くした。 男子校の卒業式で泣くやつなんているのか、なんて笑っていたのに、実際その時になると、不覚にも涙を流している者があちこちに見られたというのに。 「さすが野沢くん」 ぼくが言うと、 「何だい、それ」 と、政貴が笑った。 「いや、葉山の言う通りだ。神経が図太いというか何というか。ある意味最強だよな、お前は」 矢倉が言うと、ひどいな、と政貴が肩をすくめる。 「まぁ何はともあれ、無事卒業か。長かったようであっという間だったよなぁ」 「矢倉はいっつも早く卒業したいって言ってたからな」 「あー、まぁな。でも今はそうでもないかな。もうちょっとここで思い出を作っても良かったかなって思うからさ」 矢倉の視線が、少し離れた場所で取り巻きたちに囲まれている八津へと向けられる。 ああ、そうか、とぼくは2人を見て思い出した。 矢倉と八津は2年もの間すれ違ったまま思いを告げることもできずにいたのだ。 互いに好きだと思っていたのに。 3年になって、2人はちゃんと思いを通じ合わせて卒業までの僅かな時間を一緒に過ごした。 それがどれほどかけがえのない時間だったのか、ぼくには痛いほどよく分かる。 取り巻き立ちがようやく立ち去ると、八津がぼくたちの元へとやってきた。 「おまたせ」 矢倉の隣に自然と立つ八津に、何だか嬉しくなった。これからもずっと、2人は一緒にいようと決めたのだろう。それがとてつもなく大変なことでも、離れている辛さよりも一緒にいる方を選んだ。 「じゃあ、俺たち、そろそろ行くわ」 もうさんざん別れを惜しみ、今さら話すこともない。 矢倉に足元に置いていて紙袋を手にした。密かに後輩たちから人気のあった矢倉は、それこそ山のようにプレゼントをもらったらしい。最後の最後まで矢倉らしいなと思う。 「いろいろありがとな。また連絡するし、大学が落ち着いたらみんなで会おうぜ」 「待ってるよ」 「またね」 じゃあな、と矢倉は軽くて手を上げて八津と連れ立って歩き出した。 その背を見送った政貴も足元に置いていた鞄を手にする。 「そろそろ行こうかな。じゃあね、って言っても、葉山くんとはまたすぐ大学で会うんだけどさ」 「そうだね」 「何かあったら電話するよ。実家に戻るんだよね」 「うん」 「お母さんたち来てるんだろ?」 山奥の全寮制の男子校。父兄がやってくるのは入学式と卒業式くらいなものである。 遠いからいいよ、と言ったのだけれど、父親と母親はそろって卒業式にやってきた。 卒業生の親たちが揃ってやってくるのは珍しいことではないのだけれど、ぼくにしてみれば少しばかり面映いような、複雑な気持ちにもなる。 「食堂で待ってくれてる」 「簡易の待合室だよね、外で待つには、祠堂の春は寒すぎる」 卒業式が終わっても、あちこちで名残を惜しむ生徒たちがいて、辺りはまだまだ賑やかな空気で満ちている。そんな子供たちを待つ親たちのために、この日は食堂が解放されている。 「一緒に行こうか?うちも食堂にいるはずだから」 政貴の言葉に、ぼくは少し考えたあとに緩く首を横に振った。 「ごめん、最後にちょっと行きたいところがあるんだ」 「そう?じゃあ先に行くよ。葉山くん、三年間ありがとう」 「こちらこそ。って、また大学に行ってもお世話になると思うんだけど・・・」 「はは、それはお互い様だよ。じゃあまたね」 政貴もまた手を上げると、親が待っている食堂へと向かって歩いていった。 ぼくはふぅと一つ息をつくと、そのまま校庭を抜けて、通い慣れた道を進んでいった。 何度も何度も通った道だった。 祠堂のサハリンと呼ばれるくらいに奥まったところにある温室は、もうすっかり慣れ親しんだ場所だ。 閉ざされた扉を開けてみる。 中は外の寒さとは打って変わって暖かく、ぼくはほっと強張っていた身体の力を抜いた。 大橋先生がこの場所を提供してくれたおかげで、バイオリンの練習をすることができた。 そして音大を目指すこともできた。 ぼくはベンチに腰を下ろすと、ぼんやりとあたりを見渡した。 「ここともお別れか」 この場所での出来事が次から次へと溢れてくる。 そのどのシーンにも愛しい人がいて、急に切ないような言葉にはできない思いが込み上げてきて、ぼくは唇をきゅっと結んだ。 泣かないと決めた。 もう彼のことを思って泣いたりしないと決めたのに。 センチメンタルな気持ちを振り切るように立ち上がると、細々とした道具が入っている箱の中から使い古されたホースを手にした。慣れた動作で蛇口に繋いで栓をひねる。 ぱしゃっと溢れ出した水を惜しみなく植物たちへと撒いた。 園芸部でもないくせに、大橋先生に頼まれては草むしりをしたり水を撒いたり。 (バイオリン弾いてる姿より水やってる姿の方がよく目にしてるような気がするな) そう言って笑った。 からかうような、あの眩しい笑顔。 (誰も来ないし) 駄目だって言っても何度もここでキスをした。 思い出せば辛くなるから、ずっと意識して封印してきた。 なのに、学校中に彼との思い出があって、姿を消してから今日まで、必死に記憶を封じ込めなくてはならなかった。 今日で最後だと思うと、それらが一気に溢れ出して、ぼくは胸がいっぱいになってしまった。 泣かない。 どれだけ不安で、どれだけ恋しくて、どれだけ切なくても。 そう思えば思うほど目元が熱くなってきて、危ない危ないと瞬きを繰り返す。 水を浴びた緑が生き生きとその姿を変えてきた時、温室の扉が開く軋んだ音がした。 ぼくが顔を向けると、そこには赤池章三が立っていた。 「よぉ」 「赤池くん、どうしたの?」 「どうしたの、ってな、それはこっちの台詞だろうが。そろそろ下山するかと思ったらいないし、最後の挨拶くらいさせろ」 呆れたように言って、章三はぼくのそばへと歩いてきた。 「ああ、ごめん。でも昨日のうちにさんざん挨拶なんてしたじゃないか」 「けじめだろ」 「まぁ、ね」 章三らしいなぁと思いながら、ぼくは水道の蛇口を捻ると、くるりとホースを丸めて足元に置いた。 「卒業式の日まで水やりか?」 「温室にはお世話になったから、最後にちょっとだけ寄りたくて。水やりをするつもりじゃなかったんだけど、土が乾いてたから。気になったんだよ」 「葉山らしいな」 ほら、と章三はポケットから缶コーヒーを取り出すと、一本をぼくへと手渡した。 受け取って、思わずくすくすと笑ってしまった。 「何だよ」 「卒業式の日だっていうのに、まるで今まで同じようなことしてくれるからさ」 「ああ、そうだな」 章三も苦笑して、二人並んでベンチに座った。 こうして二人で並んで座るのももう最後だ。 両手で包み込んだコーヒーの温かさに、ぼくはわけもなくほっとした。 温室でバイオリンの練習をしていると、どういうわけかいろんな人がやってきては、差し入れをしてくれた。 章三はギイの次に温室を訪れてくれた人だ。 特に、ギイがいなくなってからというものは、毎日のようにぼくの様子を見にきていた。 「そういえば赤池くん、しょっちゅう温室に来てくれたよね。実は暇だったの?」 と聞くと、ぱかんと頭を叩かれた。 「痛い」 「受験生が暇なわけないだろう」 「じゃどうして?」 「あいつがいなくなって、葉山がおかしな気を起こさないか心配してたんだよ」 かしっと缶コーヒーを開けて、章三が口をつけた。 初めて聞いたその理由に、ぼくはぽかんとして章三の横顔を見つめた。 「なにそれ。おかしなことって、もしかしてぼくが自殺でもするんじゃないかって思ってたわけ?」 今思えば、矢倉や政貴も、それまで温室になんて滅多に来なかった連中が、ギイがいなくなってからはよく姿を見せていた。 ぼくがバイオリンを弾いていることを確認すると、何てことのない話を10分ほどして帰っていく。 受験勉強の息抜きにでも来ているのだろうか、と思っていたのに、まさかそんな理由だったとは。 「驚いた・・・またぼくだけ知らなかったんだ」 「あいつがいなくなって、一番傷ついたのは葉山だろうからさ」 「でも赤池くん、ぼくは・・・そんなことで自殺したりしないよ?」 章三の言葉に、ぼくはしどろもどろと言い募る。 「だよな。でも心配だったんだよ」 「そんなに弱くないし」 「知ってる。葉山は少々のことじゃ折れたりしない。だけど、昔言ったことがあるだろ?『ギイをなくして、それでも生きていけるのか』って、僕に聞いたことがあるよな」 それは2年の6月だ。 ギイと思いが通じ合って、だけど兄とのことを知られるのが怖くて、それ以上の関係に進むのが怖かった。 ギイを失いたくないと怯えていた。 偶然その場にいた章三に、思わず聞いてしまったのだ。 ギイをなくしても生きていけるのか、と。 今思えば、ずいぶんと追い詰められていたんだなぁと思う。 「あれ思い出したら、そりゃ心配にもなる」 「そっか。そうだよね。ごめん」 ぼくは素直に謝った。 自分自身でさえ忘れていたような出来事を、章三はちゃんと覚えていて、実際にギイがいなくなってしまったことで、ぼくが生きていけないと思うのではないかと心配してくれていたのだ。 忘れていた。 章三が何も言わずに、そういうことをする人だってことを、すっかり忘れていた。 「心配してくれてありがとう。だけど、ギイがいなくなったことくらいで、死んだりしないよ」 「そりゃそうだ。恋人のあるなしなんて、生死に関わるようなことじゃない」 「うん・・・そうだよ」 「けど、葉山にとって、ギイは恋人以上の存在だっただろうと思うからさ」 「・・・・」 恋人以上の存在か・・・。 確かにそうかもしれない。 それは決していい意味ではない。ぼくはギイのことをあまりにも頼りすぎて、安心しきって、いろんなことを考えなさすぎた。 毎日毎日、何てことのない話ばかりして、もっと二人で真剣に話さなくてはならないことがあったのに、ぼくは逃げてばかりいた。 勝手に、努力なんてしなくても二人の関係は続いていくものだと思っていたのかもしれない。 それはあまりにも怠惰で傲慢な考えだったのだと、今さらのように思い知らされる。 恋人ならば、もっとちゃんと話をして、お互いのことを知ろうとしなければならなかったのだ。 「ねぇ赤池くん、ぼくはやっぱりギイのことが好きなんだ」 「・・・・」 「いろんなこと、ぜんぜん分からないし、また会えるかどうかも分からない。だけどね、どうしてもギイのことを嫌いにはなれないんだよ。こんなひどい消え方されたっていうのにさ。だからもう一度会って、ちゃんと話をするまでそうそう簡単に死んだりしないよ」 「・・・・まぁ、ギイはいいヤツだと思うし、友人としては最高のヤツだとは思うが、どうして同じ男をそこまで好きになれるのか不思議だね。一度ちゃんと聞いてみたかったんだけどな、親友だって良かっただろう?どうしてそれじゃ駄目だったんだ?」 筋金入りのストレートな章三にしてみればもっともな話だろう。 どうして同性を恋人として好きになれるんだ、と不思議に思うのもよく分かる。 ぼくだって別に男の人が好きというわけでもないし、ギイ以外の人と・・・というのは考えたこともないし、考えられない。 だけど逆に、ギイと親友でいいじゃないか、と言われると・・・ 「友達になるより先に恋人になっちゃったからなぁ・・・」 ぼくは少し考えたあと、2年のあの頃のことを思い出しながら言った。 「ギイは、誰からも疎まれていたぼくのことを、すべてを拒否していたぼくの気持ちを、ただ一人大切にしてくれた。赤池くんは笑うかもしれないけど、ぼくはそんな風に誰かに大切にされたことなかったから、ギイのこと失うなんて考えられなかったんだ。初めてぼくのことを、大切にしてくれた人だったから」 「・・・」 「だからギイがぼくのことを好きだって言ってくれた時は、すごく嬉しかったんだよ。ギイの好きが、友達としての好きじゃなくて恋人としての好きだと知っても、不思議と嫌な感じはしなかった。たぶんぼくも、初めてギイを見た時から惹かれてたんだろうなって思うんだ」 「不毛だ」 「ほんとにね」 一刀両断されて、ぼくは吹き出してしまった。 いっそ気持ちいいくらいに章三は筋が通っている。 「ねぇ赤池くん、ぼくは相変わらず馬鹿みたいにギイことが好きで、それはきっとこれからも変わらないと思うんだけど、だけど、時々分からなくなるんだよ。このままギイのことを好きでいていいのか、彼のことを追いかけていくべきなのか。それとも彼のことを諦める努力をするべきなのか。もう諦めようって思うとすぐにそれはできないって思うし、追いかけたいって思うとすぐに、そんなことしても無駄なんじゃないかって思ったり。自分で自分の気持ちがよく分からなくて、だけど・・・好きなんだよね」 ギイがいなくなってもう半年近く。 その間、連絡なんて何もなくて。どこにいるのか、何をしているのかさえも分からない人のことを、まだこんなに好きだなんて、きっと章三は馬鹿にするだろうと思っていたのだけれど・・・ 「・・・・別にいいんじゃないのか?」 章三は立ち上がると、空になった缶を足元のゴミ箱に捨てた。 「例えばさ、祠堂での3年間は僕にとってはすごく有意義で楽しいもので、できればもっと続けばいいなって思っていたよ。葉山は?」 「うん・・ぼくも・・・入学してすぐの頃はそんなこと思わなかったけど、今はもっとここでみんなと一緒にいられたらいいなって思うよ」 「だけど、どんなにこのままがいいって思っても、卒業する時はやってくる。逆に、どれほど卒業したいって思っても、その時期がこなければ卒業できないこともある」 「・・・・」 「もし、ギイとの関係を終わらせたいと思っても、2人にとってその時期が来なけりゃ終わらないし、終わらせたくないって思っても、それが運命ならいつか終わりが来る。無理矢理どちらかを選ぶ必要もないし、自分の気持ちに素直になってればいいと思うけどな。今、まだギイのことを好きだと思うなら、ヤツに会えるように頑張ればいい。もういいやって思うならそうすればいい。ギイも葉山もいろんなことを難しく考えすぎなんだよ」 「成り行きに任せればいいってこと?」 「自分の気持ちに正直になればいいってこと」 「赤池くん、ぼくとギイとのこと反対してるんじゃなかったの?」 「基本的には反対。だけど・・・」 「だけど?」 「友人が幸せになるのを反対したりはしない」 ぼくはぼんやりと章三を見つめた。 男同士なんて不毛だなんて、結局、章三は口では辛辣なこと言っても、いつだってぼくたちの味方だった。 いつもいつも、何かあるたびに、ぼくたちを助けてくれた。 (葉山がおかしな気を起こさないか心配してたんだよ) ギイと付き合うようになってから、それまでろくに話をしたことのなかった章三とも親しくなった。 1年の頃、誰もがぼくのことを遠巻きにして嫌っていた中、章三はどこか淡々とした態度でぼくと接していたのを思い出す。 嫌うわけでもなく、かといってギイのようにおせっかいを焼くでもなく。 単にぼくのことをよく知らないからどういう風に接すればいいか分からなかっただけだと、あとになって章三は言っていたけれど、そんな風に中立な立場でいることは案外難しいものだと知っている。 そういうところが章三らしいなと思うし、ギイが相棒に選ぶのも納得できる。 あの時、ぼくのことを大切にしてくれるはギイしかいないって思いこんでたけど、今はそうじゃないのだ。 心を開いたことで、まるでそれが当たり前のことのように、ぼくのことを心配して、励まして、元気づけてくれる友達ができた。 ぼくは・・・ 「そろそろ行くか。葉山んちのご両親も食堂で待ってるんだろ?」 歩き出した章三を追いかけるようにしてぼくは立ち上がった。 「赤池くん!」 「うん?」 「・・・このまま、会えなくなるのは嫌だ」 「なら、とりあえずアメリカに行って・・・」 「そうじゃなくて、赤池くんとももう会えないのかと思うとすごく寂しいんだよ」 言うと、章三は虚をつかれたような表情を見せた。 それは嘘偽りのない心からの言葉だった。 ギイがいなくなって、章三とも会えなくなるのはすごく寂しい。 卒業するということはそういうことなのだと、分かっていたはずなのに。 章三は切羽詰った様子のぼくに、やれやれというように肩をすくめた。 「薄情だな。卒業したらもう会わないつもりなのか?それとも会いたくないってことなのか?」 「え?だって」 大学も別々だし、地元も違うし、たぶん住むところだって離れてしまうはずだ。 今までみたいに簡単に会えるとはずもないのに。 けれど章三は明るく笑った。 「会おうと思えば会える。みんなそう思ってるからあっさりと別れの挨拶をしたんじゃないのか?矢倉も政貴も、またな、って言ってただろ?」 「うん」 まるで明日から夏休みくらいの口ぶりで、拍子抜けするくらいにあっさりと手を振った。 「別にこれが永遠の別れだなんて思ってないし、どうせすぐに会おうぜって連絡がくるぜ、絶対。矢倉あたりがいろいろ画策しそうだし」 「・・・そっか」 何だか気が抜けたぼくに、章三は笑った。 「会おうと思えばいつだって、誰とだって会える。本当に会いたいって思えば、会いに行けばいい。すごく単純だけど、結局どれだけの思いがそこにあるかどうかなんだろう」 章三の言葉に、ぼくは遠い場所にいるであろう彼のことを思った。 会いたいって思えば、本当にいつの日かまた会えるのだろうか。 どこにいるかも分からない人に、本当に会える日がくるのだろうか。 「また会えるよね、赤池くん」 いつでも会えると思っていても、新しい環境で、新しい友達ができ、慌しく毎日を送っていくうちに疎遠になることなんていくらでもあるのだ。 離れることなんてないと思っていたギイでさえ、夢のように消えてしまったのだから。 ぼくがよほど不安そうに見えたのだろうか。 章三はどこか呆れたようにぼくを見て、そしてあっさりと言った。 「当たり前だろ。友達なんだから」 堪えていた涙が溢れそうになり、ぼくはうろたえた。 ギイ。 きみがぼくに残していったものは、胸を熱くする恋心と、突然消えてしまった不可解さと、寂しさだけではなかった。 きみが、ぼくと周りの人を繋いでくれた。 一人ぼっちだったぼくに、人と繋がることの大切さを教えてくれた。 友情と言う名の絆は間違いなくそこにあって、きっとそれは、これからもずっとぼくのことを支えてくれるだろう。 祠堂での3年間は、ぼくにとってかけがえのない時間だった。 「式の間はけろりとしてたくせに、どうして今になって泣くんだ」 「だって・・・」 しょうがないやつ、と章三が呆れたようにぼくを見る。 「しかし、まさか祠堂の最後の時を、葉山と過ごすことになるとは思わなかったよ」 「ぼくもだよ」 くすんと鼻を鳴らして、ぼくは章三を真っ直ぐに見つめた。 「赤池くんと友達になれて良かったな」 「何だ、今頃気づいたのか」 2人で顔を見合わせて、もう一度笑った。 肩を並べて温室から校舎へと続く道を歩く。 何度も何度も、こうして一緒に歩いたことを思い出す。 心地よい春風の中を、真夏の太陽の下を、秋晴れの空を眺めながら。 最後の時も、3人で歩けたらよかったのにと、どうしようもないことなのに、やっぱりそう思ってしまう。 「ああそうだ、葉山。うちの親父、紹介するよ、会いたがってただろ」 「え、あの噂のお父さん?来てるんだ」 「そうそう、その噂のお父さん」 章三が肩をすくめる。 「ねぇ、赤池くんと似てるの?」 「似てるなんて言われたら複雑だな」 他愛ない話をしながら、ぼくたちはいつものように温室をあとにして、現実の世界へと戻っていく。 別れを寂しく思い、見えない未来に不安を感じ、けれど不思議と心は晴れ晴れとしていた。 綺麗に晴れた、少し肌寒い春の日、ぼくたちは祠堂を卒業した。 |