たまには外でデートしよう。
昨日の夜、唐突にギイがそう言った。 仕事を引退して、しばらくはご隠居生活を楽しんでいたギイだけれど、そこはやっぱりギイと言うべきか、すぐに家でじっとしていられなくなり、あちこちに出かけるようになっていた。 最初は、何か新しい趣味でも見つけたのだろうかと思っていたのだけれど、どうやら新しい事業を考えているようで、あれこれとリサーチをしている真っ只中のようだった。 祠堂にいた頃から神出鬼没なギイだったので、家でのんびりしている姿よりも今みたいに動き回っている方がしっくりとくる。 いったい何をするつもりなのかは知らないけれど、生き生きとしているギイを見るのは嬉しかった。 その方がずっとギイらしい。 ギイも忙しくしていたけれど、ぼくはぼくで大学の仕事も忙しかったので、ここしばらくは同じ家にいるというのにすれ違いばかりだったのだ。 すれ違いが多いと言っても別に喧嘩をしているわけでもないので、ぼくとしては気にしていなかったのだけれど、ゆっくり話をすることもできないというのはやっぱりつまらないもので、そんな時にギイが「デートしよう」なんて言い出したので、驚いたのと同時に素直に喜んでしまった。 「夕方までちょっと予定があるんだけど、そのあと待ち合わせして、久々に美味いものでも食べよう。ちょっと面白いイベントがあってさ、託生と行きたいなぁって思ってたし」 「そうなんだ、うん、いいよ。じゃあ残業にならないよう明日は頑張るよ。ギイの用事が終わる時間に待ち合わせしよう」 「よし。外で待ち合わせしてデートするなんて久しぶりだよな」 そうかもしれない。 何といっても、一緒に暮らしているわけだし、わざわざ外で待ち合わせるなんてことは滅多にない。 お互い楽しみだと言いあって、久しぶりのデートを約束した。 思ったよりも仕事が長引いてしまい、大学を出るとすぐにギイにメッセージをいれた。 少し遅れそうだと言うと、ギイからは 「慌てなくていいからな。さっきまで会ってた人とまだ一緒にいる。時間潰すのに付き合ってもらってるから大丈夫」 と返ってきた。 喫茶店でお茶してるから、と言われてほっとした。 今からだと、どれだけ頑張っても30分ほど待たせてしまいそうだから、退屈しないでいられるのなら安心する。 もっとも、ギイは少しの時間でも有効に使う達人なので退屈なんてしないかもしれない。 とは言うものの、やはり待たせるのは申し訳ないのでじりじりしながら待ち合わせ場所へと急いだ。 ギイが指定した喫茶店は駅から少し離れたところにあって、見るからに女の子が好みそうなカフェではなくどちらかと言うと年配の人が利用しそうな渋い喫茶店で、ギイらしいなぁと思わず笑みが零れてしまった。 見た目は派手で流行りものを好みそうなギイだけれど、もちろん流行っているものにも敏感で上手に取り入れてはいるのだけれど、昔ながらのものにも目がなくて、ちょっとレトロな感じのお店は大好きなのだ。喫茶店に限らず。 中へ入ると何とも懐かしい雰囲気が漂っていて、不思議と落ち着く。 流れている音楽もクラシックで、これは居心地がよさそうだなと思ってしまった。 狭い店内でギイはすぐに見つかった。 向かい合わせで座っているのは初めて見る女の人で、たぶんギイが今日仕事で会っていたという人なのだろう。 二人はやけに楽しそうに話に熱中していて、ぼくが店に入ってきたことに気づいていない。 基本的にギイはどんな相手とでもそつなく話ができる人だから、楽しそうにしているのはよく見る光景なのだけれど、女の人相手にあんなに熱心に話し込んでいるのは珍しい。 ギイにその気がなくても、あれだけ綺麗な男の人に親し気にされたらたいていの女の人はギイに好意を持つ。 それからのあれこれが面倒なので、ギイは相手に誤解をさせるような態度や言動は絶対にしないのだ。 だからすごく意外だった。 あんなに前のめりな感じで積極的に話をしている姿を見るのは、もしかしたら初めてかもしれない。 傍から見たら、熱心に彼女を口説いているようにさえ見える。 ぼくはギイの向かい側に座る女性をまじまじと見つめた。 年齢はぼくらよりも少し上かもしれない。ショートカットで見るからに活動的な感じがして、笑顔がとても素敵な人だった。 ギイを相手に物怖じすることなく、ずいぶんと積極的に話をしている。 仕事相手で付き合うのなら、きっとスムーズに物事が進みそうな感じがする。 雰囲気がちょっとギイに似ている。 似た者同志って、やっぱり気が合うものなのだろうか。 ぼくが入口でぼーっとしていると、ようやくギイが気づいてくれた。 「託生」 軽く手をあげてぼくを呼ぶ。 はっと我に返って、ぎこちなく笑みを浮かべて二人に近づいた。 「ごめんね、遅くなって」 「いや、大丈夫。紹介するよ、こちらは伊藤さん」 「はじめまして、葉山です」 「こんにちわ、伊藤です」 にこにこと屈託のない笑顔で、伊藤さんはぺこりを頭を下げる。あらためて近くで見ると、やっぱりどこかギイと似た雰囲気を持っている。物怖じしない、好奇心旺盛な感じ。 頭がよさそうな人だなぁとぼんやり思った。 「よし、じゃあオレたちはこれで。今日はありがとう」 ギイが立ちあがると、伊藤さんも立ち上がった。 「こちらこそありがとう。いろいろ話が聞けて楽しかったわ。また詳細はメールしておくから」 「助かるよ」 行こうかとギイがぼくを促した。伊藤さんはまだ少しここに残ると言った。 いい雰囲気の喫茶店だから、と見せた笑顔もやっぱり素敵だ。 「ギイ、伊藤さんって何してる人なの?」 喫茶店を出て、先に軽く食事をしようかということになり、ギイが最近見つけたというスペインバルへと向かう。 「彼女は輸入業をしてるんだよ。個人でね。注文を受けて、海外で買い付けをする」 「ああ、何かそれっぽい」 「何だよ、それっぽいって」 ギイが笑う。 「だって、何だか雰囲気がギイに似てたから」 「そうか?」 「ギイ、そういう仕事するつもり?」 「んー、いや、まぁそれっぽいことも考えてはいるんだけど、まだいろいろと検討中。珍しいな、託生がそういうこと聞くなんて」 まぁね、とぼくは曖昧にうなづいた。 ギイは何をしたって成功するだろうし、心配はしていないから、今まで仕事の話をしたことはなかった。 だけど、もし、もしもさっきの伊藤さんと同じ仕事をするようになったら、と思うと、少しばかり気持ちがもやっとするのどうしてだろう。 だって、すごく親し気だったし、ギイがあんな風に何の警戒心も見せずにくだけて話すなんて・・・。 でも、もしかしたら。 「ねぇギイ、さっきの伊藤さんて、結婚してる?」 「え?いや独身だけど、何で?」 いやいや、とぼくは笑って首を横に振る。 結婚している相手なら、ギイもそれほど牽制せずに対応するかもしれないと思ったけれど、違った。 じゃあ彼氏がいるとか。うん、そりゃああれだけ綺麗な人だから彼氏がいてもおかしくはない。 でもな、相手はギイだしな。 今までだって彼氏がいるのにギイに言い寄る女の子をたくさん見てきた。 もちろん、ギイはこれっぽっちも相手にしなかったけれど。 ぼくはギイに気づかれないようそっと息をついた。 ギイが仕事で会う人いちいちヤキモチ妬いてたらキリがないって、頭では分かってるのに、こうして目の当たりにしちゃうとやっぱりちょっと気持ちがざわついてしまう。 ほんと今さらなんだけど。 祠堂にいた頃からぜんぜん成長してないなぁとちょっと自己嫌悪になりそうだ。 店に到着すると、ギイがぬかりなく予約をしてくれていたおかげですぐに席につくことができた。 「託生、腹減ってる?」 「うん、まぁそこそこ」 ギイはスペインバルのお薦め料理あれこれと説明してくれた。 ぼくはスペイン料理の名前を聞いてもどんなものが出てくるのか想像ができないので、すべてギイにお任せすることにした。 大学はどうだった?と尋ねられて、ぼくは今日あった出来事を話した。 別にドラマティックな毎日を過ごしているわけではないので、特に事件があるわけではないけれど、何てことない話でもギイはいつも興味深そうに聞いてくれる。 毎日ギイとは食事を一緒にしているのに、たまにこうして外で食べると新鮮な気持ちになる。 そしてギイはやっぱりモテるんだなぁと改めて実感してしまう。 今も店内の若い女の子たちはちらちらとこっちを見ている。こっち、というかギイを、だ。 もうそろそろ慣れた視線とはいえ、いつもならそんなに気にしないのに、さっきの伊藤さんのことが尾を引いているのか、どうにも意識してしまって仕方ない。 「ねぇギイ」 「んー?」 ギイは最初に頼んだ皿がなくなったので、次を注文すべくメニューを眺めている。 「あのさ、伊藤さんって、どんな人?」 「どんなって?」 「ギイと似てるっぽかったから・・・話あうんだろうな、とか。さっきもすごく盛り上がってたみたいだし・・・」 何だか無意識に小さくなってしまう声に被せるようにして、ギイがそうなんだよ、と言った。 「仕事終わって、託生を待ってる間にいろいろ話してたらさ、何だかめちゃくちゃ趣味があうことが判明して。やっぱり好みが合うと話も弾むよなぁ、驚いた」 「ふうん」 ギイは店の人を呼ぶと、2皿ほど追加注文をして、メニューを脇へ置いた。 やっぱり好みがあうと話もあうよね。うん、それは確かにぼくだってそう思う。 言われてみると、ぼくとギイって好みがあうかと言われると、合わないことの方が多いような気がする。 ギイは社交的だけど、ぼくはそうでもないし。チャレンジャーなギイと比べると、ぼくは保守的なところもあるし。 そう思って、はたと手が止まった。 あれ、もしかして、ぼくとギイって実はぜんぜん相性が良くないとか?? 「託生??」 え、でも、それならこんなに長い間一緒にいられるわけもないし。 「おーい、託生?」 無理してるとか?本当はもっと好みのある相手だったらいいのになぁとか思ってる、とか? 「託生!」 「えっ」 つんと額を突かれて、我に戻った。 目の前にはどこか面白そうな表情でぼくを見ているギイ。 「注文した料理来たぞー。託生の好きなオムレツ料理」 「あ、うん。美味しそう」 「どうしたんだよ、ぼーっとして」 「えっと・・・」 ぼくはまじまじとギイを見つめた。 ギイもじっとぼくを見つめる。 聞いてみようか、いっそのこと、だってこんなもやもやしたままは嫌だなって思うし・・ 別にギイを疑ってるとかそういうことは全くないんだけど。 うん?じゃあぼくは何を聞けばいいんだ? 口を開きかけたところに、ギイがほら、とオムレツが刺さったフォークを差し出した。 「美味いぞ」 ほらほらと促されて、ぱくりと食いついた。 確かに美味しい。やっぱりギイが見つけてくるお店に外れはないな。 「美味いだろ?」 「美味しい」 「よし、じゃあそれで許してくれる?」 ギイがいたずらっ子のような視線をぼくに向ける。 許す?って何のこと? ぼくが分からずにいると、ギイは少し拗ねたように唇を尖らせて、椅子の背にもたれかかった。 「念のため聞いておきたいんだけどさ、託生、伊藤さんのこと気に入っちゃったってことはないよな?」 「はい?」 何だそれは??? ギイは身を乗り出すと、さらに意味不明なことを言い出した。 「美人だよなぁ、とかちょっとは思ったりした?」 「え、そりゃあ綺麗な人だなぁとは思った、けど」 「結婚してなくて良かったとか思った?」 「ええ?ちょ、っと待ってよ、ギイ。何言ってるんだよ」 それじゃあまるでぼくが伊藤さんに気があって、そういうことを聞いたみたいじゃないか。 そうじゃなくて、ギイが伊藤さんに気があるんじゃないかって、ちょっとおかしな心配をしてただけだ。 って、別に威張れることじゃないけど。 「だってさ、託生がオレと彼女がちょっと似てるなんて言うからさ、もしかしてって思うだろ?」 「思わないよ。そうじゃなくて!」 びっくりした。いったい何を言い出すかと思ったら! ぼくは全然違うよ、とギイに言った。 「そうじゃなくて。ギイが、伊藤さんとすごく盛り上がってたし、好みも合うとか言ってたし、綺麗な人だし、だから・・・」 「だから?」 ギイが小首を傾げてぼくを覗き込む。 「だから・・」 言いかけて、ん?と思った。 何かを待ちわびているようなギイの表情。 何かおかしいぞ、とさすがのぼくも気がついた。 何だか妙にギイに誘導されているように思えるのは気のせいかだろうか。 さすがのぼくだって、ギイとの長い付き合いの中で、ギイが何を考えているかは分かるようになってきたのだ。 「ギイ、どうしてさっき許してくれる?なんて言ったの?」 「んん?」 ぎくりとしたようにギイが明後日の方向へと視線を向ける。 「ギイ?」 ちゃんと白状するまで問い詰めるぞ、というつもりで今度はぼくが身を乗り出す。 するとギイは降参というように両手をあげた。 「だから、謝っただろ?」 「つまり?」 「つまり、託生がオレと彼女のことをちょっと気にしてるっぽいなーって思ったからさ、滅多にヤキモチ妬いてくれない託生くんがそんな風に気にしてくれるなんて、ほら、ちょっと嬉しいっていうか、愛されてるなーっていう確認ができるっていうか」 ギイの言う通り、絶対にそんなことはないって分かっていても、ギイが伊藤さんと楽しそうにしているのを目の当たりして、やっぱりちょっとヤキモチは妬いた。ヤキモチっていうか、心配?でもないんだけど。 「託生がいらない心配してるなーって分かってたんだけど、ヤキモチ妬かれる喜びをちょっと味わってみたかったからさ」 「黙って楽しんでたんだ」 ぼくがあれこれ気を揉んでるのを知っていながら放置していたなんて、ひどくないか? 「だからごめんって。だいたい、託生だって悪いんだぞ」 「何でだよ!」 今のこの流れで、どうしてぼくが悪いってことになるんだよ! ぼくが睨むと、ギイはだってさと言い訳を始める。 「だいたいオレが彼女と楽しく話してたからって、気があるんじゃないかなんて考えること自体間違ってる。オレが好きなのは託生だし、誰かに心変わりするなんてことはないだろ?」 「自信過剰」 ぼくはテーブルの下で、ギイの長い足を軽く蹴った。 「もしかしてギイ、ぼくにヤキモチ妬かせるために、わざと伊藤さんと仲良くしてたとか?」 「違う違う。そうじゃなくてさ、彼女と好みがあうのは嘘じゃないんだ。彼女の彼氏もバイオリンやってて、どちらかというと控えめで大人しい感じの人らしいんだけど、実は芯が強くてちょっと頑固で。天然なところがあって放っておけない雰囲気で、って、いやもう盛り上がってさー」 「・・・・」 「託生はオレと彼女が似てるって言ってたけど、やっぱり似た者同志って好きになるタイプも似てるんだなぁって。なかなかこの好きなタイプのツボが分かってくれる人がいなかったからさ」 「すみませんね、一般的じゃなくて」 「初めて恋話っていうの?で盛り上がったから楽しくてさ」 ギイはうんうんと満足そうにうなづいている。 何だそれは。女子高校生じゃないんだから。 ぼくはがっくりと脱力してしまった。 つまり、似た者同志が惹かれあうんじゃないかというぼくの考えはまったくの杞憂だったわけだ。 むしろ似た者同志は、好きになるタイプも似てるだなんて。 恥かしいにもほどがある。 「まぁそういうわけで、オレと彼女のことを心配する必要なんて全然ないから」 「そうだね」 「むしろさ、彼女が託生のことを好きになったらどうしようって思ってたくらいだし」 ギイじゃあるまいし、そんなことあるはずないじゃないか。 いや、あるのか? ギイみたいな物好きはいないと思ってたけど、実は少数だけというだけで存在したりするのだろうか。 だけど、ぼくにしてみれば、そんな物好きはギイだけでいい。 他にはいらない。 ギイが空になったグラスにワインを注いでくれる。 「まぁ、お互いそういう心配はいらないわけだけど、たまにはちょっとヤキモチ妬いたりするのはいいよな」 「ぜんぜん良くないよ」 できればそういうものとは無縁でいたい。 ただでさえギイといると周囲が勝手に騒がしくなるのだから、自ら飛び込もうとは思わない。 静かで穏やかに暮らしていくというのがぼくの理想なのだ。 時々こんな風に外で美味しいものを二人で食べる。 何てことのない一日の出来事を報告しあう。 笑ったり、ちょっと怒ったり、そういう日常の中に、果たしてヤキモチ成分は必要なのだろうか。 少し考えて、やっぱりいらないと確信した。 自分がヤキモチ妬きだと分かっているだけに、そういう疲れる状況は遠慮したい。 「オレは少しのヤキモチっていいスパイスだと思うんだけどな」 「だけどギイ、そういう心配はいらないって分かってるならスパイスにならないんじゃないの?」 その日の食事中、ぼくたちはヤキモチは長年付き合った恋人たちに必要なのか、という哲学的な話題で盛り上がった。 結局答えは出なかったけれど。 そんな話も、自分たちの関係は大丈夫だと分かっているからこそできるものなのだろう。 付き合いが長くなってきているからこそ、たまにはスパイスは必要なのかもしれないけれど、ヤキモチではない何かの方がいいのではないか、とぼくは思う。 |