※今回、真三洲です。「風と光と月と犬」の続きで。
腕の中ですやすやと眠る三洲を見つめながら、真行寺は先ほどの三洲の台詞がじわりじわりと胸を締め付けていくのを感じていた。 「俺の父親にお前のこと話したよ」 あっさりと何でもないことのようにそう言った三洲。 何を、と聞き返した真行寺に、 「俺とお前が付き合ってること」 と、これまたあっさりと言ってくださった。 頭の中をぐるぐるとそのフレーズが駆け巡る。 いったい何でそんなことになったのかさっぱり分からないのだが、どういうわけか自分は三洲の恋人に昇格(?)してしまったようなのだ。 (恋人ってことは、それってアラタさんも俺のことを好きだってことだよね?) じゃなきゃ恋人だなんて普通は言わない、はず。 (だけど、アラタさんだからなぁ、何かあとで大どんでん返しがあったりするのかなぁ) それはできればなしであって欲しい。ほんと心臓に悪いから。 真行寺はまだ静かな寝息を立てている三洲の頬にそっと触れてみた。 自分とは違って、眠りの浅い人なので、いつもならこんなことをすればすぐに目を覚ますはずなのに、今はまったく目覚める気配もない。 やっぱり昨夜の寝不足のせいだろうか。 それとは逆に、いつもならコトが終わったあとには即落ちしてしまう自分が、やけに目が冴えてしまってまったく眠れない。 何しろ三洲の爆弾発言の衝撃がまだ残っているのだ。 (あー、もうこんな時間かー) 安心しきった顔で自分の腕の中にいる三洲の姿を堪能できるのは、非常に非常に嬉しいことなのだが、ここは一人部屋のゼロ番ではない。 いつこの部屋のもう一人の住人である葉山託生が戻ってきてもおかしくはない。 (うー、悔しいなぁ、アラタさんが階段長なら良かったのに) そうしたら誰にも邪魔されずに一緒にいられるのに。もう少しだけこうしていたいという欲望をぎゅうぎゅうと押し込めて、真行寺は三洲の肩をそっと揺らした。 「アラタさん・・アラタさん・・・」 「ん・・・」 「そろそろ起きないとまずいっすよ」 「・・・・」 ゆるゆると瞼が開き、三洲がぼんやりとした表情で真行寺を見る。 「ああ・・・寝てたのか・・」 「もうぐっすりと。アラタさん、疲れてるんじゃないっすか?」 「疲れてるよ。お前が遠慮容赦なく好き勝手してくれたからな」 三洲がさらりと前髪をかきあげ、意味深に真行寺を見る。 「えっ!えーっと、ごめん、アラタさん、俺、乱暴だった?どこか痛くなっちゃった?」 一気にうろたえる真行寺に、三洲がくすくすと笑いを漏らす。 「冗談だよ。お前が好き勝手するのはいつものことだろう?」 「・・・・」 すんません、とうな垂れる真行寺に三洲がまた笑う。 そのまま身体を起こして、ベッドの足元に押しやられていたシャツに手を伸ばす。 見慣れているはずの仕草がやけに色っぽく見えて、真行寺は思わず三洲のことを背中から抱きしめた。 「・・・暑っ苦しい」 「アラタさん、俺、ほんとにアラタさんの恋人になれたんですよね」 何だかまだ信じられなくて、真行寺はおそるおそる聞いてみる。 だって、今まであれだけ好きじゃないと言われ続けていたのだから、心配にもなろうというものだ。 三洲はふんと鼻を鳴らすと、真行寺の腕をぺちんと叩いた。 「いてっ」 「恋人だっていうなら、少しは大人になってくれ」 「む、いつまでも子供扱いされるンすね、俺」 「実際子供だからな。ほら、どけよ。お前、劇の練習は?」 「今日は休みっすよ。また明日から最後の追い込みなんですけどねー」 あーあ、と真行寺がばふんとベッドに倒れこむ。 あれやこれやと、今回の文化祭は面倒が多くて大変なのである。 もちろんだからと言って、途中で放り出すつもりもないし、真行寺は真行寺なりに与えられた役目を果たすつもりである。 何しろ三洲から劇に出ろと言われたのだ。 三洲の顔を潰すようなことは絶対にできない。 「アラタさん、稽古はいいですから、本番はちゃんと見にきてくださいね」 「忙しいから約束はできないな」 「えー、今回なかなかすごい演出っすよ。絶世の美少女みたいなかぐや姫がいたら、もう絶対にナンバー1だと思うんですけどねー。まぁそんなの高林先輩くらいしかいないんでしょうけど。結局、今回は最後までかぐや姫はなしで行くみたいだし・・・」 「・・・」 黙り込む三洲が一瞬表情を曇らせたことに、真行寺は気づかなかった。 「とにかくあとちょっとだし、俺、頑張りますから・・・アラタさん?」 「いや・・・」 三洲は小さく笑うと、くしゃりと真行寺の髪を撫でた。 「頑張れ」 それは本当に心からの応援のように聞こえて、真行寺は泣きたくなるほどに嬉しくなった。 誰よりもこの人の言葉が自分のパワーになるのだと、改めて思う。 「・・・あの、アラタさん」 「何だ?」 「ちょっとだけ、その応援、形にしてもらえると嬉しいなー、とか、ダメっすか?」 「・・・そういうところが子供だって言うんだ」 言いながらも、三洲は真行寺の顎先に指をかけると、微かに触れるだけのキスをした。 夕食時の食堂は、いつもよりちょっとずれた時間にも関わらず混んでいた。 真行寺は定食の乗ったトレイを持って、空いた席をきょろきょろと探した。 「真行寺」 呼ばれて顔を向けると、そこには一つ上の先輩である野沢が片手を上げていた。 めずらしい人に呼ばれたなぁと思ったが、けれど、そのとなりに同じ剣道部の駒澤の姿があったことで納得した。 野沢と駒澤は恋人同士で、真行寺と駒澤はかなり親しい友人だ。 「お疲れさまっす。」 真行寺が席につくと、野沢の隣に知らない顔があった。 真行寺を見ると、ぺこりと頭を下げる。つられて頭を下げ、誰だっけ?と少しばかり考えを巡らせる。 すると野沢が地学部の一年生だと紹介してくれた。 さすが階段長。顔が広いなぁ・・って、野沢さんの階って一年生いないはずだけどなーと少しばかり不思議に思ったが、それよりも空腹が勝ってしまい、ぱんと手を合わせると本日の夕食を食べ始めた。 「真行寺のファンなんだよ、彼」 いきなりの野沢の言葉に、思わず口にしたものを吹きそうになる。 「え、ええ?何っすか、それ?」 野沢の暴露にうろたえたのは真行寺だけではないようで、一年生も困ったように顔を赤くしている。 「真行寺が頑張ってる姿に感動したんだって」 「はぁ・・・」 ファンだと言われてもどう反応していいものやら困ってしまう。 頑張ってるっていうのは劇の練習とか、そういうことだろうか? けど頑張ってるのは自分だけではなく、劇に関わっている全員に言えることだと真行寺は思っている。 それでもまぁ、ファンというのが応援してくれているという意味であれば、素直に嬉しいとは思う。 それが見知らぬ後輩からであっても。 恥ずかしさからか俯いたままの一年生は小柄で、男相手に使う言葉ではないとは思うが、可愛い感じのする子だった。 まさかその彼が、文化祭当日、隠し玉としてかぐや姫になろうとは、このときの真行寺にはまったく考えつかないことだったのだけれど。 真行寺のファンだという一年生は、初めて言葉を交わす憧れの先輩相手に最初は戸惑いながらも、けれど、気安い雰囲気で先輩風を吹かしたりしない真行寺に、次第に安心したように話を始めた。 「真行寺先輩、去年も劇に出演されたんですよね?」 「え、あーまぁなー、別に出たくて出たわけじゃないんだけどな」 「王子様役、すっごくかっこよかったって聞きました」 「いやいやいや、俺なんておまけみたいなもんだから!去年の主役は間違いなく高林先輩だし!」 高林泉の絶世の美少女ぶりは、後世に語り継がれる祠堂のレジェンドとなったのだ。 三洲のことを一番綺麗だと思っている真行寺でさえ、間近で見る高林の眩いばかりの美しさには舌を巻いたのだ。これで男子高校生だなんて詐欺だよなーと。 しかしまぁ、真行寺にとっては三洲の方がその何倍も綺麗に見えるのだが。 「先輩、あの・・・」 「うん?」 少しばかり言いにくそうに一年生が口ごもる。 「どした?」 「あの・・剣道部・・・辞めたりしないですよね」 「・・・・」 真行寺はきょとんと一年を見返した。そして隣に座る駒澤を見る。駒澤は何も言ってないから、というように肩をすくめた。 今回、真行寺が文化部の劇に出ることになり、剣道部の先輩たちからは風当たりが強くて、それだけでもダメージが大きかったのに、その上運動部の劇にも出ろなんて無茶を言われたのだ。 いつもなら適当に笑ってかわすことができるのに、あまりにも理不尽な命令に少しばかり反抗的な態度を見せてしまった。 それが原因で退部だ、なんて騒ぎになっている。 もちろん面と向かって正式に要請されたわけではないし、要請されたところで辞めるつもりもない。 縦社会の運動部では先輩の言うことは絶対だけれど、今回ばかりは真行寺は折れるつもりはなかったし、かといって、今のままでは解決の糸口も見えず、正直なところ、少しばかり参っているのも事実だった。 それにしても、それをどうしてこの一年生が知っているのだろうか? 首を傾げる真行寺に、野沢がそれはさ、と続ける。 「何しろ祠堂の噂はマッハ3の早さで駆け巡るからね。みんな心配してるんだよ。特に文化部の連中は、真行寺が自分たちの劇に出たせいで、窮地に追い込まれたんじゃないかって、ね」 野沢の言葉に真行寺はとんでもない、と手を振る。 「文化部の先輩たちのせいじゃないっすから。いや、ほんとに」 「だけど、困ってるだろ?」 「あー。でもまぁ何とかなります。俺、剣道部辞めるつもりはないですし、それに・・・」 それに、もし劇に出たことが発端で剣道部を辞めさせられたなんてことになれば、劇に出るようにといった三洲が絶対に責任を感じるだろう。 口に出しては言わないだろうが、三洲はきっと自分のことを責めるに違いない。 そんなことには絶対したくない。自分のせいで三洲に迷惑をかけるのだけは避けたいのだ。 「大丈夫っす。野沢さんも心配してくれたんですよね、ありがとうございます」 「いや、俺も真行寺なら大丈夫だろうって思ってるけど、駒澤が心配してたから」 「ちょっと、野沢さんっ」 駒澤が慌てる。 強面で、一見無愛想で近寄りがたい雰囲気の駒澤は、けれど誰よりも細やかな神経をしていて、さりげない周囲への気配りが絶妙だったりする。真行寺も何度もそんな駒澤の優しさに助けられている。 恐らく、今回の一連の騒ぎについても、駒澤は心配してくれているのだろう。 きっと野沢にも相談したに違いない。 「ありがとな、駒澤」 「いや、何もできなくてすまん」 大きな身体を小さくする駒澤に、真行寺は笑った。 誰にも迷惑をかけるわけにはいかないのだ。何があっても、ちゃんと自分で解決しなくてはならない。 「ありがとな」 心配してくれた一年生にも礼を言う。 とんでもないです、と真っ赤になって手を振る一年に、真行寺はちょっと暖かい気持ちになる。 誰かが自分のことを心配して応援してくれていると思うと、少しばかり強くなれる気がする。 よし、と自らに気合を入れる。 絶対に弱音なんて吐かないで頑張ろうと、真行寺は心に決めた。 三洲がカウンターで夕食を受け取り、席を探そうとぐるりと食堂を見渡した時、窓際の席に座る真行寺の姿が自然と目に入った。 野沢と駒澤、そしてもう一人。 (内緒だけどね、隠し玉) 野沢がそう言っていた地学部の一年生が楽しそうに真行寺に話しかけている。 (真行寺のために頑張るそうだよ) なるほど。 野沢はこういう団結力はいいよね、と単純に感動していたけれど、どうやらあの一年生が頑張ると言ったのは真行寺のことが好きだから、なのだろう。 彼が真行寺に心酔していることは分かりやすいほどよく分かる。 それを知ってか知らないでか(いやたぶんまったく気づいていないのだろう)真行寺は一年生が一生懸命話しかけてくるのに笑顔で答えている。 誰に対しても、真行寺はいつも笑顔で応えることくらい知っている。そこに特別な感情などないのだ。 けれど、自分に対して特別な感情を寄せている相手に、そんな無防備な笑顔を見せたら、誤解されても文句は言えまい。 もちろん、真行寺が誰かの想いに応えるなんてありはしないだろう。 それは別に自信過剰とかそういうことではなく、単なる事実として三洲は知っているのだ。 真行寺が好きなのは自分だけだと。 それなのに、誰かが真行寺に特別な想いを抱いているという事実が、三洲の胸を苦しくさせる。 「三洲くん?どうかした?」 同室の葉山託生が、立ち尽くす三洲に声をかける。 「いや、何でもないよ。・・・あそこにするか」 促して座ったのは、真行寺たちが見えない席。離れているから声も聞こえない。 託生は三洲の向かい側に座り、いただきますと手を合わせた。 「三洲くんは、文化祭当日は、ちょっとくらいは時間は取れそうなの?」 「何だい、またおせっかい?」 「え、そうじゃなくて・・・だって三洲くん、去年も忙しくてあんまり文化祭の出し物とか見れなかったみたいだから」 託生の言葉に、三洲はなるほど、と笑う。どうも託生が自分に意見をするときは、真行寺絡みが多いのでつい身構えてしまう癖がついてしまっているようだ。 そうではなくて、託生は純粋に、普通の生徒と同じように文化祭を楽しむ暇のない三洲のことを心配してくれたのだろう。 「そうだな、確かにゆっくりは見れなかったかな。だけど、そういう葉山だって、去年は実行委員だったから劇とか見れなかったんじゃないのか?」 「うーん、休憩時間があったから、意外と見ることができたよ。今年は何の役もしてないし、けっこう時間がありそうだから、もうちょっとゆっくり見れるかなぁって話してるんだけど・・」 「崎と?」 「え、いや、えっと・・・うん・・・まぁ・・・」 少しばかり声が小さくなる託生に、三洲はくすりと笑う。 「崎のヤツ、最近じゃすっかり方向転換だよな。葉山と2人で一緒にいるところを見られても、案外平気みたいだし」 「平気じゃないかもしれないけど・・・」 平気ではないけれど、それよりも葉山と過ごせる時間を優先しようとしているのか。 ヤツも腹をくくったというところなのだろうか。 「あのさ、また怒られるかもしれないんだけど、やっぱり本番だけでも文化部の劇、覗いてあげてよ。真行寺くん、すごく頑張ってるし」 託生がおそるおそるという感じで三洲を見る。 「・・・もう見たよ」 「え?」 「通し稽古。別にそれを見るのが目的だったわけじゃないけど、結果として見ることになった。本番はやっぱり難しいかもしれないけど、ほとんど本番さながらの稽古だったから」 「そうなんだ。良かった」 心底ほっとしたように、託生が笑う。 まったく、他人事だというのに、まるで自分のことのように心配するなんて。どこまでもお人好しだなと三洲は苦笑する。けれど、そういうところが託生のいいところで、そして自分も気に入っているところなのだ。 「文化祭が終わったら、三洲くんの仕事も一段落だね」 「そうだな」 「お疲れ様会やろうよ」 「え?」 「三洲くんの生徒会長終了のお疲れさま会」 「いいよ、そんなの」 「別に大々的にするわけじゃなくて・・・270号室で、ぼくと2人で、えーっと、ちょっとした宴会みたいなのをするっていうのは?」 珍しく託生が食い下がる。 考えてみれば、託生とそんな風に飲んだことなど一度もない。 「・・・そうだな、たまにはいいかもな」 「うん。準備は任せて。って言っても、そんなたいしたものは用意できないんだけど」 「いいよ。気持ちだけありがたく受け取っておくから」 その時、食べ終わったトレイを下げようとしている真行寺と例の一年生が並んで歩いているのが視界の端に映った。 一年生は初めて親しく話せた憧れの先輩と一緒にいられるのが嬉しくて仕方ないという顔をしている。 真行寺も一応先輩の顔をしてにこやかに相手をしている。 (あいつ、案外と後輩から人気あったんだな・・・) 今まで考えたこともなかった。 何しろ三洲に対してはどこまでもヘタレで、子供で、かっこいいなんて思ったことなどなかったのだ。 (何だか面白くないな) あの真行寺が誰かから想いを寄せられているという事実に思いの他動揺していた。 それ以上に、自分がそんなに動揺しているということの方が、認めたくないことで・・・・ 「めずらしいね、真行寺くんが一年生と一緒だなんて」 三洲の視線に気づいた託生が、その視線の先にいる真行寺と一年生を見て不思議そうな顔をする。 「かぐや姫らしいよ」 「え?」 託生がきょとんと三洲を見返す。 「野沢からのリーク。内緒だけどな。あの一年生が劇でかぐや姫をやるらしい」 「え、そうなんだ。へぇ・・・え、でもそんなこと聞いちゃって良かったのかな・・。」 「だから、内緒。誰にも言うなよ」 「うん、分かった。そっか、あの子が真行寺くんの相手役なんだ」 託生がそれとなく食堂を出て行く二人の後ろ姿を見つめた。 その視線につられて、三洲もまた真行寺へと視線を向ける。 『たとえ遠く月の世界へ戻られようとも、私のこの愛に変わりはない』 凛とした声で愛の言葉を語った真行寺。その声がまだ耳に残っている。 上背があって姿勢がいいから、舞台映えするのだろう。 いろいろときついことはあるだろうに、淡々とやるべきことをやっている姿に、きっと誰もが魅了されるのだ。 『永遠の命など、あなたのいない世界で如何ほどの価値があろうか』 あの台詞を、一年の彼に向かって言うのか。 ただの劇の台詞だというのに、けれど演技であっても、相手の目を見つめ、真行寺は愛の言葉を語るのだ。 自分以外の誰かに。 「やっぱり面白くないな」 思わず口をついて出た言葉に、託生が振り返る。 「三洲くん?」 「何でもない」 ごちそうさま、と言って、三洲は先に戻るよと席を立った。 文化祭が近づいてくると、最後の追い込みとばかりに劇の練習はほぼ毎日遅くまで行われ、部活へ顔を出す時間さえ取れなくなってきた。 身体を動かせないというのは真行寺にとってはある種の拷問のようで、かといって劇の練習がおわってからではろくに剣道の稽古をすることもできない。 「はー、ほんと早く文化祭終わってくんないかなー」 談話室のテーブルに突っ伏す真行寺を見て、駒澤がそうだなと小さく答える。 「誰か俺のことを癒してくんないかなー」 「・・・三洲さんは?」 ぼそりと言う駒澤に、真行寺はがばっと顔を上げた。 「そう!それなんだけどさ、何かアラタさんここのところずっと不機嫌でさー。俺、ぜんぜん相手にされないんだよ」 今までと何も変わっちゃいないといえばそうなのだが、けれど真行寺にしてみれば、恋人に昇格したのだから、もっとこういちゃいちゃできるのかと淡い期待を抱いていたのだ。 (まぁあのアラタさんがそんなことしてくれるとは思えないんだけど) だいたいいちゃいちゃしてくるアラタさんなんて想像できない。 「生徒会、忙しいからじゃないのか?」 「んー、まぁそうなんだけどさ。でもそうじゃないっていうか・・・何ていうか、俺に対してご不満みたいでさ」 「お前、何かやったんじゃないか?」 駒澤がシビアに指摘する。 「うう、何かやったかなー」 真行寺が腕を組んで考え込む。最後にまともに話をしたのは、恋人に昇格したと知らされたあの日だ。 別にこれといって粗相をした覚えは無い。 むしろ劇の応援といってキスまでしてくれた。 特に怒らせるようなことはしてないと思うんだけどなぁ。 「とりあえず謝るか?」 駒澤がてっとり早い解決案を示してくれるが、理由も分からないのに謝ったりしたら、また機嫌が悪くなるのは目に見えている。 真行寺の恋人はなかなかに複雑なのである。 「何とか時間作って、話してみるわ。聞いてくれてありがとな、駒澤」 「いや」 そろそろ部屋に戻るかと思い腰を浮かしたとき、談話室に剣道部の先輩たちが入ってきた。 2人はそろって立ち上がり、ぺこりと礼をする。 「お、ミカド、どうだ、劇の方は順調か?」 声をかけてきたのは剣道部部長の三年生だ。日ごろから何かと真行寺には目をかけてくれていて、今回文化部の劇に出ることになったことも、ある程度理解をしてくれている。 「あ、はい、まぁ何とか」 「終わったら、今までサボってる分、みっちり稽古しろよ」 「先輩、俺、サボってるわけじゃないんですけど!」 「はは、分かってる分かってる」 笑いながらぽんぽんと真行寺の肩を叩く。その後ろにいたのは、先日、真行寺に運動部の劇にも出ろと無茶を言い、挙句の果てに退部だと息巻いている三年生だった。 真行寺を見ると、むっとした表情を隠しもせず、無言のまま横を通り過ぎる。それでも真行寺はぺこりと頭を下げた。 あんなことがあっても真行寺は何事もなかったように部活に顔を出している。 もちろん三年生との間に会話はなく、他の部員たちはどうしたらいいか分からずに遠巻きに静観しているといったところだった。 真行寺に味方すれば先輩たちに楯突くことになるし、かといって無茶を言う三年側につく気もない。 それはもう気まずいの極致で、真行寺としてもこれではまずいと思うものの、かといって打つ手もない。 自分のことだけならば我慢もするが、部活の雰囲気が悪くなるのは耐えられなかった。 「こっちもとりあえず謝るか?」 駒澤がにこりともせずに言う。 「冗談言うならもうちょっとそれらしい顔で言ってくれよ」 「すまん」 あの先輩の態度には駒澤も静かに怒りを見せていたので、謝るなんて本心ではないのはよく分かっていた。 けれど、手っ取り早く今の事態を解決するには、不本意ではあるけれど、後輩である真行寺が頭を下げる ことが一番だ。 しかし、である。 それが丸くおさまる方法だとは分かっていても、何となくそれは違うんじゃないかと思っている自分がいる。 自分さえほんのちょっと我慢すれば済むことだ。 体育会系の中でずっと今まで揉まれてきたので、そんなことはよくあることだから、慣れているはずなのに。 気分的なものかもしれないけれど、何となくきっかけが掴めずもんもんとしている。 さっさと謝って解決しちまった方がいいのかなぁ。 ひっそりとため息をついた真行寺は、駒澤と連れ立って談話室をあとにした。 自室へ戻る途中で、三洲の姿を見つけて立ち止まる。 真行寺には気づかない三洲に、きりきりと胸が痛む。 「駒澤、俺、ここで!おやすみっ!」 言い捨てて、そのままばたばたと三洲の元へと走り出した。 まだ制服のままの三洲。今まで生徒会の仕事をしていたのだろうか。 「アラタさんっ!」 大声で呼ぶと三洲が振り返った。真行寺を見てもさして驚きもしない。 「こ、こんばんわ。アラタさん」 「ああ、こんばんわ」 そっけなく挨拶をして、三洲はそのまま歩き出す。 真行寺は慌てて三洲と肩を並べる。 「あの、アラタさん、ちょっとだけ時間ありますか?」 「悪いな、このあとまだ予定があるんだ」 「え、でももうこんな時間ですよ」 夕食も終わり、みんな自室か談話室でくつろいでいる時間だ。もう1時間もすれば消灯を迎える。 「あの・・アラタさん」 「何だ?」 「俺、また何かやっちゃいましたか?」 ふと三洲の足が止まる。じっと見つめ・・いや睨まれて、真行寺は内心びくびくしていたが、ここで挫けるわけにはいかない。 「アラタさん、怒って・・・ます?」 「どうして?」 「え、だって・・・」 どうして、と言われると困ってしまう。 別にこれといって喧嘩をしたわけでもなく、失言をした覚えもなく、けれどいくら鈍感な真行寺でも三洲が静かに不機嫌なことくらい分かるのだ。 いや、真行寺だからこそ分かる。他の誰に対しても、三洲は完璧な笑みを浮かべることができる。 けれど、真行寺に対しては、平気で不機嫌な顔を見せ、情け容赦ない言葉をぶつけてくるのだ。 今ではそれが、自分だけに許された特権なのだと分かっている。 それでもやっぱり気になってしまう。いったい何が原因で三洲を不機嫌にしてしまったのか。 黙り込む真行寺に、三洲は細く息を吐いた。 「別に、怒ってなんかいないよ」 「そう、ですか?」 「何だ、そんな風に思うっていうのは、何かやましいことでもあるからじゃないのか?」 三洲は意地の悪い笑みを浮かべて、とん、と真行寺の胸を叩く。 「え、ええ!?そんなやましいことなんて何もないっすよ。っていうか、アラタさん、ちょっと待ってくださいってば」 すたすたと歩き始めた三洲を追いかける。 人気の無い玄関ホールで、ようやく三洲は立ち止まると、追いかけてきた真行寺を振り返った。 「・・・予定があるって言っただろ。お前と遊んでる暇はないんだ」 「分かってます。でもこれだけ」 「何だ」 真行寺はおずおずと三洲の手を取ると、きゅっと握り締めた。 「アラタさん、何か思ってることあるなら、ちゃんと言ってくださいね。俺、馬鹿だからちゃんと言ってくれないと分からないんで。もし俺がアラタさんのこと怒らせるようなことしたんなら謝りますから、だから、えっと・・・」 「・・・・」 「恋人・・・だったら、隠し事しないでくださいね・・・」 一瞬、三洲の瞳が揺れたような気がした。 今まで一方的に真行寺が三洲のことを追いかけていると思っていた。お前とはカラダだけの付き合いだと言われ続け、それでもずっとずっと恋してきた。 けれど、三洲も自分のことを少しでも好きだと思ってくれているのだとしたら・・・恋人に昇格したのなら、年下だろうと何だろうと関係ない。 大切な人には笑っていて欲しいのだ。そのために自分ができることなら何でもしよう。 そんな風に決心して言ったというのに、 「・・・生意気な」 三洲は空いた片手でぺちんと真行寺の頬を叩いた。 「いてっ」 「そういう台詞を口にするのは10年早いんだよ」 「えーひどいっすよ、今、ばっちり決めたと思ったのに!」 「真行寺のくせに生意気だ」 「ちょっ、それってのび太のくせにってヤツと一緒じゃないですか!」 そこでようやく三洲が笑みを見せた。 「分かった分かった。俺のことはいいから」 「だって・・・」 「俺のことより、お前には今、やらないといけないことがあるだろう?」 「・・・」 言われて、真行寺は言葉に詰まる。 目の前に迫った文化祭。そして行き詰っている先輩たちとの関係。 「とにかく、文化祭が終わるまで、お前、俺に話しかけるな」 「はぁ??何なんっすかそれ?」 それでなくてもいろいろきついことが多いというのに。その上、わけの分からない我慢をさせられるのか? 恋人だって言ったのに。 それなのに、話しかけるなっていったいどういうことだ? 「俺も文化祭が終わるまでは忙しいからな」 「だけど・・」 言いかけた真行寺に軽くて手を上げて、三洲は足早にその場を去った。 その後姿に、真行寺はがっくりと肩を落とした。 文化祭が近いおかげで、というべきか、もともと人が訪れることの少ない温室は普段に増してひっそりとしている。 何しろいつもやってくる真行寺は劇の練習が佳境に入っていて、のんびりと温室に遊びにくるような暇はないのだ。 託生はケースからバイオリンを取り出すと、んーと少し考えながら音を合わせた。 (今日は何を弾こうかな・・・。やっぱり受験勉強らしいこと、しておいた方がいいんだろうけど・・) 音大へ進むと決めた以上、やはりできるだけのことはやっておきたい。 けれど、まずは今一番お気に入りの曲を弾いてみることにする。 大好きな井上佐智の新しいアルバムに入っていた曲。 綺麗な旋律。けれどどこか切なくなるようなそんな曲。 彼のように弾くことはできないけれど・・・そんなこと一生かかっても無理だと思うけれど、だけど少しでも近づけないかと願ってしまう。 しばらく何も考えずにひたすら心地よい音楽に身を任せ、最後の音を弾き切ったとき、 「葉山さんっ!!!すっげー、俺、感動しましたっ!!」 「し、真行寺くんっ!?え、いつから・・いた・・の・・?」 いきなり飛び出してきた真行寺に、託生が思わずバイオリンを抱きしめて後ずさる。 「今の曲、初めて聞きましたけど!何かもうすっげー良かったっす。感動ですよっ!!」 「あ、ありがと・・・」 すごい勢いで感想を述べる真行寺に、託生は恐縮して声が小さくなる。 託生のバイオリンのファン第一号だと豪語する真行寺は、いつも手放しで託生のバイオリンを褒めるのだが、今日のテンションはすごすぎる。 「真行寺くん、今日は劇の練習は?」 ケースにバイオリンを置いて、託生はベンチに腰掛けた。 「ありますよー。その前にちょっとだけ息抜きです」 「そうなんだ。文化祭まであとちょっとだし、最後の追い込みだね」 「そうなんですよねぇ、あーあ、早く終わってくれないかなぁ」 真行寺も託生の隣に座り、大きくため息をつく。 「葉山さーん、俺、ほんとまいってるんですよ」 「やっぱり劇の練習大変なんだ。今年もずいぶんと力入ってるみたいだもんね」 「まぁそうですねぇ、それはいいんですけど・・・」 どこか疲れた様子を見せる真行寺に、託生は首を傾げる。 「真行寺くん、いつもに増して元気そうに見えたんだけど、何かあったの?」 「・・・葉山さん、何気にひどいっす」 「え。あ、ごめんね。ほんと、どうしたの?何かあった?」 慌てて託生が真行寺の顔を覗きこむ。そういえば、いつもより元気がないかなぁ、と思えなくもない。 深々とため息をつく真行寺だが、かといって話し出す気配もない。 託生はそんな真行寺を特に急かすでもなく、少し離れた場所からこちらを見ている温室の主である黒猫のリンリンを眺めていた。 (言いたいけれど言えないこともあるもんな) 無理やり聞き出すなんてこと、するつもりもない。 しばらく2人してぼんやりとしていたが、やがて真行寺が口を開いた。 「葉山さん、相変わらずアラタさんが不機嫌なんですよねぇ」 「ふうん」 やっぱり三洲がらみなのか、と託生は小さく笑う。いつも元気いっぱいの真行寺が悩むことといえば、唯一三洲のことくらいだ。何しろ真行寺は一途に三洲のことだけを想い続けているのだから。 「去年の文化祭のときもそうだったんですけど、なーんか、うっすらと怒りのベールを身に纏ってるっていうか・・・」 「前にもそんなこと言ってたよね」 「そうでしたっけ。はは、俺ぜんぜん成長してないっすねー」 「そんなことないと思うけど」 「何なんっすかねー。俺、何もしてないと思うんだけど」 真行寺ははーっと肩を落とす。 「真行寺くん、三洲くんのこと・・好きでいるのやめたりしないよね?」 「え、もちろんですよ」 うっかりそんなことを言ってしまったこともあるが、もちろんそんなつもりはまったくない真行寺である。 何しろ恋人だと言って貰えたのだ。 といっても、別に何が変わったわけでもないのだけれど。 「あの・・・葉山さん」 「うん?」 真行寺はあーとか、うーとか、さんざん口ごもっていたが、やがて意を決したようにぴんと背筋を伸ばして託生へと向き直った。 「葉山さんっ!」 「え、な、なに?」 「あの、絶対にアラタさんには内緒にしておいてくれます?」 「え・・・えっと、秘密なことなら、あんまり聞きたくない・・かも・・・」 他人の秘密なんて聞いてもいいことなんて何もない。 そういうものは誰が相手であってもスルーしたいのだ。 逃げ腰になる託生に、真行寺はずいっと身を寄せる。 「ほかの誰にも内緒なんですけど」 「いや、真行寺くん、できれば聞きたくないんだけど!!」 「俺、俺・・・アラタさんの恋人になれちゃった・・みたいなんです・・・」 「・・・・・」 「・・・・・」 「・・・え?」 託生はきょとんと首を傾げる。 「それなのに、どうして俺、こんなに邪険にされるんでしょうか???」 「え、え、ちょっと待って。真行寺くん、今何て言った?」 「ですから、俺、アラタさんの恋人に昇格したみたいなんっすよね・・・」 でもアラタさんには俺が葉山さんにバラしたことは絶対に内緒ですからね、と真行寺が託生の手を握り締める。 もしバラしたことが知られたら、それこそ不機嫌MAXで何をされるか分からない。 託生はしばらく呆然と真行寺を見つめ、やがてぱっと顔を輝かせた。 「三洲くん、とうとう恋人だって認めたんだ?」 「はい、何かよく分からないんですけど、そうみたいっす・・」 「良かったね、真行寺くん」 託生は心からのおめでとうを真行寺に言った。 カラダだけの関係だといい続けて、そのくせ真行寺は自分の所有物だとはっきりと断言する屈折率の高い三洲が、本当は真行寺のことを好きなのだろうということは、託生にだって分かっていた。 けれど簡単にそれを認めたりはしないんだろうなぁ、とギイとも話をしていたのだ。 その三洲が真行寺のことを恋人だと認めたなんて!! 何だかまだ信じられないことではあるが、だけど・・ 「それなのに、三洲くん不機嫌なんだ・・・」 「はい。あー、まぁいつも通りといえばそうかもしれないんですけど、俺としてはですね、もうちょっとこう、恋人らしくいちゃいちゃしたいっていうか・・・」 「いちゃいちゃ?」 あの三洲がそんなことをするだろうか、と託生は低く唸る。 まぁそれはないとして、いったい何が不機嫌の原因だろうか、と考えた託生は、ふと先日の食堂での光景を思い出した。 かぐや姫をやると言っていた一年生と真行寺のツーショット。 その2人を見ていた三洲の何とも言えない表情を思い出して、託生は、ああ、と納得した。 「葉山さん、俺どうしたらいいんっすかねぇ」 情けない声で真行寺がうなだれる。 「どうしてかなぁ」 「ですよねぇ、どうしてなんすかねぇ」 「違うよ、真行寺くん。どうして分からないのかなぁってことだよ」 へ?と真行寺が目を丸くする。 託生はそんな真行寺にやれやれと肩を落とす。 三洲はきっとヤキモチを焼いているのだ。 真行寺のことを恋人だなんて認めていなかった頃であれば、そんなことはなかったかもしれないけれど、いや本当は密かにヤキモチを焼いていたこともあったかもしれないけれど、真行寺のことを恋人だと認めたのであれば話は別だ。 自分の恋人が劇の中だけとは言え、自分ではない誰かに愛の言葉を語るのだ。 気持ちがざわめくのも当然ではないだろうか。 もしギイが、劇の中のこととはいえ誰かに愛の言葉を語るとしたら、やっぱりちょっと心中複雑だ。 あの三洲のことだから、そんなことは絶対に認めないだろうし、もしかしたら自分自身でも気づいてないかもしれないけれど、きっとあの一年生にヤキモチを焼いているのだ。 そういえば去年の文化祭の時だって、同じように不機嫌だったと言っていなかっただろうか。 それもきっとそうなのだ。 (何だ、真行寺くん、ちゃんと愛されてるんだなぁ) 託生は何だか自分のことのように嬉しくなった。 「あの、葉山さん、アラタさんが不機嫌な理由、分かったんすか?」 「たぶんね」 「えええっ!!ちょっと、教えてくださいよっ!オレ、もうこれ以上アラタさんに嫌われたくないんっすよ」 「気持ちは分かるけど・・・でもそれって真行寺くんが自分で気づかないと意味ないような気がするよ」 託生は優しく笑って真行寺を諭す。 「真行寺くんは今までずっと三洲くんのこと追いかけてて、だけど、三洲くんが自分のことを好きかどうか自信なかったんだよね?」 「そりゃ、あれだけ足蹴にされてたら、微妙っすよね」 嫌われているとは思ってはいなかった。 けれど、三洲が自分のことをどう思ってくれているのかもよく分からなかった、というのが正直な気持ちなのだ。 「うん・・・だけど、三洲くん認めたんだろ?」 「はい」 「じゃあさ、立場を逆にして考えてみたらすぐに答えは出ると思うんだけどな」 「逆・・・っすか?」 真行寺はうーんと首をひねる。 託生がいったい何を言いたいのか、まったく分からない。真剣に悩む真行寺の姿に、託生がくすっと笑う。 「真行寺くん、もっと自信持っていいと思うよ?それに、三洲くんの不機嫌はきっと文化祭が終わればなくなると思うし」 「ええ、そ、そうなんですか?それは一体何故でしょうか・・・?」 「だから、それは真行寺くんが自分で考えないとだめなんだって」 はぁ、と力なくうなだれる様子は、飼い主に怒られたわんこのようで、託生はますます笑いが込み上げる。 「そろそろ劇の練習、行かなくていいのかい?」 「はっ!そうでした!!!葉山さん、バイオリンの練習、頑張ってくださいね!」 「真行寺くんも、劇の練習がんばってね」 ありがとうございます、と深々と頭を下げて、真行寺はダッシュで温室を出て行った。 「そっか、認めたんだ、三洲くん」 いったいどういう心境の変化があったのだろうか。 いつも見ていて気の毒なくらいに真行寺は足蹴にされていて、それでも変わらず三洲のことが大好きで。 でも三洲は、真行寺なんて別に好きじゃない、なんて言っていたのに。 それがここへ来ていきなりの宗旨替えとは。 おまけにヤキモチを焼くなんて! 去年の文化祭で王子様役を演じた真行寺は、麓の女子高生たちから山ほどラブレターをもらったという噂を聞いたことがある。もちろん三洲はそれを知っているだろうけれど、それでも別に知らんふりしていた。 今年も帝を演じる真行寺は、託生の目からしても相当かっこいいから、きっとまた麓の女の子たちからの人気も上がるのだろう。 となると、かぐや姫へのヤキモチはなくなっても、また違うヤキモチが生まれるのではないだろうか? 「うわぁ、真行寺くん、やっぱりまた大変かも」 いったい三洲に何があったのだろうか。いやいや、詮索なんて自分の趣味ではないし、得意なことでもない、と託生は首を振る。 だけど気になる。 ああ、けれど誰にも内緒だなんて言われては、ギイに相談することもできない。 「やっぱり聞かなきゃ良かったよ・・・」 はーっとため息をついて、託生は再びバイオリンへと手を伸ばした。 明日が文化祭本番ということもあり、劇の練習は思っていたよりも短時間で終わった。 真行寺は今日はもう無理かと思っていた部活へとダッシュで向かう。ここのところ、ろくに稽古できていなかったので、今日は思う存分身体を動かすぞーと心に決める。 道場に駆け込むと、当然のことながらすでに稽古は始まっていて、真行寺は一礼してその中に入る。 「何だ、ミカドは今日も休みかと思ったぜ」 周りに聞こえるように言ったのは、真行寺と揉めた例の三年生だった。 「てっきり剣道よりも劇の方が大事なのかと思ってたんだがなぁ」」 と続けられたその言葉に、思わず真行寺が振り返る。 とたんに、その場にいる部員たちの間に一瞬にして緊張が走った。 文化部の劇に出るとなった時点で、軽いイジメも重いイジメもすべて承知の上で引き受けたこととはいえ、ここまで言われる必要があるのか、と口を開きかける。 「真行寺」 言い返そうとした真行寺を遮るようにして、部室へと続く廊下から顔をだした部長がちょっと来いと手招きをした。 一つ深呼吸をして、真行寺はそのまま部室へと向かった。 「失礼します」 「おー、ちょっとそこ座れ」 狭い部室ではあるが、そこそこ片付けられている。男ばかりの部室は気を抜くとすぐに汚くなってしまうものだが、現在の部長は剣道部は整理整頓が必須と断言しているので、皆文句も言わずに日々綺麗に片づけをしている。 真行寺は言われるがまま椅子に座ると、背筋を伸ばして部長を見た。 「やっと解放されるな、ミカドからも」 「え、あぁそうっすね」 「いろいろあって、今は稽古に出るのも辛いんじゃないか?」 「いや、そんなことは・・・」 もしかして剣道部を辞めろと言われてしまうのだろうか、と真行寺は身構える。 もちろんそんなことを決める権利など部長にも、もちろん例の3年生にもありはしないのけれど、そういう理屈は体育会系では通じないのだ。 「なぁ、剣道部、辞めたいって思ったりしてるか?」 「とんでもないっす。俺、誰に何言われても辞めるつもりはないですから!!」 思わず大きな声を出した真行寺に、部長が顔をしかめる。 「分かった分かった。そんなでかい声出すな、お前、身体だけじゃなくて声もでかいな」 「すみません」 「まぁ真行寺が辞めるなんて言うはずはないと思ってたけど、念のためな」 部長は人の悪い笑みを浮かべてうなづく。 「お前がこの前、めずらしく反抗的な態度取ったせいで、部の雰囲気悪くなってるだろ?」 「・・・すみません」 「まぁなぁ、あれはあいつも悪いとは思うけど、別に本気で言ったわけじゃないんだし、いつもみたいに笑って流せばよかったんじゃないのか?」 「・・はい」 「ま、あいつもああ見えて反省はしてるんだぜ?ただここまで来てしまったら引っ込みもつかないだろ?一応先輩としての面子ってのもあるわけだし」 面倒臭いけどな、と部長は肩をすくめる。 部長の言うことはいちいちごもっともで、真行寺はうなだれるしかない。 「どうやって丸くおさめたもんかなぁって思ってたらさ、昨日の夜、1年の連中が俺のとこに来たんだよ」 「え?」 真行寺は顔を上げた。 「もし真行寺がこのまま辞めさせられるようなことがあったら、自分たちも辞めるってな」 「なっ、何なんですか!それはっ!!」 思わず真行寺が立ち上がった。 今年の1年生たちは、中学時代から剣道をしていたという連中が多く、かなりの実力者もいるのでこの先が楽しみだとみんなで言っているのだ。 真行寺のせいで、有力な人材が辞めるなんて、冗談ではない。 「あいつら、何考えてんだっ!」 「落ち着けって」 部長は苦笑しながら、真行寺をたしなめる。 「1年の連中だって、みんな心配してんだよ。まぁそんな簡単に辞めるなんて言うこと自体、どうかとは思うけど、あいつらはあいつらなりに、どうしたらいいかって真剣に考えてたみたいだし」 「でも・・・」 「みんなお前のこと慕ってんだよ。嬉しいことじゃないか、そこまで後輩たちに思われてるなんて」 「う・・・はぁ・・・」 力なく真行寺は再び椅子に座りこむ。 「で、さっきの話に戻るんだがな」 そんな真行寺に苦笑しつつ、部長が続ける。 「1年たちを早く安心させてやりたいってこともあるし、今のままじゃ部の士気も悪くなるばかりだし、だからな、不本意だとは思うけど、今回はお前から頭下げてくれないか」 「・・・・っ」 「もちろん喧嘩両成敗だと思ってるから、あいつにも謝らせる。あいつだってこんな雰囲気のまま引退したいとは思ってないんだ。別に真行寺のことを嫌ってるわけでも何でもなくて、どっちかといえば気に入ってるくらいだしな。だがまぁどっちかが先に頭下げないと始まらないだろ?」 「分かりました」 真行寺は晴れ晴れとした顔で立ち上がった。 別に謝ることが嫌なわけではなかったのだ。 もちろん自分が悪くないと思っているから、本当は謝る必要なんてないのかもしれない。 だけど、どれだけ理不尽なことでも自分が謝らなければどうにもならないだろうなとも、どこかで思っていた。 そのきっかけが自分でどう作ればいいか分からなくなっていた。 そのきっかけを、部長が作ってくれた。 部長命令だったから、と言い訳できる逃げ道まで作ってくれた。 「悪いな、真行寺」 「いえ、ぜんぜん平気っす。むしろすみませんでした。俺のせいで、最後の最後に面倒かけてしまって」 「いや。まぁこういう仕事もあるんだって覚えておけよ、次期部長」 「は?」 「真行寺、お前、次の部長やれ」 「はい????」 いったいいきなり何の話だ、と真行寺は目を丸くする。 文化祭が終われば、ほどなくして3年生たちも部活を引退する。次の部長を決めなくてはいけないのはそうだけれど、だけど何だっていきなり指名されることに?? 「言っただろ?1年の連中、みんなお前に辞めて欲しくないって俺に直訴してくるくらいだし、2年の連中もお前なら文句ないだろうし、3年の連中も真行寺なら大丈夫だって言ってるし」 「いや、でも俺は部長なんて・・・」 「先輩の言うことは絶対だろ」 「ええっ!」 勘弁してくださいよ、といくら泣きついたところで、部長は知らん顔だった。 そのあとすぐに件の3年生も部室に呼ばれ、真行寺は生意気な態度を取ってすみませんでした、と頭を下げた。 それは本当にそう思っていたので、苦痛でも何でもなく。 3年生も少しバツが悪そうにしていたが、すぐに「俺も悪かった」と頭を下げた。 そして 「生意気な態度を取った罰として、次期部長をやるように」 と笑って命令された。 こうなるともう打診ではなく決定事項である。 部長なんてこれっぽっちもなりたいと思っていなかったというのに、あれよあれよという間に決まってしまった。 「何とか丸くおさまってよかったよ、これで三洲にも恨まれずにすむ」 道場へ戻る途中、真行寺少し前を歩いていた部長がやれやれというようにつぶやいた。 真行寺はよもやここで三洲の名前が出てこようとは思っていなかったので、思わず息を呑んだ。 「え?アラタさん・・っすか?」 「三洲からさ、最上級生として見本となるような対応を頼むって言われた連中がいてな・・・」 「え・・・・」 この前会ったとき、三洲はそんなこと一言も言わなかったのに。 真行寺はぎゅっと胸元で拳を握り締めた。 知らないところで、三洲はこうして真行寺のことを助けてくれているのだろうか。 そう思うだけで、じんわりと胸が熱くなる。 「さすが生徒会長だなって思ったけど、そうじゃなくて、相手が真行寺だから、三洲のヤツ、意見したんだろうな」 「ええ、そんなことないっすよ」 もしそうならめちゃくちゃ嬉しいが・・・。 「やっぱりそうだよなぁ」 「えー。いや、そこは否定してくだいよ、部長」 がっくりとうなだれる真行寺に、部長は楽しそうに笑った。 真行寺が三洲に片思いだということは学校中の誰もが知っている。いつもいいように翻弄されて、足蹴にされて、それでもめげずに恋していることも。 みんな、そんな真行寺のことを無謀だとか命知らずだとか言ってからかってはいるが、どうしても誰も気づかないのだろうか、と思う。 もし三洲が本当に真行寺のことを疎ましく思っているなら、まず告白なんてさせやしないだろうし、まとわりつくことすら許さないだろう。 三洲のことを「アラタさん」と下の名前で呼ぶことができるのは、唯一真行寺だけだ。 それが何を意味するのか、どうして周りのみんなは分からないのだろうか。 いや、当の本人すら分かっていないのかもしれないけれど。 「真行寺、三洲が卒業しても追いかけるつもりか?」 「もちろんっすよ。俺、ずっとアラタさんのこと好きですから」 「はー、お前のそのパワーはどっから来るのかねぇ」 苦笑する部長に、真行寺もさぁと首を傾げる。 好きなものは好きなのだ。ただそれだけで、理由なんてない。 (そうだ、アラタさん、まだご機嫌斜めなのかなぁ・・・) 託生にはその理由が分かると言われたが、どう考えても真行寺には何が原因なのか分からない。 こうなったら何が何でも聞き出すべきだろうか、とも思うが、文化祭が終わるまでは話しかけるなと言われているので、下手に顔を出すとまた逆鱗に触れることになるかもしれないし。 剣道部のトラブルは何とか片がついたから、あとは何とか三洲と仲直り(?)をしなくてはならない。 (よし、とりあえず文化祭のあとだ。今は劇に集中しなくちゃな) あれもこれも手を出しても無理なのだ。まずは劇を無事終わらせよう。 それまでに三洲が不機嫌な原因を考えて、文化祭が終わったら、ちゃんと仲直りして、少しは恋人らしいことだってさせてもらおう。 どこまでも前向きな真行寺はそう決めると、よしっと密かに気合を入れた。 そして文化祭当日。 1日目は朝からクラスの出し物でこき使われ、何だかあっという間に終わってしまった。 気がつくと夜で、真行寺は半ば意識朦朧としながらも何とか空腹を満たそうと食堂へ向かった。 学校中がイベントの熱気に包まれていて、みんなテンション高く楽しそうに見える。 真行寺はカレーが乗ったトレイを手に、空いた席に座った。 「真行寺先輩」 顔を上げると、そこには先日野沢に紹介された地学部の一年生が立っていた。 「一緒に食べてもいいですか?」 「おお、いいよ。どうぞ」 「先輩、とうとう明日ですね」 「そうだな〜」 「頑張ってくださいね」 「おう」 もうここまできたら頑張るしかない。 「剣道部の先輩たちとも和解したんですよね?」 「えっ、何でそんなこと知ってるんだ?」 眠気が一気に醒めたような気がして、真行寺はまじまじと目の前の一年生を眺めた。 「だから祠堂の噂はマッハ3だって言ってませんでした?」 くすくすと笑う一年生に、真行寺ははーっとため息をつく。良くも悪くも年中同じ面子で生活をしているのだ。話のネタはどうしても学校内のことが多くなるし、ちょっとした話題でも面白おかしく広がっていく。 「良かったですね、退部ってことにならなくて」 「はは、まぁそれはなかっただろうけどな。でもまぁ、確かに良かったよ。心配してくれてありがとな」 「いえ、そんな・・・」 恐縮する一年生に、真行寺はにっこりと笑った。 「真行寺」 ふいに背後からかかった声に、思わずどきりと顔を向けると、そこにはどこか憮然とした表情の三洲が立っていた。 「アラタさん?」 「真行寺、話があるんだ、少しいいか?」 「え、あ、はい・・」 文化祭が終わるまでは話しかけるなと言っていた三洲がどうして??? おまけにまだ不機嫌ぽい・・・し? 三洲はちらりと一年生へと視線を向けると、いつもの柔和な笑顔を見せた。 「せっかく一緒に食事しているところ、すまないね」 「あ、いえっ」 普段なら絶対に話すことなどできない麗しの生徒会長に声をかけられ、一年生が顔を赤くする。 真行寺に見せる表情とは180度違う笑顔。 静か〜に不機嫌なくせに俺以外にはそういうとこ見せないんだよなー、と真行寺は、三洲の外面の良さに肩を落とす。 「悪いけど、ちょっと借りていくよ」 と言って、真行寺の肩を叩く。 (借りるって、俺は猫の子じゃないんっすけど・・・) と思ったが口にはできない。 「行くぞ、真行寺」 「ちょっと待ってください。これ食ってから!」 半分ほど残ったカレーをがつがつと口に入れ、トレイを手に立ち上がった。 食堂を出て、寮を通り過ぎ、まだその先へと歩く三洲の背中に声をかける。 「アラタさん、どこ行くんっすか?」 「・・・あぁ、ここでもいいか」 辺りは暗く、人気もない。校舎の窓にはまだいくつか灯りがついているが、さすがにグラウンドには人はいない。三洲は立ちどまってフェンス脇のベンチに腰かけた。 「どうかしましたか・・・っていうか、俺、話していいんっすか?」 文化祭が終わるまでは話しかけるな、って言われたような・・・。 三洲は無表情なまま、「業務連絡はいいんだよ」と言い放つ。 「前に話したと思うが、明日、親が来るから」 「え、はい・・・?」 「言ったろ、紹介するからって」 言われて一瞬後にその意味を理解した真行寺が顔色を変える。 「うわ、ど、どうしましょう、アラタさんっ。俺、めちゃくちゃ緊張するんっすけど!」 「別に普通にしてればいいから」 三洲は小さく笑うと、隣に座るように真行寺を促す。 劇のことや、部活のことで、忘れていたけれど、文化祭で三洲の両親とか叔母さんの旦那さんとかに紹介をされるんだった。と今更ながらに動揺してしまう。 おまけに三洲の父親には2人のことを知られてしまっていて、いったいどんな顔して会えばいいのやら。 「劇のあと、少し時間取れるか?」 「はぁ・・・それは大丈夫なんですけど・・・」 「情けない声を出すな、真行寺」 「だって、そりゃ緊張しますって」 「ふうん」 「ふうんって、そんな冷たい」 だいたいアラタさんが何の前触れもなくカミングアウトなんてするからこんなことに。 いや、紹介してもらえるのはめちゃくちゃ嬉しいのだ。それは間違いなくそうなのだ。 真行寺はぐるぐると頭の中でどうしたものかと考える。 「劇に出る方がずっと緊張するだろ」 三洲が言うと、真行寺はうーんと首を傾げる。 「舞台から観客席って暗くてほとんど見えないし、台詞間違えずに言うことに集中してるからあんまり緊張しないっていうか・・・」 「・・・かぐや姫への愛の言葉を間違えると大変だからな」 「はぁ、まぁそうっすね。でも今回はヒロインいないっすからねぇ・・・」 確かにかぐや姫に向かって、気恥ずかしい愛の言葉を言うには言うが、去年とは違って今年は誰に向かって言うわけでもなく、多少間違えたところでどうということもない。 「去年はオーロラ姫で、今年はかぐや姫か」 「はい?」 「いい加減愛の言葉を口にするのも慣れてきただろ、真行寺」 「え、えーっと・・・」 三洲の口調はそこはかとなく意地悪モードだ。 真行寺は三洲の言葉の真意を推し量る。ここは、慣れましたと言うべきなのか、それとも全然慣れませんと言うべきなのか。 (じゃあさ、立場を逆にして考えてみたらすぐに答えは出ると思うんだけどな) 温室で、託生に言われた言葉を思い出す。 もし、自分が三洲の立場だったら? つまり、三洲が帝の役で劇に出ることになったらってことだろうか? それはそれは綺麗な帝になるだろうなぁ・・と少しばかりうっとりして、違う違うと首を振る。 帝になって、かぐや姫相手に求婚する三洲。 それを自分は客席から見るわけで、あ、何か想像したらちょっとヤな感じだな、と真行寺は低く唸った。 たとえそれがお芝居であっても、三洲が誰かに好きだの何だのと言うのを見るのはなぁ・・・と真行寺は単なる妄想に過ぎないのに痛くなった胸をぎゅっと押さえる。 (あれ・・・それってもしかして・・・) 「あの、アラタさん」 「何だ」 「えっと・・・もしかして、その・・・俺が劇に出るの、ほんとは嫌だったりします?」 「・・・・」 「めちゃくちゃ都合のいい思い込みだとは思ってるんすけど、俺がお芝居でも誰かに好きだとか言ったりするの、ヤだなーって思ったりしてくれます?」 真行寺の言葉に、三洲は何も言わない。 呆れ果てて言葉もないのか、それとも図星で言い返せないのか。 何も言わないのなら、自分に都合のいい方へと解釈しようと真行寺は決めた。 自分が嫌だなと思ったのと同じように、三洲もまた真行寺が誰かに好きだと言うのは嫌だと思ってくれたのだ。 だから不機嫌だったのだ。 それはつまり、ちょっとしたヤキモチなわけで。 それはつまり、真行寺のことをちゃんと好きだと思ってくれているという証なわけで。 「俺が好きなのはアラタさんだけですから」 そういえば以前、あまり葉山に懐くなと言われたことがあった。 「笑っちゃうくらいベタな愛の台詞でも、ほんとはアラタさんに言いたいなーって、いつも思ってますから」 一度しか言わない、と言われた。 妬けるから、と言われた。 「大好きです、アラタさん」 三洲の肩を引き寄せ口づけようとした真行寺を、三洲の掌が阻止する。 「んぐっ・・!」 「真行寺のくせに生意気だと言っただろう」 きつい言葉の割にはその表情は柔らかい。 「えー、何でこの雰囲気に流されてくれないんっすか!!」 「お前、やっぱり馬鹿だな」 「ひどっ」 「誰が見てるか分からないところで、そんなことできるわけないだろ」 そういえばここは校舎からは丸見えだし、まだ明日の準備をしている連中が教室にはいるだろうけど。 「アラタさんっ、ねぇ、ちょっとはヤキモチ焼いてくれた?一年前の文化祭の時も、そんな風に思ってくれた?」 必死に言い募ると、三洲はふっと笑みを浮かべた。 「俺がヤキモチ焼いて、劇であんな台詞言うなって言ったら、お前どうするんだ?」 「えっ!そ、それは・・・・」 そんな我がまま言われてみたい気もするが、かといって、言われてもどうすればいいか・・・ (ああ、そうか・・・) そこでようやく真行寺は思い至る。 言ってもどうしようもないことだから、三洲は言わないのだ。 けど、不機嫌にはなってしまうのは止めようがない。 (うわ、何かもう、めちゃくちゃ嬉しいんですけど、それって) 真行寺は勢いをつけて立ち上がると、三洲を真っ直ぐに見つめた。 「大丈夫です。俺、アラタさんにどんな理不尽なヤキモチ焼かれようと平気ですから。むしろめちゃくちゃ嬉しいくらいだし、えっと、何かそれって、ちょっと恋人ぽいです、よね?」 思わず顔がニヤけてしまうのを止めようがない。三洲はやれやれというように肩をすくめた。 「まぁ好きに思ってればいいよ。そういうのがお前の言う『恋人っぽい』ことなんならな」 ヤキモチを特に否定しない三洲。 それを単純に嬉しいと思っていた真行寺は、ふいに気づいてしまった。 今までずっと三洲のことを見つめてきた。 2人だけの時間だって過ごしてきた。 それなのに、どうしてその裏側にある三洲の想いを見抜けなかったのだろう。 もしかしたら、自分が思っているよりずっと、三洲はちゃんと自分のことを好きでいてくれたのではないだろうか。 だとすれば、自分は三洲のことを何もわかってはいなかったのではないだろうか。 だからずっと、三洲は自分のことを恋人だとは認めてくれなかったのではないだろうか。 「アラタさん」 「うん?」 「俺、アラタさんのこと、・・・何もわかってなかったのかも・・・」 それまでの嬉しい気持ちが一気に落ち込む。 ヤキモチ焼かれて嬉しい、なんて舞い上がっていたけれど、いったい今まで何を見ていたのだろう。 これじゃあ子供扱いされて恋人として認めてもらえなかったのも仕方がないではないか。 ちょっと泣きたくなるほどの情けなさに襲われ、きゅっと唇を噛んだ。 そんな真行寺を、三洲はほんの少し笑って覗きこむ。 「・・・真行寺」 「・・・はい」 「分かってないのなら、これから分かっていけばいいだろ」 「・・・・」 「お前、俺の『恋人』なんだから」 「・・・・っ!」 立ち上がった三洲が手を伸ばして、真行寺の髪をくしゃりと撫でる。 無意識の三洲の癖。 「帰るぞ」 そのまま再び寮へと歩き出す。もう真行寺を振り返ったりはしない。 いつもと同じ、物足りないくらいのあっさりとした態度。 やっぱりこの人のことが大好きだと、真行寺は思う。 冷たいようで、本当はすごく優しい。 恋人に昇格しても何も変わってない、と思っていた。 少しくらい変わってもいいのに、なんて思ってた。 だけど違った。 変わらなくて当然なのだ。 だって、三洲はきっともっともっと前から、真行寺のことを恋人だと思っていてくれたのだから。 恋人だと認めようが認めまいが、気持ちはもうずっと前から真行寺に向いていたのだ。 今さら何が変わるというのだろうか。 (もっと大人になろう) 真行寺は三洲の背中を見つめてそう思った。 いつまでも追いかけているばかりではなくて、ちゃんと隣に並んで、彼のことを理解して、そしてもっと好きになってもらうのだ。 三洲に恥じない自分でいられるように、もっと強く、大人になるのだ。 初めて三洲を知った入学試験のときも同じことを思った。 きっとこれからも、三洲と一緒にいる限り、同じことを誓うのだろう。 「アラタさん」 振り返った三洲は、もういつもの三洲で、それだけで嬉しくなる。 すごく単純で、だけど大切なこと。 彼のことがとても好きなのだ。 文化祭二日目の文化部と運動部の対抗劇はどちらもとても力の入ったものだった。 けれど演劇と音楽を合体させるという新たな試みや、煌びやかな衣装に身を包んだ見目麗しいイケメンたちのオンパレード、加えて当日まで誰にも知らされなかったかぐや姫の突然の登場など、サプライズの連続で、軍配は文化部に上がった。 劇が終わったとたん、去年に引き続き、控え室には女の子たちが押し寄せ、真行寺はしばらくの間身動きが取れない状態となった。 そんな時に、三洲が現れ、不機嫌を通り越して妙ににこやかな表情で、その場から真行寺を救いだしてくれた。 「助かった〜、アラタさん、ありがとうございますっ」 「お前のためじゃない」 「え、もしかしてアラタさんのためですか?」 とぼけた言葉を発した真行寺は、これ以上ない冷ややかな視線を受けて、がっくりとする。 もちろん三洲が助け舟を出したのは、真行寺のためではなく、単に約束通り親に紹介するため不本意ながら、である。 文化部の演劇を客席から見ていた三洲の母親と叔母は、すっかり真行寺のファンになっていて、一緒に写真を撮るなど盛り上がり、まるで女子高生と同じだなと三洲と父親を呆れさせた。 何はともあれ、目が回るほど忙しかった文化祭は無事に終わった。 「お疲れさん」 怒涛の二日間もようやく終わり、270号室にはこの部屋の住人である三洲と真行寺が2人きりでいた。 同室の葉山託生は昨日何か面倒に巻き込まれたらしく、少しばかり情緒不安定気味だった。 昨夜もゼロ番に託生を泊まらせたギイから、朝一番に「託生は今夜も帰さないから、点呼頼む」と言われた時は、さすがにうんざりした三洲ではあったが、その様子が少しばかり訳ありだったので「もういくつ目の貸しか分からないな」と悪態をついてその頼みを引き受けた。 (それにしても、あいつら本当に関係を隠すつもりがあるのか) ただの友達だなんて、まったく最初から無理な設定だったのだ、と誰もが思っていることだろう。 三洲が差し出した缶コーヒーを受け取った真行寺は、もうどこか眠そうな目をしていて、まるで子供みたいなその様子に、三洲は苦笑した。 「アラタさん、あの一年生がかぐや姫やるって、知ってたんでしょ?」 真行寺の隣に座った三洲は、知ってたよ、と短く答える。 「教えてくれたらよかったのに!」 「どうして?」 「だって、俺めちゃくちゃびっくりして、もうちょっとで台詞全部飛びそうになったんすよ」 「へぇ、そんな風には見えなかったがな」 かぐや姫のクライマックス。 三洲は生徒会長として、劇の進行を確認するべく舞台の袖にいたのだ。 それに気づいた真行寺は、かぐや姫へと語りかける愛の言葉を、方向が同じでちょうどいいとばかりに、かぐや姫の肩越しに、三洲に向かって語ったのだ。 もちろんそんなことは誰も気づいてはいないだろう。 けれど、もちろん三洲は気づいた。 一瞬目が合って、真行寺はそのあとに台詞を言ったのだから。 「お前、案外と度胸があるな、っていうか、あんなくそ恥ずかしい台詞を俺に向かって言うな」 「えー、だって、アラタさんにしか言いたくないっすよ。愛の言葉なんてー」 真行寺はうーんと大きく伸びをして、そのままベッドの縁に頭を乗せる。 「真行寺、寝るんなら、ちゃんと横になれ」 「うーん、まだ眠くないっすよ」 嘘つけ、と思ったが、三洲は黙って缶コーヒーに口をつけた。 託生が不在になるからといって、真行寺を誘ったのは三洲の方だった。 二日間、慌しく動き回っていたのだから、本当なら一人でゆっくりできる夜は貴重なはずなのに、ふとした出来心で声をかけてしまったのだ。 もちろん誘われた真行寺が断るはずもない。 「ねぇ、アラタさん、お父さん、俺のこと何て言ってました?」 不安そうに真行寺が三洲を見上げる。 なるほど、それが聞きたくて誘いに応じたのか、と三洲は笑う。 「やめとけ、って言われたよ」 「ええっ!!!!」 ぎょっと飛び跳ねた真行寺が顔色を変える。 「嘘だよ」 「ちょっと、アラタさん、それ笑えないから・・・ほんと勘弁してください・・・」 再びぱたりとベッド倒れこみ、真行寺ははーっと大きく息をつく。 舞台での活躍を堪能して、そのあと三洲が正式に紹介した真行寺を見た父親は、 『面食いだったんだな、お前』 と三洲に言ったのだ。 よもやそんな感想が出てくるとは思ってもみなかった三洲は、母親たちに囲まれてあたふたしている真行寺をまじまじと見てしまったほどである。 普通はどんな性格なのか、とかそういうことを気にするのではないか、と父親に尋ねると、 『新が好きになったのなら、人として真っ当な子だろうから、そこは心配してなかったなぁ』 と笑われた。 だからって、容姿なんて気にするだろうか? 今、三洲のすぐ横で、ぐだぐだのぬいぐるみみたいにベッドに倒れこんでいる真行寺の、いったいどこがそんなにカッコいいと思えるのか。 確かに整った顔立ちはしているが。 絶対に自分は面食いなどではない、と三洲は思う。 「アラタさん、紹介してくれてありがと」 「・・・・」 「嬉しかった」 「・・・・そうか」 真行寺がそっと三洲の腕を引く。 「俺、頑張るから」 「・・・」 「アラタさんに、俺のこと好きだって思ってもらえるように頑張るから」 半ば寝言のように小さくつぶやく真行寺に、三洲はもう寝ろ、と言い放つ。 「うん、ごめん、ちょっとだけ寝る。あとで・・・起こしてね・・・アラタさん・・・」 言い終わらないうちに、静かな寝息を立てて真行寺が眠り込む。 よっぽど疲れていたんだろうな、と三洲は握りしめたままの缶コーヒーをそっと取り上げた。 一度寝たら朝までぐっすりの真行寺なので、どうせ途中で起こしたって起きやしないだろう。 卒業まであと半年ほど。けれど、受験が始まる1月以降はほとんど祠堂にはいられない。 せっかく2人で過ごせる貴重な夜だというのに馬鹿なヤツ、と三洲は真行寺を見下ろす。 (アラタさんに、俺のこと好きだって思ってもらえるように頑張るから) どこまでも真剣な真行寺の言葉に、三洲は苦笑する。 「ほんと、馬鹿だな、こいつは」 いったい何を頑張るというのだろうか。 今のままで、三洲は十分に真行寺のことを好きだというのに。 三洲はくったりと眠り込む真行寺の近くに横になった。 微かに感じる真行寺の体温に目を閉じる。 こんな風に好きになるなんて思ってもみなかった。 三洲の予定を軽く裏切って、真行寺はいつの間にか自分の中に入り込んできた。 そしてきっともう追い出すことなんてできない。 (恋人か・・・) ほんとどうかしていると思う。 だけど、認めてしまったことで、不思議と気持ちが楽になったような気もしていた。 本当はずっと真行寺のことが好きだったのかもしれない。 初めて出会ったあの日から。 けれど、誰かのことを本気で好きになったことなどなかったから、そうだと気づくのが遅れた。 自分が何者か分からなかったから、誰かを好きになる余裕なんてなかったのかもしれない。 毎日そればかり考えていたわけではないけれど、何かの拍子に思うのだ。 自分はいったい何者なのだろう、と。 決して不幸だったわけではない。むしろ父かも母からも溢れんばかりの愛情を受けて育ってきたと思う。 なのに不安定だった。 父親に、事実を教えてもらい、それでやっと地に足がついた気になれた。本当なら、自分が実の子ではないと確定したのだから、もっと不安になってもおかしくないのに、自分の場合は逆だった。 どんな事実でもいい。本当のことが知りたかったのだ。 父と話をして、血の繋がりはなくとも、自分は両親の子に違いないと確信できた。 やっと知らず知らずに自分を縛っていた鎖から解き放たれたのだ。 そうしたら、ようやく自分に向けられた真行寺の愛情にも向かい合うことができた。 真行寺を好きでいていいのだと、思うことができた。 ころりと寝返りを打った真行寺がうっすらを瞼を開けて、そこに三洲がいることに安心したように笑った。 「アラタさん」 腕の伸ばして三洲を引き寄せ、ぎゅっと抱きしめる。 何甘えてんだ、と思ったが、されるがままに三洲は真行寺の腕の中で小さく笑う。 「お前、明日の体育祭、何出るんだ?」 「え?えーっと、確か騎馬戦と借り物競争とリレー・・・だったかなぁ」 「適当だな」 ぷっと三洲が吹き出す。 「いやもう文化祭のことで手一杯で、体育祭はお任せだったんすよ。別にどの種目でも良かったし。何かクラスの連中が出たがらない種目、全部まわってきそうな感じもするんすけどねー」」 「ふうん。じゃ、今夜はあんまり疲れちゃまずいかな」 「・・・・」 「それとももっと疲れてみるか?」 真行寺は片肘をついて半身を起こすと、そのままそっと三洲に口づけた。 次第に深くなる口づけに、三洲が真行寺の肩に手を回す。 「疲れてもぜんぜん平気っすよ」 「・・・・」 「大好きです、アラタさん」 優しく囁いた真行寺が三洲の首筋に唇を寄せる。 抱きしめられて、その温かさに思わず安堵のため息がこぼれた。 自分は彼のことを好きでいていいのだ。 真っ直ぐに寄せられる想いを素直に受け止めていいのだ。 真行寺のとのことは三洲の人生設計の中ではまったくのアクシデントのような出来事で、けれど、予想もしていなかった出来事も、案外悪くないと思う。 出会って1年半近くたって、ようやくスタートラインに立てた。 「好きだよ、真行寺・・・」 想いを込めた小さな声を、けれど真行寺はちゃんと受け止めて、何か信じられないものでも見るかのように三洲を見つめた。 そして、初めて聞いた恋人からの甘い言葉に、それはそれは嬉しそうに笑って見せた。 |