素直な気持ち



先日アップした「春が来る前に」のオプション的な感じで、リクいただいたさっちゃん話。

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ちろりん、と軽やかな鈴の音のような着信音に、紅茶を入れかけていた手を止めた。
ちらっと置きっぱなしにしている携帯へと視線を向けて、けれど無視することに決めた。
すごく嫌な予感がする。
あれには出てはいけない。
本能がそう告げている。いや、長年の付き合いからくる勘とでもいうべきだろうか。
しつこく鳴り続ける携帯を見かねたのは、リビングのソファに座っていた聖矢の方だった。
「佐智、鳴ってるぞ」
「分かってます」
「出なくていいのか?」
「・・・」
別にでなくてもいいと思う。どうせたいした用じゃないに決まってる。
だけど、出るまではずっと鳴り続けそうな気配がして、渋々佐智は携帯へと手を伸ばした。
ディスプレイに表示された名前を見て、やっぱりと肩を落とす。
「・・・もしもし?」
『佐智、何やってんだ、さっさと出ろよ』
「・・・義一くん、こんにちわ」
挨拶もなしに、どうしていきなり怒られなくてはならないのか。
やれやれ、と佐智は溜息をつく。
どこかイライラとした声色からして、佐智の麗しの幼馴染の機嫌が悪いことは間違いない。
携帯を耳に当てたまま、聖矢が座るソファへと移動すると、彼は佐智のために場所を空けてくれた。
代わりに立ち上がろうとした聖矢の腕を引き戻す。
気をきかせてくれたつもりだろうが、そばにいてほしい。
佐智の無言の訴えに、聖矢は素直に腰を下ろした。
「どうしたんだい義一くん、こんな時間に電話してくるなんてめずらしいね」
日曜日のこの時間。普通に考えれば彼も休日のはずだ。だとすれば間違いなく最愛の恋人のそばにいるはずだろうに。
もしかして彼は今海外だっただろうか。
佐智と同じくらい毎日を忙しく過ごしているだろうから、またしばらくの間託生と会えなくなっていて、それでイライラしているのだろうか。
だとしたら、本当に迷惑な話だ。
『佐智、今日本か?』
「そうだよ。で、いったい何の用?」
無意識の内に口調が冷たくなってしまうのは仕方がないだろう。
何しろ今日は佐智も休日で、それもただの休日ではない。
本当に本当に久しぶりに聖矢と2人で丸一日過ごせる貴重な休日なのだ。
たとえ久しぶりに声を聞く幼馴染だとしても、邪魔はされたくない。
『・・・もしかしてあいつと一緒なのか?』
「そうだよ。だから話は手短にね」
と、ちゃんと釘を刺したにも関わらず、そのあと延々と続いたのは予想通り彼の恋人である託生のことだった。
『佐智、お前、北山さんって知ってるか?』
「知ってるよ。託生くんの支援者だよね。大学の頃から託生くんの音楽活動を熱心に支援してくれているよ。彼がどうかした?」
『どうして教えてくれなかったんだよ』
いきなりの言葉に、佐智ははて、と首を傾げた。
「どうして北山さんのことを義一くんに教えなきゃいけないんだい?」
佐智にしてみれば素朴な疑問だったが、言った本人はそうではなかったようだった。
『託生の音楽の支援なら、オレがする』
ああ、そういうことか、とようやく合点がいって、佐智はまた細く溜息をついた。
託生のこととなると、とたんに狭量で嫉妬深くなる幼馴染みに、今までも何度もこの手の愚痴に付き合わされた。
幼い頃に一目惚れして、その相手に会いたいがために日本へ留学して、諸事情により長い時間離れていて、それでも縁は途切れることなくまた再会して、そしてもう一度一緒にいることになったというのに、どうしてそんなに不安になるのだろうか。
佐智にしてみれば不思議でならない。
「あのさ、義一くん、託生くんの音楽支援は、北山さんに任せておいていいよ。きみが口を出す必要はないから」
『どうしてだよ』
「だって、きみが手を貸すとなれば、どうしたって私情が絡むもの。託生くんがやりたいと思ったことなら何でもOKするだろう?」
『そんなことはない』
「嘘ばっかり。だいたい義一くんは音楽のことなんてからっきしじゃないか。託生くんにとってどういう支援をすればいいか、何をすれば託生くんの成長に繋がるかなんて、絶対に分からないよ」
『決め付けかよ』
拗ねたような口ぶりに、佐智は少し笑ってしまった。
大人になってもこういうところはちっとも変わらない。
普段読むことのない雑誌を手にして、佐智の話は聞いていないというふりをしていた聖矢が少し顔を上げ、佐智を見る。
喧嘩でもしているのかと心配しているのだろうか。
聖矢はそのまま立ち上がると、キッチンへ姿を消した。
佐智は早々に電話を切ろうと決めた。これ以上聖矢との時間を邪魔されたくはない。
「義一くん、北山さんにおかしなヤキモチ焼かなくても大丈夫。北山さんが何歳か知ってる?」
『・・・知ってるよ』
「え、知っててヤキモチ焼いてるの?いい加減にしないと託生くんに愛想尽かされても知らないよ?」
本当によくもまぁこんなどうしようもないヤキモチ焼きと付き合えるものだと、佐智は心底託生のことを尊敬してしまう。
だいたい8年も音信不通の相手をずっと好きでいてくれただけで、どれだけ自分が愛されているかなんて分かりそうなものではないか。
一体何を心配する必要があるというのだ。
「義一くん、切るよ」
『あ、こら待て、佐智』
「あんまり託生くんを困らせないようにね。じゃあまた」
まだ何か怒鳴っているようだったが、佐智はぷちんとラインを切った。
「義一くんかい?」
聖矢がキッチンから中途半端になっていた紅茶を入れて戻ってきた。
ガラス天板のローテーブルの上にカップを置いて、聖矢が佐智の隣に座る。
「何だか佐智と義一くんが電話してるのを見るのは久しぶりだな」
「そうですか?たまに思い出したようにかかってくるんですけど、でも大抵は惚気か愚痴です。ほんと、いくつになっても託生くんのことになるとおかしなヤキモチ焼くんだから、付き合い切れないですよ」
「まぁオトコっていうのはそんなものだろう」
さらりと聖矢が言い、それが思いもしなかった言葉だったので佐智の方が驚いてしまった。
10代の頃に出会ってから、聖矢の仕事や佐智の仕事のせいもあって、滅多に会えることもなく、それでも一度も別れたいなどと思うこともなく今に至る。
ずいぶんと長い付き合いの中で、聖矢がそんなことを口にするとは思いもしなかった。
佐智よりも15歳も年上の聖矢は、出会った時からすでに分別のある大人で、幼い佐智に対してヤキモチなんて焼いたことなどないはずだ。
「聖矢さんもヤキモチ焼いたりするんですか?」
「そりゃ俺だって普通の男だからね」
「・・・ヤキモチ、焼いたことあるんですか?」
まさかと思いながらも尋ねてみると、聖矢は不思議そうな顔をで佐智を見返した。
「まさか佐智、俺が今まで一度も嫉妬したことがないって思っているのか?」
「え。だって・・・」
佐智が覚えている限り、そんな素振りを見せられたことはない。
そもそも聖矢がヤキモチを焼くようなことを、自分がしたことがあるとも思えない。
「そういう佐智は誰かにヤキモチ焼いたことはないのか?」
「ありますよ」
きっぱりと即答して、聖矢を軽く睨む。
何しろ出会った頃は佐智はまだほんの子供で、聖矢に相手にしてもらえずずいぶんともどかしい思いをしたものだ。聖矢は女性によくモテたし、それっぽい人を見てはそのたびに胸を痛めた。
佐智は聖矢とは違って、しょっちゅうヤキモチを焼いているのだ。
もちろん聖矢にはそんなつもりはこれっぽっちもないのだけれど。
「佐智はそういうこと、口にはしないからなぁ」
苦笑しながら聖矢がカップを手にする。
「言った方がいいんですか?」
「どうだろう。佐智に我がままらしい我がままを言われたことがないから、もし言われたらどう感じるのかなって時々思うが・・・」
「だけど・・・そういうの言われたら困りませんか?」
ヤキモチなんて、佐智が一方的に思うだけで聖矢に責任はないのだ。
たいていが、誤解だったり思い込みだったり、本当に何かがあってのことではないのだから。
そんなことで聖矢に愚痴を言ったり文句を言うのは筋違いだというものだろう。
聖矢はまじまじと佐智を見つめて、それからしょうがないなというように低く笑った。
「佐智は義一くんがちょっとしたことでヤキモチを焼いて、佐智に電話をしてくるのをどう思ってるんだい?」
「どう・・って・・・あんなにしょっちゅう、ちょっとしたことでヤキモチ焼いたり心配してたら疲れるだろうなぁって。だいたい義一くんのヤキモチって本当に見当違いっていうか、託生くんが浮気なんてするはずないって、自分だって分かってるくせにどうしてあんなに余裕がないのかなって思いますけど・・・」
身も蓋もない言い方だったのか、聖矢はそれを聞いてぷっと吹き出した。
「何で笑うんですか」
「いや、すまん。確かに疲れるだろうけど、だけどそういうのが恋愛の醍醐味じゃないのかな」
「・・・」
醍醐味。
分からないでもない。
そういうちょっとしたハラハラ感が気持ちを盛り上げるスパイスになるということは、佐智だって理解はしている。
理解はしているけれど、だけど自分にはできそうにない。
そんな風に聖矢を困らせたりすることをしたくはない。
「佐智」
「はい」
ほらおいで、というように聖矢が佐智を引寄せる。
「俺の仕事が忙しいから、佐智はそんな俺に我がままを言ったりしてはいけないって思っているんだろう?」
「別にそんなことは・・・」
「ヤキモチ焼かれたり、我がまま言われたり、たぶん実際にそんなことされたら困るとは思うが・・・、ああ、それは別に佐智がそういうこと言うのが困るってことじゃなくて、佐智の希望を叶えてあげられなくて困るってことだが、だけど、佐智はそういうことは考えないで、俺に甘えていいんだぞ」
「・・・」
「少なくとも俺の前では、佐智はそのままの佐智でいいし、甘えたいときには甘えればいい」
「ヤキモチ焼いたり?」
「ああ。佐智がヤキモチ焼いたらどうなるのか、ちょっと見てみたい気もするしな」
笑われて、佐智はぱしんと聖矢の腕を叩いた。
昔、さっきまでぶつぶつ言ってた幼馴染みが、恋人に我がまま言われるのは嬉しいものだと言っていたのを思い出した。
たぶんそれは正解なのだろう。
佐智はソファの上に足を乗り上げて、聖矢を正面から見据えて首を傾げた。
「今でも十分我がまま言ってるような気がするんですけど」
「そうかな」
「今日だって、せっかくの休日なのに、一緒にいたいって言ったのは僕の方だし」
「それは我がままじゃないだろう?」
恋人同士ならごくごく当たり前のことだ。
「そうかもしれないけど・・・ヤキモチ焼いたり、我がまま言ったりして、それで聖矢さんが困るのが嫌なんです」
「佐智の我がままくらいじゃ困らないよ。もうそんな年でもない」
肩をすくめる聖矢に、佐智はくすくすと笑った。
確かにもう少々の我がままにいちいち腹を立てたり、意味のないヤキモチに慌てるような年ではない。
それは佐智も同じで、それが2人の関係を盛り上げるものだとしても、つまらないヤキモチなんて焼くような年ではないのだ。
だけど、そういうことが必要な時もあるのかもしれない。
するりと近寄って、思い切って聖矢の肩先に額をくっつけてみる。
滅多にしない甘えた仕草に、何だか恥ずかしくなってしまう。けれど聖矢は何も言わずにそっと肩を抱きしめてくれた。
「じゃあ、お言葉に甘えて、これからもっと我がまま言うことにします」
「ああ、楽しみだな」
「とりあえず、今夜は外での食事はやめにしませんか?」
「うん?」
久しぶりだからちょっといいレストランで美味しいものでも食べようと言っていたのに?
「どこにも行かないで、家で何か作って食べる方がいいです」
「もしかして俺に何か作れっていうことか?」
「ああ、それもいいですね。聖矢さん、料理できるんですか?」
「たいしたものは作れないな。・・・カレーとか?」
あまりにも定番すぎるメニューに佐智は吹き出した。
「それ、食べたいです」
「よし、じゃあ買い物に行くか。って、佐智、笑いすぎだ」
「すみません」
悪いと思っても笑いが止まらない。
我がままが相手を困らせるばかりじゃなくて、こんな風にちょっと幸せで温かな気持ちにしてくれるならたまには言ってみるのもいいかもしれない。






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あとがき

さっちゃん26歳だとすると、彼氏は41歳か。思う存分甘えてよし。