運命というもの


どこかふわふわとした気持ちでいたせいで、それが無くなっていることに気づいたのは、もう探しに引き返せないところへまで戻ってきていた時だった。
「どうかしましたか?」
「ううん、何でもない」
思わず止めてしまった歩を再び進め、気づかれないように小さく肩を落とす。
あれは誕生日もらったものだった。大切にしていたのに、いったいいつ落としてしまったのか。
まるで大切なものを一つ手に入れたら、一つ失ってしまうかのような出来事が、この先の将来を暗示しているような気がして気が滅入った。
けれど、自分が望むものがすべて手に入るなんて思ってはいけないのかもしれない。
一番欲しいものが手に入るなら、それ以外は失ってもいい。
それは諦めでも何でもなく、小さな決意だった。
そんな決意ができることが嬉しかった。無くしたもののことよりも、これから先に手に入るもののことを考えよう。それが今の自分には必要なものだから。


小さなストラップが落ちていることに気づいたのは、ホールの清掃係の女性だった。きらりと光ったストラップを拾い上げ、しげしげと眺める。
紐が切れているので、落としてしまったのだろう。
可愛らしいストラップだから、きっと落とした人が気づけば引き取りにくるだろう。
たかがストラップだったが、ゴミとして捨てることなどできない律儀な性格をしていたので、とりあえずエプロンのポケットに入れ、一通りの清掃を終えると彼女は受付の落し物ばかりを集めている箱の中へ、それを入れておいた。
「ずいぶんと落し物が増えてるわねぇ」
受付の女性に声をかけると、そうなのよ、とのんびりとした返事が返ってきた。
「何しろ人の出入りが多いから。でも引き取りにくるのなんて、ほとんどいないわよ。みんなモノを落としたって何とも思わないのね。また買えばいいって思うから」
「そうねぇ。思い出の品とかなら違うんでしょうけど」
簡単にものを捨ててしまう風潮はどこか悲しい。
拾ったストラップがちゃんと引き取りにきてもらえるといいのに、と彼女は思った。


市民ホールに電話をかけると、落し物として預かってますとよとの返事がもらえ、母親はほっとした。
何しろ昨日はずっと泣かれたのだ。そんなに大切なものならちゃんと仕舞っておきなさいと怒ったところで、どうしようもない。
娘が落としたという熊のぬいぐるみを引き取りに、母親は自転車を走らせて市民ホールへ急いだ。
受付に声をかけると、中から女性が顔を覗かせた。
「落し物はこの箱に入ってるんです。探してもらえますか?」
手渡された箱はそれなりの大きさだった。娘が大切にしていたぬいぐるみはどんなものだったかしら、と思いながら箱を開ける。雑多なものが無造作に放り込まれていて、一瞬怯んだが、ぬいぐるみなんてそうそう数多く入っているはずもなく、お目当てのものはすぐに見つかった。
これで泣かれずにすむ。ほっとして母親は受付の女性に礼を言った。
とりあえず受け取りノートに名前を書いて欲しいといわれ、手にしていたぬいぐるみをカウンターに置こうとした時、肘が当たり落し物箱を床に落としてしまった。
派手な音とともに中に入っていたものが辺りに散らばる。受付の女性が慌てて中から出てきて、一緒に拾ってくれた。
「すみません」
「いいんですよ」
それにしてもずいぶんと落し物が多いんだな、と母親は思った。
ノートに名前を記して、ぬいぐるみをカバンに入れた。これで娘に泣かれずにすむだろう。やれやれと息をついて、自転車で帰路についた。
小さなストラップがカバンの中に入っているのに気づいたのはずいぶんあとになってからだった。
最初はそれが何なのか分からなかった。自分のものではないストラップを手にして、記憶をめぐらせる。そしてあの市民ホールでの出来事を思い出した。
落し物箱を落としたときに、カバンの中に紛れ込んでしまったのだろう。
綺麗なストラップだったけれど、今からわざわざ返しにいくほどのことでもないだろうと思った。
捨ててしまうには惜しいものだったので、悪いかなとは思いつつも、彼女は切れた紐をつけかえて、自分の財布につけることにした。
「こういうのもめぐり合わせということにしましょう。わざわざ市民ホールまで行ったお駄賃よ」
勝手な言い分ではあったが、それほどの罪悪感もなく、ストラップを自分のものにした。


そのストラップはずいぶんと長い間、母親の財布を飾っていた。
何度か財布が買い換えられたが、ストラップは捨てられることなく新しい財布につけられた。母親の財布についている綺麗なそのストラップが欲しいと、ある時娘が言い出した。
一度言い出したらきかない娘の性格はよく分かっているので、母親はそのストラップを娘にあげることにした。
もともと偶然手にしたもので、深い思い入れがあるわけでもなかった。それでもあまりに綺麗なストラップだったのでずっと財布につけていたのだ。
ストラップを手に入れた娘は大喜びで、それをいつも自分が身につけているポシェットにつけた。きらきらと光るストラップはお気に入りのものとなった。
ある時、学校の友達と公園で遊んでいる時に、遊具にストラップを引っ掛けてしまい、それを無くしてしまった。ずいぶんと探したが見つからず、娘は母親にそれを訴えた。
「しょうがないわね、また新しいのを買ってあげるから」
一緒に探して欲しいなどと言われてはたまらないと思い、母親はそう言った。その言葉で娘はもうストラップのことなどどうでもよくなった。新しいものへと心は移ってしまっていたのだ。


長い間、砂場の片隅に埋もれていたストラップを見つけたのは、たまたま祖母と一緒に遊びにきていた少年だった。きらきらと光るストラップの砂を払い、ベンチに座る祖母のもとへと走り出す。
「おばあちゃん、これ見つけた」
「あらまぁ、綺麗だねぇ」
「あげる」
「まぁまぁ、ありがとう」
祖母の言葉に満足そうに笑って、少年はまた砂場へと走り出す。
手にしたストラップはとても綺麗なものだったので、祖母は捨てることなくそれをカバンの中に入れた。何しろ孫が可愛くて仕方なかったので、彼がくれるものなら泥団子でも持って帰ろうと思うくらいだったのだ。
遠く離れて暮らす孫の久々に会えて、おまけにこんなプレゼントももらえて、彼女はとても幸せな気分でいた。
次の日、祖母は新幹線で家路についた。嫁いだ娘のもとを訪ねるのは年に一回ほどしかない。この次はいつ孫に会えるだろうと寂しく思いながら、孫がくれたストラップを眺め、それを自分のカバンにつけた。
「これは幸せになれるストラップだよ」
とうなづいた。何しろ孫がくれるものなら、何でも彼女を幸せにしたのだ。
それから数年後、祖母は病を患いこの世を去った。
親戚一同が集い、彼女の死を悼んだ。しばらく後に、形見分けをすることとなり、同居していた息子の一人娘が、祖母が大事にしていたストラップをもらうこととなった。
日ごろから「幸せになれるストラップ」だと祖母が口にしていたので、どうしてもそれが欲しかったのだ。
ずいぶんと使いこまれているストラップはもうそれほど綺麗なものではなかったけれど、祖母の形見の品だったので、切れそうになっていた紐を新しいものにに変え、クロスでストラップを磨いた。
すると、買ってきたばかりのもののように、それは綺麗になった。
「幸せになれるストラップか」
彼女はいつも優しかった祖母を思い、涙を流した。


彼女にはずっと気になっている友達がいた。幼稚園の頃からの友達で、小学校でも何度か同じクラスになった。家が近かったこともあって、仲良くしていたのだ。
いつも穏やかで優しい笑顔を見せる友達が、少しばかり雰囲気が変わったことに気づいたのは、中学生になろうかという時だった。
年頃になると、みな幼いながも悩みが増えるものだし、友達付き合いの方法も変わっていく。だから、昔ほど親しくできなくなることは仕方が無いと思っていたけれど、大好きだった笑顔が見えなくなったことがとても寂しかった。
卒業式の日はあいにくの雨が降っていた。
ほとんどが地元の中学へ進学する中、彼女は隣町の私立の女子中学へ進学することが決まっていた。大学までの一貫教育ができるということで、両親の勧めもあってそこに決めた。
仲良しの友達たちと別れることは寂しかったけれど、新しい学校での新しい出会いの方が楽しみだった。
卒業証書を手にし、彼女はずっと仲の良かった友達の元へと近づいた。
自分よりも少しばかり背の高い彼に、ポケットの中から小さな袋を取り出して渡した。
「あげる」
「なに?」
「幸せになれるストラップ。卒業の記念に。私、隣町の学校に行くから、もうあんまり会えないと思うし」
「そうなんだ」
「何か辛いことがあっても、これがあれば大丈夫なんだって。だからあげる」
「どうして?」
どうしてそんなものをくれるの?と彼の目が語っていた。
問われて、どうしてだろうと考える。たぶん、彼のことが好きだったのだ。
優しい彼の笑顔を見るのが好きだった。
それが初恋だったのだと気づくのは、もっと大人になってからのことだったけれど、その時はいつもどこか寂しそうにしている彼に、それを持っていて欲しいと思ったのだ。
大切な祖母の形見だったけれど、彼にならあげてもいいと思った。
「さよなら。元気でね」
ひらひらと手を振って、彼女は友達の輪の中へ帰っていく。
その背を見送って、彼は手の中の小さな袋を開いてみた。
使い込まれたストラップがその中には入っていた。どうしてこれが幸せになれるストラップなんだろう、と思ったけれど、ずっと仲の良かった友達の気持ちをありがたく受け取ることにした。
こんな小さなストラップで幸せになれるなんて、本気で信じたわけじゃない。
けれど、本当だったらいいなと思った。
古ぼけたストラップだけれど、それは小さな希望の灯火を胸の中に灯してくれた。




12月の終業式の前日は、全校あげての大掃除の日である。
祠堂は全寮制の男子校である。日ごろから比較的綺麗に掃除がされているとはいえ、やはり一年の埃が積もりに積もっている。
「託生、机の中のものもちゃんと片付けろよ」
「分かってるよ。そういうギイだって、けっこういらないもの溜まってるんじゃないの?」
「そうなんだよなぁ。文房具ってさ、いつの間にか集まるよな。何でだろう?」
「知らないうちにボールペンとか増えてるんだよね」
「そうそう」
互いに自分の机に向かって、必要なものとそうでないものを選別し、いらないものをゴミ箱へ捨てていく。丸一日の大掃除というのは大変だったけれど、こういう機会じゃないと徹底的に掃除なんてしないので、みんな文句を言いながらも割と真面目に大掃除に取り組むのだ。
「よし、こんなもんかな」
先に片づけを済ませたギイが、託生の背後から机の中を覗き込む。
「何だよ、ギイ、邪魔するなよ」
「手伝ってやるよ」
「あのね、とても手伝ってやろうって体勢じゃないと思うんだけど?」
託生を背中から抱きしめるようにして覆いかぶさったギイが、まぁまぁと笑う。
机の上に並べられた文房具を眺めていたギイが、あれ、と声を上げる。
長い腕が伸びて、古びたストラップを手にとる。
「これ、どうしたんだ?」
聞かれて、託生がストラップを見る。そして、ああ、と懐かしそうに目を細めた。
「もらったんだよ」
「誰に?」
「小学校のときの友達だよ。卒業式の記念にって」
「これ、オレのだ」
「は?」
いきなりの意味不明な言葉に、託生が訝しげにギイを振り返る。
ギイはしげしげとそのストラップを眺めて、うんうんとうなづく。
すっかり古ぼけてしまい、昔の輝きはなくしているが、これは子供の頃、自分が落としてしまったストラップに間違いないとギイは思った。何しろ記憶力はいいのだ。
誕生日に妹からプレゼントされたストラップを、うっかりなくしてしまった日のことはよく覚えている。
初めて託生のことを知った日だったのだ。
大切なものは一つしか手に入れることはできないのか、と思った日だった。
あのあとアメリカへ帰って、ストラップを無くしたと打ち明けると、妹にはひどく怒られてしまい、そのお詫びに、しばらく毎週遊びに行くのに付き合わされた。
「ギイ、昔同じの持ってたの?すごい偶然だね」
「違う違う。ほんとにオレのなんだって」
そのストラップにつけられたEとGのイニシャル。妹が、自分と兄の名前の頭文字をつけたのだ。ストラップ自体も実はちょっと珍しいもので、それにこんなイニシャルをつけているのだから間違いない。
「不思議だなぁ、どうしてこれを託生が持ってるんだろう」
「ほんとにギイのなの?」
突拍子もない話すぎて、託生は簡単に信じることはできない。
「ほんとだって。託生、誰からもらったって?」
「だから、小学校のときの友達」
「女の子?」
「そうだよ。幸せになれるストラップなんだって、言ってた」
託生がギイの手からストラップを受け取る。
「あの頃、両親ともあまり上手くいってなかったし、兄さんとのこともあったりで、あんまり楽しくない毎日だったんだよ。その子は小さい頃から仲の良かった友達で、たぶんそんなぼくのことを気にしてくれてたんじゃないのかな。何か辛いことがあっても、これがあれば大丈夫なんだって言って、卒業式の日にこれをぼくにくれたんだよ」
「へぇ」
「嬉しかったな。これで幸せになれるなんて、別に本気で信じていたわけじゃなかったけど、そうだったらいいなって、ずっと捨てられずに持っていたんだ」
「そっか」
どこをどう巡ってそのストラップが託生の元へやってきたのか、さすがのギイでも想像できなかった。いったいどこから「幸せになれるストラップ」などと曰くつきのものになったのかも。
「運命を信じる?託生」
「え?」
「オレは信じる。オレと託生はちゃんと赤い糸で繋がってるって、信じられる」
その証明がこのストラップだ。
まるで二人を引き合わせたかのようなストラップ。
ギイだっておとぎ話のようなこの状況には戸惑っている。
けれど、自分と託生の間に起こることであれば信じることができる。
託生を知った日に無くしたストラップが、今こうして託生のもとにある。
幸せになれるものだと信じて大切にしてくれていた。
それを運命と呼ばずに何と呼ぶ?
「まぁ信じるものは救われるっていうからね」
これがギイのストラップだなんて、ぜんぜん信じていないらしい託生がからかうように笑う。大切そうにそのストラップを再び机の引き出しに仕舞うのを見て、ギイは胸が熱くなった。
「すごいな、そのストラップ。ちゃんと託生に幸せを運んだんだから」
「幸せ?」
「オレと会えただろ?」
「はいはい。相変わらず自信家だね」
間違ってはないけどさ、とは口に出さず、託生が笑って答える。

一番欲しいものが手に入るなら、それ以外は失ってもいいなんて思わなくてもいいのだ。
大切だと思うものは、どれも同じに大切にすればいい。

「オレがちゃんと幸せにする」
「ギイ?」
「約束する」
脈絡のないギイの言葉に、けれど託生はありがとうと言って微笑んだ。

もう一度決意を新たにする。
これは、初めて託生を知った日から動き出していた運命だと信じられるから。







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あとがき

わらしべ長者!!ではなくて、運命の赤い糸。