夢の中で


最近どういうわけか、あちこちから厄介ごとが持ち込まれ、305号室に帰るのはたいてい消灯間際になる日が続いていた。今夜も、今日こそは早く帰るぞ、と思っていたのに、結局あれこれと話し込んでいるうちに、こんな時間になってしまった。
託生と付き合い始めた頃は、そんな厄介ごとなんてすべて振り切って早々に部屋に戻っていたのだが、すっかり恋人同士という関係も落ち着いているこの頃は、託生もオレがいない一人の時間を楽しんでいるようなので、あまり気兼ねすることなくお互いに好きなことをしている。

(あんまりべったり一緒にいるとそのうち飽きられるぞ)

オレが託生のそばにいたがるのを見かねて、章三が言った。

(オレが飽きるなんてことは絶対にないし、託生だってそうだ)

きっぱりと言い切ると、章三はうんざりしたように肩をすくめた。
章三の言葉なんて気にしちゃいないが、けどまぁ、確かにお互いに一人でやりたいこと、やらなくてはならないことがあるのも事実なので、最近は心を鬼にして、一緒にいる時間を少し減らすように努力していたのだ。
そう、オレにとっては託生と離れているというのは努力以外の何モノでもないのだが、託生はそのことについて特に不満に思っている風でもなく、文句を言うでもなく・・。

(ほんと、あっさりしてるというか、何というか・・・)

オレは託生となら一日中一緒にいたって平気だし、一緒にいたいと思っているのに、託生はそんな風には思ってないんだよな。
もっと一緒にいたいとか、そういう甘いおねだりをして欲しいのだが、野暮の塊の託生にそんな男心の妙を分かってくれという方が無謀なのか?
最初は遠慮してるのか?とも思ったが、どうもそうでもないらしい。
託生のおねだりなら何だって叶えてやろうと思っているのに、一言だって言ってくる気配はないし、もしかしたら考えてさえもいないのかもしれない。

(無欲なのか?いや無欲ということにしておこう、まさかそこまでオレのことを好きじゃない、なんて言われたら立ち直れない)

とりとめもないことを考えながら部屋の扉を開けると、託生はすでにベッドに横になってぐっすりと眠っていた。
オレはやれやれと肩を落とした。
「ったく、明かりも消さないで・・・」
それどころか、布団もかけないで。
すやすやと眠る託生の手にはバスタオルが握られている。
風呂から上がって、そのままちょっと横になって、そして眠り込んでしまったというところだろうか。
まだ髪も生乾きだ。
「風邪引くだろうが」
オレは起こさないようにと静かに託生に近づいて、足元に畳まれた布団に手をかけた。
今夜は久しぶりにいちゃいちゃしたかったのになぁ、などと思って小さくため息をついたそのとき、託生が小さく身じろいだ。
「ん・・・」
次の瞬間、オレは心臓が止まるかと思うくらいに驚いた。
ころりと寝返りを打った託生の瞼の端から、すっと涙が一筋流れたのだ。
本当に一瞬、息が止まるかと思った。
託生の涙は、いつでもオレを冷やりとさせる。
滅多に泣いたりしないから余計に、託生が泣く時はよほどのことがあったんじゃないかと思ってしまう。
眠りながら涙を流すほどの辛いことでもあったのだろうか。

(もしかして、ここのところオレと一緒にいられないのが寂しかったとか)

ずっと我慢してて、それで夢の中で泣いてるのだとしたら、託生には悪いが、ちょっとばかり嬉しいかもしれないぞ。
オレは顔がにやけそうになるのを堪えながら、託生の身体をそっと揺すった。
「おい、託生・・・託生」
声をかけると託生がゆっくりと目を開けた。
「う・・・ん・・・」
焦点の合わない瞳で、じっとオレを見る。オレがいるのが不思議だというような表情で。
「ギイ?」
「ああ、オレだよ。どうした、怖い夢でも見たか?」
そっと指先で濡れた頬をぬぐう。
「ギイ?だよね・・・あれ、ぼく、泣いてた?」
「ああ・・どうした?何かあったか?」
「夢見てた・・・」
オレはベッドに腰かけると、まだ寝ぼけた表情でいる託生の前髪をかきあげた。
「何の夢見てたんだ?泣くほどの怖い夢か?」
「ギイが・・・」
「オレが?」
一緒にいないから?
いや、待てよ。
まさかオレが別れ話をして悲しくて泣いたとか、離れ離れになったとか、浮気したとか、そんなあり得ない夢を見て泣いたんじゃないだろうな。
しかし託生が見た夢は、そんなオレの想像を遥かに超えたものだった。




むっと腕を組んだまま黙り込んだオレを、託生が困ったなぁというように見つめる。
「だから夢じゃないか」
託生がつんつんとオレのシャツの裾を引っ張る。
「ギイだって、自分が見る夢を自分じゃ選べないだろ?」
そりゃそうだ。
「ぼくだって見たくて見たわけじゃないんだよ?」
当たり前だ。だが、どうにも納得ができない。
「ギイってば」
「だからって、何で、オレが死ぬ夢なんて見るんだ」
「知らないよ」
困ったなぁと託生が首を傾げる。
何の夢を見たんだ?と聞いたオレに、『ギイが死んじゃってさ・・・』と聞かされて、オレは唖然と託生を見返した。
寝ぼけた顔で『悲しい夢だった』と言われても、何と言っていいものやら。
「人のこと勝手に殺すなんて、ひどいヤツだな」
「ひどいのはギイだろ、勝手に一人で死んじゃって」
託生がむっと唇を尖らせる。

はい?
いやいや、ちょっと待て。
怒ってるのはオレの方だろ?

託生が見た夢の話はこうだ。


ある日、託生が305号室に戻ってくるとそこには誰もいない。
オレの机は綺麗に片付けられていて、不安になった託生は寮の中を探し回ったが、どこにもオレはいない。
そこに現れた章三からオレが死んだことを聞かされる。

(そうだった)

オレは死んでしまったのだと、託生は思い出す。
どうして死んだのかは分からない(夢だからな)
けれど、死んでしまったという事実を託生は思い出すのだ。

(もういないんだ)

夢の中、オレが死んで一人残されて、あまりに悲しくて託生は泣いていたのだという。




「怒んないでよ、夢の話なんだから」
託生がオレの顔を覗きこむ。
言われるまでもなく夢の話である。
それにしても、だ。
何だってそんなおかしな夢を見たりするんだ、託生は?
もしかして、最近一緒にいる時間が少なくなってるし、心の奥で寂しいと思っていて、それが夢になって現れてしまった、とか?
オレがそばにいないことが、死んでしまったことに繋がったとか?
だとすれば、そんな夢を託生に見させてしまったのはオレのせいってことになるんじゃないか?
あー心理学も勉強しておくんだったな。
夢判断なんてそれほど信じちゃいないが、深層心理っていうのは侮れないしな。
そんなことを考えて黙り込んでしまったオレの腕に、託生がそっと触れた。
「ギイってば」
「・・・」
「・・・すごく怖かったんだからな」
ぽつりと託生がつぶやいた。
オレは顔を上げて、まだ赤い目をした託生を見つめた。
「怖い夢だった。ギイがいなくなっちゃって、すごく怖かった。嫌だって何度も叫んだんだ」
「託生・・・」
「夢だって分かってるのに、だけど・・すごく怖かった」
「・・・」
オレは片手を伸ばし、託生の頭を胸に抱え込んだ。
託生が数年前に兄を亡くしていることをふいに思い出した。親しい人を亡くすというのは辛いことだ。おまけに託生の場合、兄の存在は少しばかり複雑だ。託生にとって死というのはオレが思っている以上に、心の奥深くに暗く影を落としているのかもしれない。
託生は、そんなこと考えてはいないのだろうけれど。
オレはぽんぽんと託生の薄い背中を叩いた。
「ギイ?」
「オレはここにいるだろ?」
「・・・・・」
「ちゃんと生きてる。怖いことなんて何もない。だろ?」
「うん」
託生の腕が、ゆっくりとオレの背中に回された。
生きているという言葉を確かめるようにオレの胸の中へと頬をすり寄せる。
滅多にない甘えた仕草に思わず頬が緩む。

「・・・ギイだ」
「ああ」
「良かった」
「・・・」
「夢で良かった・・ギイがここにいてくれて良かった・・」

託生の、心からの安堵の言葉に、例えようもないほどの愛しさがこみ上げてくる。

どうして託生はこんなにもオレの心を乱すことができるんだろう。
どうしてこんなにも胸を締め付けるほどの切なさを簡単に与えることができるんだろう。
自分以外の誰かを愛することができるのだと教えてくれるのは、やっぱり託生しかいなくて、オレはその事実にいつもいつも感動してしまう。
大きく深呼吸して、オレは託生の背中をぽんと叩いた。

「おかしな夢を見たのは、最近一緒にいる時間が少なかったせいだな」
「え?」
オレの言葉に託生が顔を上げる。
「オレといられなくて寂しくて、うっかりそんな変な夢見ちまったんだよ」
「そ、そうなのかな・・・」
託生が訝しげに首を傾げる。
おい、どうして悩むかな、そこで。
「あんまりべったり一緒にいると飽きるぞ、なんて章三に言われたんだが、一緒にいない方がいろいろと支障が出そうだし、やっぱりオレたちいつも一緒にいるべきなんだよな」
うんうんとうなづいて、そのまま託生をベッドに押し戻す。
「ちょっと、ギイ!」
「しばらくご無沙汰だったから、それも原因の一つに違いない」
「え?」
ニヤリと笑うと、とたんに託生が顔を赤くした。
「嘘ばっかり!ちょっと、重たいよ、ギイ」
「大好きだよ、託生」
「・・・・」
「愛してる」
囁きに、託生が押し黙る。
そっと口づけると、託生は拒むことなくそれを受け入れてくれた。

無理して一緒にいる必要はないけれど、無理して離れている必要もない。
けれど、そばにいたいと思うときに、離れているのはあまりにも寂しい。

「なぁ、オレと一緒にいられなくて寂しかったか?」
「・・・一緒にいるだろ。だって、同じ部屋なんだし・・・」
「もっとオレと一緒にいたいって思う?」
自分でもおかしいと思うけれど、託生の気持ちが気になって仕方ない。託生は少し考えるそぶりを見せる。
オレは託生の前髪を梳いて、その返事を待った。
「・・・あんまり考えたことなかったけど・・・」
「考えろよ」
「今、考えてる」
笑う託生を今すぐにでもどうにかしたくて、だけどぐっとそれを堪える。ほんと、託生といると、忍耐力を鍛えられるよなぁ。もしかしてオレ、試されてるのかな?
やがて託生は真っ直ぐにオレを見つめて言った。
「一緒にいたいなぁって思うけど・・・だけど、ギイが忙しいのもわかってるし、ぼくのためにギイが無理するのは嫌だな」
「・・・・・・」
「夢はただの夢だよ、ギイ」
きっぱりと言い切る託生に、オレは苦笑せざるを得ない。
そうだよな。託生はそういうヤツだった。
潔くて、強くて、自分のことより相手のことで。
「分かりました。たかが夢の話で拗ねたりして悪かったよ」
オレが言うと、託生はうん、とうなづいて、そのままころりと寝返りをうって小さくあくびをする。
「おい、託生」
「眠い。ギイ、今日はもう寝るよ・・・」
「お前、この状況でそれはないだろ!」
「今度はいい夢見るからさ、安心していいよ」
「ちょ・・・っ!」
誰が次に見る夢の心配をしてるんだ!
慌てるオレなんてお構いないしで、託生は安らかな寝息を立て始める。
ありえない。
オレのこのモヤモヤはどうしてくれる?


その夜見た夢は、そりゃもうすごいものだった。
託生が聞いたらしばらく口をきいてもらえないだろうなぁというくらいの。
夢はただの夢じゃなくて、絶対に深層心理を表してるに違いない!!!



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あとがき

ギイが見た夢はかなりピンク色だったに違いない