ユメカウツツカ


気がつくと、夕暮れ時のオレンジ色の光が辺りを包み込んでいた。
ほんのり暖かくて、静かで、何だか懐かしい空気を感じた。
しかし・・・
「ここ、どこだ?」
まったく見たことのない風景に首を傾げる。少なくとも自分が生まれ育った場所ではないし、今暮らしている祠堂でもない。
目の前には公園。
とりあえず歩き出してみるが、周囲があまりにも静か過ぎることに気づいて警戒心を深める。
見知らぬ場所というだけでも十分怪しいのに、公園の中に誰の姿もないのも不自然だ。
どうしたものかと思った時、少し離れたベンチに誰かが座っているのに気づいた。
託生だった。
思わず笑みが漏れる。
けれど、その姿はオレと一緒にいるいつもの託生の姿ではなかった。
そこでようやく、これが夢なのだということに気づいた。

(そっか、オレ、夢見てるんだ・・・)

それでいろんなことに納得できた。
目の前にいる託生は、オレが初めて託生を知った頃の姿をしていた。
いや、それよりももう少し大きくなっているだろうか。
つまり、今一緒にいる高校生の託生ではなく、もっともっと幼い頃の託生だ。
初めて託生を知ってから、何度となく夢で託生と会ったけれど、祠堂に来てからそんな夢を見ることはなくなっていたというのに。

(懐かしいなぁ)

託生の夢を見るなんてラッキーだ。
オレは意気揚々と一人ベンチに座る託生へと近づいた。
託生は俯き加減で膝の上に広げた本を読んでいた。
オレの影が足元にかかると、それに気づいた託生がふいっと顔を上げた。
あどけない表情。黒目がちな大きな瞳がオレを見上げる。

(うわ、可愛い)

小さい頃の託生ってこんな感じだったかな、それともオレの記憶があやふやなのだろうか?
いや、他人よりも100倍は優秀な記憶力を持っているので、間違えるはずがない。
オレはじっと昔の託生を見つめた。あまりの可愛らしさに目が離せない。
託生はそんなオレを何か不思議なものを見るかのように見つめていたが、はっと我に返ったのか勢いよく立ち上がった。
「おいおい。ちょっと待てよ」
走り出そうとする託生の小さな手を掴む。
いきなり掴まれた託生は、真っ青になってオレから逃げようとする。
「何で逃げるんだよ」
「知らない人と話しちゃだめだって・・・!」
「知らない人ぉ?」
託生からの思いがけない言葉に少なからずショックを受ける。
知らないって何だ?
会ってるだろ、ちゃんと。たった一度きりだけど。
いや、会ってるけど、きっと託生はオレのことなんて覚えちゃいないんだろう。
祠堂で再会した時だって、託生はこれっぽっちもオレのことなんて覚えちゃいなかった。
まぁそれは仕方ないことなのだが、やっぱりちょっと胸が痛む。
だめだ、これは落ち込みそうだ。
オレは少し考えたあと、とびっきりの笑顔を見せた。
「なぁ、一人なんだろ?オレも一人だし、ちょっとだけ話をしよう」
ここでオレを印象づけて、覚えていてもらおうなんて、普通で考えれば馬鹿馬鹿しい思考だが、これは夢なので「いい考えだ」なんて思ってしまうオレがいる。
まぁ夢ってのは何でもありだよな、うん。
「な、いいだろ?」
「だって・・・」
託生は怯えたようにあとずさる。
「大丈夫。知らない人じゃないよ、オレ、きみのこと知ってるよ。葉山託生くんだろ?」
「・・・・・どうしてぼくの名前を知ってるの?」
びっくりしたように託生が目を丸くする。
「それは内緒。な、ちょっとだけいいだろ?それとももう家に帰らないと怒られる?」
「・・・・」
託生は少し寂しそうな顔をして、再びベンチへと腰を下ろした。
オレもその隣に腰を下ろす。自分の肩のあたりまでしかない小さな託生に愛しさがこみ上げる。
素直に座ったものの、まだどこかオレのことを警戒した様子の託生に優しく問いかける。
「学校の帰りなんだろ?こんなところで遊んでていいのか?」
「だめだけど・・・」
「だけど?」
「・・・・・今日は帰りたくないから」
小さく託生がつぶやく。
オレは身体を屈めて、うつむく託生の顔を覗きこんだ。
「どうした?テストで悪い点でも取ったのか?」
「ううん」
「んじゃ、友達と喧嘩した?」
「しない」
「じゃどうした?」
「・・・今日はお母さんがいないから」
その言葉に、オレはざわりと肌が粟立った。

家に母親がいないのが寂しいから帰りたくないのではない。
兄しかいない家には帰りたくないのだ。

あの夜、託生から知らされた過去。
託生が兄から受けた歪んだ愛情。
オレのことをいつも脅かす薄暗い影。

現実の彼はもう死んでしまったのに、この夢の中ではまだ託生を縛り付ける存在だ。
オレを知らない託生のことを決して手放そうとはしない。

ぐらりと足元が揺れた気がして、オレは必死に正気を保とうと大きく深呼吸した。

「大丈夫?」

顔を上げると、そこには心配そうにオレの顔を見つめる託生の瞳があった。
ああ、お前はこんな時でも自分よりも人のことを心配するんだな。
大丈夫か、って聞きたいのはオレの方なのに。
けれど、大丈夫じゃないことを知っているから聞けない。
助けてやりたいのに、これは夢で、オレは何もしてやることはできない。
このまま託生のことを連れ去ってしまおうか。
そうすれば、夢の中だけでも、託生を救ってやれるのだろうか?

「託生・・・」

オレが言うより先に、託生は立ち上がりオレの手を取った。

「遊ぼうよ」

キャッチボールしよう、と託生がオレの脇を指差す。
いつの間にか、ベンチにはグローブが二つあった。夢って何でもできるんだなぁなどと、妙に冷静にオレはそれを手に取る。
「キャッチボールできるのか?託生?」
スポーツはどれもあまり得意じゃないはずなのに。
「できるよ。お兄ちゃんに教えてもらった」
グローブを片手に、託生は走り出す。少し離れた場所に立ち、オレに向かって力いっぱい球を投げる。
思いの他しっかりとした球が返ってきて、オレはそれを難なく受け止めた。
そういえば、祠堂でもやったことないなぁと思い出す。
高校生になった託生もこんな風に真っ直ぐな球を投げるのだろうか。
今度一度誘ってみるか、などと考えながら、しばらく幼い託生とキャッチボールを楽しんだ。
「上手だな」
そういえばあまり運動神経は良いとは言えない託生だが、球技は得意だったな、と思い出す。
「うん、練習したんだ」
嬉しそうに託生が笑う。
兄が託生の相手をしたのだろう。
彼が託生のことを大切にしていたことは疑いようもない。
それなのに、どうして誰よりも深く託生のことを傷つけるようなことをしたのだろう。
どれだけ考えても、オレにはやはり理解できない。
「託生、バイオリンは?」
「もっと練習してるよ」
「今度聞かせてくれるか?」
「いいよ。上手になったらね」
どれくらいそうしていただろうか。気づくと辺りはすっかり日が暮れていて、託生は慌ててベンチに戻ると、置いてあったランドセルを手に取った。
「帰るのか?」
「うん、帰らなくちゃ・・・」
「行くな、託生」
「・・・」
託生は不思議そうにオレを見つめた。
「辛いことがあるんだろ?帰りたくないんだろ?オレと一緒にいよう?」
兄の元へは返したくなかった。
オレならお前のことを守ってやれるから。
オレならお前のこと幸せにしてやれるから。
だから、一緒にいよう。
そんなオレの必死の想いに託生は首を振る。
「だけど・・・帰らなくちゃ・・・」
これは夢なんだから、少しくらいオレの思い通りになったっていいはずなのに。
夢の中でさえ、オレは託生のことを助けてやることはできないのか。
「・・・託生」
「なぁに?」
オレはその場に身を屈めて、託生と視線を合わせた。
「今、辛いことがあっても・・・この先、辛いことがあったとしても、簡単に負けるなよ。ああ、そうじゃなくて・・託生が強いことは、オレが一番よく知ってるんだけど、でもこの先オレと出会うまでの時間、託生は一人で戦わなくちゃいけないから、今、オレが助けてやることはできないから、だから・・・」
オレは両手で託生の小さな手を包み込んだ。
「なぁ、辛いことと幸せなことって、生きてる間には同じ数だけ起こるんだってオレは思ってる。幸も不幸も、誰にでも平等に巡ってくるものなんだ。だから、今辛いことがあっても、オレと出会うまで、ちょっとだけ辛抱な」
オレの言葉の意味なんて、目の前にいる幼い託生には理解できないだろう。
これは夢だから、こんな言葉、本当の託生に届くはずもないのだけれど、それでも言わずにはいられなかった。
辛い思いをした分は、オレが必ず幸せにするから。
絶対に幸せにするから。
そんなことしか言えない。
何の力もない自分が情けなくて、じわりと涙が溢れそうになった時、託生がふわりと笑った。

「ありがとう、ギイ」

そして幼い託生は目の前から消えた。





「・・・・・・っ!!」

びくりと何かに弾かれたように身を震せて、オレはいきなり目覚めた。
どきどきと心臓が高鳴っていて、眠りから覚めたというのに少しも休まった気がしない。
見慣れた天井、遠くで聞こえる学生の声。
ここは寮の305号室だ。
オレは次第に意識がはっきりとしてきて、自分が泣いていることに気づいた。
指先で涙を拭う。
そして傍らに寄り添うようにして眠っている託生に視線を向けた。

(ああ、そっか。一緒に昼寝してたんだ・・・)

めずらしく放課後の時間が空いて、2人してベッドに横になってその日の出来事を話してた。
そしたら眠くなってきて、託生が先に眠り込んだ。それにつられて自分もまた眠ってしまったのだ。
「ん・・・」
託生が小さく身じろいで、薄く瞼を開けた。
「ギイ・・・?」
「よく寝てたな・・」
「ギイ」
「うん?」
「ありがとう・・・」
「え?」
託生はまだ浅い眠りの淵でまどろんでいるようで、オレの肩先に顔を埋めて柔らかく笑った。
「小さなぼくに、幸せの話をしてくれて・・・ありがとう・・・・」
「・・・っ」
「嬉しかったよ」
それだけ言うと、託生はまた眠りに落ちていった。
思いもしない託生の言葉に、呆然とする。
同じ夢を見ていたのか?
それはオレの夢なのか、託生の夢なのか。
それとも、あれは夢ではなくて現実だったのか?
ゆるく絡めていた指を深く絡めて、オレは託生の額に口づけた。
しばらく不思議な感覚が抜けなくて、いっそ気味が悪くなってきたオレは、まだぐっすりと眠る託生を起こした。
「ん・・・なに、ギイ?」
「託生、なぁ、さっきオレの夢見てたか?」
「え?夢?・・・うーん、どうかな。覚えてないよ」
「嘘だろ?!」
「だって、夢って起こされると忘れちゃうもんだろ?」
託生はふわぁっと欠伸をすると、
「ギイ、何かいい夢見たの?」
といつもの笑顔で尋ねた。

託生はついさっき、寝ぼけながらオレにありがとうと言ったことさえ綺麗さっぱり忘れていた。
もしかして、そのこと自体もオレの夢だったのか、と首を傾げてしまう。
いや、しかし・・・
「繋がってるんだよな、オレたち」
「え、何の話?」
「なぁ託生、今度キャッチボールしようか」
「何だよ、突然。いいけどさ、ギイが思ってるより10倍は、ぼくは上手いと思うよ」
めずらしく得意げに胸を張る託生に思わず吹き出す。
「知ってるよ、兄貴に教えてもらったんだろ?」
「え、どうして知ってるの?」
「お前が教えてくれたんだろ」
「?」

夢か現か、まぁどっちでもいい。
何しろオレたちは世界最強の恋人同士なんだから、少しくらい不思議なことがあったって驚きはしない。
願わくば、夢の中で託生に告げたことを、心のどこかで覚えていてくれればいいと、そう思う。
小さな託生に告げた、オレの想いを。







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あとがき

小さい託生くんはきっと可愛いんだろうな。ギイが恋したくらいだから。