第22話
真夜中に目が覚めた。 傍らに眠るギイは、まるで託生がどこかへ行ってしまうのを怖がるかのように、託生の身体にその長い腕を巻きつけていた。 暗闇の中、託生は自分の肩先に顔を埋めるギイの髪に口づけた。 ギイがここに泊まるのは、彼が結婚してから初めてのことだった。 たとえどんなに遅くに訪ねてきたとしても、託生は頑として泊まることは許さなかった。 ギイが眠る場所はここではないからと自分に言い聞かせて、帰りたくないと無茶を言うギイを追い返してきた。 このマンションはギイが社会人になってから一人暮らしを始めた時に住んでいたマンションで、しばらく託生も一緒に暮らしていた。 ギイの結婚が決まり、出て行こうとした託生だったが、ギイはそれを許さなかった。 すったもんだのやりとりのあと、結局一度言ったら引くことのないギイに負けて、今では託生が一人で暮らす場所となり、ギイがそこに通うという形になっていた。 今でこそ、仕事が忙しくてここを訪ねてくるのは2、3日に1度となっているけれど、結婚した当初、ギイはほとんど毎日ここに来ていた。 まるでここが自分の場所だとでもいうかのように、仕事が終わると当たり前のように帰ってくるギイを見ていると、とても彼が結婚をしたとは思えなかった。 時々あれば性質の悪い冗談だったんじゃないかと思うほどに。 けれど、ギイが結婚したのは冗談でも何でもなく事実なのだ。 ある日とうとう託生がいつまでも帰ろうとしないギイに声を荒げた。 結婚したのだから、ちゃんと家に戻らなくてはいけない、と。 ここは、もうギイの本来いる場所ではないのだ、と。 その言葉にギイはひどく傷ついた顔をした。 結婚しても、2人の気持ちは変わらないと言ったのは託生だった。 ギイにしてみれば帰るべき場所は託生のいるところなのだから、どうして帰れと言われるのか理解できなかったのだろう。 けれど託生にしてみれば、どうしてギイが分からないのか、その方が不思議だった。 一度でも一緒に夜を過ごせば、きっと帰したくなくなることは託生には分かっていた。 日付が変わるぎりぎりにようやく重い腰を上げて帰っていくギイを見送るのが、どれほど辛いことなのか、どうしてギイには分からないのだろう。 一緒にいたいと思っているのはギイだけではないのに。 託生は眠るギイをぼんやりと眺めた。 昔から少しも変わらない綺麗な寝顔。 白い頬に、薄く開いた唇。 以前はただただ愛しく感じたそんなギイのすべては、今では胸を締め付けるものに変わっていた。 あの時、2人に残された時間が僅かになった時、ギイはいつもどこか苛立っているように見えた。 結婚を迫る両親とそれに反発するギイ。崎に引き取られた時から決められていた結婚を、ギイも半ば諦めるように受け入れていたのだ。 託生と出会うまでは。 拒否することなどできようもないことはギイだって十分わかっていた。好きな人がいるからなどという理由で許されるはずもないことも。 ある日、本宅へ戻っていたギイが深夜になって戻ってくるなり、託生に言った。 「託生、一緒に逃げようか?」 どこか切羽詰った様子で吐き出したギイの言葉の意味を、託生はすぐに理解することはできなかった。 「ごめん、どれだけ話してもどうしても分かってもらうことはできなかった。このままじゃあ近いうちに結婚することになる」 「・・・・・」 「逃げよう、託生」 ギイは本気で言っていた。 すべて捨てて一緒に逃げようと、ギイは真剣な表情で託生に言う。 「逃げる・・・ってどこへ?」 「どこでもいい。誰も知らないとこで、2人だけで生きよう」 それは初めて聞くギイの弱音だった。 いつも呆れるほどに強気で強引で、この世に怖いものなどないんじゃないかと思わせるギイが、そんなことを口にするなんて、本当にもうどうしようものない所まで来ているのだと託生は思い知らされた。 けれど、逃げることが本当にギイのためになるのだろうか、と託生は誘惑に負けそうになる中で考えた。 ギイは誰が見てもFグループを継ぐに相応しい人で、ギイ自身も仕事にはやりがいを感じている。 それを自分一人のためにすべて捨てさせていいのだろうか。 そんなことをすれば、いつかギイは後悔することになるのではないだろうか。 今は辛くても、ギイのために本当に正しいことは何なんだろう。 「託生?」 抱きしめるギイの胸を押し返した。 ずっとずっと大好きだった温もりは、もう手放さなくてはいけないのだと、託生はぼんやりと思った。 第23話へ |