愛の嵐


 
第23話


あまりにも長い時間、託生がギイを見つめていたせいか、やがてギイがゆっくりと瞼を開けた。
睫長いなぁ、と託生は思わず微笑む。ぼんやりとしていた薄いブラウンの瞳が、託生を捉えて、しっかりとしたものに変わる。
目の前に託生がいることにギイはほっとしたようで、もぞもぞと体勢を変えると、託生を胸の中に抱きかかえた。そして深く吐息をつく。
「どうした・・眠れないのか?」
「うん・・・」
ギイが優しく託生の背を撫でる。
その心地よさにうっとりしながら、託生は目を閉じた。
その夜、初めて泊まることを許されたギイはずっと機嫌が良かった。
溺れるように抱き合って、今日は帰らないと宣言されて、託生はもうどうでもよくなってしまった。今までずっと意地を張って追い返していたけれど、本当は帰って欲しくなかったのだ。
だから今夜、ギイに帰らないとはっきり言われて、困ったなと思いながらも嬉しくも思った。
けれど、明日になればギイはまたここを出ていってしまう。
仕方がないことだと頭では分かっていても心がついていかない。
託生はギイの懐に潜り込むようにして身を寄せた。
暖かな体温にほっとする。
「託生、眠れないならもう一回する?」
掠れた声でギイがからかうように問いかける。
思わず託生は吹き出した。
「しないよ」
「何だ、残念」
「ギイ・・・」
「うん?」

もうやめようよ、こんなこと。
ギイは結婚したんだから、もうぼくと一緒にいちゃいけない。
やっぱりこんなこと間違ってた。
今日で最後にしよう。

そんな台詞を、何度も言いかけては飲み込んできた。
言って、いつかギイが「そうだな」とうなづくのが怖かった。

あの時、託生に「一緒に逃げよう」と言ったギイは本気だったから、託生も初めて2人の行く末について真剣に考えた。
考えて、考えて、そして導き出した結論は、別れた方がいいというものだった。
たとえそれがどんなに辛いことでも、それがきっとギイのためになると思ったのだ。
「ギイ、結婚して」
意を決して言った別れの言葉だったのに、ギイは笑って、
「託生、オレと結婚してくれるのか?」
と茶化した。
違うと首を振る託生に気づかないふりをして、ギイはなおも軽い口調でふざけ続ける。
「よし、今すぐにでも結婚しよう。そしたらもう誰にも邪魔されることなく一緒にいられる」
「違う、ギイ」
「そうか、その手があったか。既成事実を作っちまえばこっちのものだったよな」
オレとしたことが考えつかなかったなぁとギイがうーんと唸る。
「ギイっ、ちゃんと話を聞いてよっ!」
どこまでも逃げようとするギイに、託生は思わず怒鳴った。
ギイの表情から笑みが消え、胡乱な瞳で託生を眺めた。
「ギイ・・・ぼくとじゃないよ・・・婚約者の人と結婚して」
「・・・・」
「ギイだって分かってるはずだ。逃げるなんて、口で言うほど簡単なことじゃない。相手はあのFグループだよ。許されるはずもない。だって・・・ギイだって言ってたじゃないか。育ててもらった恩がある、って。だからできる限りのことはするつもりだって。そういうのも全部放り出しちゃうの?そんなこと、本当にギイにできるの?」
「・・・・・」
まだ言わなくてはいけないことがある。
ちゃんと自分の口で、言わなくてはいけないと思えば思うほど、指先が冷たくなって震えてくるのを止めることができなくなってきた。
俯いて、ぎゅっと両手を握りあわせる。
とてもギイの顔を見ては言えないことだった。
託生は吐息をつくほどの小さな声でギイに告げた。
「別れよう?ギイ、もう終わりにしよう。そうするのが一番いいよ」
言った瞬間後悔した。
まさか自分からこんな別れの言葉をギイに告げる日が来るなんて夢にも思っていなかった。
けれど、こうするより他にない。
そう思っての必死のお願いだったのに。
「・・・嫌だ」
ギイはたった一言で、あっさりとそれを拒絶した。
もちろんギイがそう言うであろうことは分かっていたし、それは託生にとって嬉しい言葉ではあったけれど、託生はダメだよというように俯いたまま首を振った。
「ギイ一人が嫌だって言って済む問題じゃないんだろう?だから逃げようなんて言ったんだろ?ギイが・・・ぼくのことで苦しむのは嫌だ。ぼくのためにすべてを捨てるなんてこと、絶対にダメだよ」
「・・・・」
黙り込むギイが怖かった。
長い沈黙が続き、ぼくはゆっくりと顔を上げてギイを見た。
目が合うと、ギイはまるで楽しいことを聞いたとでも言うようにうっそりと笑った。
「言いたいことはそれだけか?託生」
「ギイ・・・?」
「お前、何も分かってない。今、オレが持ってるものなんて全部捨てたっていい。そんなこと別に何とも思わない。託生が、オレのそばからいなくなるなんて絶対にダメだ。それだけはダメなんだ。他のものは何もいらない。託生だけでいい」
「ギイ・・・っ」
「別れるなんて、許さない」
両腕をつかまれ、胸元に額を押し付けられた。
ギイの言ったことは、本当はそのまますべて託生がギイに言いたいことだった。
もし、今託生が持っているものをすべて捨てればギイと一緒にいられるというのならば、迷わずそうしただろう。
けれど託生が捨てるものとギイが捨てるものではあまりにも差がありすぎる。
「ダメだよ、ギイ・・・」
「オレを嫌いになったのか?嫌いになったから別れたいって言うのか?」
「そうじゃない」
嫌いになんてなれるはずもない。誰よりも何よりも、託生にとってギイは唯一心から愛した人なのだ。
何があっても嫌いになんてなれるはずがない。
「嫌いになって別れるというなら納得もできる。だけど愛し合ってるのに別れるなんて絶対にできない。託生はそんなことができるのか?」
真っ直ぐに問いかけられて、「できる」と頷けなくなる。

(ああ、ギイ・・・)

「オレがいなくて、お前は一人で生きていけるって言うのか?」

(どうしてそんなこと聞くのかな。答えなんて分かりきってるくせに)

ギイはずるい。
どうしようもないことなのに、どんなに考えたって選ぶ道は決まってるのに。

(だけど本当に?)

その時の自分は、ひどく混乱していたのだと託生は思う。
ギイが好きで、どうしようもなく好きで、別れた方がいいなんて口では言いながら、本当は一緒に逃げたかったのだ。
相反する思いが交錯して、普通なら絶対に考えないようなことがもしかしたら一番いいことなのではないか、と思ってしまったのだ。
託生は大きく深呼吸をすると、ギイの肩を押し戻した。
そして真っ直ぐにその視線を合わせる。
「分かったよ、ギイ」
「託生?」
「ギイが結婚しても、ぼくはギイとは別れない・・・・」
「え・・・?」
「ギイが結婚しても、ぼくがギイのことを好きでいることは変わらないから・・・」
視界ぼやけて涙が溢れそうになるのを息を呑んで堪えた。
「ぼくは、ギイとは別れない。だからギイ、結婚して。それなら、いいだろ?」
「いいだろ・・って・・・」
言っている意味が分からないという様子のギイの表情が次第に強張っていく。
「託生、お前自分が何を言ってるのか分かってるのか?」
「・・・分かってるよ・・・」

(これは、してはいけないことだ。すべての人を欺くことになる)

ギイは託生の身体を突き放すと、怒りを隠そうともせずに立ち上がった。
叫びたいのを堪えるかのように両手で顔を覆い、肩で息をする。
「ギイ・・・」
「お前はっ、オレが結婚しても、何も変わらず付き合うって言うんだな。別れたことにして、誰にも内緒にして、オレは表向き家庭を作って、その裏で託生と付き合えって、そう言うのか?」
「ギイ・・・っ」
「託生は、オレの愛人になるとでも言うつもりか?」
「・・・っ」
思いもしなかった言葉に、託生は息を呑んだ。
そうか、そういうことになるんだ、と託生は今さらのように気づいた。
愛人?
そうだ、奥さんのいる人と付き合うっていうのは、世間ではそういうことになるのだ。
ぼんやりとギイを見返す託生に、さらにギイが声を荒げる。
「託生!お前、自分がなに言ってるのか分かっ・・・」
「分かってるっ」
託生は大声でギイを遮った。
強い口調に一瞬ギイが怯む。
「分かってる・・・だけど、だけどギイは結婚しなくちゃならない、逃げるなんてできない、別れることもできない・・・」
「託生・・・」
「・・・愛人でいい」
口にしたとたん、託生はその言葉の重さに押しつぶされそうになった。
いったい、自分は何を言ったのか。
「ギイと一緒にいられるなら・・・ぼくは、ギイの愛人でいい」
きっぱりと言い切る託生に、ギイは呆然と立ち尽くした。
たぶん、それはギイにとっては一番聞きたくない言葉だったのだろう。

そうして託生はギイの愛人になった。

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あとがき

ぜんぜん話が進まない!これこそソープオペラ。