愛の嵐


 
第28話



島岡が突然託生の元を訪れた翌日には、託生は宿をあとにした。
そしてまたそれまで訪れたことのない地を選んで、身を隠すように目立たない小さな宿を取った。
島岡は託生の願いを聞き入れてくれたのだろうか。
いや、託生のことは見つからなかったと言ったとしても、島岡の言う通り、ギイは自分で探し始めるだろう。
そして必ず見つけ出されてしまう。
島岡が見つけ出せたのだから、ギイなら簡単に見つけ出せるはずだ。
この一ヶ月の間、ギイからは何の接触もなかったから、自分のことを探しているとは思っていたけれど、まさか本当に見つけられることはないだろうと簡単に考えていた。
けれど、今まで見つからなかった方がおかしいのだ。
考えの甘い自分が嫌になる。
託生は
ギイのことを忘れようとしていたのに。
ようやくほんの少し気持ちを強く持つことができそうだと思っていたのに。
もし、もう一度ギイに会うようなことがあれば、自分はいったいどうなってしまうのだろう。
二度と会わないとあれほど強く誓った決意も、きっと簡単に崩れてしまうに違いない。
そうなる自分がいることを知っている。
ギイのことが好きだから。
だから離れようと思った。もう会ってはいけないと自分に言い聞かせた。
そう思っているのに、ギイを思うだけで、その決意はあっけないほど脆く崩れそうになる。
託生は窓際の椅子に座ると、外の景色を眺めた。
遠くに海が見えた。
昨日までいた町ほど潮風を感じることはできなかったけれど、ここも十分に海を感じることができる。
祠堂からも遠くに海が見えた。
ギイと二人で屋上へ上がり、何度となく一緒に眺めたことを思い出して、思わず頬が緩んだ。
海のそばに住むのもいいな、と思った。
何となく思いついた考えだったけど、それは託生をほんの少し明るい気持ちにさせた。
「寒いところは嫌だな、南の方・・・海って言えば沖縄とか?それも単純かなぁ」
けれど、そういう単純さが必要なのかもしれないとも思うのだ。
今までずっと、複雑に絡み合った感情に振り回されてきた。
行ったことのない場所で、一人でシンプルに生きることが今の自分には必要なのかもしれない。
そろそろどこかで部屋を借りて、働かなくてはならないと思っていたけれど、島岡の話を聞いて、一所に留まるのは良くないような気もしてきた。けれどいつまでもうろうろとしているわけにもいかない。
きちんと計画を立てて生活をしなければ、今までの貯金などあっという間になくなってしまう。ギイの元を出て、あちこちを転々としていたけれど、そろそろ資金的にも苦しくなってきた。
ギイの妻が申し出た援助など最初から受けるつもりはなかった。
それだけは絶対にしたくなかった。
かと言って、生きていくためにはお金も必要だということもよく分かっている。
今までギイに任せきりだったから、一人で生活するために必要なことをすべて自分でするということがどれほど大変なことなのか、今になってひしひしと身に沁みていた。
「甘やかされたよなぁ」
大切にされていたのだ。誰よりも、何よりも。
それが当然だなんて思っていたわけじゃないけれど、ギイはそんなことを気づかせないように、溢れるほどの愛情を注いでくれていた。
離れてみて痛いほどにそのことが分かる。
初めて出会った頃から変わることなく、託生のことだけを愛してくれたギイ。
もう二度と、あんなに好きになれる人には出会えないだろう。
そんな大切な人の手を自分から離してしまったのだ。
後悔はしていない。
どれだけ考えても、こうするしかなかったのだ。
なるべく早くここも離れて、海の見える場所で暮らそう。一人で暮らせるだけの小さな部屋を借りて、ちゃんと仕事を探そう。バイオリンは置いてきてしまった。けれど、またいつか、大好きな音楽ができればいいと思う。何年後か、それとも何十年後かには、きっともっと穏やかな気持ちでギイを思い出すことができる。
忘れることなどきっとできないから、それならせめてずっと好きでいよう。
その気持ちがあれば、きっと一人でも生きていける。
ほんの少し、ギイから離れて生きる自分の姿を想像することができたと思ったその時、ばんっと音を立てて、いきなり襖が開けられた。
託生は飛び上がらんばかりに驚いた。実際にその場から思わず腰を浮かしたほどだ。
そしてそこに立つ人に目を見開いた。
「・・・・ギイ・・・?」
一瞬にして胸がかっと熱くなるほどの衝撃に息を呑んだ。
たった今まで、心に思い描いていたその人が目の前にいた。
会いたく会いたくて、だけどもう会いたくないとも思っていた。
会えば、また離れられなくなると分かっていたから。
「どうして・・・?」
あまりにも突然のことで、思考がついていかない。
ただ信じられない思いでギイを見つめた。
島岡がやはりギイに報告したのだろうか。
あれほど知らせないで欲しいと頼んだのに、どうしてギイに知らせてしまったのだろう。
まるでここまで走ってきたかのように大きく胸を喘がせているギイが、怒りを堪えていることは託生にもすぐに分かった。
滅多に怒ることなんてないギイでも、さすがに何も言わずに逃げ出した託生を笑って許してくれるほど甘くはないだろう。
「やっと見つけた、託生」
ギイの低い声に、託生は弾かれたように立ち上がり部屋の片隅へと逃げた。
託生を見るギイの目は険しく、託生は初めてギイのことを怖いと思った。

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あとがき

ストーカーよ、逃げて〜!これこそソープオペラ。