人生ゲーム1



下界ではまだ残暑が厳しい頃、祠堂には一足早く秋がやってくる。
何しろ人里離れた山奥にポツンと建つ男子校なので、下界とは気温が数度違う。
一番過ごしやすい季節に加えてまだ日が高い。「秋の夜長」というにはまだ早いが夕食後、消灯までの自由時間が何となく長くなったような気がして、ついつい遊びに力が入る者が多い時期でもあった。
その日、ギイのゼロ番に集まったのは、矢倉、野沢、吉沢、八津、章三、そしてぼく。
早い話、階段長会議の延長で、気の置けない友人が集まったのだ。
3年になってから、ずっと近寄りがたい雰囲気を身に纏っていたギイだけれど、最近は「ぷち方向転換」と周りが揶揄するくらいに、前と変わらない態度で皆と話をするようになっていた。
もっとも、1年のチェック組たちの前では相変わらずのポーカーフェイスで、少しも気を許してはいない。
だから、こうしてゼロ番に集って馬鹿話ができる時間というのは、ギイにとって貴重なんだろうな、と思う。
楽しそうに話をするギイを見ているだけで、ぼくはほっとできる。
だって、新学期が始まった頃のギイは辛そうだったから。
何も好き好んで孤独な状況にいるわけではないのだ。
それはすべてぼくのためだったから。
だから、ギイを見るたびに、ぼくは寂しいとか辛いとか考えるより先に、ギイに申し訳ない気がしてならなかった。
だから、たまには皆で盛り上がって、少しくらい羽目を外したっていいんじゃないかとは思う。
思うのだが!
「ほら、葉山も飲めよ」
ずいっと差し出されたグラスになみなみと注がれているのは、ビールである。
いいのかなぁと思いつつも、ぼくはグラスを受け取った。
明日は学校も休みだから、久しぶりに宴会でもしようぜ、と言い出したのはお祭り好きの矢倉で、それに一番に乗ったのがギイだ。政貴もああ見えて宴会は好きなほうだし、吉沢は誘われれば断らない。
章三だって馬鹿騒ぎは大好きな人間だ。
八津は矢倉と一緒にいられるとなれば、当然断るはずもなく。というか、普段あまり一緒にいられないからむしろ喜んでいるはずだ。
 
(まぁね、ぼくも皆と一緒にいるのは楽しいからいいんだけど)
 
だけど、アルコールはどうなんだろうなぁ。
そりゃぼくだって飲むけどさ、みんな底なしだからなぁ。
絶対ぐだぐだになるに決まってる。
「託生、今日は梅酒もあるぞ。好きだろ?」
「あ、うん、ありがと」
ぼくの隣の席を陣取ったギイがぼくの手からビールの入ったグラスを取り上げ、代わりに梅酒の入ったグラスを手渡す。
みんなで持ち寄ったつまみの袋が次々と封を開けられ、紙皿に並べられる。
夕食後だというのに、すごい量だ。
「さぁ、みんな乾杯しようぜ」
矢倉が声をかけ、みんなでグラスを合わせ、宴会が始まった。
しばらく各々近況報告をしたり、根拠のない噂話で盛り上がったり、とにかくアルコールのおかげもあってか、笑いの絶えない宴会だった。
ひとしきりの話が終わった頃、おもむろに矢倉が大きな紙袋を取り出した。
「何だ、それ」
章三が興味津々で矢倉を見つめる。
「ふふふ、実はさ、この前下山したときに見つけてさ。懐かしくて思わず買っちまったんだ」
矢倉がじゃーんと言いながら袋から取り出したものは。
「人生ゲーム?」
箱にでかでかと書かれた文字に、みんなが声を上げた。
誰でも一度はしたことがあるであろう人生ゲーム。ボードゲームの定番だ。
ぼくだって子供の頃はやったことがある。
言ってみればすごろくなのだが、山あり谷ありのなかなかシビアなところもあるゲームで、単純なのだが、けっこう盛り上がるんだよな、これが。
「懐かしいなぁ」
みんなもぼくと同じようで、さっそくフタを開け、中身を取り出した。
「ひゃー。これこれ、この車にさー、子供が乗ってくるんだよなー」
「不思議なことに、絶対に借金まみれになるんだよね」
「へぇ極辛だって。新しいヤツなんだ」
口々に久しぶりに見る人生ゲームに歓声を上げる中、ひとり不思議そうな顔をしているのがギイだった。
「もしかしてギイ、人生ゲーム知らないの?」
ぼくが聞くと、ギイは知らないと言った。
その一言に、その場の全員が「えっ!!」と声を上げた。
「ギイ、お前、人生ゲームを知らないのか!?」
「知らないな。そんなに有名なゲームなのか?」
「日本人なら誰でも一度はやったことがあるゲームだぞ」
章三が嘯くと、ギイはへぇと素直に感心した。
さすがにそれは大げさだよ、と思ったが、口にはしない。
「託生もやったことあるのか?」
ギイに聞かれて、ぼくはうなづいた。
「あるよ。お正月とかさ、子供の頃、親戚の子たちとやったな」
ふうん、とギイがゲームの備品をまじまじと眺める。
「しっかしギイが人生ゲームを知らないとは。お前、日本のことなら何でも知ってるっぽいのになー」
「あのなー、オレはずっとアメリカで育ったんだぞ。さすがに日本のゲームのことまで詳しくはないぞ」
ギイが憮然と言うと、みんながくすくすと笑う。
確かにギイは時々日本人じゃないかと思うくらいに、日本のことに詳しいもんな。
下手すると生粋の日本人のぼくよりも詳しいくらいだ。
ギイはゲーム盤をしげしげと見つめて
「モノポリーみたいなものか?」
と聞いた。モノポリー?って何だろう、と思ったのはぼくだけのようで、周りのみんなはそうだなぁとうなづく。
「まぁ近いかな。モノポリーの方が大人向けだがな。でもな、ギイ、人生ゲームは子供向けだが侮れないぞ。意外とハマる」
「とにかくやってみるのが一番早いんじゃない?」
八津が楽しそうに身を乗り出す。
子供のように目を輝かせている八津に、矢倉の表情が緩む。
そうか、矢倉は八津を楽しませたくて人生ゲームを持ってきたのか。
確かにみんなでやると盛り上がるもんな。
「葉山はいつも最下位になりそうだよな」
「失礼だな、赤池くん」
「確かに葉山くんは、駆け引きとかできなさそうだよね」
政貴もうなづく。続いて吉沢も。
む。
何だかすごく悔しいぞ。
そりゃ確かに駆け引きは苦手だけど、人生ゲームってそんな駆け引きはいらないじゃないか。
ルーレット次第っていうか。運任せだよね。
「よし、ルールは分かった。やろうぜ」
一人静かに説明書を読んでいたギイが、おもむろに準備を始める。
自分だけやったことがない、というのが気に入らないらしい。意外と負けず嫌いだからなぁ。
「とりあえず4人だ。八津とギイと、あと誰がやる?」
「僕は銀行やるよ」
章三が札を並べる。
「久しぶりに参戦しようかな」
「じゃ僕も」
プレイヤーはギイ、八津、政貴、吉沢という、普通で考えたらギイの一人勝ちになりそうな面子だった。
しかしそうは問屋が下ろさないのがこのゲームの面白いところである。
おまけにこの極辛バージョンはいろいろと恐ろしい落とし穴もあったりで、結局最下位になったのはギイだった。ルーレットがことごとく悪い目を出し、借金スパイラル地獄に入ってしまって抜け出せなかったのだ。
この結果に、矢倉も章三も大ウケした。
「ギイが負けるとはな!何かちょっと楽しいぞ!」
「あんな借金背負うなんて、現実の世界ではありえないもんな、ギイ」
「うるさいな。人の不幸をそこまで喜ぶな」
納得いかないような顔でギイががしがしと頭をかく。
人生ゲームなんて子供しか楽しめないんじゃないかと思っていたのに、どうやらアルコールの力があってか、妙に盛り上がってしまったのだ。みんなもけっこう飲んでいたし、もちろんギイも。
だからさすがのギイもちょっと勘が鈍ったのかもしれない。
子供みたいに悔しがるギイに、ぼくはつい笑ってしまって、じろりと睨まれた。
「このままじゃ終われないな、もう一勝負だ」
ギイがグラスに入ったビールをぐいっと飲み干した。
「じゃ次は誰がする?」
「今やってないヤツ入れよ。託生と章三。あとは・・」
「よし、俺が入る。ギイのヤツをコテンパンにやっつけてやるぜ」
矢倉が意気揚々とゲーム盤の前に座る。
何だか嫌な面子だなぁとぼくは思った。普通のゲームだとこの面子に勝てるとは思えない。
でもまぁ、人生ゲームは運次第だしな。
そう思って、ぼくはコマとなる車を手にした。
その時、何を思ったか矢倉が
「どうせなら最下位には罰ゲームをしようぜ」
と言い出した。
いつか言い出すんじゃないかと思っていたぼくはがっくりと肩を落とした。
何も今言わなくてもいいじゃないか。
それでなくても勝てる気がしない面子なのに、さらに勝てる気がしなくなってきた。
だって、みんな賭け事となるとほんとテンションが上がるんだから。
「よし乗った。一位のヤツが最下位のヤツに罰ゲームな」
「いいのか、ギイ、お前さっき最下位だったんだぞ?」
章三が言うと、ギイは任せておけ、と適当なことを口にする。
とりあえず最下位にはならないようにしないとね。よし、とぼくは密かに気合を入れた。
代わりばんこにルーレットを回し、コマを進める。マス目の指示に従いながら、ゲームを続けた。
「お。オレ、結婚だ」
ギイが嬉しそうに言う。
そしておもむろにぼくの車から人間代わりのピンを抜くと、ギイの車の隣の席に刺した。
「ちょっとギイ!何するんだよっ!」
「結婚するんだろ?だったらオレ、託生としたいしな」
「あのねっ」
このメンバーだからいいようなものの、みんなかなり酔っ払ってるからいいようなものの!!
何でそんな恥ずかしいことを満面の笑みで言うんだよっ!馬鹿ギイ。
ていうか、ギイも相当酔ってる感じだな。こんな冗談口にするくらいなんだから。
あ、違うか。
酔ってるから、以前みたいに冗談めかしてこんな馬鹿なことを口にできるのかも。
2年の頃なら、こんなこと、しょっちゅう言ってたもんな。
みんなも同じことを思っているのか、八津も政貴もにこにこと笑いながらそんなギイを眺めている。
ほんと、みんなギイには甘いんだから。
「託生、子供何人欲しい?」
「いいからもう、ぼくのコマ返してよ。借金だらけのギイと結婚なんてしたくないよーだ」
「葉山、いいぞ。今いい調子で勝ってるんだから、このままギイを突き放せ」
章三がにやにやと笑いながら、むっとするギイを眺める。
「今のところ、ギイがまた最下位だな、お前ほんとについてないな」
矢倉が楽しそうに笑う。
「よし、わかった」
さんざんみんなにコケにされたギイがおもむろに姿勢を正した。
「借金が原因で託生に振られるとは思わなかったからな。一発逆転で勝ってみせる」
自信満々でギイが言い放つ。
 
(うわー、ギイの目が据わってるよ)
 
さっきのぼくの台詞で俄然やる気になったみたいだ。何だかなーもう。人生ゲームくらいで本気にならないでほしいよ。
そしてギイはこういうところでも有言実行の男だった。
さっきまでの不運が嘘のように、ルーレットの目はいいところばかりに止まり、あっという間に借金返済。ぼくはそのあおりを食らって最下位に。
ほんとありえないよ、こんなの。
「うへー、ギイ、お前、葉山のこととなると無理やりにでも運を引き寄せるんだな」
「当然」
「恋する男は健気だねぇ」
矢倉が揶揄するように、けれどどこか感心したようにつぶやいた。
結局勝負は一位が矢倉、二位がギイ、三位が章三で、ビリはぼくだった。
さすがのギイもゲーム中盤からの追い上げだけでは一位になれなかった。
「じゃ、罰ゲームは葉山くんだね」
八津がにっこりと笑って厳しいことを言う。きっと八津も酔っ払ってるんだろうなぁ。
「覚悟はいいか、葉山」
矢倉がにんまりと、さながら舌なめずりをして、ぼくを見た。






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