けれど恋路はまだ遠く


今回、乃木沢×蓑巌。託生くんがちょろりと出演。


『今度の連休、デートしようか』
電話も向こうにいる彼がどこか神妙に言った。
デートの誘いなんて、きっと今まで何度もしてきただろうに、断られるんじゃないかという不安な気持ちが滲んでるような声色が意外だった。
どこに行くんですか?と尋ねると、それは行ってからのお楽しみ、と笑う。
毎日秒刻みの忙しい日々を送っている彼が、自分とのデートのために時間を作ってくれるというのか。
そう思うと、とても断るなんてできなかった。
というか、そんな風に誘ってもらえて、素直に嬉しかった。
大人しく返事を待つ彼に、行きますと答えると、ほっとしたように良かったといわれて、何だか気恥ずかしくなってしまった。
電話を切ると、連休はまだ先だというのに、もう待ち遠しくてならなくて、そんな自分に呆れてしまった。



人里離れた山奥に建つ全寮制の男子校、祠堂学院高等学校では、外泊をするためには事前に申請をしなくてはならない。
きちんとした理由があればほとんどが受理されるのだが、地方からの生徒が多いため、簡単に実家に戻ることもできず、よほどのことがない限り、そうそう外泊許可を取る生徒はいない。
けれど、今回の連休は四連休ということもあって、かなりの数の生徒が実家へ戻るようで、放課後、玲二が職員室を訪れたときにも4、5人の生徒が申請書を書いているところだった。
その場で少し待ってから同じように用紙を埋めていると、とんっと肩を叩かれた。
振り返ると、そこには同じクラスの葉山託生が立っていた。
「蓑巌くんも実家に戻るのかい?」
にこにこと微笑む託生もまた、外泊の申請書に手を伸ばす。
「葉山くんも帰宅組?静岡だっけ?」
「ああ、うん、実家は静岡だよ」
どこか困ったような口ぶりに、託生が実家に戻るわけじゃなさそうだなと感じ取った。
だとすれば行き先は一つしかないだろう。
「ギイと旅行にでも行くの?」
「えっ?いやいや、そんなこと・・・」
否定しながらも、顔が赤くなっていることでそれが正解なのだと知れた。
玲二はしょうがないなというように苦笑して、周りに聞こえないくらいに声のトーンを落とした。
「ただ友設定ってまだ続いてるんだ。もういい加減やめてもいいと思うんだけどな」
「えっと・・・」
どう答えていいのか悩んでいる託生を横目に必要事項を埋めて、申請箱に用紙を滑らせる。
託生も我に返って申請書にペンを走らせた。
去年の秋、ギイと託生の手助けもあって、それまで密かに想いを寄せていた乃木沢孟と晴れて恋人同士になることができた。
それ以来、それまで以上に2人とは気安く話をするようになり、特に託生とは3年になって同じクラスになったこともあって、一緒にいることが多くなっていた。
1年の時の託生であれば、とても親しくなろうとは思わなかっただろうが、2年になってギイと同室になり、託生はまるで別人のように変わった。
今では1年の時の託生のことをみんな忘れてしまっているくらいだから、きっと今の託生が素の姿なのだろうと思う。
「葉山くんも寮に戻るんだよね、一緒に帰ろうか」
「あ、うん。もうちょっと待って」
記入漏れがないかを確認して、託生は折りたたんだ用紙を申請箱に入れた。
「お待たせ。四連休もあると、みんな外泊するんだね」
「そうだね。寮にいても暇だから」
2人して校舎を出ると、寮へと続く道を歩いた。
「葉山くん、ギイとどこに行くの?」
「え?いや、別にギイとってわけじゃ・・・」
「誰もいないし、今さら隠さなくてもいいと思うけど?」
笑うと、託生も諦めたように笑った。そしてふっと息を吐くと首を傾げた。
「必死で隠してるつもりなんだけど、どうしてみんな騙されてくれないんだろう」
「はは、隠してるつもりなんだ」
「え、もしかしてバレバレ?」
「うーん。まぁね。2年の頃の2人を知ってるからさ」
玲二が言うと、託生はそうかぁと少しばかり肩を落とした。
実際のところ、どれだけ疎遠になったふりをしていても、ふとした時に2人の視線を見ればすぐに分かる。
愛しいとか恋しいとか、そんな言葉じゃ表せないような空気にはっとすることがある。
そして、2人がそんな風に密かに思いを通わせあっているのだと知ると、からかったり馬鹿にすることなどできない。
ただ友設定をしなくちゃいけないくらいに、お互いのことを大切にしているんだなぁと思うから、きっとみんな騙されたふりをしているのだ。
「そういえば、蓑巌くん、あれから乃木沢さんとは上手くいってるの?」
何の屈託もなく託生が尋ねる。
この手の話はあまり大っぴらではできないので滅多にしないのだけれど、今は2人しかいないし、話の流れからして聞かれるのも仕方がない。
玲二はうん、とうなづくと、少し考えてから足を止めた。
「あのさ、葉山くんにちょっと聞きたいことがあるんだ」
「なに?」
「ここじゃちょっと・・・寮に戻ってから部屋に行ってもいいかな」
「いいよ。たぶん、三洲くんは生徒会で遅いだろうし」
「ありがとう」
ここ数日、ずっと玲二を悩ませていた不安がこれで少しは解消されるといいのだけれど、とどこまでも穏やかな託生の横顔をを見て、玲二は小さく吐息をついた。


デートをしようと言った乃木沢から一通の封筒が届いたのは、電話のあった日の二日後のことだった。
中には東京までのチケットが一枚入っていた。
同封されていた手紙には三日分の宿泊の用意をしてくるようにと書かれてあった。
てっきり日帰りでのデートだと思っていたので驚いた。
何しろ、乃木沢は文部大臣の私設第一秘書で、それはそれは忙しい男なのだ。
三日も休みが取れるだなんてあるのだろうか。
いや、それ以前に泊まるつもりだったのか?
そんなことは考えてなかったので急に不安になってしまった。
ずっと両思いだったくせに素直になれなくて、わざと距離を置いていた。
けれど二度と会えなくなるかもしれないと事態が起こり、ようやく思いを告げることができた。
恋人同士だとお互いに認めて、それからは少しづつではあるけれど、2人の距離は近づきつつあった。
とは言うものの、忙しい社会人と全寮制の高校生。
なかなか会うこともできず、週に一度電話で話をできればいい方だ。
玲二にしてみればそれでも十分嬉しいことではあったけれど、やはり乃木沢にしてみれば物足りなかったのかもしれない。
何しろ乃木沢はかなりの男前で、玲二と付き合う前は携帯のアドレスにはたくさんの女性の名前が登録されていた。
玲二と付き合う条件として、それらはすべて消去されたものの、かといって玲二との間にはまだ何もなくて、そのことが少しばかり玲二を悩ませていた。

『俺のきみへの愛を信じ、その上で巷の恋人同志がしてるようなこと、全部俺とするんだぞ』

以前乃木沢が言った言葉。
巷の恋人同士がどういうことをしているかくらい、玲二だって分かっている。
それが嫌だということじゃないけれど、かといって物理的に離れている以上できるはずもない。
乃木沢は大人の男だから、その気になればいくらでも、誰とでもそういうことができるのだ。
そしてそれを玲二に上手に隠すことなど朝メシ前だろう。
自分じゃない誰かと、と思うだけで玲二は気持ちが沈んでしまう。

(信じてないわけじゃないんだけど)

玲二は深々と溜息をついて、目の前の扉をノックした。
すぐに中からどうぞと声がした。扉を開けると、私服に着替えた託生が迎えてくれた。
「お邪魔します。三洲くんはやっぱり生徒会?」
「うん、そうみたい。あ、適当に座って」
託生に勧められてベッドの端に腰を下ろす。寮の部屋はどこも同じ造りなのに、住む人が違うと全く違う部屋に思えるから不思議だ。
三洲と託生が生活をしているこの部屋は、あっさりという言葉がぴったりなくらいに、見事に装飾的なものがない。ポスターが貼られているわけでもないし、雑貨的な何かがあるわけでもない。あまりにシンプルすぎて笑ってしまうくらいだ。
「あ、葉山くん、コーヒーでよかった?普通のお茶も買ってきたんだけど」
「ありがとう。じゃあコーヒーもらおうかな」
どうぞどうぞ、と玲二が缶コーヒーを机に置いた。
一緒に持ってきたお菓子の袋もついでに開ける。
2人して新商品の菓子の感想を言ったり、何てことのない話をしばらくしていると、託生が
「ところで蓑巌くん、聞きたいことってなに?」
と聞いてきた。
玲二は、うん、と口ごもった。
託生は不思議そうな顔をしていたけれど、かといって急かすこともなかった。
そういうところが、託生と一緒にいて楽なところなんだろうな、と思う。
託生は相手に負担になるようなことは決してしない。それがギイには物足りないのかもしれないけれど、玲二にしてみれば逆にほっと肩の力が抜けた。
こんな話してもいいのだろうかと悩んでいたけれど、思い切って打ち明けてみることにした。
「あの、実は今度の連休、乃木沢さんと一緒なんだ」
「・・・・」
託生は一瞬ののち、そっかと嬉しそうに笑った。
「なかなか会えないって言ってたもんね。よかったね、蓑巌くん」
「うん・・・そうなんだけど、それがどうも泊まり・・・みたいで・・」
「え?ああ、四連休だもんね。乃木沢さん、よくお休み取れたね」
託生が感心するポイントはそこなのか、と玲二は少しばかり焦った。
世間のことには疎くて鈍いとギイがからかうほどに、託生が気になるポイントは他人とは違うらしい。
玲二が困ったなぁと思って黙っていると、今度は託生が焦ったように玲二の様子を窺う。
「あの、蓑巌くん、ほんとは行きたくない、とか?喧嘩でもしてるの?」
「いや、そうじゃなくて。あの・・デートらしいデートも初めてなんだけど、それ以上に、泊まりっていうのが、さ」
「・・・・」
そこまで言って初めて託生は玲二が言いたいことが分かったようで、急に気恥ずかしそうにうろたえた。
「ごめん、そっか、えーっと、お泊りデートか・・・」
「うん・・・」
つられて玲二も気恥ずかしくなる。
2人して困ったなぁという雰囲気に戸惑っていたけれど、託生がはたと気づいたように首を傾げる。
「蓑巌くん、お泊りデートが嫌なわけじゃないんだよね?」
「ああ、うん、それは、まぁ・・・」
「じゃあ何か他に困ることあるの?」
「・・・・」
「・・・・」
本当に分かっていない様子の託生に、玲二は思わずぷっと吹き出した。
「蓑巌くん?」
「ごめん。はっきり言わない僕が悪かったよ」
「?」
「お泊まり自体は嫌なわけじゃないんだよ。一日一緒だなんて初めてだから、どんな感じなのか想像できないけど、きっと楽しいだろうなって思うし。だけど、お泊まりってことは、そういうことだよね?」
「そういうこと・・って」
託生はやっとその意味が分かったようで、瞬時に顔を赤くした。
一緒に泊まるとなれば、まさか別々の部屋ってことはないだろうし、同じ部屋に泊まるに違いない。
それが何を意味してるかくらい、玲二にだって分かっている。
託生はあーっと声をあげて、もにょもにょとうなづいた。
やっと話が通じそうだと思った玲二が先を続ける。
「僕、そういうことしたことないし、何ていうか・・・想像できなくて・・・」
「蓑巌くん、まさか聞きたいことって・・・」
「葉山くんはギイと恋人同士だし、そういうこともしてるよね?」
「えっ!!!」
ぎょっとしたように託生が身を引く。玲二はずいっと身を乗り出した。
「葉山くんがギイと初めてした時ってどうだった?」
「ええっ!!」
「葉山くん、どうしたらいいと思う?僕はそういうのぜんぜん想像もできないし、ちゃんと・・できるかも分からないし、そもそもそういう時ってどうしてたらいいのかな。何もしなくてもいいのかな、いいわけないよね」
「あの・・・蓑巌くん・・そういうの、考えてするものじゃないと思うんだけど・・」
一気に言い切った玲二に、真っ赤になった託生が小さく答えた。
それは経験者だから言える言葉だ、と玲二は少しばかり恨めしくなる。
本当に何も分からないのだから、不安にもなるし、知っておきたいと思って当然ではないだろうか。
しかし託生は玲二の知りたいことは言ってくれない。
男ばかりの男子校で、その手の話なんてそこかしこでされているのに、そういえばそういう場に託生がいるのを見たことがないなと、玲二はふと思った。
託生はそういうものとは縁遠い印象はあるものの、年頃の男には違いないのだ。
きっと興味はあっても経験のない者の方が面白おかしく話をするのだろう。経験のある者は今さらそんな雑談に自ら入っていくことはないのかもしれない。
「葉山くんて、もしかして秘密主義?」
「え、別にそういうわけじゃないんだけど・・・。蓑巌くん、そういうの、その時になれば自然にできると思うよ。もし嫌ならそう言えばいいし、乃木沢さんは大人だし、蓑巌くんが嫌がることはしないんじゃないかな」
「大人だから・・困るんだよ」
何度もそういうことをしてきてる乃木沢からすれば、玲二は何も知らない子供にすぎない。
年の差だけはどうすることもできないけれど、
だけど、そのことで乃木沢に呆れられたり、つまらないって思われたくはない。
少しでも情報があれば、乃木沢の前で格好悪いところを見せなくてもいいんじゃないかと思ったのだ。
そうすれば、少しは乃木沢も満足してくれるかもしれない。
「葉山くんは、ギイと対等だから平気なのかな」
「対等?うーん、どうだろう。対等・・・なのかな、うん。蓑巌くんは対等じゃないって思ってるのかい?」
「だってあまりに年上すぎて・・」
乃木沢といると自分が子供に思えて仕方がない。
それがもどかしいし、やるせない。同じ目線で恋をしたいと思っていても、どうしても背伸びをしなければついていけない自分がいる。
気落ちした様子の玲二に、託生は少し考えたあとに言った。
「蓑巌くん、確かに年齢はそうだけど・・でも好きな気持ちは対等だよね?」
託生の言葉に玲二ははっとしように顔を上げた。そんな玲二に託生は柔らかく笑った。
「ぼくも蓑巌くんと同じようなこと考えたことあるよ。ギイは頭が良くて何でもできて、ぼくとは比べものにならないくらい優秀な人だから、どうしたって横に並ぶことなんてできないんじゃないかって。だけど、ぼくはギイのことが好きで、その気持ちはきっとギイには負けてないって思うんだよ。そういう気持ちがあるから、一緒にいられるし、えっと、少なくとも相手を思うところに関しては対等だって思えるよ。だから、年齢とか優秀さとか、そういうの恋愛にはいらないんじゃないかな」
「・・・・」
「乃木沢さんのことが好きなら、その気持ちだけで十分だと思うよ。たぶん、蓑巌くんの気持ちも分かってくれるよ。心配しなくても、きっと上手くいく、大丈夫」
どこまでも優しい託生の言葉は玲二の中にすっと入ってきた。
大丈夫だよと誰かに言って欲しかったのだ。
けれど、同性の恋人の相談なんて誰にでもできるわけもなく、あの電話からずっと一人で悶々としていた。
自分は本当に乃木沢の恋人でいていいのだろうか、と。
ただ好きだというだけで、本当に彼にふさわしいと思ってもらえるのだろうか。
けれど、ただ好きであればいいのかもしれない。
一緒にいたいと思う理由なんてそれしかないのだから。
決して饒舌ではない託生の言葉は今の玲二には嬉しいものだった。
「ありがとう、葉山くん」
「ううん。あ、えっと・・・ギイとのことは、その・・・」
「みんなにはただ友ってことで、だろ?」
「うん、そうしてもらえると助かるよ」
「だけど、僕の前では普通に恋人として話してくれていいよ」
「ありがとう、蓑巌くん」
こちらこそ、と玲二が言うと、託生ははにかんだような優しい笑みを見せた。



連休初日、乃木沢から送られたチケットで東京駅へと向かった。
指定された待ち合わせ場所へ行くと、見慣れた車がハザートランプを点滅させて止まっていた。
中を確認してから扉を開ける。久しぶりに目にする乃木沢の姿に胸が高鳴った。
「やぁ、迷わなかった?」
「まさか。子供じゃあるまいし」
「だけど、ずいぶん遅いからさ、改札口まで迎えに行こうかと思ってたところだよ」
「・・・」
確かに少しばかり緊張してしまって、気持ちを落ち着かせるためにトイレで一呼吸置いていたのだ。
こんな風に乃木沢と2人きりで出かけるなんて初めてなので、勝手が分からなくて戸惑ってしまう。
「シートベルトして」
言われて慌ててシートベルトをすると、すぐに車が滑らかに走り出した。
「久しぶりだね。元気だった?」
「はい」
「ちょっと痩せた?」
「そんなことは・・・乃木沢さんこそ、何だか疲れてるみたいだけど」
「あー、ここ3ヶ月くらいは激務だったからなぁ、毎日午前様だったし」
「そんなに忙しかったのなら、連休くらい家でゆっくりしてればよかったのに」
言外に、無理にデートなんて誘わなくても・・・と匂わせると、乃木沢は苦笑した。
「なに言ってるんだい。この日に休みを取るために、3ヶ月の激務に耐えてきたんだぜ。まぁ玲二くんと2人で家でまったりっていうのも魅力的ではあるけど、デートらしいデートもしてないなんて恋人失格だって思われたくないからさ」
乃木沢の言葉に玲二は言葉に詰まった。
それはとても嬉しいことではあったけれど、よくよく考えれば、大臣秘書をしている乃木沢が、そうそう簡単に休みが取れるはずがないのだ。
もしかしたらすごく無理をしたんじゃないかと不安になる。
「そんなに無理しなくて良かったのに」
「寂しいこと言ってくれるなよ。俺がどれだけ楽しみにしてたか分からない?多少無理してでも会いたかったし。それに、約束も守ってもらいたかったからね」
「約束?」
「そう約束」
約束なんてしただろうか?考え込む玲二に小さく笑って、乃木沢は車を高速へと走らせた。
「ところで、これからどこに行くんですか?」
「それは着いてからのお楽しみ」
まるでいたずらっ子のような口調で言い、ぐんぐんとスピードをあげていく。
小さく音楽が流れる車内で、何てことはない話をあれこれと話した。社会人と高校生で、共通の話題なんてほとんどない中でも、とぎれることなく話ができるのは、ひとえに乃木沢のおかげだろう。
玲二が何を話しても興味深げに耳を傾け、相槌を打つ。
上手に話を引き出す術は仕事で身につけたのか。何にしても乃木沢といるのは心地よく、玲二はこのままずっとドライブしていてもいいのにと思うくらいだった。
「あ・・」
どれくらい車を走らせたか。
やがて見えてきた建物に、玲二は目を見張った。
「え、まさか、乃木沢さん・・・」
「初デートだからね。一度行きたいって言ってなかった?」
確かに言ったことがある。大学教授で忙しい父親には連れていってもらったことがなかったから。
だからといって・・
「ディズニーランドって・・・乃木沢さんが?」
「何かおかしいかい?」
「だって」
玲二は思わず吹き出した。高校生同士の初デートならいざ知らず、まさか乃木沢がここを選ぶだなんて夢にも思わなかったのだ。その職業と夢の国はどうしたって相反するものだ。
それで今日はずいぶんとカジュアルな服装だったのかとようやく納得できた。
「乃木沢さん、無理してない?」
「ぜんぜん。実は俺も来たことがない」
「ほんとに?」
玲二と付き合う前は、それこそ数え切れないほどの女性と付き合っていた乃木沢だ。
こういう定番のデートコースに来たことがないなんて怪しすぎる。
「あ、信じてない?ほんとだよ。昼間にデートするような暇はなかったからね」
何だかそれはそれで微妙だなとは思って軽く睨むと、乃木沢は誤魔化すように玲二の頬を軽く摘んだ。
そんな仕草も子供扱いされているような気がして、玲二はそっぽを向いた。
すでに昼も過ぎているので空いているかと思ったが、まだこれから入場という人もけっこういるようで、ここは年中人でいっぱなんだなぁと改めて思い知らされた。
連休初日だからね、と乃木沢が購入したパスポートを手渡してくれる。
「さて、どこから行く?今からじゃそんなにたくさんは乗れないかもしれないけど、ラストまではまだたっぷり時間があるからね」
乃木沢がのんびりと手にしたマップを眺める。
そんな乃木沢とは違い、初めてのランドに玲二は圧倒されていた。
何もかもが外の世界とは違い、なるほど夢の国とは
言い得て妙だと思った。誰もがにこにこと笑っていて楽しそうだ。見ているだけでこっちまで幸せな気持ちになる。
「玲二くんって絶叫系は大丈夫?」
「たぶん」
「じゃ人気のアトラクションに並んでみるか」
すっと乃木沢が玲二の手を取った。
びっくりして顔を上げると、乃木沢は涼しい顔をして歩き出す。
「乃木沢さんっ」
「ん?」
「手、離して」
「どうして?だって、これデートだろ?言ったよな、世の恋人たちがしてること、全部俺とするって」
確かに言った。けど、だからってこんな人がいっぱいいるところで手を繋ぐなんて何を考えてるんだ。
ぐいぐいと手を引く玲二を、負けじと乃木沢もひっぱり返す。
「大丈夫だよ。みんなランドを楽しむことで頭がいっぱいで、他人のことなんて気にしちゃいない」
「だけど・・・」
「恥ずかしい?」
揶揄するように見つめられ、小さく頷くと、乃木沢はしょうがないなと笑って手を放してくれた。
「子供なんだから大人しく手を繋がれてればいいものを」
「子供じゃないし」
「子供だろ」
むっとして乃木沢を睨んでみても、どこ吹く風でこれっぽっちも気にした風もない。
そういう所を見せられると、やっぱり自分はまだ子供なのかと思ってしまう。
男同士で手を繋いでいて、困るのはむしろ乃木沢の方ではないかと思うのに、どうしてそんなに平然としていられるのだろうか。
結局手を繋ぐことはなく、肩を並べてアトラクションの長い列に並んだ。飽きてしまわぬようにと工夫されていることもあり、アトラクションにたどり着くまでの間も、わくわく感は萎えなかった。
「僕たち、いったいどんな風に見られてるんだろう」
親子に見られることはないだろうから、年の離れた兄弟というところだろうか。
しかし、そもそも男兄弟2人でこんな場所に来るなんてあるのだろうか?
玲二の疑問に乃木沢が首を傾げる。
「恋人同士って見られたくはない?」
「見られたら、困るんじゃないですか?」
玲二が言うと、乃木沢はまさかと肩をすくめて笑った。
その笑顔に嘘がなくて、ほっとして、そして少し嬉しくなる。
もし少しでも困る素振りを見せられたら、仕方がないことだとしても寂しくなっただろう。
けれど彼は何も困らないと言う。
乃木沢のそういう潔いところが好きだと思うし、自分もそんな風になれたらいいのにとも思う。
だけど、やはり心のどこかで男同士だということで引け目を感じている自分もいるのだ。
社会人の乃木沢の恋人として、自分はふさわしいのだろうかと。
列が進むと、館内の薄暗さに紛れて、性懲りもなく乃木沢が手を繋いできた。
「ちょっ・・」
「暗くて見えないよ」
ぎゅっと握られて、今度は玲二も諦めて振りほどくことはしなかった。
ここが暗闇でよかったと玲二は思った。
大きな手に包み込まれるようにして手を繋いでいると、不思議と安心できた。
だけどこれじゃあ、まるで親に守られている子供みたいじゃないか、と思いなおす。
いくら年下だとは言っても自分だって男だし、決して守られたいなどと思っているわけじゃないのだ。
乃木沢の恋人になれてからというもの、玲二はいつも何かが違う、そうじゃないとばかり思っている。
「どうかした?もしかしてやっぱり絶叫系は怖い?」
からかうように顔を覗きこまれ、玲二は違います、とむっとしてみせた。
「子供じゃありませんから」
「馬鹿だな、大人だから怖いって思うんだろ」
「ああ、そっか。そういう考え方もできるんだ」
「10代なら楽しいばかりだろうけど、さすがに大人になると楽しいばかりでもない」
なんて言っていたくせに、乃木沢はライドに乗ると子供のようにはしゃいだ。玲二もそれにつられるようにして素直にライドのスリルを楽しんだ。小さい頃にも遊園地には行ったはずだけど、こうして好きな人とデートで楽しむテーマパークはまた違った感じがした。
「すごく面白かった」
アップダウンの激しいライドを降りると、まだ心臓がどきどきしている。玲二ははーっと息をついた。
「子供向けかと思ってたら、案外と本格的だったな」
「実は怖かったとか?」
玲二がからかうように言うと、乃木沢は誤魔化すように玲二の頭をこづいた。
「あ、あれ買おうか」
「え?」
乃木沢が指さす先には、ここではおなじみの頭につける耳であった。
小さい子供や可愛い女の子がつけるならまだしも、男子高校生がつけては笑われるだけではないだろうか。
「いや、玲二くんなら似合うと思うけど」
「それ、馬鹿にしてます?」
「いやいや、本気で。何にする?リボンじゃあんまりだから、やっぱり耳がいい?」
「いりませんから」
「まぁそう言うなって。玲二くんにあれこれ買ってやるっていうのが俺の夢の一つだったんだから」
何なんだ、その夢は。玲二はいぶかしげな視線を乃木沢に向けた。
本当にいらないから、と断る玲二を半ば無視して、乃木沢は比較的大人しめの耳を購入すると、ほら、と玲二の頭につけた。
「絶対おかしいよ」
「いやいや。やっぱり可愛いな」
とか言いながら目が笑ってるじゃないか、と玲二は苦笑した。頭につけられた耳を手にすると、腕を伸ばして乃木沢の頭につけてやった。
「どうだ、可愛いか?」
「・・・・・まぁここじゃ何でもありだから、いいかも」
笑いを堪えながら言うと、乃木沢は笑って玲二にヘッドロックをかけた。
そのあとも比較的待ち時間の短いアトラクションをいくつか選んで、夢の国を堪能した。
誰かに見られたらとか、どんな風に見られてるんだろうだなんてことも、やがて気にならなくなった。
初めてのデートは思っていたよりもずっと楽しくて、時間を忘れるほどだった。
少し早めの夕食を取ろうということになり、乃木沢が事前に予約してくれていたレストランに入った。
何から何までスマートで、やっぱり大人なんだなぁと今さらながらに思った。学生の自分たちならば、こんな高そうなレストランではなく、もっと気軽に食べることのできるもので、適当に済ませていたはずだ。
社会人と学生なのだから、仕方ないとはいえ、金銭的にはどうしたって乃木沢に甘えてしまうことになる。
もどかしいような、言葉にはできない気持ちになったが、せっかくのデートなのだから考えるのはよそうと、玲二は乃木沢との食事を楽しんだ。
ゆっくりと食事を終えると、パレードを見るための場所を確保するために歩き出す。
「実は穴場があるんだ」
連れて行かれた場所は確かに人が少なくて、ちゃんとパレードも見える位置だった。
「どうしてこんな場所知ってるんですか?」
乃木沢もランドは初めてだったはずなのに。玲二が訝しげな視線を向けると、乃木沢は腕を組んで首を傾げた。
「んー、人脈を駆使して?」
「まさか何か汚い手を使ったんじゃ・・・」
ぎょっとして、玲二が乃木沢を睨む。
代議士秘書なら何でもできるだなんて思ってはいないが、ある程度の権力の恩恵を受けることはできる立場にいるはずだ。公私混同するような乃木沢ではないと思うものの、もしかしたら、と少しばかり疑ってしまう。
玲二の問いかけに、乃木沢はまさかそんなと笑った。
「仕事ならいざ知らず、玲二くんとのことに汚い手は使わないよ」
「ほんとに?」
「ほんとに」
どこまでが本当なのか分からない微妙なニュアンスを感じながらも、玲二はそれならいいけど、とその場に腰を下ろした。
乃木沢が有能な秘書だということは父親からも聞いている。
綺麗ごとだけでは済まされないだろう政治の世界で、それがどういう意味合いを持つのかは、高校生の玲二にだって分かる。
穏やかな笑顔の裏で、損得勘定を常に考えている。
人様に言えないようなあくどいことだってしてきたと、乃木沢自身が言っているくらいなのだから、きっと玲二が想像もできないようなことだってしてきているのだろう。
自分とはあまりにも住む世界が違う人だ。
ずっとそう思っていた。今でもそう思ってる。
好きになっても、上手くいくはずはないと言い聞かせて、恋心を押し殺してきた。
思いもかけず気持ちが通じ合ったけれど、それでも今でも本当に一緒にいていいのかと不安になる。
こんなに近くにいるのに、やっと恋人同士になれたのに、自分と乃木沢との違いばかりが気になってしまう。
「玲二くんは、卒業したら実家に戻るのかい?」
「え、もちろん、そのつもりだけど・・・」
「東京の大学に進学するつもり?」
「考えてるのは今のところは東京ばかりかな」
「そうか、じゃあきみの家に行く理由を今まで以上に考えないといけないな」
今まで乃木沢が家を訪ねてくるのは、あくまで玲二の父親に会いにくるというのが理由だった。
玲二に会うのはあくまでそのついでというふりを装っていた。
いくら弟のように可愛がっているなどと嘘をついたところで、頻繁に出入りするようになれば、やはり怪しまれるに違いない。
「まさか息子さんとできてます、なんて言えないしなぁ」
「ちょっ・・おかしなこと考えないでくれよ」
乃木沢の一言に玲二が慌てる。
玲二のことを目に入れても痛くないほど親馬鹿な父親が、2人のことを知ればショックを受けすぎて倒れてしまうんじゃないかと思う。
「だから言わないって。玲二くんが家を出て一人暮らしでもするっていうなら・・ああ、どうせなら一緒に住むっていうのもありかな」
うんうんと一人勝手にうなづく乃木沢には呆れてしまう。
実家を出るにも理由がないというのに、乃木沢と一緒に住む理由などもっとないではないか。
「乃木沢さん、何だか妙に浮かれてませんか?」
「浮かれてるよ。きみを手に入れるのに、ずいぶんな努力をしたんだからね。やっとこうしてデートできるまでになって、浮かれるなという方が無茶だ。玲二くんは?俺とこうして一緒にいるのは楽しくはない?」
「・・・そんなこと・・」
楽しいに決まってる。ずっとずっと好きだったのだ。
誰にも言えなくて、苦しくて。
思いが叶って、どんなに嬉しかったか。
こうして今一緒にいることさえ嘘みたいだと思っているのに。
だけど素直に口にはできない。気恥ずかしいし、子供っぽいと思われたくもなかった。
ほどなくして賑やかな音楽と共にパレードが始まった。きらきらと眩しいネオンや見事なパフォーマンス。わくわくして、自分が小さな子供に戻ったような気がして、この場所がいつまでも愛されている理由がよくわかると思った。
隣に乃木沢がいることさえ忘れてしまうほど熱心に見入っていたパレードもやがて終わり、周囲の人たちが再びアトラクションを楽しもうと散らばっていく。
「まだ何か見たいものある?」
「人気なものはほとんど乗れたし・・あ、お土産買おうかな」
帰省した友達がみな何かしらお土産を買ってくるはずだ。それに、託生には話を聞いてもらったお礼もしたい。
「じゃあ買い物して帰るとするか」
乃木沢が立ち上がり人の流れに逆らわずに歩き出す。
ショッピングモールとなっている通りの店の一つに入り、玲二は目についた缶を手にした。
さすがに男子高校生なので、キャラクターのグッズなどにはまったく興味がないため、数があるという理由だけで大き目のクッキーの缶を選んだのだ。
長い列に並んでレジを済ませ、入口で待っている乃木沢のもとへと戻った。
「はい、これは玲二くんに」
「え?」
玲二が買い物をしている間に、乃木沢も何かを買ったらしい。
可愛らしい袋を手渡されて、玲二は中を見ようとしたが止められた。
「それは寮に帰ってからでいいよ」
「・・・」
気にはなったが、言われるまま素直に鞄に袋を入れた。
まだ閉園までには時間はあったけれど、さすがにずっと歩き続けで足もだるくなっていたし、そろそろ引き上げることにした。
駐車場を出るにもけっこうな時間を要して、やっぱりこのテーマパークは忍耐力を試される場所だな、と二人して笑ってしまった。
車が走り出してしばらくすると、玲二は何となく居心地が悪くなってきて、つい乃木沢に聞いてしまった。
「あの・・このあとって・・・」
「ちゃんと泊まる準備してきたんだろ?」
「それは・・してきたけど・・・」
「ホテルにしようかとも思ったんだけど、家の方が落ち着くかなと思って」
「家?」
「マンション、来たことないだろう?」
「えっ?」
まさか乃木沢の家に行くことになろうとは夢にも思っていなかった。
鼻歌でも歌いだしそうなくらい上機嫌な乃木沢とは裏腹に、玲二は急に緊張してきてしまっていた。
乃木沢のプライベートな空間には今まで足を踏み入れたことがなく、どんなところに住んでいるのかは興味はあったし、招いてくれるのはとても嬉しいのだけれど、乃木沢のテリトリーへ入ってしまうとなると、もう逃げられないような気がしてしまうのも事実だった。
何しろ完全アウェイである。もしかして乃木沢はそれが分かっていて、マンションを選んだのだろうか。
だとしたらずいぶん用意周到なことだ。
「疲れたなら寝てていいよ」
黙りこんだ玲二に乃木沢が声をかける。
そんな暢気に眠りにつけるほど玲二は大人ではない。
泊まりでデートをするとなってからというもの、何だかずっとそんなことばかり考えているような気がして、自分が欲求不満みたいで嫌になる。
もしかしたら乃木沢にはそんなつもりはまったくないかもしれない。
だとしたら、一人で勝手にあれこれ妄想逞しくするのも馬鹿馬鹿しい。
窓の外を流れていく街並みを眺めながらぼんやりとしていると、やがて車は高速を降りて街中を抜け、静かな住宅街へと入った。
「乃木沢さんてずっと一人暮らし?」
「そうだよ。大学からだからもう長いなぁ」
狭い道をすいすいと走り、やがてマンションの立体駐車場へと入っていった。
それほど大きくはないマンションは新婚さんが住むにはちょうどいい大きさに見えた。
車を降りて、促されるままに乃木沢のあとをついてエレベーターに乗って部屋へを向かった。
しんと静まり返った廊下の突き当たりの扉を開けると、乃木沢は身体を横へとずらした。
「さ、どうぞ」
「・・・お邪魔します」
小さくつぶやいて一歩中へと入る。すぐに灯りがついて、背後で扉が閉まった。当たり前なのだけれど、がちゃんと鍵がかかる音がすると思わず身を竦めてしまった。
くすっと乃木沢が笑ったような気がして、いたたまれなくなる。
別に取って食われるわけでもあるまいし。おまけに女の子でもないんだから、そこまで警戒する必要はないと分かっているのに。
「あー、さすがに疲れたなぁ。玲二くんは平気?何か冷たいものでも飲む?」
通されたリビングは思っていたよりもずっと小ぢんまりとしたものだった。
2LDKのマンションは一室が寝室で、一室が仕事部屋だという。
2人がけのソファの正面にテレビがあって、部屋の片隅にはごちゃっと本が積まれている。
汚いことはないけれど、綺麗に整理整頓されているという感じもない。
男の一人暮らしの典型のようにほどよく散らかっていた。
何となく派手な生活をしているイメージがあったと正直に言うと、乃木沢は苦笑した。
「何か誤解してるようだけど、毎日仕事で手いっぱいで、部屋に戻るのなんて寝るためだけみたいなものだし、そんな部屋に金をかけても仕方ないだろう?必要最低限の掃除はするけど、どうしても散らかりがちなんだよな」
「だけど私設秘書って高級取りなんじゃないの?」
「あのね、働きに見合った給料しか貰ってないよ。玲二くんの秘書のイメージっていったいどんななんだろうな」
くすくすと笑って、乃木沢は上着を脱いだ。
秘書どころか働く人の給料というものがどれくらいなものかさえも分からない。
何しろバイトだってしたことがないのだ。箱入り息子だと時々揶揄されるが、それなりに裕福な家庭で育ち、苦労らしい苦労はしたことがないのは玲二のせいじゃない。
けれど乃木沢からすれば、そんな玲二はやはり子供に見えるのだろうか。
「乃木沢さん、シャワー借りていいですか?ちょっと汗かいたし」
「ああ、部屋を出て右側だよ。タオルは適当に使ってくれていいから」
「ありがとう」
「一緒に入る?」
「・・・っ!」
ぎょっとして身を引く玲二に、乃木沢は困ったように笑った。
「そんなに怯えなくても。いきなり襲ったりはしないよ」
「別にそんなこと思ってないけど・・・」
「いや、ちょっとは思って欲しいというか・・まぁちゃんと手順は踏むから安心していいよ」
なお悪い。
手順て何だよ、とか。
やっぱりこのあとするつもりなんだ、とか。
玲二はそそくさとバスルームに逃げ込むと、はーっと大きく溜息をついた。
「どうしよう」
やっぱりそういうことになってしまうのだろうか。
どうしようも何も、ここまで来てしまってはどうしたって逃げられない。

(心配しなくても、きっと上手くいく、大丈夫)

託生が言ってくれた言葉を胸の中で繰り返す。
性的な知識なんて本当に一般的なことしか分からないし、正直なところ、男同士でどうすればいいかなんて本当に想像でしか分からない。
「だけど・・・」
そういうこと、したくないわけではないのだけれど。
ちゃんと世の恋人たちがしていることをしなくては、やっぱり本当の恋人同士だなんて言えないだろう。
何しろ1年間、乃木沢に禁欲生活を強いたのは自分なのだ。なのにやっぱりもうちょっと待って欲しいだなんて言ったら、絶対に怒るに決まってる。怒るくらいならまだいいけれど、呆れて別れるなんて言われたら悔やんでも悔やみくれない。
「よし」
元からそのつもりだったのだ。ちゃんと覚悟だってしてきた。
今さら逃げるつもりもない。
玲二は手早くシャワーを済ませると、用意してきたシャツとハーフパンツを身につけてリビングに戻った。
乃木沢はベランダに続く窓を開けて、煙草を吸っていた。
そういえば今日は一日乃木沢が煙草を吸うところを見ていないなと思った。
玲二が戻ってきたことに気づくと、乃木沢は首だけをこちらへと向けた。
「さっぱりした?」
「うん」
「冷蔵庫に冷たいもの入ってるよ。好きなもの飲んでいいから」
「ありがとう」
遠慮なく冷蔵庫を開けてみると、一人暮らしの男の冷蔵庫らしく、これといった食料は入っていない。
それなのに、いろんな種類のペットボトルが所狭しと並んでいた。
「乃木沢さん、なにこれ」
「いや、玲二くんがどんなのが好きか分からなかったからさ、適当にいろいろと」
だからってこんなに買い込まなくても。ミネラルウォーターとか好き嫌いのなさそうなものを買っておけば無難だろうに。
けれど自分のために、と思うとやはり嬉しい。
中から炭酸飲料を手にしてリビングに戻る。
乃木沢のすぐ隣に腰をおろして、いただきますといってキャップを開けた。
「ふうん、そういうのが好きなのか」
「特別好きってことじゃないけど・・・炭酸って時々無性に飲みたくなりません?」
「あー、分かる気もする」
笑って、乃木沢は短くなった煙草を床の上に置いてあった灰皿で押し消した。
「煙草・・・」
「え?ああ、最近本数減らそうとは思ってるんだけど、やっぱり完全禁煙までには時間がかかる」
「禁煙するんだ?」
バスタオルで濡れた髪を拭いながら、玲二は乃木沢の隣に腰を下ろした。
微かにタバコの匂いがして、その香りは自分にとっては乃木沢を思い出させるものなのだと気づく。
「禁煙って辛くないの?」
「そりゃあね。でも嫌いだろ?煙草」
「え?」
「いっつもキスするときに眉を顰めてる」
きょとんと玲二は乃木沢を見つめた。確かに少し苦い味の口づけは何となく慣れなくて、知らず知らずのうちにそんな顔をしていたのだろうか。そして乃木沢はそれに気づいていたのか。
「僕のために、禁煙しようって思ったんですか?」
「玲二くんのためじゃなきゃ、まぁ一生そんなこと思いもしなかっただろうな」
何しろストレスの溜まる仕事なもんで、とわざと軽く乃木沢が言う。
まさか乃木沢が自分のために禁煙をするなんて。
今さらながらに大切に思ってくれているのだと知って、胸がじわりと熱くなる。
無意識のうちにじっと乃木沢を見つめていると、ふっと笑って乃木沢が顔を近づけてきた。
玲二の唇の端に、触れるだけのキスをする。
たったこれだけのキスでも耳元で心臓の音が聞こえそうなくらいにドキドキしてしまう。
そんなことは、きっと乃木沢は思いもしないのだろうけど。
「・・・煙草臭かった?」
「平気です」
「じゃあもうちょっとちゃんとしたキスしてもいい?」
問われて小さくうなづく。
すいっと顎先に指をかけて上向かせると、乃木沢はゆっくりと唇を合わせてきた。
今までキスしたのは本当に数えるほどしかなかった。それもごくごく軽く触れるようなものばかりで。
だけどそういうのじゃないキスがあることだって知っている。
ただし知っているだけで経験したことはない。
だから薄く開いた唇の間から舌先が差し入れられ、どうすればいいか分からなくて固まってしまった。
「んっ・・・」
思わず逃げようとする身体を逃がさないとばかりに乃木沢が抱き寄せる。
咥内をゆったりと味わうように動く舌にどう反応すればいいかわからない。
息をすることすらできなくて、やがて玲二はぎゅっと乃木沢のシャツの胸元を握り締めた。
「くるし・・・」
唇が離れると、はぁはぁと深呼吸をした。
そんな玲二に、乃木沢は目を細めてこめかみにちゅっと音をさせてキスをした。
「普通に息していいのに」
「だって・・・」
「高校生だもんなぁ」
乃木沢が何か眩しいものでも見るかのように、玲二の前髪をかきあげる。
「付き合うのは俺が初めての相手で・・・」
「・・・」
「キスしたのも俺が初めてで・・・」
「・・・」
「セックスするのも俺が初めて」
からかうような乃木沢の言葉に、だったら何だよ、と玲二が言いかけた時、
「嬉しいな」
乃木沢が囁くようにつぶやいた。
まるで夢でも見てるようだな、と乃木沢が玲二の濡れた唇を親指の腹で撫でる。
嘘なんて欠片も感じられないその言葉は、玲二の心を震わせた。
泣きたくなるほどに胸が締め付けられて、息苦しささえ覚える。
「乃木沢さん・・・あの・・」
「玲二くん、俺のものになってくれる?」
真っ直ぐに見つめられて目が離せなくなる。

自分よりもずっと年上で、大人で、違う世界に生きている人で。

(年齢とか優秀さとか、そういうの恋愛にはいらないんじゃないかな)

託生に言われた言葉。

(乃木沢さんのことが好きなら、その気持ちだけで十分だと思うよ)

玲二はこくりと喉を鳴らすと、膝立ちになって、両手を伸ばして乃木沢に抱きついた。
初めて感じる体温。たったそれだけのことに眩暈がしそうな気がした。
「乃木沢さん・・」
「うん?」
「・・・好きです」
「うん」
「ずっとずっと、好きでした」
「知ってるよ」
初めて会った時からずっと。
きっとお互いに一瞬で恋に落ちていた。
だけど分別のある大人だった乃木沢からは強引に手を出すことはできなくて、子供だった
玲二はどうすればいいか分からなくて踏み出せなかった。
お互いに好きだったのに、ずいぶん遠回りをしてしまった。
「僕、乃木沢さんとちゃんと恋人同士になりたいです」
今の自分が言えるいっぱいいっぱいの言葉で思いを伝えると、乃木沢は玲二を抱えたまま立ち上がった。
「わっ・・・」
ふわっと抱き上げられて・・というか担ぎ上げられてそのままリビングから続く隣の部屋へと連れ込まれた。
二人して倒れこむようにしてベッドに横たわると、乃木沢はさっきとは違う荒々しい口づけをしてきた。その合間にももどかしそうにシャツの上から身体に触れられて、玲二は本当にどうすればいいか分からなくて、ただされるがままに身を任せていた。
「乃木・・沢さん・・っ」
このまま食べられてしまうんじゃないかと馬鹿な考えが浮かんで、玲二はやっとの思いで乃木沢の肩を押し返した。
どこか苦しげな表情で玲二を見下ろしていた乃木沢が、もう一度、今度は優しくキスをする。
「あの・・・僕・・どうしたらいいか・・・わからないんだけど・・」
そんなことを言うのは恥ずかしかったけれど、正直に言うと、乃木沢は困ったように微かに笑った。
「何もしなくていいよ。楽にしてていいから」
「でも・・」
背中に回っていた乃木沢の手がTシャツの裾にかかり、そのまま上へとたくし上げられた。
「手を上げて」
と言われて、躊躇いながらも言われた通りにすると、するりと腕からシャツが抜き取られた。
薄闇に晒された素肌の上に、乃木沢が顔を埋める。
何の柔らかさも膨らみもない胸元をつ・・っと舌が這った。
「ひゃ・・っ」
いきなりだったので、おかしな声が出てしまって慌ててしまう。
身を捩ろうにも両手でがっちりと押さえられて逃げられない。
触れられた部分からじわじわと熱が上がっていくような不思議な感覚に襲われて玲二は息を飲んだ。
くすぐったくて、けれど味わったことのないような高揚感。
気持ちいいかどうかなんて分からなくて、ただ恥ずかしいのと何をされるか分からない不安とで、頭の中が沸騰しそうになる。
「あ・・」
ちゅっと音をさせて肌の柔らかい部分を吸い上げられる。ぴりっとした痛みは、けれど不快なものではなく、むしろ心地良いものだった。どうしてそんな風に感じるのだろうか、と玲二は次第に苦しくなる呼吸の中で考えた。
乃木沢が触れる部分がすべてとろとろと溶けてしまいそうなほど気持ちよくて、けれどやっぱり恥ずかしくて居たたまれない。
その恥ずかしさは、乃木沢がハーフパンツの上から下肢に触れたときに頂点に達した。
「だ、駄目駄目、乃木沢さ・・・んっ・・・」
触れられて、自分のそれが形を変えていることに気づかされる。
「やだっ・・・」
「気持ちよくない?」
「そうじゃなくてっ・・・」
やわやわと中途半端な触れ方はいっそじれったく感じられて、うっかりもっとと言ってしまいそうになる。
「なに?直に触ろっか」
そんな玲二の気持ちを見抜いたかのように、乃木沢が下着と一緒にハーフパンツを下ろそうとする。
「わーっ、無理無理、絶対無理っ」
「無理って、きみね」
呆れたように笑って、乃木沢が玲二の唇を塞ぐ。宥めるように舌を絡められて、それだけでもいっぱいいっぱいなのに、ゆるゆると刺激されて、それまで感じたことのないような感覚が背筋を這い上がりパニックになってしまう。
「んっ・・・ん・・」
自分でする時とは比べものにならない快感がじわじわと爪先まで行き渡っていく。
それが好きな人の指でもたらされるものだと思うとさらに感じてしまう。
濡れた音が響くたびに、玲二は恥ずかしくて死にそうになった。
「もう・・やだ・・・」
「いいよ、イっても」
痛いくらいに張り詰めたものを、乃木沢は絶妙な強弱をつけて握りこんでくる。
今すぐにでも楽になってしまいたいけれど、それじゃあ乃木沢の手を汚してしまう。
「お願い・・・離して・・・っ」
涙声になってることに気づく。視界がぼけているのはそのせいか。
決して嫌じゃないはずなのに、これ以上されたらいったいどうなるのか分からなくて怖くなる。
乃木沢は身体を起こすと、上下する玲二の胸元にひとつキスをして、そのまま顔を下げていった。
「なに・・・?」
「黙って」
まさかそんなこと、と唖然として、玲二は咄嗟に声も出なかった。
逃げようとするのも遅く、温かい咥内に包まれて思わずひゃっと声が出た。
それまで味わったことのない感触にぎゅっと目を閉じた。
視界が閉ざされるとなおさら与えられる快楽が生々しく感じられて、もう本当にごめんなさいと言いそうになった。
閉じようとする脚をさらに開かされてそのまま固定されてしまう。
今まで生きてきた中でこれ以上恥ずかしいことなんて知らない、と玲二は知らないうちにぽろぽろと涙を溢れさせた。
「んっ・・・あっ・・・」
必死に堪えても声が出てしまう。
あり得ないほどの快楽に息をするのも苦しい。
そんなことしたら手を汚すどころじゃないのに、と頭の片隅で思うのに、乃木沢の巧みな舌使いにあっさりと流され、きゅっと強く吸い上げられてそのまま解き放った。
ギリギリまで我慢していた何かが溢れていく感覚に、ひくりと喉を鳴らす。
「はぁ・・・はぁ・・」
ようやくまともに息ができるようになって、玲二はぐったりと身体の力を抜いた。
顔を上げた乃木沢が濡れた唇を拭う。
「気持ちよかった?」
「・・・っ」
玲二は両手で顔を覆うと、逃げるようにして乃木沢に背を向けた。
「やだって言ったのに」
こんなことされるなんて、恥ずかしくて顔をまともに見ることができない。
乃木沢は笑ってむき出しの肩先に唇を押し当てた。
「どうして?気持ちよくなかった?」
「そうじゃなくて・・恥ずかしいだろ・・・」
「二人しかいないのに?誰も見てないし」
そうだけど、乃木沢に見られるのが一番恥ずかしいのだ。どうしてそれが分からないのだろう。
「恥ずかしくて死ぬかと思った」
「え?どうせなら気持ちよくて死ぬって言って欲しいんだけどなぁ。もしかして俺、下手だった?」
下手なのか上手なのかも分からない。
玲二が黙っていると、乃木沢が背後から抱きしめてきた。ぴたりと重なり合うようにくっついて、首筋に顔を埋める。
「可愛いな、玲二くん」
「か、可愛くなんてないからっ」
「可愛いよ。めちゃくちゃ可愛い」
「男子高校生捕まえて可愛いだなんて、乃木沢さん、目がおかしいよっ」
暴れる玲二に乃木沢はそうかもしれないなぁと苦笑する。
首筋にキスされて、いたずらな指先がまた汗ばんだ肌の上を滑っていく。
「続き、してもいい?」
お伺いを立てるように耳元で問われて、瞬間的に固まってしまった。
けれど玲二はうなづいた。
うなづかないわけにはいかなかった。
ここまできて、逃げ出すわけにもいかない。
何より、乃木沢のことが好きで、こんな風に抱きしめられるのも、触れられるのも、ぜんぜん嫌じゃないと思っている自分がいる。
好きならどんなことでもできると思っていたのだけれど、それはすぐに思い違いだと気づいた。
「あ・・・やだ・・っ」
身体中余すところなく撫でられて、少しでも反応したところはしつこく責められた。
背後から回った腕でがっちりとホールドされてしまって、腰にあたる乃木沢の熱に、もう何度目になるか分からないパニックになってしまう。
恥ずかしくて恥ずかしくて、顔が見えないことをいいことに、目を閉じて必死で漏れそうになる声を堪えた。けれど、初めて他人の・・しかも大好きな人の手で身体中に触れられて、些細な刺激にも敏感に反応にしてしまう。耳元で聞こえる乃木沢の息遣いでさえくらくらとするほどの興奮を呼んだ。
「ちょっとごめん」
急に思い出したように、乃木沢が腕を伸ばして、枕元のチェストから何かを手に取った。
「な・・に・・?」
それには答えずに乃木沢がとろりとした液状のジェルを手のひらに落とした。
「玲二くん、えーっと、どういうことするかは知ってる、よね?」
あまりにも玲二が固まっているものだから、少しばかり不安になったのか、乃木沢が聞いてくる。
そういうことは聞かないで欲しい。
いくら玲二が深窓のお坊ちゃまでも、それくらいの知識は高校生にもなれば嫌でも耳に入ってくる。
知っているからこそ恥ずかしい。
「足、開いて?」
「・・・っ」
何が何だか分からないままに、乃木沢に向きを変えられて、片足を開かされた。
「やっ・・・」
その時向かい合った乃木沢と目が合った。
そこにいたのは玲二が初めて見る乃木沢だった。いつものふざけた表情は全くなくて、大人の男を感じさせる、どこか切羽詰ったような目をしていた。

(怖い・・)

そう思ったら、もうどうにも堪えきれなくなってしまて、玲二は力いっぱい乃木沢の手を払ってしまった。
「やだ・・・っ」
「・・・っ」
本気の拒絶に、乃木沢ははっとしたように目を見開いた。
「ごめ・・・っ・・やっぱり・・・僕・・」
「玲二くん?」
さすがに驚いて、乃木沢が手を止めた。
小さく丸くなって、溢れてきた涙を見られないようにと両腕で顔を覆う。
しばらくそうしていると、やがてふわりと乃木沢が玲二の頭を撫でた。
「ごめんな、やっぱり男同士じゃ無理だって思った?」
「・・・・」
「男の手で触られて、気持ち悪かったか?」
どこまでも優しい乃木沢に、玲二は首を横に振った。
「ちが・・います・・・」
「あー、じゃあどこか痛くしちゃった?」
玲二はそうじゃない、と何度も首を横に振る。
困ったように低く唸る乃木沢に本当に申し訳なくて、玲二は今すぐにでもこの場から消えてしまいたくなった。乃木沢は何も悪くないのだ。
乃木沢に促されて玲二は覆っていた腕を解かれた。
泣き顔なんて見られてくはなかったけれど、そんなことはもう今さらだった。
乃木沢は黙って玲二の濡れた頬を指先で拭った。
「泣くなよ。もうしないから」
「ごめんなさい・・・僕・・・大丈夫って・・思ってたのに」
「でも駄目だと思った?」
「そうじゃなくて・・・」
「うん?」
もういつもの乃木沢だった。さっきまでの欲情に満ちた目は鳴りを潜め、いつも以上に優しく玲二を見つめている。
「恥ずかしくて・・・っ」
「うん?」
こんなことを好きな相手に打ち明けなくてはならないなんて。玲二は顔が熱くなるのを感じた。
子供だと笑われて仕方ないけれど、けれどこのままじゃ乃木沢に誤解されたままになる。
それは絶対に避けたくて、正直に気持ちを打ち明けた。
「乃木沢さんは・・こんなこと、普通のことで・・恥ずかしいだなんて、きっと思わないんだろうけど、僕は・・は、初めてだから、どうすればいいか分からないし、裸にされて、触られて、あんなことされて、めちゃくちゃ恥ずかしくて・・あのあと何されるのかって・・分かってるつもりだったけど、やっぱり怖くて・・・」
「怖い?」
「自分がどうなるのか分からなくて・・・怖かった・・・」
決して乃木沢に触れられるのが嫌なわけではない。
キスすることも、抱き合うことも、これ以上なく嬉しいはずなのに、けれど未知の行為への怖さはどうしても拭えない。
おまけに乃木沢の知らない顔を見てしまって、その怖さにどうしても耐えられなくなってしまった。
玲二の告白に、乃木沢はあーっと唸った。
「怖いか・・まいったな・・・」
「ごめん、なさい・・・」
「謝らなくてもいいよ。らしくなくがっついた俺も悪い」
「そんなこと・・・乃木沢さん・・あの・・嫌になった?」
「何が?」
意味が分からないというように乃木沢が首を傾げる。
「ちゃんと恋人にしてくれなんて言ったくせに、いざとなったら逃げるような子供は、もう嫌になった?僕のこと、もう嫌いに・・・なった?」
もし、こんな子供とはもう付き合えないなんて言われたらと思うと、いてもたってもいられなくて、玲二は思わず縋りつくようにして乃木沢の腕を掴んだ。
「やっぱり大丈夫だから、あの・・ちゃんとできるし・・・」
「あのね、玲二くん」
乃木沢はやんわりと玲二の手を解いた。それが拒絶のように思えて、玲二はまた胸が痛くなる。
「もしかして、俺にあわせようとして、無理してた?」
「・・・・・」
玲二はそれまでずっと胸の奥に押し込めていた思いを口にした。
少しでも追いつきたくて。
そんなこと無理だって分かってるのに、嫌われたくなくて。
年の差も、住む世界が違うことも、自分の力ではどうしようもないことだと分かっていても、追いつくことのできない自分がもどかしくて。
隣に立って、ちゃんと恋人としてみて欲しいと思っているのに、どうすればいいか分からなくて。
好きだけど自分では駄目なんじゃないかと何度も思った。
「馬鹿だな、そんなこと考えてたのか」
「だって・・・」
「そんなこと考える必要なんてないよ。いったい何年きみに恋してきたと思ってるんだい?俺は今のままのきみが好きなんだ。何も無理する必要なんてない。そりゃ正直なところ、全部自分ものにしたいって思うけど、だからって嫌なことを強いるつもりはないよ。ちゃんと手順踏むつもりだったのに、やっぱり1年もお預け食らってたせいか、どうにも我慢できなくて怖がらせてしまって悪かった。ごめんな」
「・・・・」
「初めてだもんな」
しみじみと言うと乃木沢は玲二を抱き寄せた。
「おまけに相手が男で、そりゃ怖いよな」
「ごめん・・・」
「いいさ、長期計画でいくから。そのうちきみの方からして欲しいって言わせよう」
「・・・言わないし」
そんな台詞、死んでも言わない。
乃木沢は低く笑うと、玲二の額にキスをした。そして柔らかく抱きしめた。
「自分にはそんな趣味はないと思ってたけど、光源氏計画っていうのは案外楽しいものかもしれないなぁ。玲二くんを自分好みに育てていくっていうのはなかなか興奮する」
「変態っ」
「あのな、男なんてみんなそんなもんだぞー。まぁいいじゃないか、俺がきみを好きにできるように、きみだって俺のことを好きにできるんだから。それに、どんな風にして欲しいか言ってくれれば、それに応えられるだけの経験は積んできてるから、お買い得だぞ」
「それ、あんまり嬉しくないんですけど」
乃木沢が過去に誰と何をしてきたかなんて、今さら追求する気はないけれど、だけど想像もしたくない。
玲二が少しばかり複雑な気持ちでいると、それに気づいたらしく乃木沢がごめんごめんと子供をなだめるように欲情のこもらないキスをした。
「過去のことはさておき、これから先は玲二くんとしかしないよ」
「・・・」
「約束するから、ゆっくり俺に慣れていってくれればいいよ」
うん、と玲二はうなづいた。
自分よりもずっと年上で、頑張ってついていかないといけないと思っていた。
恋人になれたからといって、どうすればいいのかも分からなくて。
なかなか会えないからいつも不安だった。
早く乃木沢と同じ目線で恋がしたかったから、だからこういうことだってちゃんとできなくちゃいけないんだって、どこか自分を追い込んでいた。
だけど、そんなこと考えなくてもいいのだ。
この人は、自分には嘘はつかない。
追いつくまで待っていてくれる。追いつこうとする必要もない。
恋愛は無理してするものじゃないのだ。
好きだという気持ちがあれば、自然と同じ目線になれるものなのかもしれない。
とは言うものの・・・
「あの・・・乃木沢さん」
「何?」
「本当に・・しなくていいの?」
くっついた下半身でまだ主張しているものに気づかないわけじゃない。
すっかりその気になっていたのにストップをかけてしまったのだ。
同じ男として辛いだろうことは想像できる。
「あーそうだな、こんな風にくっついてるとまたしたくなるし、ちょっと始末してくるか」
よっこらしょと乃木沢が身体を起こす。
離れていこうとする彼を思わず引き止めた。
「あの、僕がします」
「は?」
言ってしまってから、自分がとんでもないことを言ってるのだと気づいて、玲二は真っ赤になった。
「えっと・・・最後までできなくても・・・手伝うくらいはできる・・と思うし・・」
「・・・」
乃木沢ははーっと大きく溜息をつくと、そのまま枕に顔を埋めた。
「きみね、なんつー小悪魔ちっくなこと言うんだ。恥ずかしいだの怖いだの、もしかして俺を焦らすための嘘なのか?」
「嘘じゃないけど・・・嫌ならいいです。一人でしてきてください」
「・・・」
乃木沢はそろりと顔を上げると、何だか今にも泣き出しそうな情けない顔をして玲二を見た。
「いや、据え膳食わぬは何とやらだからね、お願いします」
「上手くできないかもしれないけど・・・」
何しろいろんなことが初めてなのだ。
大丈夫だろうか、と自分で言っておきながら不安に思いつつ、玲二はおずおずと乃木沢へと手を伸ばした。
触れたとたん、強く力で抱き寄せられた。
「大好きだよ、玲二」

たぶんその何倍も、自分の方が好きだ。

玲二はうんとうなづくと、初めて自分から大好きな人にキスをした。



連休はあっという間に終わってしまう。
テーマパークで遊んだ翌日は二人とも昼すぎまで惰眠を貪り、結局何をするでもなく乃木沢のマンションでのんびりと過ごした。
次の日は買い物にでも行こうか、と近場でぶらぶらと高校生っぽいデートをした。
結局一緒にいた休日の間に深い仲になることはなかったけれど、一緒にいることに慣れてきて、それまでの不安は消え、距離は縮まったように思えた。
短い時間でも、日常を共にすることで見えてくるものあって、それが嫌だと思うことはなく、むしろ新しい発見ばかりで、玲二は前よりももっと乃木沢のことが好きになった。
祠堂まで送るという言葉に甘えて、玲二は連休初日と同じように車の助手席に乗っていた。
あの時はいろいろと考えてばかり楽しめなかったドライブも、ずいぶんとリラックスして他愛ない会話を楽しんだ。
「今度はいつ会えるのかな」
「休暇には実家に戻るから、乃木沢さんさえ都合がよければ」
「もちろん都合はつけるようにするよ。あと1年もしないうちに卒業だって分かっていても、会いたい時に会えないっていうのは辛いもんだな。付き合う前はそうでもなかったのに、不思議なもんだな」
会えないという状況は、付き合う前と何も変わってはいないのに。
真っ直ぐ前を見たまま、当たり前のことのように言う乃木沢に、玲二は笑った。
会いたいと思っているのは自分ばかりではないのだと思うと、胸がじわりと熱くなる。
もう少しで祠堂が見えるという場所で、乃木沢は車を止めた。
正門前まで送るよと乃木沢は言ったけれど、下手に目立つと面倒だから、と玲二が断った。
「三日間付き合ってくれてありがとう」
「いえ、こちらこそ」
「それにしても牢獄に恋人を帰す気分だな」
やれやれというように乃木沢がハンドルに腕をかける。
会いたくてもすぐには会えない。電話するにも気を使う。面会したくても、ここへ来るためにはかなりの時間を要する。慣れてしまえば案外快適だと言うけれど、乃木沢からすればやっぱり牢獄としか思えないらしい。
「牢獄だなんて大げさだな」
「同じようなものだ。帰したくはないけれど、しょうがないな」
「僕だって・・・できれば帰りたくないですよ」
小さく言うと、乃木沢は嬉しそうに微笑んで、そうだよなとうなづいた。
伸ばされた左手が、つっと玲二の頬に触れた。
大切なものを慈しむように目を細めて玲二を見つめる。
「なかなか会えないからって、浮気するなよ」
「しませんよ。乃木沢さんこそ、浮気厳禁だから・・・えっと・・今度会う時には・・」
ちゃんとするから、それまでは待っててくださいと言いたかったけど、やっぱり恥ずかしくて口にはできなかった。
「また電話するから」
「はい」
「身体に気をつけて」
「はい」
「今度会ったら・・・」
言いかけて、乃木沢は押し黙った。
同じことを考えているのかと思うと、面映くなってついつい笑ってしまった。
そんな玲二に、照れたように乃木沢も小さく笑う。
「もう行きます」
「ああ」
人目があるといけないから、と結局さよならのキスひとつできないまま、名残惜しい気持ちを堪えてまたしばらく会えない生活へと戻ることになった。


「そういえば」
初日に行ったテーマパークで、乃木沢がくれたものは何だったのだろうか。
寮の部屋に戻ると、玲二はカバンの中から包みを取り出した。
出てきたのは、テーマパークでも大人気の熊のキャラクターのマグカップだった。
これはどう見てもペアカップだ。
「こんなの、男子高校生が使ってたらおかしいじゃないか」
思わず吹き出して、まじまじとカップに描かれた熊を眺める。
ほんわかと温かいイラストは女の子なら喜ぶだろう。
確かペアというか恋人?の熊の女の子がいるはずだ。
ということは、乃木沢がそれを持っているということか。
あの、ひと癖もふた癖もある代議士秘書が、一人暮らしのマンションで可愛らしいマグカップを使っている姿を思い浮かべると笑いが零れる。
「僕よりも乃木沢さんの方が恥ずかしいんじゃないのかな」
いや、誰に見られることもないのだとしたら、やっぱり玲二の方が同室者に見られる分だけ恥ずかしい。
そっと机の上にカップを置き、玲二はこの連休の間のことを思い浮かべた。
初めて行ったディズニーランドも、夜のドライブも、大人の口づけも、触れられただけで溶けるかと思うほどの初めての夜も、どれもこれも思い出すと恥ずかしくて仕方がない。
けれどもしかしたら誰かに恋をするということは、恥ずかしくて照れくさいものなのかもしれない。
分かっていても、馬鹿みたいに浮かれてまた恥ずかしいことをするのだ。
きっと玲二だけではない。
乃木沢もこんな恥ずかしいマグカップを買ってしまうくらいだ。
そんな風に、二人で恋をすることは、ある意味同じ目線でいることだと思ってもいいのだろうか。
これから乃木沢といろんな初めてを知っていくのだと思うと、それはやはり気恥ずかしくて、だけどどこかでわくわくと楽しくも思えて、ついさっき別れたばかりだというのに、玲二は次に乃木沢と会える日が待ち遠しくてならなかった。




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あとがき

ス○タくらいさせればよかった。需要があれば、次回初体験編。