幸せな結末


このお話は
1)駅後の再会話、別バージョンです。
2)拍手のお礼豆話からのサルベージなので、若干繋がり悪くてごめんなさい。
3)こちらの話とリンクさせたので、未読の場合は、できれば先に読んでいただければと。
4)ハピエンにしましたのでご安心を。





何年ぶりだろう。
あの頃、会いたくて会いたくて、夢にまで見た人が目の前にいるというのに、ぼくはただ立ち尽くすだけで動くことも、声を出すこともできなかった。
「ギイ・・・」
ようやく彼の名を呼ぶと、ギイはほんの少し笑ってぼくの方へと歩き出した。
けれどすぐにその足を止める。
ぼくの隣に立つ女の子に気づいたからだ。
近づいてくるとんでもない美男子に、彼女はびっくりしたように目を見開き、けれどすぐにぼくへと首を傾げた。
「葉山くん?お友達?」
「・・・ああ・・うん。高校時代の・・・友達・・・・」
「そうなんだ。じゃあ私はこれで。また明日ね」
久しぶりに会う友達との間を邪魔してはいけないとでも思ったのだろう。
ばいばいと胸の前で手を振って、彼女はギイに軽くお辞儀をして立ち去った。
その場に残ったぼくとギイ。
何を言えばいいか分からず黙っていると、
「高校時代の友達?」
ギイがどこか傷ついた表情で繰り返した。
「オレたち、友達だったのか?」
「・・・友達ですらないのかな・・。あんな風に消えちゃう程度の関係だったから」
そんな悪態が口をついた。
意地の悪い言い方だと自分でも思う。
けれど、焼け付くような痛みが腹の底から込み上げてきてどうしようもなかった。
「託生・・・」
「近づくなっ!」
ぼくは思わず叫んだ。
ぞわっと肌がざわめく。まるで昔克服した嫌悪症が再び甦ったかのような気がして、震えを抑えるために腕を掴んだ。

会いたくて会いたくて。
だけど会えない人のことを、何度も夢で見た。
長い時間をかけて、ようやく忘れられそうな気持ちになっていたのに。
会えなくても、一人で何とか生きていけると思っていたのに。

「・・・あの子・・・彼女?」
ギイが小さく尋ねる。
「・・・だったらなに?ぼくに彼女がいたらおかしいかな?」
「・・・・いや」

きりきりと胸が痛み出す。
どうしてまたぼくの前に現れたりしたの?
どうして?
ギイ、どうして?


******


「託生、話を聞いてくれないか?」
ギイの言葉にぼくは息苦しくなった。
聞けば、例えそれがどんな理由であったとしても、許してしまいそうな予感がしたからだ。
黙るぼくにギイが一歩近づく。
「ずっと連絡できなくてごめん。オレ・・・」
「言わなくていい」
静かに言うと、ギイははっとしたように目を見開いた。
「いいから。もう怒ってないから。きっとどうしようもできない理由があって、ぼくと別れようって思ったんだろ?」
「そうじゃない」
「今さら何の話を聞けって言うんだよっ」
思わず声が大きくなる。
通り過ぎる人がぼくたちを物珍しげに眺めていく。
けれどそんなことはどうでも良かった。
今のぼくたちは恋人同志でも何でもなくて、ただの知り合いのようなものだ。
昔のクラスメイト。
昔の同室者
あんなに近かったのに、今はもうこんなに遠い。
ぼくは昂ぶる感情を何とか押し殺して、ギイに向かって言った。
「言い訳なんて聞きたくない。ギイは言い訳して、ごめんてぼくに謝って、それで楽になれるよね。でも・・・ぼくはどうしたらいいの?」
「・・・っ」
「今さら何を聞いたところで、もう昔には戻れないのに・・・?」

もう戻れない?
本当に?

自分で言った言葉に呆然とする。
泣いたりしちゃいけないと思っているのに、視界の中のギイがぼやけていくのをとめることができなかった。


*****


もう昔には戻れないのに。


ぼくの言葉に、ギイはきゅっと唇を結んだ。
本心かと問われれば、ぼくはすぐにうなづくことはできなかっただろう。
もう戻れないってことは、ギイがいなくなってからずっと、自分に言い聞かせてきただけで、だからといって本気でそう思っているのかは、自分でもよく分からなかった。
あまりに長い時間、離れていたから、何が本当の気持ちなのかが見えなくなってきている。
しばらく無言で見つめい、ぼくは静かに言った。
「もう終わったんだよ・・・。ギイ・・・ぼくたちはもう終わった」
「本当に?」
思わず聞き返してくるギイに、ぼくはかっとなった。
そして怒りを露わにして震える声で言い募った。
「どうしてだよ・・どうしてそんなこと言うんだよ。今さら・・・あれから何年たってると思うんだよ?本気で・・・本気で戻れるって、そう思ってるの?ぼくがもう・・・ギイのこと・・・嫌いになったって考えたりしないの?」
「・・・・」
「わざわざ会いにきて、今さらどんな言い訳されたって・・・」
「言い訳をするために来たんじゃない」
「じゃあ何だよ・・・」
「好きなんだ」
その瞬間、時間が戻ったような不思議な感覚に襲われた。
けれど、ぼくはゆるゆると首を振った。
「馬鹿なこと・・・言わないでくれよ・・・」
「今さらあの時何があったかを話したところで、言い訳にしかならないのは分かってる。だから何があったかなんて言うつもりはない。ただ、ちゃんと気持ちを伝えたかったんだ」
「・・・・・」
「託生の前から姿を消したのは、オレが託生のことを嫌いになったからじゃない。別れたいと思ったからでもない。祠堂で一緒に過ごしたあの時間が遊びだっただなんて思って欲しくなかったから。ちゃんと自分の口で、託生にオレの気持ちを伝えたかったんだ」

自分は愛されていなかったなんて思われたくない。
どれだけ言葉に尽くしても足りないくらいに、本当に愛していた。
今でも愛している。
このまま、攫ってしまいたいほどに。

言葉にしないギイの気持ちが伝わってきて、ぼくは何も言えなくなってしまう。
少しでも気を許したら、泣いてしまいそうな気がした。


「愛してるんだ、託生」


ギイは少しも怯むことなく当たり前のことのようにそう言った。



*****



それは祠堂にいた頃に嫌と言うほど聞いた言葉だった。
真っ直ぐに見つめられて、何度も何度も言ってくれた。
照れくさくて、同じ言葉を返すことができなくて、だけどいつも心の中では同じ言葉を告げていた。
あの最後の日、綺麗に晴れた青空の下でギイは言った。

「愛している」

あの言葉に嘘はなかった。
ぼくはちゃんと分かっていたのだ。
ギイにどれほど愛されているか。そしてギイをどれほど愛しているか。
突然目の前から消えてしまったギイ。
何が何だか分からなくて、二度と会えないかもしれないことに胸を痛めて。
「ぼくは・・・そんなこと・・・言われても困るよ」
搾り出すように言うと、ギイはうんとうなづいた。

嫌いになれたらどんなに楽だっただろう。
忘れられたらどんなに楽だっただろう。

昔と変わらない瞳で見つめるギイをきっぱりと拒絶することができない自分が嫌になる。

「わざわざ会いにきてくれてありがとう。ギイの気持ちは、分かったから・・」
俯いたまま、ギイの横を通り過ぎようとしたとき、その手首を掴まれた。
「・・・っ」
「今週いっぱい日本にいるから」
そう言ってギイは滞在しているホテルの名前を告げた。
ぼくはギイの手を振りほどき、逃げるようにしてその場を走り去った。

掴まれた手首は、夜までずっと熱を持っていた。



*****



振り切るようにギイから逃げて、一人暮らしをしているアパートに戻った。
さっきまで目の前にギイがいたことが信じられなくて、ぼくはこの状況を喜ぶべきなのか、それとも憤るべきなのか分からずにいた。
ギイに掴まれた手首にはまだその感触が残っていて、その感触は時間がたっても薄れるどころかますます強くなっていくような気がした。
「ギイ、変わってなかったな」
その声も眼差しも、祠堂にいた頃と同じだった。

(愛している)

何の衒いもなく思いを口にできるところも、離れている間に少しは変わるかと思っていたのに、まるで昔のままだった。
「どうして会いにきたんだよ」
もしまた会えたらと何度も想像した。
その時ぼくはどうするんだろうと何度も考えた。
でもそんなこと起きるはずがないと思っていたから、ただの夢物語のままで終わっていた。
それなのに・・・。
ぼくはベッドの上で寝返りを打ち、身体を丸めて目を閉じた。
もしこのまま何もしなければ、たぶんギイはこれ以上ぼくに会いにくることはないだろう。
ぼくが本気で別れたいといえば、彼は・・・

(ギイは、あっさりとぼくと別れることを選ぶのだろうか)

そう思った瞬間、ひやりと指先が冷たくなった。
今までだってほとんど別れていたようなものなのに、それでも心のどこかで彼と繋がっているような勝手な幻想を抱いていた。
曖昧な状況は辛いと思っているくせに、でも、曖昧だからこそ何とかここまで一人でやってこれたのだ。
それが本当にもう会えないと決定づけられたら、それでもぼくは、今までと何も変わらないと言って生きていけるのだろうか?

(ギイを失って、本当にぼくは生きていけるのか?)

たまらない焦燥感に息苦しくなるほどだった。
ただの想像なのに、それは本当に身を引き裂くほどの痛みでぼくを打ちのめした。
「・・・・っ」
我慢できずにベッドから降りると、ぼくはテーブルに上に投げ出してあったキィを手にして、取るもの取り合えず、部屋を飛び出した。



*****



ギイが日本にいるのは週末まで。
アメリカへ戻れば、またしばらくは会えなくなるんだろう。ぼんやりとギイの言葉を反芻していたぼくは、ギイが告げたホテルが、以前二人で泊まったことのあるホテルだと気づいた。
大雨で、雷が落ちて停電になり、電車も止まって、寮に帰れなくなった夜。
あの頃、ぼくは日本の音大を受験すると決めたばかりで、何となくギイと気まずくなっていた。
そんな時に、あのホテルに泊まって、お互いの気持ちをぶつけあった。
すれ違いそうになっていた気持ちをもう一度結び合わせた。
ギイが今いるのは、あの夜に泊まったホテルだ。
それに気づいて、忘れていた記憶がするすると甦った。

不安だと言っていたギイ。
ギイはアメリカ。ぼくは日本。
お互いに愛してると分かっていても、離れるのはすごく怖いと、ギイはぼくの前で初めて弱さを吐露した。
いつも超然としていて不安を感じることなんてないと思っていたギイが、初めてぼくに本心を見せてくれた夜だった。
あの嵐の夜、ぼくはギイに言った。
離れていても大丈夫だと。
大丈夫だと思えるくらいに強くなりたいんだと。
ぼくだって不安だった。だけど、何があってもギイと別れるつもりなんてなくて、どんな困難があっても必ず乗り越えようって思っていた。

『ギイがぼくのことを愛してくれていると信じられるから、ぼくは日本に残る。だからギイもぼくがギイを愛しているって信じてくれよ』

信じて欲しいと、ぼくは彼にそう言った。
あの時、ぼくには彼を追いかけていくだけの力はなくて、だけど、ちゃんと彼の隣に立てるようになるまで頑張るから、待っていて欲しいと言ったのだ。
それは今思えば、子供の戯言のような夢物語だったかもしれない。
けれどギイのことが好きで、ただそれだけで。

「・・・っ」

ぼくはギイに会わなくてはいけない。
ギイに、確かめなくてはいけないことがある。





あの時のことを、ギイは覚えているのかな。
ぼくのあの言葉を信じてくれているのかな。






ホテルに着いたのはもう深夜を過ぎた頃だった。
静まり返ったホテルのフロントで、ぼくは念のためギイの部屋番号を確認した。
エレベーターに乗り込んで、教えられた階へと向かう間、ぼくは自分がひどく緊張していることに気づいた。
衝動的に会わなければと思ってここまで来てしまったけれど、ギイにいったい何て言えばいいのだろうか。
エレベーターの扉が開いた瞬間、そのまま引き返そうかと思った。
けれど勇気を振り絞って、重い足取りで彼がいる部屋の前に立った。
しばらく中の様子を伺っていたけれど分厚い扉の向こうの様子など分かるはずもなく、ぼくはひとつ深呼吸をすると、扉の横にある呼び鈴を押した。
扉が開くまでの時間がひどく長く感じられた。
やがて目の前でゆっくりと扉が開く。
ギイの足元がうつむく視界に入った。
たったそれだけのことで、じわりと涙が溢れそうになってうろたえた。
「託生・・・」
名前を呼ばれてさらに切なくなる。
立ち尽くすぼくに、ギイはさらに扉を開いて身体を横へとずらした。
中へ入れと言うことも、腕を引くこともなく、ぼくが動くのを待っている。
部屋に入ることがどういうことか、たぶんお互いに分かっている。
分かっていて、ぼくは一歩踏み出した。

薄暗い室内はスィートルームらしくやっぱり豪華で、あの夜以来こんな立派なホテルの部屋に足を踏み入れたことのないぼくは少し戸惑ってしまう。
どこまでもギイとは住む世界が違うんだな、と思い知らされる瞬間だ。
「託生」
ギイがためらいがちに呼びかける。
彼の声に、息をするのさえ苦しいほどに胸が高鳴る。
耳元で心臓の音が聞こえるようだった。
まるで嫌悪症時代のように、ギイはそんなぼくから少し離れた場所に立っていた。
「ギイ、ぼくが来るって思ってた?」
「・・・半々かな」
ふっと小さく笑いが漏れる。
「ギイらしくないね」
きっと以前の彼なら、当然だろ、なんて言ったはずだ。
それだけ、彼にとっても今のこの状況はどちらへ転ぶか分からないと思っているってことだ。
ぼくに近づくことなく、ギイは薄闇の中で囁くように言った。
「だけど来て欲しいと思っていたよ」
「・・・」
「オレにそんなこと願う権利はないんだろうけど、だけど託生がここへ来てくれないかって思ってたよ」
弱気なギイの台詞に、ぼくはようやく顔をあげて彼を見た。
目が合うと、優しく彼が笑う。
ああ、やっぱりこの人は綺麗だな。
どこからどう見ても男だし、女性的な要素はまったくないのに、それでもとても綺麗でぼくは彼から目が離せなくなる。
「・・・ギイ・・聞きたいことがある」
「なに?」

「会えなかった間・・・ギイはぼくのことを信じてた?」

声が震える。
だけど、どうしてもギイに聞かなくてはいけないのだ。
「あんな別れ方をして、それでもぼくがギイのことを愛しているって、ぼくもギイのことを信じてるって思っていた?」
昔、この部屋でした約束を、ギイはずっと覚えていてくれたのだろうか。
だとしたら、ぼくは・・・
「信じてたよ」
短い沈黙のあと、ギイがかすれた声で、けれどはっきりと答えた。
「託生がオレの愛情を信じてるって言ったから。託生が、オレへの愛情を信じて欲しいって言ったから。あの夜、そう言ってくれたよな?オレには、あの言葉だけが支えだったよ。託生があの言葉をくれたから、オレはもう一度会いに来ることができた・・・」
「・・・・っ」

どれだけ遠く離れたとしても気持ちは決して変わらない。
ギイを嫌いになることなんて絶対にない。

その言葉だけが、ギイが気持ちを強く持つ縁だったのだ。
あんな形で別れてしまって、きっとギイはぼくが怒っていると思っていただろう。
ギイのことを嫌いになって、別れるつもりになったとしてもおかしくない状況の中で、それでもぼくのことを信じていた。
彼はぼくの気持ちを信じていたのだ。
分かっていた。
突然消えてしまったのは、ギイの意思なんかじゃないことは。
どうにもならない理由があって、連絡さえできないような状況があったのだ。
分かっていたのに、ぼくは・・・・

「怒るべきなのか、謝るべきなのか、わからないよ」

一言の約束もなく消えてしまったギイのことを怒るべきなのか。
そんな彼を一瞬でも疑ってしまった自分のことを謝るべきなのか。

ぽつりと言うと、ギイはぼくに一歩近づき、ごめんと言った。
「託生は何も悪くない。ごめんな、あの時、何の約束もしてやれなくて。その後も、連絡できなくてごめん」
「・・・・っ」
「今さら許してくれだなんて言える立場じゃないことも分かってる。別れたいって言われたってオレには拒むことなんてできやしないけど、だけど託生・・・オレは・・・」
「ぼくを愛してるんだろ?」
「ああ・・・」
「だったら抱きしめてよっ」
睨みつけるようにしてギイへと叫んだ。
「昔のギイみたいに、ぼくが嫌だって言っても抱きしめればいいだろ。信じてるって言うなら、ぼくがギイのこと嫌いになるはずないって信じてるなら・・どうして・・・っ」
最後の言葉を言うより早く、強い力で抱きすくめられた。

(ああ・・・ギイだ・・・)

懐かしい花の香り。彼の体温。身体を包み込む長い腕。

(嫌いになんてなれるはずがない)

のろのろと腕を上げて、ギイの背中へと手を這わせた。
さらにきつく抱きしめられて、耳元で名前を呼ばれた。

「ごめんな・・・」
囁きに、それまで我慢していた感情が一気に溢れ出した。
ギイの腕を無理矢理解いて、その胸をめちゃくちゃに拳で叩いた。

謝るくらいなら、どうしてあの時、一緒に攫ってくれなかったのか。
時間や距離に負けないくらいの思いなら、どうしてすべてを打ち明けて奪ってくれなかったのか。

泣きじゃくるぼくの髪を撫で、ギイは子供をあやすように頬に口づけた。


どれだけ遠く離れたとしても気持ちは決して変わらない。
ギイを嫌いになることなんて絶対にない。

世界で一番愛してる。


あれはぼくたちの約束だった。
見えないキモチを、それでもぼくたちは信じようと約束した。

「ごめ、んね・・・っ」
寂しさと悔しさと、愛しさと恋しさと、驚きと喜びと、ぐちゃぐちゃになった気持ちでぼくはギイの胸の顔を埋めて小さく言った。
信じたい気持ちはいつでも胸の中にあった。
けれど、あんな形で消えてしまったギイのことを、何の約束もできなかった別れを、どうすれば自分の中で納得させればいいか分からなくて、ずっとずっと苦しかった。
嫌いになれず、ただただ愛しい想いばかりが募って、もっと苦しくなった。
その苦しさから逃れたくて、ギイのことを忘れようと思った。
もう終わったのだと、二度と会うことはないのだと、祠堂での時間はぼくに与えられた最後の幸せだったのだと思おうとした。
だけど結局、そう思うことでもっと苦しくなるだけだった。

「託生・・・」

濡れた頬を両手で包み込まれて額にキスされた。
閉じた瞼に、鼻先に、唇に。
何度も何度も。
離れていた時間を取り戻そうとするかのように。

「ギイ・・・」

まだ不安そうにぼくを見る彼の手を取って指先に口づけた。

「ギイが好きだよ」
「・・・」
「ギイのことが大好きだよ」
「・・・っ」

縺れるようにしてベッドに倒れこんだ。


忘れられるはずなんてなかったのだ。








人の体温で目が覚めるなんていったい何年ぶりだろう。
目を開けると、間近にギイがいた。
静かな寝息を立てるギイの前髪にそっと触れてみる。
指先で長い睫をくすぐってみると、ギイは小さく身じろいだ。
そしてゆっくりと瞼が開いた。
大好きだった薄茶の瞳に生気が戻り、ぼくがいることにほっとしたように微笑んだ。
「おはよう、ギイ」
「・・・おはよう」
お互いにどこか気恥ずかしくて、ぎこちなく視線を外した。
何を言えばいいのかあれこれ考えて、だけど何も言葉が出てこなかった。
ギイが勢いをつけて起き上がり、大きく伸びをした。
はーっと深呼吸をして、そのまま脱力したように肩の力を抜く。
「オレ、まだ夢見てる?」
「何それ」
「だって、隣に託生がいる」
「・・・夢じゃないよ。たぶんね」
ぼくの方こそ夢を見てるんじゃないかと思うほどだ。
今、すぐ隣にギイがいる。
手を伸ばせば届く距離にいて、実際に触れることもできる。
ぼくもゆっくりと起き上がり、脱ぎ散らかされた服の中から自分のシャツを掴んで身につけた。
「託生」
「うん?」
「後悔してないか?」
ギイの言葉の意味が分からなくて、ぼくはまじまじとギイを見た。
何を後悔するというんだろう。
こうしてギイに会いにきたこと?
やっぱり好きだと思いを口にしたこと?
我慢しきれなくて、一晩を共にしたこと?
どれも後悔することなどなくて、もしもう一度時間を巻き戻せたとしても、ぼくはきっと同じことをしただろう。
ギイは分からない様子のぼくに困ったように苦笑した。
「彼女が・・・」
「彼女?」
「昨日、一緒にいた彼女だよ」
言われてようやくギイの言いたいことに気づいた。彼女がいるのに、ギイとこんなことになって、いったいどうするつもりなんだ、と言いたいんだろう。
「諦めるつもりもないし、身を引くつもりもないから」
ギイは真っ直ぐにぼくを見て言い切った。
「託生が、どういうつもりで昨夜ここに泊まったのか・・・つまり、オレともう一度付き合うってことなのか、それとも勢いだけだったのか分からないけど、だけど・・・」
「だけど?」
「奪い返すよ。託生のこと」
「・・・・」
「手離すつもりはないから」
やけに決意の固いギイに、ぼくはやれやれと肩を落として、もう一度ベッドの中に潜り込んだ。
「おい託生、聞いてんのか?」
「聞いてるよ。だけど、そんなことできないよ」
「・・・彼女と別れるつもりはないってことか?」
「そうじゃなくて、付き合ってもいない人から奪うことなんてできないだろ、ってこと」
「・・・・・え?」
ギイが戸惑う気配が伝わってくる。
さすがのギイもすぐには理解できないみたいで、きょとんとしている。そんなギイに急に笑いが込み上げてきた。くすくすと笑っていると、ギイがどさりと覆いかぶさってきた。
「苦しいよ、ギイ」
「お前、嘘ついたのか?」
「嘘なんてついてない。ギイが勝手に誤解しただけだろ」
彼女は同じバイオリン科のクラスメイトだ。もしかしたらちょっとぼくに好意を持ってくれていたかもしれないけれど、本当にそれだけで、ギイが心配するようなことは何もない。
「こいつ・・・っ」
ぎゅうぎゅうと抱きしめられて、とうとうぼくは降参した。
まだどこか怒っている表情をしているギイに、ぼくだって文句を言った。
「もし本当に彼女がいたとしたら、ここに泊まったりしないよ」
「・・・・」
「ギイのことがいくら好きでもね、そんな中途半端なことはしない。ちゃんと別れてから、ギイのところへきたよ」
それくらい長い付き合いなんだから分かるだろうに。
ぼくの言葉に、ギイはそうか、とようやく納得したようだった。
そして彼に背を向けるぼくの髪をさらりと撫でた。
「オレを選んでくれるんだな」
「・・・今さらそんなこと聞くなよ」
「聞きたいんだ」
ぼくはギイへと寝返りを打ち、彼を下から見上げるようにして見つめた。
「・・・たとえギイと別れたとしても、きっとぼくはずっとギイのことが好きだよ」
「・・・・」
「選んだのは今じゃない。祠堂で、共犯者になってくれって言われた時に、ぼくはギイを好きでいることを選んだんだ。・・・馬鹿みたいだ、こんなに好きになって、あんなひどいことされても、まだ好きでいられるなんて・・・自分でも不思議だよ。でももうどうしようもないんだ。気持ちは変わらない」
こんなに好きになる人は、きっともう現れないだろう。
ぼくの言葉に、ギイはこれ以上ない極上の笑みを見せた。
「嬉しい。生きてて良かった」
ギイの馬鹿正直な感想に、もう笑うしかなかった。



どれほど遠く離れても、どれほど会えない時間ができたとしても、ぼくたちは何も変わらない。
変わらず互いを大切に想い、心を預けていく。

あの時交わした約束が嘘にならなくて良かった。

どれほど好きでも、いや好きだからこそ不安にもなるし怖くもなる。
誰かを信じることは誰かを好きでいることより難しいことだけど、それが愛することだというのなら、ぼくは誰に笑われても、彼を信じることを・・・信じようとすることを選ぶ。


きっとその先に、幸せな結末が待っている。






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あとがき

ギイVS託生彼女の図が実現したら、修羅場以外の何ものでもない。