チャンスを掴んだ土曜日 夕食も終わり、託生は宿題をするからといって真面目に勉強し始めてしまったので、邪魔しちゃ悪いと思い、オレは部屋を出て一人談話室でぼーっとしていた。 昨日の昼休み、オレの一言が託生の中の何かを刺激してしまったのか、あれ以来託生は少しばかり元気がなかった。 表向きは何も変わらないように見えて、何となく心ここにあらずといった感じがする。 それまで毎日少しづつ近づいていると思っていた距離が、また少し離れていくような気がして、オレは正直焦っていた。 ゆっくりでいいと思っているくせに、思いが通じ合ったとたんに欲が出る。 早く託生の中での一番になりたい。 早く早くと気持ちばかりが急いてしまう。 けれど、今の託生は下手に近づけばきっと逃げるに違いない。 オレには何を言っても、何をしてもいいのだと認識してもらえるにはまだ時間が必要なのだと思い知らされたようで、浮かれていた気持ちも一気に沈んだ。 いつもなら誰かしらがやってきて、あれこれと話をしたりもするのだが、オレが近寄るなオーラを出しているせいか、みな遠巻きに見ているだけで寄ってはこない。 甘いところなんて欠片もない顔は、黙っていればいっそ冷たく見えることも知っている。 その気になれば自分がどれほど近寄りがたい空気を醸し出せるかも嫌というほど分かっている。 祠堂に来てからはそんなものを出したことはなかったけれど、今は誰かと明るく世間話をする気にはなれなかった。 そこへやってきたのが相棒の章三だった。 「なにシケた面してるんだよ、美男子が台無しだろうが」 そう言って目の前に紙コップのコーヒーを置き、章三が向かい側の席についた。 「章三か」 「僕で悪かったな」 誰もが声をかけるのを躊躇する中、何の気負いもなく声をかけることのできるヤツなんて、祠堂じゃ章三くらいしかいない。 去年、寮の部屋が同室で、一年間でオレたちはお互いのことを相棒だと認め合って、恐らく一番近い場所にいた。 もちろん今でも章三はオレにとっては大切な親友であり、頼れる相棒だ。 誰とも話なんてしたくないと思っていても、章三が相手なら気も緩む。 「どうした、また葉山が何かやらかしたか?」 どことなく楽しそうな様子で章三が尋ねる。差し出された紙コップをありがたくいただくことにして、自分の方へと引き寄せた。 「知ってるだろ、新学期が始まって以来、託生は誰とも揉め事起こしてない」 「確かに。まぁここのところイイ感じにはなってきてるよな。ギイマジックだってみんな言ってるぜ」 オレは別に何もしちゃいない。 ただ託生に好きだと打ち明けただけだ。 なんて言えば、章三には軽蔑されたりするのだろうか。 何しろ章三は筋金入りのストレートだからな。 「で、葉山はどうした?」 「宿題やってる」 「ああ、あいつ古文苦手だもんな」 「何でそんなこと知ってるんだよ」 思わずむっとして聞き返すと、章三は苦笑した。 「一年間同じクラスだったんだぜ、それくらいみんな知ってる」 「・・・」 なるほど、同じ教室で机を並べているのだから、それくらい普通のことだ。そんな当たり前のことすら、託生のこととなるとどうも上手く思考が働かない。 「ギイ」 「ああ?」 「お前さんが去年からずっと葉山のことを気にかけてたのは知ってるが、あんまり肩入れするといいことないぜ」 「何だよそれ」 章三は自分の紙コップを持ち上げた。 「高林みたいなヤツが出てこないとも限らない」 「ああ・・・」 そういうことか。 皆が皆、オレに対しておかしな恋心を抱くとは思っちゃいないが、やっかみ半分の嫌がらせはあるかもしれない。 けど、託生の場合、そういうことに対しては滅法強いヤツだからなぁ。 つまらない嫌がらせなんて全く意に介さないだろう。 どちらかと言えば、オレの方が頭に来る。いや、悲しくなる? 何にしろ、託生が絡むとオレの感情は自分じゃコントロールできなくなってしまう。そういう自覚は十分あって、それはあまりよくない傾向だということも分かっている。 「人気があるのも考えものだな」 「人気なんてどうでもいいが、章三、そういう話、どこかで聞いたのか?」 やっかみ半分の嫌がらせ。前々からもあったけれど、エスカレートしそうだとか? 章三のことだから何もなくこんな話を振ってくるはずはないだろう。そう思って聞いてみると、まぁなと章三は曖昧に言葉を濁した。 「今のとこ、まだみんな戸惑ってる感の方が強いけどな。あまりの豹変ぶりに驚いてるっていうか・・っていうのは葉山だけじゃなくてギイに対してもだけどな」 「オレ?」 「新学期になったとたん、いきなり葉山にべったりだからさ。同じ部屋で、葉山がいったいギイに何をしたのか、っておかしな邪推するヤツもいるんだよ」 「くだらない」 「確かにな」 託生がオレに色仕掛けで何かしたとでも思ってるのだろうか。 色仕掛けをしてくれるようなら話はもっと簡単だった。だけど託生はそんなつもりはまったくなくて、むしろオレの方が託生に色仕掛けで何とかしてしまいたいって思ってるくらいだ。 いったいどんな手を使えば託生はオレのものになってくれるのだろうか。 好きだと言って、恋人だと認めてくれたはずなのに、オレはどこか不安で仕方なくて、かといってそれを素直にぶつけることもできずに悶々としている。 崎義一ともあろうものが。 今まで恋愛の駆け引きなんて嫌と言うほど経験してきたはずなのに。 託生が相手だとそんな経験はまったく役に立ちそうにない。 何しろ託生の反応はいちいちオレには新鮮というか理解しにくいのだ。 好きだと言えばあからさまに動揺する。 そのくせキスをしようとすると素直に目を閉じる。 そのギャップはいったいどこから来るのだろうか。恋愛ごとなんてまるきり無縁な様子なのに、時折見せる妙な色香は何だろう。それは単に惚れた欲目なのだろうか。 オレは大きく溜息をついて、頭の後ろで手を組んだ。 託生は、目の前にある幸せな関係にどっぷりとハマることに躊躇して踏み出してはこない。 差し伸べた手を取ってくれれば、誰よりも幸せにする自信があるのに、託生はちっとも振り向いてはくれない。 託生はまだオレにすべてを見せてはくれていないし、見せようとはしてくれていない。 それがこの1週間で嫌というほど分かった。 昨日も、林の中で見せた表情が気になって、何か悩んでることでもあるのかと水を向けてみたけれど、託生は何もないよ、と笑うだけだった。 オレには話したくないことなのか、それとも・・・ オレが黙っていると、章三が飲み干した紙コップをくしゃりと握りつぶした。 「おいおい、ずいぶん落ち込んでるんだな。ギイが悩むことがあるのか?だいたい葉山が前よりもずっといい感じになってきてるのはギイのおかげだろ?僕だっていいことだって思ってるんだぜ。あのぴりぴりした空気感を漂わせたハリネズミみたいな葉山より、今のどこか気の抜けた緩い感じの葉山の方が親近感が湧く」 「緩いかねぇ。まだまだあんなもんじゃないような気がするけどな」 思わず笑いが漏れる。 一緒の部屋で生活し始めて6日。勝手に想像していたよりも託生はずっとおっとりとしていて、動作の一つ一つがのんびりとしていて、そしてどこか愛らしかった。 同じ男相手に愛らしいって何だ、と笑ってしまうが、実際そう思うのだから仕方ない。 (だめだ、めちゃくちゃ会いたくなってきた) 部屋に戻れば託生がいる。そう思うだけでいてもたってもいられなくなる。 「相棒の僕としては、ギイが葉山との友情を深めようとしてるなら、少しは協力すべきかと思ってさ・・・」 そう言って、章三はおもむろにポケットから薄い封筒を取り出した。 「何だ?」 「試写会のチケット。応募してたのが当たったんだ。けど、明日はちょっと用事があってさ。葉山と2人で行ってみるか?」 差し出された封筒からチケットを取り出してみる。そこに書かれたタイトルに少しばかり唸る。 「章三、明日用事があるなんて嘘だろ」 「どうして」 「フランスのロマンス映画なんて、お前の趣味じゃないだろ、何で試写会に応募したんだ」 「一応話題作には全部応募してるんだよ。応募したって当たるとは限らないからな」 そりゃまぁそうだが。オレだってこの手の映画はさほど趣味じゃないんだが・・・ 「やっぱりやめとくか?友情深めるのにロマンス映画はないよなぁ、男同士で」 「いや、貰っておく」 深めたいのは友情ではなくて愛情なのだが、それはあえて言わないでおく。 砂を吐くほどの甘いロマンス映画に少しは刺激を受けて、甘いムードにでもなってくれれば言うことはない。 オレはチケットを手にして立ち上がった。 「サンキュ、章三。恩に着る」 これで学校の外で託生とデートするカッコウの理由ができたじゃないか。 初デートのチャンス到来。 逃してなるものか。 NEXT DAY |