とぼとぼと部屋へ戻ると、まだ三洲は戻っていなかった。
ギイと同じく忙しい彼のことだから、たぶん消灯時間間際まで戻らないだろう。 ベッドに横になって、手の中の手紙を見つめる。 そういえば、去年の文化祭のとき、ギイ宛のラブレターを預かったことがあったな、と思い出す。 女の子の真剣な想いを無下に断ることもできず、ぼくはギイにそのラブレターを持っていったのだ。 ギイは激怒して、あっさりとそれを撥ね付けた。 「俺には真剣に付き合っている恋人がいるんだ」 もらいたくもないラブレターの返事を書くほど暇じゃない、ときっぱり言い切って、ギイはぼくに背を向けた。 あの時のギイの態度を、ぼくは冷たいと思ったんだ。 ギイの言うことはよく分かる。 好きな人がいるから、その人以外からの好意は完全にシャットアウトする彼の態度は、それがぼくを大切にしてくれているからだと思うと、とても嬉しいものだけれど、だけど、それでもギイのあまりの潔さに、ぼくはついていけなかったんだ。 だって、誰かに想いを伝えるのがどれほど大変なことか知っているから。 初めてギイと出会ってから、ぼくはずっとギイのことが好きだった。 だけど簡単にそれを伝えることなんてできなかった。 人を好きになることは簡単でも、それを伝えるのはとても大変なことなんだ。 だからこうして想いを伝えようとする人からの手紙を、簡単に捨ててしまうことはできそうにない。 ギイに知られたら、また怒られるだろうけど、このまま何もしないっていうのは、どうしてもぼくにはできそうにない。 「よし」 ぼくは反動をつけて起き上がり、机に向かった。 ペーパーナイフで封を切り、そっと手紙を取り出してみる。 かさりと音を立てて開いた便箋には、女の子らしい可愛い文字で、自分の気持ちが綴られていた。 押し付けがましくなく、それでいて誠実な、読んでいるだけで結ちゃんという子がどれだけいい子なのかがよく分かる。 たぶん、岡本が言う通り、ぼくにはもったいない子なのだろう。 「うわぁ、何だか余計に罪悪感が・・・」 いやいや、どれだけいい子であろうと、ぼくはギイが好きなんだ。彼女の気持ちを受け入れることはできないし、それは絶対にそうなんだ。 「でも、何て書けばいいんだろう」 できれば傷つけずにすむような手紙にしたい。 こういう時、慣れた人間ならスラスラと書けるんだろうなぁ。ほんと、ぼくには荷が重過ぎる。 (ギイって、今まで一度もラブレターの返事を書いたことないのかなぁ)
ぼくと祠堂で出会う前だって、嫌ってほどラブレターなんてもらっていたはずだ。
そのときはまだ僕とは付き合っていなかったわけだから、ちゃんと返事を書いてたのだろうか。 「何か、ちょっと・・・」 そういう場面を想像しただけで、胸が息苦しくなった。 まったく矛盾してるな、と思う。 ギイの態度を冷たいなんて思ってるくせに、でももしあの時、あの女の子からのラブレターを受け取ってギイがちゃんと返事を書いたとしたら、やっぱりぼくはひどく傷ついただろう。 たとえそれが断りの返事だったとしても、きっとぼくは胸が痛んだに違いない。 それと同じことをぼくもしようとしている。 矛盾だらけで、自分でもよく分からない。 そのとき、がちゃりとドアノブが回る音がして、三洲が帰ってきた。 「何だ、葉山、帰ってたのか」 「ああ、うん。おかえり、三洲くん」 「ただいま。矢倉とサッカーの試合見るんじゃなかったのか?」 クローゼットの前で上着を脱ぎ、三洲はネクタイを緩める。 「うん、そのつもりだったんだけどね、予定が狂っちゃって」 「どうした?ずいぶん疲れた顔してるけど?」 「あー、うんそうだね、ちょっと・・・」 「ふうん・・・」 三洲は意味ありげにぼくの手元に視線をよこし、そしてふっと笑った。 「ラブレター?」 「ええっ!!!」 かっと頬が赤くなったのが分かる。そんなぼくに、三洲はくっくとおかしそうに笑った。 「分かりやすいなぁ、葉山。何だ、ほんとにラブレターなんだ」 「・・・三洲くん、かまかけたね」 「ピンクの封筒に便箋とくれば、女の子からの手紙かなって思うだろ?まさかカレシからの手紙じゃないだろうし」 三洲は私服に着替えると向かい側の自分のベッドに腰を下ろした。 「で、デートの約束でもしたのか?」 「ええ??じょ、冗談だろ?そんなことしないよ」 「どうして?」 「どうして、って・・」 知ってるくせにわざと聞いているに違いない。 お互い隠し事はなし、というのがぼくたちが同室になった時の約束だ。 三洲にはほんとのことを言ってもいいのだという安心感は、今のぼくにはありがたかった。 「好きな人がいるから、さ」 ギイがいるから、とは言わなかった。いくら相手が三洲でもそうそうあからさまにギイの名前を出すのは躊躇われる。 「馬鹿だなぁ、あんな薄情なヤツに義理立てしてどうする?俺の意見を言わせてもらえば、ラブレターをくれた子とデートでもして、いい子なら崎なんかあっさり振って、乗り換えるべきだね」 「はは、いつもながら厳しいこと言うね」 三洲はいつもギイには手厳しい。 「でも三洲くん、確かにこれはぼく宛のラブレターだけど、ちゃんと断るつもりだから」 「何だ。じゃあ何でそんな困った顔をしてるんだ?」 「え、っと。どう書けばいいか分からなくてさ。ラブレターなんてもらったの初めてだし。どう書けば、傷つけずにすむのかな、って思うと、悩んじゃって」 「葉山」 三洲はそれまでのふざけた様子ではない、真面目な表情でぼくを見た。 「それは無理だろ」 「え?」 「たとえどんな言葉を使ったところで、葉山がその子の告白を断るっていう事実を変えることはできない。中途半端に優しい言葉をかけるくらいなら、むしろきっぱり断る方がその子のためだ。傷つかずにすむなんて、そんな都合のいいことはできない。そんなことを考えるのは、思いあがったことだとは思わないか?」 「三洲くん・・・」 中途半端な優しさは、むしろ相手を傷つけるだけ。 薄々分かってはいたけれど、だけど、そうして傷つきたくなかったのはぼく自身だ。 だめだな、ぼくは。 「どうせ書くならきっぱりと断れよ」 「うん、わかってる」 「ま、放っておくっていうのもありだがな」 「それは、できないよ」 「真面目だな、葉山は」 くすっと笑って、三洲は立ち上がると、先に風呂入るよ、と言ってバスルームへと姿を 消した。 三洲の言葉は、どこかギイの言葉とシンクロした。 どちらも一見冷たいように思える言葉だけれど、でも本当はそうじゃないのかもしれない。 「難しいな、こういうのは・・・」 誰もが好きな相手と両想いになれるのなら一番いいのに。 (ギイ、今なにしてる?)
できるならギイに相談したかった。混乱して分からなくなってしまった自分の気持ちをギイなら上手にほどいてくれると思うから。
でも今回ばかりはそれはできないし。 そっとため息をついて、ぼくは手紙を封筒に戻した。 それから毎日、ぼくは手紙の返事を書こう書こうと頑張ってはいるものの、やっぱり上手く書けなくて、憂鬱な日々を送っていた。
そして3日が過ぎた頃、なるべく顔を合わさないようにと避けていた岡本に、とうとうぼくはつかまってしまったのだ。 |