7通の手紙 6 

「葉山、今夜つきあえ」
夕食後、寮の部屋で古典の宿題と格闘していたところへ、いきなりやってきた章三が開口一番にそう言った。
「いきなりだなぁ、いったいどこへ付き合えっていうのさ。ぼくまだ宿題が終わってないんだ」
分かるだろ、と机の上を見せてみる。
「さっさと終わらせろ、時間がない」
「そんなこと言われても、古典は苦手なんだよ、知ってるだろ?」
決していばれることではないが、事実だからしょうがない。
どうせ章三はさっさと宿題なんか済ませてしまったんだろうけど、ぼくはまだしばらくかかりそうだ。
章三はぼくのベッドに腰を下ろすと、やれやれというように肩をすくめた。
「早くしないと、ギイの機嫌がますます悪くなる」
「ギイ?」
「そ。今夜ゼロ番にお前を連れて来いって、さ」
「えっ」
びっくりした僕に、章三が眉を顰める。
「何だ、行きたくないのか?」
「そんなこと、ないよ・・」
「だよなぁ?」
揶揄するような視線をよこす章三に、いつものこととはいえ、少しばかり気恥ずかしくなる。
ギイには会いたい。そりゃ会いたいさ。
だけど、今会うのはちょっとまずいんだ。明日のデート(というのもどうかと思うけど)が終わるまでは、ギイには会わないでおこうと決めたのだ。
会えば最後、絶対ばれる。
けれど、事情を知らない章三にそんなこと言えるはずもない。
いつもなら、ゼロ番への誘いはこれ以上ない嬉しいことなので、二つ返事でついていくところなのに、なかなか腰を上げないぼくを章三が不思議に思うのも当然で。
「葉山、ギイと喧嘩でもしたか?」
「え?してないよ?」
「じゃあギイが何かやらかして、怒ってるとか?」
「ううん、そんなことないけど・・・・」
次第に声が小さくなる。章三はふうんとうなづいて、そしてにんまりと笑った。
「葉山、ギイに会いたくない理由が何かあるんだろうけどな、でもここは会っておいた方がいいんじゃないか?」
「どういう意味だよ?」
「会いに行かないと余計に何かあるんじゃないかと疑われるってことさ」
「ギイ、何か疑ってるの?!」
まさかもうバレてるとか?僕のあまりの動揺ぶりに、章三は吹き出した。
「葉山、お前もうちょっと嘘つけるようになった方がいいんじゃないか?」
「・・・・余計なお世話だよ」
章三め、すっかりぼくのことを玩具にしてるな。
「別にギイが葉山のことを疑ってるわけじゃなくて、単に葉山不足がマックスになっただけだろ。元気にしてるのかって心配はしてたけど?」
「ああ、そう、なんだ」
ここで意固地になって行くのを断っていると、聡い章三のことだ、絶対に理由を問い詰められる。
そうなると、結局ギイにすべて知られてしまうことになるのだろう。
「わかったよ、行くよ」
「よしよし、おりこうさん」
章三に促されてノートを閉じる。
 
(古典の宿題は戻ってからするか)
 
ぼくは諦めて立ち上がった。
 
 

ギイのゼロ番はいつも誰かしらが訪ねている。階段長への相談ごとってそんなに多いとは思えないから、やっぱり何とかしてギイとお近づきになりたいと目論む1年生たちのせいなのだろう。
そんな中、章三がぼくを誘ったということは、当然ギイとの約束がすでにできているってことだ。
正々堂々、扉をノックすると、中からギイが顔を覗かせた。
「よぉ、入れよ」
「お邪魔しまーす」
章三が勝手知ったる何とやらで、ずかずかと中へ入るとソファへどかりと腰を下ろした。
戸口に立ち尽くすぼくを見て、ギイはふわりと笑った。
とたん、かーっと頬が熱くなったような気がした。
「託生?」
「あ、うん、お邪魔します」
だめだ。
久しぶりにギイを見たら、やっぱり好きだなぁって思い知らされてしまう。
しばらく会ってなかったから余計に、ギイの姿が目に眩しい。
例えばギイの立ち居振る舞いだったり、ちょっとした表情や声のトーン。
何をとっても、とても綺麗に見えるから目が離せなくなる。
ぼくが章三の隣に腰を下ろすと、タイミングをはかったかのように、コーヒーが出された。
バニラの香り。相変わらず二人のお気に入りらしい。
「章三、それ飲んだら、ちょっと席外してくれないか?」
向かい側のソファに座ったギイが、にこりともせずに章三に言った。
言われた章三は「はぁ?」と声を上げた。
「来た早々帰れってか?お前、あまりにあからさまで恥ずかしくないのか?」
いくらしばらく会っていなかったとは言え、さっそく二人きりになりたいなんて、恥を知れ、と章三はぶつぶつと文句を言った。
いつもなら、「オレたちがいちゃいちゃするとこ見たいのか?」などと冗談を言って章三とじゃれあうはずなのに、ギイは真面目な顔をしたままだ。
そんないつもと違う様子に気づいたのか、章三はコーヒーを飲み干すと、そのまま立ち上がった。
「いっこ貸しな」
「今度はイチゴ牛乳を用意しておくよ」
ギイが片手を上げると、章三は僕をちらりと見た。
「じゃあな、葉山。宿題まだなんだから、せめて部屋には帰してもらえよ」
「あ、赤池くんっ!」
別に泊まるなんて言ってないだろ!
ぼくが抗議するより先に、章三はさっさとゼロ番を出て行った。
ギイは章三を見送ると、部屋の鍵をかけ、ぼくの隣へと腰を下ろした。
「託生・・」
「ギイ?」
ゼロ番に2人きりなんてシチュエーションは本当に本当に久しぶりなはずなのに、ぼくの名を呼ぶギイの声はどこか硬かった。
このまま甘い雰囲気に突入でもまったくおかしくはないのに、ギイはぼくに触れない。
「どうしたの?」
「託生、お前に聞きたいことがある」
「・・・なに?」
ぎくりとしたこと、バレただろうか?
まさか、あのことがバレてるなんてことはないよね?だって、ここしばらくはギイとは話してないし、ラブレターのことを知っているのは矢倉と三洲だけだ。
血の雨が降ることを本気で怖がっている矢倉がギイに話すとは思えないし、三洲とギイはそんな話をするような仲じゃない。
さらにデートの約束をしてしまったことは岡本しか知らない。
もしかして、岡本ってギイと親しかった?
「デートするんだって?」
「・・・・っ!」
直球の質問に、ぼくは固まった。
そんなぼくを見て、ギイはこれみよがしにため息をついた。
「やっぱり本当だったのか」
「ど、どうして、ギイがそれを・・・」
「偶然聞いちまったんだよ。食堂で、岡本たちが話してるのをな。悪いことはできないよなぁ、託生」
ギイが言うには、朝の食堂で後ろの席に座った岡本が仲のいい友達と話をしているのを聞いてしまったらしいのだ。
決してデートのことを面白おかしく話していたわけではなく、どちらかというと真面目な雰囲気での話だったから、ギイはそれが本当のことじゃないかと思ったらしい。
「いったいどういうことか、ちゃんと分かるように説明してもらおうかな、託生くん」
にっこりと笑ってるくせに、目がぜんぜん笑ってない。
ぼくは若干逃げの態勢でソファの隅へと寄った。
「あ、えっと・・・話せば長くなるんだけど・・」
「どうぞ。時間はたっぷりある」
 
(怖い・・・)
 
だがバレてしまってはしょうがない。
ぼくはそれまでの経緯を訥々と話し始めた。
 

ぼくの話を最後まで聞くと、ギイは脱力したようにソファの背に顔を伏せた。
「あの・・ギイ?」
「信じられない」
「・・・・だって・・」
反論しようとしたぼくに、ギイががばっと顔を上げた。
「だって、じゃないだろっ!お前、いったいどういうつもりなんだよ。ラブレター受け取るだけならまだしも、デートするだって?最初から断るつもりだっていうのに、何だって会う必要があるんだよ。だいたいオレがいるのに、何だってそんなことに・・・」
「そうだけど、だから説明しただろ、ぼくだって会うつもりはなかったんだよ。だけどいつの間にかそういうことになっちゃってたし・・・」
「はっきり断ればいいだろ、岡本に」
「そうだけど・・・でも、ちゃんと会った方がいいかなって思ったんだよ」
「何で?」
ギイは不機嫌オーラを隠そうともせず、ぼくへと詰め寄る。
「だって・・彼女の手紙読んだら・・ちゃんと真剣にぼくのこと・・す、好きになったって分かるし、手紙で断ろうって思ってたけど、でもそれじゃあ悪いかなって。岡本くんに半ば強引に決められちゃったことだけど、でも会った方がいいかなって思ったんだよ。だって・・・」
「託生は、会いたかったわけだ、自分のことを好きになったっていう子に」
話を最後まで聞かずに遮るギイの低い声に、ぼくは彼が本気で怒り始めていることを知る。
「そうじゃないよ、だから・・・」
「そうだろ?だいたい、無理やりラブレターを押し付けられ、おまけにデートの約束ひとつ断れないお前が、実際に彼女に会ってちゃんと断れるとは思えないね」
「そんなことないよっ」
断るに決まってるじゃないか。
そのために会うのだから。
ギイはどうだか、と肩をすくめる。
「ぼくはギイみたいに、あんな風にきっぱりと拒絶することなんてできないよ」
去年の文化祭でのラブレター事件。
ギイは最初ぼくが何を言っているのか分からなかったようだけど、すぐに思い当たったのか少しばかり眉をひそめて、
「オレが冷たいって言いたいのか?」
と静かに聞いた。
「違う」
「そういうことだろ。だけどな、託生、中途半端に期待させて、拒絶する方がずっと冷たいってオレは思うけどな」
ギイの言葉に、ぼくは立ち上がった。
そんなことギイに言われなくたって、十分わかっている。
ラブレターをもらってからずっと、どうしたらいいかって悩み続けて、やっとぼくなりに結論を出したっていうのに、どうしてこんなことを言われなくちゃならないんだろう。
別に付き合うって言ってるわけじゃないのに。
ちゃんと断るって言ってるのに。
まぶたの奥がじわりと熱くなってきたのを感じて、ぼくはきゅっと唇を噛んだ。
こんなことで泣いたりしたくない。
泣くのは絶対に嫌だ。
「・・・ぼくはギイにはなれないよ」
搾り出すように小さく告げる。
「託生・・・?」
「ギイが言うことは正しいと思う。だけどぼくは、ギイじゃないから。これはぼくの問題だ。ギイにあれこれ言われる筋合いはないし、考えを変えるつもりもない。悪いけどもうこのことで話はしたくない」
ああ、同じような台詞を、あの文化祭のときにギイから言われたな、とどこか他人事のように考えていた。
それを今度はぼくがギイに言う日がくるなんて。
ギイは滅多にないぼくの強い口調に少し驚いていたようだけれど、けれど彼だって自分のポリシーを簡単に曲げる人間じゃない。
「分かった。好きにしろよ」
どこまでも冷たく言い放ち、ギイは視線を外した。
それを合図に、ぼくはゼロ番をあとにした。






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