「愛するということ」の続きと思ってお読みください。
消灯間際の時間しか空いてないんだが、と言った時の奈良先輩の目はどこか笑っているように思えて、これは完全にバレてるなと確信した。 行けばいろいろと揶揄されそうな気がして、やっぱりやめるかなとも思った。とは言うものの、世話になったことに違いはないので、貢物を片手にゼロ番を訪ねた。 各階に一つづつある階段長の部屋は通称ゼロ番と呼ばれている。 階段長は学生たちの相談役として、最上級生の中から人望の厚い人物が投票で選ばれ、個室のゼロ番が与えられる。 2人部屋とは違い、個人の時間が自由に持てる個室を羨ましがる連中もいるが、実際には下級生たちからあれこれと相談ごとを持ち込まれるので、個人の時間なんてほとんど持てないらしい。 もっともそんなことで文句を言うような人間では階段長には選ばれないので、愚痴なんてどの階段長からも聞いたことはなかった。 奈良先輩は4人いる階段長の中でも、オレが一番尊敬している先輩だった。 頼りにもなるし、信頼もできる。 だけど、さすがに託生とのことはバレるとそれなりに困ることになるので、少し探りを入れておくかと思ったのだが・・・ 「で、葉山とは仲直りできたのか?」 「いきなりですか?」 ゼロ番に入るなりすぐに聞かれて、オレは苦笑した。 託生は、奈良先輩は自分たちが付き合っているというところまでは気づいていないと思う、なんて楽観的なことを言っていたけれど、階段長をするくらい周りのことによく気がつき、人間関係を見ている人だ。気づいていないはずがない、とオレは思っていた。 オレと託生のことも、きっと勘付いてる。 そして見てみないふりをしてくれているのだろうと思ったのだが、どうやらその考えは当たりのようだ。 オレを見る目も口調も、どれも「俺は知ってるぞ」とでも言いたげなものだ。 問題は託生が何を言ったのか、なのだが・・・。 奈良先輩はソファに座ると、前の席をオレへ促した。 「昨夜あんな怖い顔して葉山を連れて帰ったんだから、心配してたんだぞ。また喧嘩でもして葉山が飛び出したらどうしたものか、ってさ」 「すみません。ご迷惑おかけしまして」 と、オレは貢物のアルコールを差し出す。 「冷えてませんが」と言うと、奈良先輩はわざとらしく眉をひそめてみせた。 「崎、嬉しいけどな、こういうものを堂々とゼロ番に持ってくるんじゃない」 「じゃ持って帰ります」 「いや、貰っておく」 「ったく、最初から返すつもりないんでしょ?」 呆れたように言うと、奈良先輩はくすくすと笑った。 冷えてないビールほど不味いものはないので、代わりにと奈良先輩はコーヒーを淹れてくれた。 「で、仲直りはできたのか?」 「ええ、おかげさまで。ご心配おかけしてすみませんでした」 「いや、仲直りできて良かったな」 「先輩」 「うん?」 今さら隠しても仕方がないと思って、思い切って聞いてみることにする。 「託生はオレのこと何か言ってましたか?」 奈良先輩はうーんと少し考える素振りを見せて、思い出すように言った。 「崎のことが大好きだ」 「えっ!」 「・・・ってことを、遠まわしに言われたかな」 驚いた。 あの託生がそんなこと言うわけないもんな。いや、もし本当ならそれはそれで嬉しいのだが。 奈良先輩はソファの背にもたれると、うーんと低く唸った。 「いや、遠まわしでもないな、崎のこと好きになりすぎたらどうしたらいいのか、なんて言われて、てっきり崎の方が一方的に葉山に恋してるのかと思ってたけど、そうじゃないんだなぁ・・・って、おい、崎、話聞きながらニヤけるんじゃない」 「だって嬉しいんですよ」 思わず本音を漏らすと、奈良先輩は大仰にため息をついた。 相思相愛で良かったな、と少しうんざりしたように言って、けれどすぐに真面目な表情になった。 「なぁ、崎」 「はい」 「葉山はさ、一年のとき、問題児としてみんなから注目されてたけど、皆が皆、葉山のことを嫌っていたわけじゃなかった」 「・・・・」 「彼のことを心配しているヤツはけっこういたんだ」 それは知っている。 相楽先輩や麻生先輩を始めとして、多くの人が託生のこと気にかけてくれていた。 本当の託生はこうじゃないと、その本当の姿を知らなくても、分かる人にはわかるんだな、と思っていた。 「あれこれと葉山に声をかけたり、手を貸してやろうとしていたヤツもいたけれど、葉山はぜんぜん心を開いてくれなかった。その気になればいくらでも快適な学校生活が送れるだろうに、頑なに自分の殻に閉じこもっていた。正直なところ、卒業までこのままなのかなって思ったりもした。今年、崎が葉山と同室になって、崎ならもしかしたらって思ってたけど、本当に目覚めさせるんだもんなぁ」 あの眠り姫を、と先輩は笑う。 なるほど、眠り姫とは言い得て妙だ。 どんな騎士も彼女の元へ辿り着くことはできなかった。周囲のことなんてまったく意に介せず、ひたすらに眠り続けたお姫様。 だけど、最後まで諦めなかった王子が、彼女の愛を勝ち取った。 「先輩」 「うん?」 「先輩だから打ち明けますけど、オレ、本当にずっと託生のことが好きだったんですよ」 ずっとずっと。 もう思い出せないくらい昔から。 去年、託生のことを本当に心配して、心にかけてくれている人がいたのは分かっている。 けれど託生は変わらなかった。それをもどかしく思いながら、オレは心のどこかで妙に納得もしていた。 人が自分以外の誰かの人生を変えるなんて生半可な想いじゃできないことだから、よほど強い想いがなければ、きっと託生は変わることないだろうと思っていた。 託生を気にかける人のうちどれだけの人が、それほどの強い思いを抱いているのか。 周りに溶け込もうとしない託生にちょっと興味を持った程度の人に、オレの想いが負けるはずはないと思っていた。 託生を思う気持ちは誰にも負けない自信があったから。 けれど、頑なに心を閉ざす託生を見ていると、その自信は何度も崩れそうになった。 いつか、オレが託生のことを思う気持ちは彼の心に届いて、昔のような笑顔を見せてくれるのだろうか。 それとも他の人と同じようにあっさりと跳ね除けられてしまうのか。 そんなことをぐるぐると考えて、想いを告げる勇気を持つのに結局1年もかかってしまった。 告白して、付き合い始めて、いろいろ誤解もあったけど、ようやくちゃんと向き合って心を許せるようになった。オレの想いが託生に、託生の想いがオレに、ちゃんと届いた。 昨夜ちゃんと、それを確かめ合った。 「なぁ、どうして崎だったと思う?」 「え?」 「いろんなヤツが葉山を変えようとしてた。本気で心配してるヤツもいた。でもだめだった。だけど崎はあっさりと葉山に笑顔を戻した」 何かを試すような視線を向けられ、オレはしばし考えた。 どうしてオレが託生を目覚めさせることができたか? そんなの簡単だ。 「真実の愛っていうのは、どんなに深い眠りでも目覚めさせることができるんだなぁってところでしょうか」 とたんに、奈良先輩は飲んでいたコーヒーにむせ返った。 「おい、自分で言ってて恥ずかしくないか、崎」 オレとしてはかなり本気で言ったのに、それこそ呆れたように奈良先輩がまじまじとオレを眺め、さすが崎だな、なんてわけの分からない感心をされてしまった。 自分から聞いておいて、その反応ないんじゃないか、とも思うのだが。 「だけど先輩、100年眠り続けた眠り姫が目覚めたのは、王子様なら誰でも良かったわけじゃないと思うんですよ。彼女の元へたどり着くまでのあらゆる困難を乗り越えた王子の愛が本物だったからこそ、目覚めたんじゃないかって思うんですけど」 おとぎ話なんてただの作り話だけれど、その中にはもしかしたら普遍の真理があるのかもしれない。 「うん、まぁ確かにそうかもしれないけれど、俺はそれだけじゃだめだと思うんだよ」 奈良先輩は何かを考えるようにゆっくりと言った。 「あれはさ、眠り姫の方が、王子のことを好きになったからこそ、目覚めることができたんじゃないかな。真実の愛を与えてくれる人なら誰でも良かったわけじゃなくて、彼女にとって唯一無二の人だったからこそ、目覚めることができたんじゃないかって、俺は思うんだけど、どうかな」 「それは・・・」 オレだったから? 託生が、オレのことを好きだったから、だから・・・? その言葉は、オレにとってはこの上なく嬉しいもので、じんわりと胸が熱くなった。 「崎」 「はい?」 「顔がニヤけてる」 指摘されて思わず口元を覆った。 「崎がそんな顔するなんてなぁ」 恋って恐ろしいな、と奈良先輩が笑う。 確かにそれはそうだな、とオレも思う。好きな人が、自分のことを好きだと言う。それがこんなにも嬉しいことだなんて、知らなかった。知ってしまったら、その幸福感に泣きたくなるほどだ。 「浮かれすぎだってわかってるんですが、見逃してください」 何しろようやく気持ちが通じ合って、本物の恋人同士になれたんだなぁと思っているところだ。 今浮かれないでどうする。 「本当に分かりやすい男だなぁ。もっとクールかと思ってたが、でもその方がいいな、人間らしく見える」 「ひどいなぁ」 「はは。だけどな、崎。おとぎ話なら、これでハッピーエンドで終わりだろうけど、現実はそう簡単にはいかないことが多いだろ?」 「・・・」 「葉山にとって崎の存在はすごく大きいものになってると思う。あのひどい嫌悪症を治して、本来の葉山に戻してやったんだ。葉山にとって、自分を目覚めさせてくれた崎は世界のすべてになってしまうことだってある。いや、もうなってるかもしれない。もし、崎が卒業して自分の世界に戻ってしまうときに・・・」 「手放したりしませんよ」 最後まで聞かずに言い切った。 自分でもよく分かっている。 この恋はリスクが高い。男同士だからだけではなく、否応なくついてくるバックグラウンドが、この恋を手放しで歓迎するとは思えない。 それでも思いを貫くというのなら、辛い思いをするのはオレではなく託生の方だろう。 覚悟は祠堂に来るときにしてきた。 けれどそれを託生に求めることはできない。 それならば、その分、オレが強くなるしかない。 託生を手放すつもりはないし、傷つけたりもしない。 「好きなんですよ、託生のことが」 自然と言葉が零れた。 初めてこんな風に他人に自分の気持ちを素直に打ち明けることができた。 冗談めかすこともなく、誤魔化すこともなく。 オレにはそれが不思議だった。章三にさえもきちんと伝えてはいなかったというのに、どうして先輩にならば口にすることができるのか。 「うん、それならいいんだ」 奈良先輩は安心したようにうなづいた。 「もしかして先輩、最初からそれが聞きたかったんですか?」 「まぁそれもある。校則違反な関係を見逃してやるんだから、それなりの覚悟があることを確認しておこうかと思ってさ。軽い気持ちなら、今のうちにやめるように諭すべきかな、なんて階段長ぽいことを考えたりもしてたわけだ」 「やっぱり先輩はあなどれないなぁ」 ソファに深く沈みこんで、はぁとため息をつく。 オレたちのことバレてるだけじゃなくて、心配までしてくれていたとはね。 「崎のこともだけど、葉山のことも心配だったしな。せっかくいい顔で笑うようになったのに、また元に戻ったりするようなことは避けたかったし」 オレの託生に対する気持ちが本気なのかどうか、返答次第では・・・てことか。 階段長っていうのは大変だな、っていや、ちょっと待てよ。 「先輩」 「うん?」 「もしかして託生に惚れてるなんて言わないでしょうね」 「・・・崎のライバルになるほど心臓は強くないんでね。遠慮しておくよ」 にっこりと笑われて、ほっとする。 そんなオレを見て、奈良先輩はやっぱりどこか楽しそうに笑った。 ゼロ番で消灯の合図を聞いて、オレは託生の待つ部屋へと戻った。 扉を開けると、託生はベッドですやすやと眠っていた。 「早っ」 いや、あれだな。 昨夜、ようやく誤解も解けて、2度目の夜を過ごして、勢いあまって朝もいたずらしちまったしな。 疲れてても仕方ない・・・っていうかオレのせいでもあるしな。 オレは託生を起こさないようにそっとベッドの端に腰かけると、指先で託生の頬に触れた。 眠り姫。 100年の眠りについていたお姫さまの物語。 王子の真実の愛で目覚めたのだと思っていたけれど、そうじゃなくて、彼女はちゃんとわかっていたのだ。自分が必要としている人が誰なのか。その人が現れたからこそ目覚めることができた。 託生もそうだったらいいのに。 オレのこと、必要だと思って待っていてくれたのだとしたら、すごく嬉しい。 「愛してるよ」 そっと唇を寄せる。 触れるか触れないかというところで、いきなりぱちりと託生が目を開けた。 「うわっ」 いきなり目の前にオレがいたものだから、託生は心底驚いたようで、飛び跳ねるようにして身体を起こした。 その様子に思わず吹き出した。 「な、な、何だよ、ギイ・・・びっくりするだろ・・・って何笑ってるんだよっ」 「いや、だって、本当に王子様のキスで目覚めるもんだからさ」 「王子様?」 なにそれ、と託生は分からないというように唇を尖らせる。 「そりゃギイは王子様みたいだけど・・・」 寝ぼけたようにぶつぶつ言って、託生は再びぱたりとベッドに横になった。 「何だよ、託生、もう寝ちゃうのか?」 「眠いんだよ。おやすみ、ギイ」 「はいはい、おやすみ」 ちゅっと音をさせて頬に口づけると、一瞬目を見開いてオレを睨んで、だけどすぐに目を閉じてあっという間に眠りに落ちていった。 子供みたいなその様子がおかしくて、自然と笑いが漏れる。 おとぎ話だとハッピーエンドだろうけど、現実はそう簡単にはいかないから。 奈良先輩の言いたいことは理解できる。 現実はそれほど甘くないことくらい、オレだって嫌というほど分かっている。 だけど、おとぎ話みたいなハッピーエンドだって、最初から諦めていては永遠に訪れない。 少なくとも、ようやく目覚めた託生に、目覚めてよかったと思って欲しいから。 オレを選んでよかったと思って欲しいから。 「愛してる」 そっと囁いて、その唇に口づける。 さすがに100年の眠りは待っていられないけれど、明日の朝までなら我慢もできる。 朝一番にもう一度口づけてみよう。 そこで託生が目を覚ましてくれたら、それだけで一日幸せな気分になれそうな気がした。 |